砂に描いた夢

Bella

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現実と悪夢

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 店の入口で立ち止まると、十月だというのに半袖のシャツを着た若い男性店員がかけよってきて、不必要なほど元気な声で挨拶をされる。

「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」

 はい、と坂口さんが頷く。

「二回のテラス席って空いてる?」

 にこやかに尋ねた彼に、若い店員は申し訳なさそうに顔を歪める。

「すみません、今日はご予約で。でも、二階席の奥なら空いてますよ。海は見えないんですけど、静かな場所なので彼女さんとゆっくり話もできるかと」

 よくもそんな速さで口が回るものだ、と感心するようなスピードで、かつ異常なほど感じよくそう言う店員に、坂口さんは頷いて見せた。

「じゃあ、そこで」

 こちらです、と爽やかに歩き出した店員の後ろで、坂口さんがおいでと私の肩に手を回す。歩きながら、さりげなくその手を振りほどく。

「彼女じゃないです」

 小声で反論しても、彼は笑うだけで何も答えない。


 席を案内してくれた店員に礼を言って、固い椅子へと腰を降ろした。ふと前を見れば、確かにテラス席には若い男女の集団が楽しそうに笑い合っている。

「くそ、予約しとけばよかった。あそこだと、海が綺麗なんだよ」

 メニューを私に手渡して、悔しそうに顔を歪めた。差し出されたそれを受け取り、中を開いて確認する。パスタやハンバーガーなど、美味しそうな写真が目に留まる。そういえば、かなり空腹であると今更になって自覚した。

「暗いから見えないんじゃないですか?」

 メニューに視線を落としていた私の発言に、彼が首を傾げたのが視界の隅に映った。ん? と小さく喉を鳴らして、こちらを見ている。

「海です。外真っ暗だし、多分海は見えないですよね」

 顔を上げずに、今度はきちんと発言の意図を説明した。すると彼は合点がいったように明るい声を出して、小さく笑った。

「確かに。俺が前に来たときは昼間だったわ」
「夕焼け時は綺麗そうですね」

 そうだね、と優しい声に顔をあげると、彼は頬杖をついてこちらを見ていた。優しい瞳にオレンジのライトが当たって、キラリと輝いた。

「決まった?」

 瞳を三日月形に歪めて、にこりと笑う。優しい表情や声を聞く度に胸がチクリと痛み、罪悪感に襲われるのは何故だろう、とぼんやりと考えてみる。

「あ、まだ……。どれも美味しそうで」

 慌ててメニューに視線を落とした私に、ゆっくりでいいよ、と彼が言ってくれた。


 注文を取りに来た店員が去った後、坂口さんは再び頬杖をついた。そしてそのまま、じっと私を見つめている。居心地の悪さに身をすくめて、テーブルに置かれていた小さなキャンドルへと視線を落とした。

「なんですか?」
「いや、可愛いなと思って。本当にお酒頼まなくてよかったの?」
「はい。店長は車だし、一人だけ飲むのも悪いですし。そんなにお酒好きってわけでも……って、今何て言いました?」

 グラスに入った水を飲んでいた坂口さんが、何気なく同じ言葉を繰り返す。

「え? 可愛いなって言ったけど」

 コン、と微かな音を立ててグラスを置いて、変わらず真っ直ぐな視線を投げかけてくる。

「いきなり変な事言わないでください」

 下を向くとすかさず腕が伸びてきて、顎を下から持ち上げられる。その仕草で思い出されるのはもちろん史弥さんで、またしても頭の中は彼でいっぱいになってしまう。しかし史弥さんのものよりもしっかりとしていて、体温の高い指が意識を現実へと呼び戻させる。

