砂に描いた夢

Bella

文字の大きさ
20 / 53

様々な変化

しおりを挟む
 史弥さんは店先に止めていた漆黒の車の前で一度立ち止まると、大きな硝子張りの扉からまだ私が見ていることを最初から知っていたように振り返り、ひらひらと手を振ってから乗り込んだ。私は車が見えなくなってしまうまで小さく手を振り続けていたが、とうとう見えなくなってため息を落とした。そのため息は、坂口さんが漏らしたそれと全く同じタイミングで重なり、私達は顔を見合わせた。

 笑ってしまった私を見て、彼は寂しそうに笑う。

「葉月ちゃん、最近よく笑うね。あいつのおかげなのかな」

 ぼそっと小さな声で吐き出して、背中を後ろの壁につけて寄りかかった。後頭部までごちんとぶつけてもたれかかると、足から軽く力を抜いて顎を上へ向けた。そのまま視線だけで私を見て、唇を噛んだ。

「昨日から?」

 突然の問いかけの意図がわからずに聞き返せば、彼は息を吸い込んで口を開く。

「昨日から付き合ってるの?」
「どうしてわかったんですか」

 先ほどのやりとりのどこで、私達が付き合いを始めたとわかったのだろう。私の態度が彼氏を前にした女のものではないことくらい、さすがの私でも気付いている。
 彼は呆れた様にため息をついて、胸の前で腕組みをした。

「誰でもわかるよ」

 結局理由は何故なのかわからなかったけれど、これ以上聞けるような空気でもないので仕方なく頷いて先ほどの問いに答えることにした。

「はい。店長が教えてくれたカフェで、たまたま逢って……」

 そこで、彼は鼻で笑った。どこか冷たい視線を私へ突き刺して、責める様な視線になる。思わず口をつぐめば、彼の鋭い声が胸へと刺さる。

「たまたま? 良く言うよ。あいつがいると思って、逢いに行ったんでしょ? どうせあいつも、葉月ちゃんが来ると思ってたはずだよ。自信過剰っぽいからね、あの男」

 図星を突かれて、何も返せなくなる。下を向いて、気まずい沈黙に身を委ねていた。彼もそれ以上は何も言わず、しばらく二人で黙り込んでいた。

 沈黙を破ったのは、彼からだった。背中を壁からはがして、カウンター前の椅子に座り直す。

「ごめん。別に責めるつもりもないし、権利もないよな。寂しいおっさんの嫉妬だと思って、聞き流してよ」

 彼が無理して笑っているのがわかり、胸が痛くなる。思い返せば、一言も返事をしなかった私に毎回笑顔で話しかけてくれ、雇主と従業員という関係になっても気さくに接してくれていた彼の気持ちが今更になって痛い程伝わってきて、言葉を失ってしまう。こんな状況になってもまだ彼に気を遣わせている自分が情けなくなる。

「あいつから言ったの?」

 軽い感じで聞かれて目を合わせると、彼は私の方へ椅子をずらし、座るように促した。大人しくそこへ座ると、もう一度同じ質問を繰り返した。

「まさか葉月ちゃんから言ったとは思いたくないな……」

 独り言なのかもわからない程小さな声で彼が言う。

「言うって、何をですか」
「いや、付き合いだしたんでしょ? どっちから言い出したの?」

 私からとは言い出しにくい、と考えた所で、ふとあるところに気付く。

「言われて……ない……かも」

 え? と彼も身を乗り出す。
 あの時、私が勢い余って予定外の告白をしたれど、良く考えてもみれば史弥さんは私が好きだとも、付き合おうとも口にはしなかった。

「え、何も?」

 首を縦に振ると、坂口さんは怒ったような顔つきになる。眉間に深い皺を寄せて、口を開けて何かを言おうとするが、言葉にならないのか何も言わない。

「あ、でも……同じ気持ちだよって、言ってくれました」

 はぁ、とため息をついて頬杖をつく。もう怒ったような顔はしていない。

「なんだ、じゃあ葉月ちゃんから言ったの? ヘコむわ」
「言ったっていうか……その、弾みで……」

 顔が赤くなっていくのを自覚しながら俯く。黙っている坂口さんが、更に身を乗り出したのがわかった。顔を上げようとすると、腕を掴まれて引き寄せられる。座っていた椅子から滑り降りる様にして彼の胸元へと滑り込まされる。

