[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第三十七話 忘れえぬ日々 ⅩⅩⅤ

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 五日ぶりだ。

 オーリィードとアーシュマーは、五日ぶりに顔を合わせた。
 口の中にシフラヴィをねじ込まれたオーリィードが思わず逃げ出してから今日になるまで、アーシュマーはオーリィードの前に一度も現れなかった。
 影も形も、話し声や足音でさえ、一度たりとも、だ。

「『十七番』ですね」
「はい」
「騎馬競走一位獲得おめでとうございます。私は時間測定担当の試験官で、フュロイ・ラース・ラークスと申します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。え、と」
「? ああ。騎士の方々に比べると線が細いせいか、よく間違われますが、私は男ですよ。ラークスとお呼びください」
「(どう呼べば良いか分からなかっただけなんですが……)失礼しました、ラークス殿」
「いえいえ」

 元々アーシュマー隊とシュバイツァー隊では警護を預かる階層が違うし、宿舎にしても、男性と女性では渡り廊下を挟んで棟を分けている。
 食事だって、毎回一緒に食べていたわけじゃない。
 第一、
 
「ではまず、馬を降りてください」
「はい」
「そのまま木柵こちらの前まで来て……はい、そこで止まってください」
「……この木柵……支柱も、二段ある横木も、どちらも丸太型なんですね。ウェラント軍では珍しい。繋ぎ場で使う鉄環も付いていないようですが」
「詳細は試験官にも知らされていませんが、今回から導入された試験の為に特注したそうです。同じ柵を使う『十三番』の妨害にならない場所ならば、支柱でも横木でも、好きな所に繋いでいただいて構いませんよ」
「そう、ですか」

 ゼルエスの『恩赦』で事実上の無法地帯と化していた宮殿内部を守る為、フォリン団長やメイド長を始めとした管理部の責任者達がそれぞれの部下に「お願いだから真面目にお仕事してください」と泣きついた甲斐があって、宮殿内の治安は普段より格段に良くなっていた。
 それは宮殿関係者全員のスケジュール管理が徹底されていた証左であり、隊が違う男女では、会おうにも会いづらい環境だったことを意味している。

「今から、お渡しするロープの片端に付いた金具を、馬のあご下のリングカップランに装着していただきます。これは準備です。時間測定の対象ではありません」
「はい」
「その後私が合図したら、金具が付いてないほうを木柵に繋いでください。制限時間は六十秒。時間内であれば、納得いくまで何度でもやり直せます。開始前に質問はありますか?」
「一つだけ、よろしいでしょうか」
「なんなりと」
「ここはどこですか?」
「? ……あ。えっと、軍の訓練場で、今は実技試験の会場です」
「…………了解。測定をお願いします」
「は、はい。こちらのロープをどうぞ」
「お預かりします」

 だからこそオーリィードは、アーシュマーも真面目に仕事をしているだけだと、そう思っていた。
 仕事をしているのだから、顔を合わせる機会が無いのは当然なのだと。

 なのに、アーシュマーは。

「じっとしててくれ、ルナエラ。……よし、良い子だ。ありがとう」
「準備はできましたか?」
「はい」
「それでは、改めまして」

 五日ぶりに会ったアーシュマーは。

「『十七番』、始め!」
「終わりました」
「え」

 オーリィードを見て、あからさまに頬を赤らめた。
 赤く染まった頬を隠すように、顔を逸らした。
 恥ずかしそうにうつむいて、逃げた。
 今も、オーリィードの左隣に立っている『十三番』の愛馬と『十三番』とトルードを挟んだ向こう側で、オーリィードから隠れるように佇んでいる。

「あ、あの、『十七番』?」
「はい」
「二、三秒しか使ってませんが、これで終わりですか?」
「はい」
「まだ五十秒くらい余裕で残ってますけど、本当にこれで良いのですか?」
「ルナエラ側のロープを、ルナエラのほうへ引っ張ってみてください」
「え、ですが、これでは」
「ラークス殿に実証していただかないと、減点されてしまいそうですので」
「はあ……でしたら、失礼します」

