砂に描いた夢

Bella

文字の大きさ
4 / 53

もつれはじめる糸

しおりを挟む
 一度出て行ったはずの男性は、その数分後に真っ赤な薔薇の花を手に店へと戻ってきた。そして、綺麗な手に傷を付けてしまって申し訳ない、とその薔薇を私に差し出した。四本の薔薇が小さなブーケ状に纏められたものを手にした男性の姿はあまりに美しくて、不気味なほどだった。
 怪我をしたのは自分の不注意だし、男性には何の落ち度もないと何度説明をしても聞き入れては貰えず、最終的にはこちらが折れて小さな花束を受け取る事にした。男性は満足そうに微笑むと、また来ます、と言い残して立ち去ってしまった。

「あんな奴、本当にいるんだ」

 言葉の節々からこれでもかと言うくらい滲み出ている刺々しさに気付かない振りをして、カウンターの後ろに置いた花束を一瞥した。

「何がです?」

 わざとらしくとぼけてみると、彼は大げさにため息をついた。

「さっきの客だよ。ちょっと紙で指切ったくらいで勝手に手を握ったり、わざわざあんなプレゼントまで持ってきちゃって。いきなり薔薇の花って……何の映画だよって感じ。かっこつけすぎだよな、まったく」

 ふてくされるようにカウンターに頬杖をついて、ぶつくさと文句を垂れている。自分はいきなり襲いかかってきた癖に、手を握っただけの男性を批難する資格はないだろう、と内心思ったりする。

「でも、素敵な人でしたよ。花なんて、産まれて初めて貰いました」

 花を見ながら答えた言葉は、心からのものだった。誰かに、ましてや男の人に見とれてしまったのも、誰かの声が心地いいと、もっと聞いていたいと思ったのも、誰かのことを知りたいと思ったのも、全てが初めての経験だった。優しく包んでくれた僅かに体温の低い大きな手が、忘れられずにいる。

「なに、葉月ちゃん、ああいうのがタイプなの? 嘘でしょ?」

 声を荒げて詰め寄ろうとする彼を手を伸ばして軽く制止すると、目を大きく開けて口をあんぐりと開けた。

「何ですか、その顔」

 彼は更に目を大きくすると、両手で頭を抱え込んだ。行動の全てが大げさで、どこかやかましく感じさせるのは、初めて会った頃から何も変わらない。

「はいはい、どうせ俺はあんなイケメンじゃないですよ。何だよ、生カステラじゃなくて花にすればよかった」
「そういう話じゃないですけど。カステラは美味しかったですよ」

 そう言うと彼は頭を抱えていた両手を解いて、胸の前で腕組みをしてじっとこっちを見やった。じっとりとした視線に耐えられなくて目を逸らせば、耳に届くのは小さなため息だけだった。

「嘘付け。甘いもん嫌いな癖に」

 どこか拗ねたような口調で、彼がそう言った。

「嫌いじゃないです。ただ、あまり好んでは食べないだけです」
「同じじゃん、それ」

 少し笑った彼がそう言って、カウンター横にある鍵を手に取った。それは店の外に下ろすシャッターの鍵で、時計を見れば時刻は既に十六時を回っていた。

「時間だから、上がっていいよ。閉店作業は俺がやっとくから」

 シャッターを閉めるのはいつも私の仕事なので手を伸ばすと、彼は私の手が届かない所まで手を引き、首を横に振った。

「いいよ、怪我してるんだろ」
「そんな、怪我っていう程じゃないです。紙でちょっと切っただけですよ。もうとっくに血も止まってますし」

 いいから、と彼は鍵を持っていない方の手で私の肩を抑えた。その何気ない仕草でさえ、私の身体を大きく震わすのには充分だった。昨日までならば、これくらいの接触は平気だったのに、と悲しくなる。

「すみません」

 慌てて手を離した彼に謝ると、真剣な口調でそれを遮った。

「謝らないでって。俺が悪いんだから」

 俯く私に、彼は続けた。

「葉月ちゃん、俺が怖い?」

 伸ばしかけた手を止めて、彼は私が答えるのを待った。耐え難い沈黙から逃れようと首を横に振ろうとするが、体が思う様に言う事を聞かない。

「少し、怖いです」

 絞り出すように答えた私に、彼は何も言わない。ぎゅっと握りしめた自分の拳に視線を落としていたが、長く続く沈黙に耐えかねて顔を上げた。
 本当は、今にもみっともなく泣きだしてしまいそうだった。あの日全てを失い、祖母を頼り一人この地へ来た私は、編入した中学校でも、進学した高校でも友人を一人も作らず、祖母以外誰とも口を利かなかった。そんな中で、懲りずに声をかけ続けてくれた坂口さんは、私にとって救世主のような存在だった。彼は確かに特別だった。しかしそれは恋愛感情とはまた違い、絶対の信頼を彼においていたのだ。まさか彼が、私を一人の女として見ているだなんて、夢にも思っていなかった。

 顔を上げた私を見て、彼はにっこりと歯を見せて笑った。どうやら、私が顔を上げるのを待っていたようだ。予想外の反応に戸惑う反面、彼の笑顔に安心し、そして罪悪感を覚えていた。
 彼は両手を肩より少し高く挙げて、降参するようなポーズを見せた。その意図が分からずにただ佇む私に、彼は更に続けた。

「もう、絶対しないから。まさかキスであんなに怖がると思わなかったんだけど、怖がらせちゃったのは事実だし」

 すみません、と謝罪の言葉がまた口をつく。
 私も、もうすぐ二十四になる。普通に生きてきたこの年代の女ならば、キスの一つや二つで大げさに椅子から転げ落ちたりはしないはずだ。例えそれが、恋愛感情を抱いていない相手からの行為であったとしても。

「葉月ちゃん、今まで付き合った人とかいないの?」

 突然の質問だったが、目を見たままゆっくりと首を横に振った。すると彼は、驚いたように目を丸くさせた。

「本当に? そんなに綺麗なのに、もったいないな」

 褒め言葉でさえもどこか居心地が悪くて、眉間に皺が寄るのがわかる。

「嘘じゃないよ。葉月ちゃんみたいな子、そういないよ」

 それがお世辞や嘘ではない事は、彼の口調と真剣な態度が証明していた。恥ずかしさと居心地の悪さが頂点に達した時、彼が一歩こちらへ足を踏み出した。逃げたくて足が一瞬反応したが、そうすれば彼を更に傷付けてしまいそうで、震える足に力を入れていた。

「さっきの、あの客だったら……」

 そう言いかけて、視線をカウンターの後ろへと泳がせた。釣られるように視線を向けると、そこには真っ赤な薔薇のブーケが置かれていた。

「あいつだったら、葉月ちゃんも逃げないのかな」

 悪戯の様にも、悲しんでいるようにも見える表情を作った彼がそう言って、親指の腹でそっと私の頬を撫でた。熱を帯びたその指は、一瞬唇をなぞって離れていった。

 口を開いて何かを言おうとした。それを彼が遮って、くるりと背を向けた。

「はい、この話はもうお終い。俺はシャッター閉めちゃうから、葉月ちゃんは裏から帰って」

 そう言うと一度だけ振り返り、お疲れ様、と笑った。私も同じ言葉を返して、裏口を通って店を後にした。

 帰り道で思う事は、あの時坂口さんが遮らなければ、私は一体何を口にしていただろう、ということだけだった。
 男性のひんやりとした指先を思い出しながら、自分は彼に迫られたら逃げられるだろうか、などとくだらない事を考えていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】お父様の再婚相手は美人様

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 シャルルの父親が子連れと再婚した!  二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。  でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

処理中です...