「ちょっと、店長」

 慌てて腕を振り払おうとしても、更に力を込められてそれは叶わなかった。痛くはないけれど、あの日の記憶が甦り、今にも叫びだしたくなる。

「俺だったら、そんな風に不安にさせないのに」
「不安って……。離してください」

 震える声が更に恐怖を増長させるようで、じわりと涙が浮かぶのがわかる。足が震えて、立っている事さえもままならなくなる。掴まれていない方の腕で必死に彼の胸を押して、逃げようともがく。

「そんなに嫌がらなくてもいいのに」

 そう言うと、彼は一度身を引いてから素早く動いた。気付けば目の前に彼の顔があって、咄嗟に身体を引いて空いている右手を思い切り伸ばして突っ張った。おかげで彼の唇はギリギリのところで私のそれをかすめた。悔しそうに顔を歪ませて、その瞳に更なる欲望を燃やす。

「坂口さん」

 声を張り上げたつもりだったけれど、やはりそれは頼りなく空中に吸い込まれていった。しかし彼の動きを止めるには充分だったようで、彼はぴたりと制止した後、腕を離して距離を取った。私もその場から離れて、狭いカウンター内で出来る限りの距離を保った。
 彼はその場でぎゅっと目を閉じたかと思うと、カウンターに両肘をついて手の中に顔を埋めてしまった。

「ごめん。もう二度としないって約束したのに、また怖がらせたよね」

 深いため息をついて、彼が少しだけ顔を上げた。申し訳なさそうな顔をして、悲しげに目を細めている。

「あいつだったら……」

 小さな声で呟いて、私の目を見る。その目があまりにも憂いを帯びていて、自分本位だとわかりながらも私まで悲しくなってしまう。

「あいつは、こんな風に強引にしたりしないんだろうな」

 ぽつりと呟いて、もう一度謝ってから、彼は席を立って奥へと姿を消した。


 それから私の勤務時間が終わるまで、彼は一度も店内へ出てくることはなかった。クローズ作業を済ませて奥へ入ると、隅のデスクでパソコンと向き合っていた。私の気配を感じると、こちらを見ないで声をかけてくる。

「お疲れ様」

 エプロンを外して、髪を解き、荷物も手に持ってから上着を着る。そして坂口さんの後ろまで近づいて、その名前を呼んだ。遠慮がちに振り向いた彼に、きちんと目を合わせる。

「ずっと、坂口さんの気持ちに気付けなくてすみませんでした。知らないうちに、きっとたくさん気付付けてますよね、私」

 驚いたように目を丸くして、彼が体ごと私に向き直る。それにつれて一歩後退して、彼から距離をとる。

「前にも言ったけど、坂口さんのことは兄のように思ってるんです。いつも頼ってばかりで、迷惑ばかりかけてますけど」

 そんなことないよ、と優しく笑う声がする。

「坂口さんの気持ちには、私、応えられません。私、本当に史弥さんのことが好きで……」

 うん、と目の前で頷く彼は、やはり悲しそうな目をしていた。

「知ってる。でも、俺諦めないよ」

 予期せぬ言葉が聞こえて、思わず上ずった声が出る。彼は得意気に笑って、ひざに肘を置いて軽く身を乗り出した。

「絶対に葉月ちゃんのこと奪ってみせるから。あいつと今夜会うんでしょ?」

 夜、家へ寄ってくれると言ってくれた。そのことを言っているのだろう。素直に頷くと、一度眉間に皺を寄せてから、にやっと笑って見せた。

「あいつに伝えてくれる?」
「何をですか」

 そう聞くと、彼はデスクに寄りかかって、挑戦的な目付きになる。

「葉月ちゃんのことを本気で好きなら、隙を見せるなって。俺のが葉月ちゃんのこと理解してるし、相応しい相手だって、絶対わからせてやる。もちろん、葉月ちゃんにもね」

 どこから自信が湧いてくるのか、彼は眉を上げて揺るがない自信を見せつけてくる。よくわからないけれど、史弥さんはきっと、店長さんはそんなことを言ったんだね、と軽く受け流して笑うだろうなと思った。

「必ず伝えてね。じゃあ、気をつけて帰ってね」

 にっこりと笑って手を振る彼を見て、全身に鳥肌が立った。その場で身震いをした私に、心配そうな目を向けてくる。

「どうかした?」
「いえ、なんでもないです。お先に失礼します」

 お疲れ、と彼の声を背中で聞きながら、足早にその場を後にした。

 手を開いてゆっくりと左右に振ったその仕草が、あの日のあの男を、思い起こさせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...