[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第十話 夜会への招待状

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 ヘンリー兄妹が立ち去った後。
 オーリィードとレクセルは気まずい雰囲気を引きずったまま、道中無言で食堂に戻ってきた。
 少し離れたところで一旦立ち止まり、正面の入口と互いの顔を見比べる。
 
 オーリィードはグリューエルの殺気を追いかけて。
 レクセルはオーリィードを追いかけて。
 共に、三階の窓から飛び出していった。
 街路樹を緩衝材にしたとはいっても、普通の人間なら自殺行為に等しい。
 ヘタをすれば地面に落ちて、打ちどころが悪ければ即死。良くて打撲。
 少なくとも、無傷では済まない。

 オーリィードは、メイベルが早めに仕事を切り上げさせる程度に、一日中ずっと沈み込んでいた。
 そんなオーリィードが『突然三階の窓から飛び降りた』などと知ったら、メイベルにも他の人達にも余計な心配をかけさせてしまう。
 レクセルにしても、オーリィードの後を追って自殺を図ったと思われれば食堂内が大変な騒ぎになる。

 二人は、やはり無言で頷き合い。
 昨夜のオーリィードと同じく、誰にも気付かれないように気配を消して、こっそり部屋まで上がっていこうとしたのだが。

 接客中だったメイベルにはあっさりと気付かれ、三階に居た筈のお二人が揃って玄関口から現れたのは何故ですかと、異常なほどにキラキラした目で問い詰められてしまった。
 『男女二人組』に働くメイベルの勘が、オーリィードとレクセルのペアに潜行を許してくれなかったらしい。
 おそるべし、恋愛脳。

 とりあえず「私とレクセルは別々の用事でバラバラに出ていたのですが、帰り道でたまたま合流した為そのまま戻ってきただけです。出ていく時も、普通に出ていきましたよ。皆さん談笑中でしたし見逃していたのでしょう」とオーリィードが誤魔化し。
 レクセルが話を変えようとして夜食になりそうな物を二人分注文したら、メイベルと従業員が頬を赤く染め、心得た! とばかりにいそいそと厨房へ入っていった。

 二人が心配したような騒ぎにはならなかったものの。
 おそらく皆、逢い引きか何かと勘違いしている。

 十分後。
 案の定、二人の席には精がつく料理の数々が彩りも美しくずらりと並ぶ。
 二人……主にオーリィードが、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

「たーっくさん食べて、励んでくださいね!」

 何をだ。

「あ……ありがとう、ございます……」

 いたたまれない。
 見当違いな夢想と過剰な期待で無駄に輝いているメイベルの茶色い目も、従業員達のそわそわして落ち着きがない雰囲気も、微笑ましいものに対する生温かさと冷やかしが混じった客達の視線も。
 とにかく、いたたまれない。

 かといって、出された料理は無下にもできず。
 オーリィードとレクセルは、互いの目をチラリと覗いて頷き合い。
 周囲の妄想など相手にもしない余裕を窺わせる上品な所作で、ゆったりと食事を終え。
 光よりも速く部屋の中へと逃げ込んだ。





「あ、あの人の、ああいうところ……どうにかならないのか……」
「落ち込んでいた貴女への気遣いもあってのことでしょうし、善良な方ではあるんですけどね……」
「解ってる……。悪気があってやったんなら、彼女こそ、相当性格悪いぞ」

 二人並んで扉に背を預け、その場でずるずると座り込む。
 ふと互いの顔を見て、同時に長い長い息を吐き出した。

 思いがけない再会と……多少は恋愛脳のおかげでもあるのか。
 部屋を飛び出す前の異常とも思えた緊張感が、すっかり消えていた。

「夜会、出席するんですか?」

 ゆっくり立ち上がったオーリィードの背中を見上げるレクセルが、自身の胸元にそっと手を置く。
 ポケットの中に入れておいた封筒を指先で軽くなぞれば、カサリと小さな音がした。

 レクセルが現在勤めている王都中央宅配センターで支給された深緑一色の作業着と黒茶色の革靴は、これまで何人かで使い回されていたのだろう。
 布地が全体的にくたびれていて、そこそこの年季を感じさせる。

「……ああ。ヘンリー卿は、私達が知らない何かを把握されているようだ。サーラ様にも通じる、とても重要な、何かを。少しでもサーラ様に近付ける機会があるなら、私は行く。元々会うつもりだった候補の一人だしな」
「! この夜会の主催者が、貴女のお知り合い?」
「主催者の長子だ。私の隊で副隊長を務めていた」
「宮廷騎士団の副隊長!?」