 オーリィードに促されたラークスが、ルナエラと一段目の横木の間で弛むロープを掴んで、ルナエラ側へ引っ張った。
 先端を木柵の反対側、ラークスが立っているほうの地面スレスレ辺りまで垂らして横木に三、四回巻き付けただけにしか見えないロープは、どんなに力を入れても外れる気配がない。

「あ、あれ? え? どうして?」
「こちら側からも引いてみせましょうか」

 首をひねるラークスに代わり、ルナエラの横に立っているオーリィードがロープを掴んでルナエラ側に引く。
 オーリィードが全体重を乗せて引っ張ってもまったく動かないロープに、ラークスは驚愕の表情で固まった。

「こ、れは、いったい……? どう見ても、結んであるようには……」
「ここでの必須条件は、木柵と馬を確実に繋ぐこと。それでいて、競技中に馬達がケガをしないよう、簡単に解ける安全な繋ぎ方を選び取ることです。違いますか?」
「その通りです。ですから他の方々は『馬つなぎ結び』を選択されました」
「『出征中の一時的な係留』と『緊急時の出動速度』を意識して、ですね。私も、、他の受験者達と同じ選択をします」
「……! だからさっき、ここはどこかと尋いたのですか!? どんな状況を想定した種目なのか、その前提を確かめる為に!?」
「私も最初は、戦時中に陣営が襲われ、敵兵によって馬を放された設定か、遠征中の繋ぎ場で馬泥棒と出会した設定かと思ったんです。ですが……私は『刃物類の使用を禁じた戦場』というものを、存じ上げておりませんので。一応、念のために、確認させていただきました」
「そんっ……! いえ、その……失礼しました」

 大声を出した自分自身に驚き、慌てて口元を押さえるラークス。
 オーリィードは、ただ静かに頷いた。

「馬に関係する人間なら誰でも知っている『馬つなぎ結び』では、自分から点を与えるも同然です。持ち手側の先端を軽く引っ張れば解けますからね。一秒も要りません」
「……はい。そういう結び方ですから」
「ですが、ウェラント王国ではあまり知られていないこの方法なら、相手に一瞬の迷いを作り、一度『屈む』か『蹴り上げる』動作を挟んで落ちている先端を掴み、回して解く、という二度手間を選択させることができます」
「妨害するなら、その隙があれば十分だと」
「まあ……はい。そうですね」
「なるほど」

 驚きから苦々しさへと、徐々に変わっていくラークスの表情を見て。
 オーリィードは、自分への加点を確信した。

 『試験中はどこで加点・減点されるか判らない』が、罠を仕掛けた人間は往々にして正直な感情を表に出してしまう傾向がある。
 相手が罠に嵌まれば、嬉しそうに口角が上がる。
 相手が罠を逃れれば、悔しそうに唇を引き結ぶ。
 ラークスの表情は、まさに後者そのものだ。

 しかし、それが受験者の油断を誘い、減点行為を招く為のフェイクである可能性は捨て切れない。
 実際は『馬つなぎ結び』が正答で、加点要素は、しっかりと結べているかどうか。他はすべてが減点要素になっているかも知れない。
 フォリン団長もラークスも『結べ』ではなく『繋げ』としか言わなかった辺りと、ここはどこか、と質問した時の、あらかじめ用意されていた答案を思い出したかのようなラークスの答え方が、微妙に怪しい。
 自分の選択が間違っているとは思わないが、念押しはしておくべきか。

 わずかでも気を抜けば、優秀な成績も地に堕ちる。
 実技試験はそういう場所だ。

「ラークス殿」
「はい?」

 オーリィードはラークスに声を掛け、ルナエラを指し示した。
 正確には、ルナエラのあごの下。
 カップランに装着しろと言われた金具が結び目からひょこっと顔を出す、時間測定を始める前にはそこにあった、立派な『馬つなぎ結び』を。

