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結
第三十一話 マッケンティアの書簡
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宮殿での一件後しばらくして、ロゼリーヌ宛てに書簡が届いた。
ベルゼーラの王太后・マッケンティアを表す月と月桂樹の紋章が刻まれた書簡には、希望者二名の明確な婚約の意思と、それを後押しする意向の両方を提示した文言が並んでいる。
希望者はベルゼーラ王国の第二王子、レクセル・ウェルマー・フロイセル。
そして、ウェラント王国の王太后・ロゼリーヌの娘、オーリィード・シュヴェル・シュバイツァー。
「……どうしたものかしら」
元来、王侯貴族の婚約や結婚とは、家同士の縁を繋ぐ為の物。
その目的は、派閥や事業の拡大もしくは維持、新たな勢力の形成もしくは牽制、同盟への参加もしくは対立、それらに伴う国内外での家門の立ち位置表明であり、繋ぎ方次第では国家間の勢力図にも多大な影響が出る為、個人同士や身内が納得したからと言って軽々しく承諾して良い話ではない。
まして、今回の婚約希望者二人の周辺には、問題点があまりにも多すぎる。
侵略した国の王族と、侵略された国の王族の連れ子。シュバイツァーの家名。不透明なフリューゲルヘイゲンの動向。オーリィードの生い立ちと経歴、レクセルの立場と経歴、リブロムの立場と心境、サーラやシウラとの関係。何よりも厄介な、マッケンティアの存在。
リブロムの『力ある言葉』で押さえているベルゼーラやウェラントの上層部はともかく、近隣諸国がこの件を知ったら……
「大歓迎……、でしょうね。間違いなく」
フリューゲルヘイゲンに繋がるシュバイツァーの家名と、これを機に表へ出るかも知れない大作家『マッケンティア・ドルトリージュ・バロックス』の名前や現在の地位。
バスティーツ大陸南西部の国々にとっては、この上無い極上のカード。反対するほうがどうかしていると思わせるだけの威力を持つ、利益しか生まない最強の組み合わせ。甘くて美味しい飴のような縁談。
ベルゼーラに侵略されてもなおウェラント王国との国交を絶つ国が一つとして無かった、真の理由。
自国に最高の取引先を呼び込む絶好の人脈と機会。
だからこそ、一般民にも広く過去と名前が知れ渡っていた『オーリィード』は、リブロムの思惑から外れるべきではなかったのだが。
「ダンデリオンが読めていない流れ……とは、考えにくいわよね。平和的なアプローチなんて、選択肢は限られていたもの」
婚約の申し入れが公式な書簡として送られて来た以上、見なかったフリはできない。なんらかの回答は必要だ。
しかし、フリューゲルヘイゲンの沈黙はいまだに続いている。
さて、どう答えるべきか。
どう答えるのが、正解か。
一人で頭を悩ませていたロゼリーヌに答えを示したのは、数日ぶりに姿を見せたリブロムだった。
「『諾』だ」
「え?」
薔薇の宮の庭園。
空の明度も気温も下がり、そろそろ室内へ移動しないと体調を崩しかねないという頃合い。
円形の白いガーデンテーブルと向き合う形で椅子に座っているロゼリーヌの背後から腕を伸ばしたリブロムが、マッケンティアの書簡を無造作に摘まみ上げる。
濃い黒紫色のロングドレスと同色のロンググローブを身に着けているロゼリーヌと違い、半眼で文面を確認しているリブロムの格好は、ミウルを人質にして宮殿へ呼び出した時と大差無い。
「『諾』で良い。ただし、二人の婚約式はこちらで手配する。式の当日まで絶対に関連情報を漏洩させないことが必須条件だ。少しでも外部に漏れていると判断した場合、婚約は一切認めないものとする」
「……貴方は、それでよろしいの?」
「信じろと仰ったのはロゼリーヌ后だと記憶しているが?」
「そうではなく。貴方個人の想いは、オーリィードとレクセル殿下の婚約をお認めになってもよろしいのかと」
「マッケンティアの手に堕ちずとも、二人はいずれこうなっていたでしょう。その為のレクセルだったので」
「! 自身を討たせた後のオーリィードを護らせる為に?」