「いきなりじゃないよ。いつも思ってるもん。っていうか、また店長って呼んだ」

 指を離して、頬杖のポーズに戻る。どうやら今のは、下を向くのは禁止、と言っていたあれらしい。

「だって店長じゃないですか」

 子供のような反論をしたと思うが、事実なのだから仕方ないと思う。今更、名前で呼ぶのは抵抗があり過ぎる。

「今日だけでいいからさ。名前で呼んでよ。誕生日プレゼントってことで」

 一瞬考えて、すぐに口を開く。

「店長の誕生日、二か月前に終わってますよね」

 途端にキラキラと、目が輝きだす。本当に純粋な子供の様で、少しだけ頬が緩む。

「覚えててくれたの? 感激だな」
「あれだけアピールされたら、嫌でも覚えます」

 勤め始めてから初めて迎えた彼の誕生日当日は、朝から非常に騒がしかった。今日は誰の誕生日でしょう? と開口一番で聞かれ、私がおめでとうと言うまで通せんぼをしてカウンターへ入れてくれなかった程だ。それから毎年、朝一でのそのやり取りは恒例になってしまっている。私の誕生日は履歴書に書いて出していたので、毎年派手な仕掛けを用意して、店へ足を踏み入れた途端に風船が落ちてきたり、レジを開けたら現金の代わりにお菓子が目一杯入っていたり、と少し困る程大げさに祝ってくれている。毎年毎年、私はおめでとうと一言言うだけなのに、どうしてこんな力の入った祝い方をするのか、と疑問に感じていた。

「今日だけですよ、一之かずゆきさん」

 口から零れたのは余りにも小さな声だったが、彼は一度驚いたように目を開いてから、顔をくしゃっと歪めて笑った。

「ありがとう、嬉しいよ」

 一体いつから、彼は私の事をこんな風に想ってくれていたのだろう。名前を呼ぶだけで笑顔になってくれる人が目の前にいるというのに、私は何故、今も別の男性の事を考えているのだろう。その全てがどこか他人事のようで、遠い異世界で起きている出来事のようにさえ思えた。



「すみません、ご馳走になっちゃって」

 車に乗り込んだ所で改めて礼を言うと、首を振って彼が笑う。

「いいんだよ、俺が誘ったんだもん」
「凄く美味しかったです」

 それは良かった、と微笑んで、緩やかに車を走らせた。

 ゆらゆらと揺れる暖かい揺り籠に乗って、誰かにあやされる夢を見ていた。ひんやりとした手で頬を撫でてくれるのは、穏やかに微笑む史弥さんだ。私も彼の頬に手を伸ばすと、彼は顔を微かにずらし、その手にキスをしてくれた。起き上がって、彼に抱き着こうと両腕を伸ばした。しかし、思ったように体が動かない。腕は動くのに、体が起き上がらない。ふと下を見れば、背後から誰かが自分の身体を抱きしめている事に気付く。その誰かは、冷たい指で私の顎を掴むとゆっくりと後ろを振り向かせた。

 自分でも驚く程の悲鳴をあげて飛び起きた。その横で、「うわぁ」と同じように悲鳴をあげた坂口さんが、目を見開いて私を見ている。

「あ、店長……」

 落ち着いて辺りを見渡せば、私はまだ彼の車の中にいた。身体には、彼が着ていた上着がかけられていた。暖かかったのはこれか、と妙に納得した。

「店を出て割とすぐに眠っちゃったんだよ。疲れてた?」

 いえ、と首を振る。本当は、ここ数日寝不足が続いていた。眠る前になるとどうしても史弥さんの姿が瞼の裏に浮かび、ドキドキして眠れなくなるのだ。我ながら単純で、馬鹿らしいと思う。

「大丈夫? 怖い夢でも見た?」

 彼が手を伸ばして、ポンポンと頭を撫でた。彼の暖かい体温が伝わり、少しだけ安心する。ここには、あの男はいない。私の身体を抑えつけて史弥さんへと伸ばす腕を掴んだのは、間違いなくあの男だった。思い出すと身体が震えて、吐き気が込み上げる。
 目を閉じてブンブンと頭を振ると、坂口さんが心配そうにこちらを見ている。

「大丈夫です。驚かせてすみません」
「それはいいんだけどさ。葉月ちゃん、あんな大きな声出るんだ」

 カラカラと笑う彼の明るさに救われる。バクバクと動いていた心臓は落ち着きを取り戻し、規則正しいリズムを刻んでいた。

「自分でも驚きました」

 そうなの? と彼が更に笑う。

「葉月ちゃん、まだ時間平気? もしよければ、この近くにコーヒーの美味しいカフェがあるんだけど、どうかな? それとも、もう疲れた?」

 疲れてはいないけれど、早く帰って一人になりたいというのが本音だった。しかし、起きたばかりだからなのか、コーヒーが酷く恋しいのもまた事実だった。

「コーヒー、飲みたいです」

 そう言うと、彼が嬉しそうに笑った。 
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