 驚くレクセルに頷きを返したオーリィードが、開いたままの窓際に立ち、グローリアに手渡された白い封筒を観察する。

 ざらつきを感じさせない、心地好い手触りの上質な紙。
 月明かりが照らす、赤茶色の封蝋。
 鼻を近付ければ、うっすらと漂う花の香水。

 どう見ても、どう触っても、貴族階級の人間が使う高級品だ。
 現在の二人の立ち位置で容易に関われる品ではない。

「私達の居場所や目的、貴女の人間関係まで詳しく知っているなんて……。あの方々は、いったい何者なんですか、オーリィー」
「『オーリ』」
「……オーリィード?」
「『オーリ』だ。それ以外は認めない」
「…………どうしても、呼ばせたくないんですね?」
「お前には、特に、呼ばれたくない」

 硬い声で肩越しにジロッと睨みつけたオーリィードは、わざとらしく肩を持ち上げて息を吐くレクセルから目を逸らし、うつむいてしまった。

 約四ヶ月前に目を覚ましたオーリィードは、レクセルに対して、「自分のことはオーリと呼べ」と、そう告げた。
 レクセルだけでなく、他の人間にも同じように名乗っていたから、愛称のつもりかと思っていたのだが。
 どうも違うらしい。

「そんなに似てます?」
「後ろから蹴り倒したくなる程度には、似てる」
「そう、ですか……」

 リブロムに操られる前のベルゼーラ王国では、異母兄弟の、頭脳や武力や性格や母親の身分、果ては髪色や虹彩の色のごく軽微な違いで、王子の器を比較して優劣を競わせようとする人間に囲まれていた。
 異母兄リブロムは賢く強く物静かで、異母弟レクセルは賢く心優しく人懐っこい子だと。
 慈愛に満ちた微笑みで頭を撫でてくれた義理の母親でさえ『賢い』以外の共通点を挙げたことは一度もない。
 レクセル自身は兄を嫌っていたわけでも比較していたつもりもないので、二人きりの兄弟としてはそうした環境に一抹の寂しさを感じていたのだが。

 よりによってオーリィードに避けられている理由が、今までは聞いた例が無い『異母兄リブロムと似ているから』だとは。
 いろんな思いが複雑に絡まりすぎて、言葉にできない。

「……分かりました、オーリ。それで、あの方々は」
「私も詳しくは知らない。明日の襲撃者とやらを阻止すれば解るそうだし、とにかく行ってみるしかないだろ」

 オーリィードが改めて月の光へ向けて封筒を掲げると、その中に、何かの影が透けて見えた。
 四角いカード……夜会への招待状か。

 社交界において最も重要なことは、どの家門の誰とパスを繋げられるか、もしくは繋がずにいられるか、だ。
 うっかり泥沼物件と関わってしまった家門は、貴族社会全体に蛇蝎だかつの如く嫌悪され、信用を失い、果ては地位も権威も財産も失う。

 だから貴族が開く夜会には、通常であれば、主催する家人の親戚や友人、仕事関係者や顔見知り、そのパートナーや子供達が招かれる。
 得体の知れない人間が紛れ込む余地など無いし、あってはならない筈。
 例外はいくつかあるが、それにしても最低限主催者だけは招待客の素性を把握していなければおかしい。

 つまり、この招待状は間違いなくオーリィード達に宛てられた物であり、これを二人の許へと直接持ってこれたヘンリー兄妹は、夜会を主催する家の人間とも繋がっている。

 グローリアと、かつての部下。
 オーリィードがレジスタンスに在籍する前までは、どちらからも、互いの話を聴いたことはなかったが。

 ひとまず、短剣を使って開封し、

「……ッ!?」

 取り出した紫色のカードを見て、硬直する。

「オーリ?」
「……あ、ああ……。『家へ行け』とは言ったが、『夜会に出席しろ』とは言ってなかったな」
「え?」
「見てみろ」

 立ち上がったレクセルの胸元を指し示し、短剣を渡して開封を促す。
 月光の下で取り出したレクセル宛ての青いカードには、黒いインクでこう刻まれていた。


 『シュバイツァー隊長のご同行者様へ

  挨拶も満足にできない無礼をお赦しください。
  隊長にどうしてもお伝えしたい事があります。
  どうか、隊長と共に我が家へお越しください。

     フィールレイク伯爵家長男
     ティアン・フォルト・フィールレイク』

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