「毎度毎度、肝心な所で役に立ちませんでしたけどね。オーリィードがレクセルとの平穏な時間を望むなら、それはそれで構わない。私個人に止める理由はありません。これまで散々な目に遭ってきたんだ。短い間になるかも知れないが、夢くらいは好きに見させてやれば良い」
フッと鼻で笑い、ぞんざいにも思える手つきで書簡をテーブルに戻すリブロム。
「婚約式には王妃と愛妾も参席させますが、式の具体的な内容やオーリィード達の意向、フリューゲルヘイゲンの動向に関して、サーラにだけは決して事前に教えないでいただきたい」
「何故?」
「その必要が無いから、とだけお答えしておきます」
サーラは今でも王妃の寝室に居る。
オーリィードの身柄はフリューゲルヘイゲンが保護してくれていると信じたままで。
「余計な失望を与える必要は無い、と?」
「さあ、どうでしょうね。解釈はご自由に」
用は済んだとばかりにさっさと薔薇の宮を出て行く背中は、宮殿で見せた迷いや弱々しさを全く感じさせなかった。
かといって、決意をにじませる力強さがあった訳でもない。
「……リブロム陛下……?」
さっぱりした態度の中にも不気味な静けさを含んだ雰囲気が、見送るロゼリーヌの胸に言い知れぬ不安を抱かせた。
誰も知らない。誰も気付かない。
気付いたところで、その結果を真剣に考える者など居やしない。
知らない間に受け入れて。
知らない内に流されて。
いつの間にか取り返しがつかなくなって。
その瞬間になって、やっと目が醒めるのだろう。
醒めたとしても、やることと言えば他者への非難と八つ当たりだ。
何故こうなった。
どうして何もしてくれなかった。
こうなる前にどうにかできなかったのかと、口を揃えて訴えるのだろう。
中央大陸で死んでいった人間のように。
彼らを助けようとしていた仲間達を逆恨みしながら。
彼らを助けようとして死んでいった仲間達を罵りながら。
そうして他者に痛みを押し付けて、自分を楽にしながら。
どうにかしてくれと、涙ながらに訴え続けるのだろう。
知らないフリ。見えないフリ。
自分自身に降りかかるまでは、全部全部他人事。
優しい世界の外側は、何もかも全部が、他人事。
「………………けて………………」
吐いた言葉に、意味は無い。
誰にも聞こえやしないのだから。
誰にも。
誰にも。
誰にも……。
誰にも…………。
ベルゼーラの王太后・マッケンティアを表す月と月桂樹の紋章が刻まれた書簡には、希望者二名の明確な婚約の意思と、それを後押しする意向の両方を提示した文言が並んでいる。
希望者はベルゼーラ王国の第二王子、レクセル・ウェルマー・フロイセル。
そして、ウェラント王国の王太后・ロゼリーヌの娘、オーリィード・シュヴェル・シュバイツァー。
「……どうしたものかしら」
元来、王侯貴族の婚約や結婚とは、家同士の縁を繋ぐ為の物。
その目的は、派閥や事業の拡大もしくは維持、新たな勢力の形成もしくは牽制、同盟への参加もしくは対立、それらに伴う国内外での家門の立ち位置表明であり、繋ぎ方次第では国家間の勢力図にも多大な影響が出る為、個人同士や身内が納得したからと言って軽々しく承諾して良い話ではない。
まして、今回の婚約希望者二人の周辺には、問題点があまりにも多すぎる。
侵略した国の王族と、侵略された国の王族の連れ子。シュバイツァーの家名。不透明なフリューゲルヘイゲンの動向。オーリィードの生い立ちと経歴、レクセルの立場と経歴、リブロムの立場と心境、サーラやシウラとの関係。何よりも厄介な、マッケンティアの存在。
リブロムの『力ある言葉』で押さえているベルゼーラやウェラントの上層部はともかく、近隣諸国がこの件を知ったら……
「大歓迎……、でしょうね。間違いなく」
フリューゲルヘイゲンに繋がるシュバイツァーの家名と、これを機に表へ出るかも知れない大作家『マッケンティア・ドルトリージュ・バロックス』の名前や現在の地位。
バスティーツ大陸南西部の国々にとっては、この上無い極上のカード。反対するほうがどうかしていると思わせるだけの威力を持つ、利益しか生まない最強の組み合わせ。甘くて美味しい飴のような縁談。
ベルゼーラに侵略されてもなおウェラント王国との国交を絶つ国が一つとして無かった、真の理由。
自国に最高の取引先を呼び込む絶好の人脈と機会。