「そ……っ、な………………っ!?」
「六十秒、経ちましたか?」

 ラークスはルナエラとオーリィードを見比べ……肩を落として頷く。

「『十七番』の時間測定、不備も過失もなく、充足で終了! 『十七番』は馬を愛撫しながら次の指示を待つように!」
「了解!」

 オーリィードの敬礼に答礼を返して去っていったラークスを見送り、内心安堵の息を吐いた。

 できることをやったからと言って、それが正答であるとは限らない。
 土台を見誤り、前提を誤認し、手段を間違えていれば、待ち受ける結果は「悲惨」の一言に尽きる。

 だが、ラークスの言い回しからして、少なくとも今回の試練に関しては、無事に乗り越えられたらしい。
 次の問題は、チームワークが重要な鍵を握る団体戦でも、オーリィードの狙いが通用するかどうか。
 せめてアーシュマーにだけでも、オーリィードがここで何をしていたのか伝わっていれば、話は早い、の、だけど。

「…………」

 礼を解き、肩越しに様子を窺ったアーシュマーは。
 上半身はもとより、下半身まで馬の脚に隠れ。
 辛うじて見える靴先も、木柵のほうへ向けていた。

 明らかにオーリィードを避けている。
 仕事だからとか、馬二体と人間一人を間に挟んでいるからとかではなく。
 羞恥心と動揺が絡んだ私情で、オーリィードを避けている。
 五日前から、今日になるまで。
 ずっと、避けてきた。

 ただただ、恥ずかしいから。
 それだけの理由で。

「……………………っの、クセに……ッ」

 オーリィードは、腹の底から湧いて顔色に顕れた感情を歯ぎしりで抑え、わなわなと震える肩も、両足を踏ん張り、両手で拳を握って堪えた。
 髪が逆立つような錯覚も、身体の内側が激しく燃えているような錯覚も、全力で叫びたい衝動も、とにかく必死で堪えた。

 そんなオーリィードの頭を、ルナエラの鼻先が、ポス、ポス、とつつく。

「……! すまない、ルナエラ。危うく放置するところだった」

 撫でて、誉めて、構って、と言いたげなルナエラの首に手を当てた途端、感情が現実へ引き戻された。

 アーシュマーがどうであれ、騎馬競走で一位になれたのはルナエラの力があってこそだ。ありがとうとお疲れさま、もうちょっと付き合ってくれ、の気持ちを込めて、首の中でも特にルナエラが好む場所を丁寧に愛撫する。
 それからすぐ、拡声器を通した男性の声が辺りに響いた。

「騎馬競走最下位到着! 待機中の『先着三十位組』と『後着惨敗組』は、馬から離れて後方へ! それぞれ、誘導員の指示に従って整列せよ!」
「「「了解!」」」

 一斉に馬から離れる受験者達。
 南北に十人一組、東西に三列ずつの隊列を組んだ二つの団体が、式礼台の直線上で拡声器を持って立つ試験官の男性を挟み、真正面から睨み合う。

 オーリィードは『先着三十位組』の東側三列目、馬に近い北端に立った。
 アーシュマーは、なんと、オーリィードの目の前に居る。
 あまりにも都合が良すぎて、一瞬びっくりした。

 だが。

「最下位が馬を繋ぎ終えた瞬間、競技開始の合図を送る! この団体戦は、五分の間で相手組の馬を一頭でも多く放し、自分の組に十点を入れることが目的だ! 方法は自由だが、馬達を傷付ける真似はしないように!」
「「「いついかなる時も、勇敢なる我らが戦友ともに敬愛を!」」」

 オーリィードを避けて馬の影に隠れるくらいだ。
 今のアーシュマーなら、合図と同時に逃走する。
 十中八九、風になって目の前から消えてしまう。
 
 それでは困る。
 アーシュマーには、『先着三十位組』の司令塔になってもらわなければ。

「六十秒は短いからな。今の内に作戦を練るなり展開を予想するなりして、すぐに動ける態勢を整えよ!」
「「「了解!」」」

 二つの団体に潰されるのを避けてか、式礼台に上がる試験官の男性。
 そして。

「『四十九番』の時間測定、問題なく終了! 全員、測定完了です!」
「よし」

 騎馬競走最下位の時間測定を担当したらしい女性の凛とした声が響く。
 拡声器を構えた試験官の男性が、息を吸い込んだ瞬間。

「では、団体戦」

 オーリィードは、アーシュマーの背中に手を伸ばし。

「始め!」

 掴んだものを、思いっきり引き寄せた。


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