だからこそ、一般民にも広く過去と名前が知れ渡っていた『オーリィード』は、リブロムの思惑から外れるべきではなかったのだが。
「ダンデリオンが読めていない流れ……とは、考えにくいわよね。平和的なアプローチなんて、選択肢は限られていたもの」
婚約の申し入れが公式な書簡として送られて来た以上、見なかったフリはできない。なんらかの回答は必要だ。
しかし、フリューゲルヘイゲンの沈黙はいまだに続いている。
さて、どう答えるべきか。
どう答えるのが、正解か。
一人で頭を悩ませていたロゼリーヌに答えを示したのは、数日ぶりに姿を見せたリブロムだった。
「『諾』だ」
「え?」
薔薇の宮の庭園。
空の明度も気温も下がり、そろそろ室内へ移動しないと体調を崩しかねないという頃合い。
円形の白いガーデンテーブルと向き合う形で椅子に座っているロゼリーヌの背後から腕を伸ばしたリブロムが、マッケンティアの書簡を無造作に摘まみ上げる。
濃い黒紫色のロングドレスと同色のロンググローブを身に着けているロゼリーヌと違い、半眼で文面を確認しているリブロムの格好は、ミウルを人質にして宮殿へ呼び出した時と大差無い。
「『諾』で良い。ただし、二人の婚約式はこちらで手配する。式の当日まで絶対に関連情報を漏洩させないことが必須条件だ。少しでも外部に漏れていると判断した場合、婚約は一切認めないものとする」
「……貴方は、それでよろしいの?」
「信じろと仰ったのはロゼリーヌ后だと記憶しているが?」
「そうではなく。貴方個人の想いは、オーリィードとレクセル殿下の婚約をお認めになってもよろしいのかと」
「マッケンティアの手に堕ちずとも、二人はいずれこうなっていたでしょう。その為のレクセルだったので」
「! 自身を討たせた後のオーリィードを護らせる為に?」
「毎度毎度、肝心な所で役に立ちませんでしたけどね。オーリィードがレクセルとの平穏な時間を望むなら、それはそれで構わない。私個人に止める理由はありません。これまで散々な目に遭ってきたんだ。短い間になるかも知れないが、夢くらいは好きに見させてやれば良い」
フッと鼻で笑い、ぞんざいにも思える手つきで書簡をテーブルに戻すリブロム。
「婚約式には王妃と愛妾も参席させますが、式の具体的な内容やオーリィード達の意向、フリューゲルヘイゲンの動向に関して、サーラにだけは決して事前に教えないでいただきたい」
「何故?」
「その必要が無いから、とだけお答えしておきます」
サーラは今でも王妃の寝室に居る。
オーリィードの身柄はフリューゲルヘイゲンが保護してくれていると信じたままで。
「余計な失望を与える必要は無い、と?」
「さあ、どうでしょうね。解釈はご自由に」
用は済んだとばかりにさっさと薔薇の宮を出て行く背中は、宮殿で見せた迷いや弱々しさを全く感じさせなかった。
かといって、決意をにじませる力強さがあった訳でもない。
「……リブロム陛下……?」
さっぱりした態度の中にも不気味な静けさを含んだ雰囲気が、見送るロゼリーヌの胸に言い知れぬ不安を抱かせた。
誰も知らない。誰も気付かない。
気付いたところで、その結果を真剣に考える者など居やしない。
知らない間に受け入れて。
知らない内に流されて。
いつの間にか取り返しがつかなくなって。
その瞬間になって、やっと目が醒めるのだろう。
醒めたとしても、やることと言えば他者への非難と八つ当たりだ。
何故こうなった。
どうして何もしてくれなかった。
こうなる前にどうにかできなかったのかと、口を揃えて訴えるのだろう。
中央大陸で死んでいった人間のように。
彼らを助けようとしていた仲間達を逆恨みしながら。
彼らを助けようとして死んでいった仲間達を罵りながら。
そうして他者に痛みを押し付けて、自分を楽にしながら。
どうにかしてくれと、涙ながらに訴え続けるのだろう。
知らないフリ。見えないフリ。
自分自身に降りかかるまでは、全部全部他人事。
優しい世界の外側は、何もかも全部が、他人事。
「………………けて………………」
吐いた言葉に、意味は無い。
誰にも聞こえやしないのだから。
誰にも。
誰にも。
誰にも……。
誰にも…………。
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