砂に描いた夢

Bella

文字の大きさ
23 / 53

伝言と返事

しおりを挟む
 店のドアを開けると、坂口さんがカウンターに頬杖をついて座っていた。これは、いつもの光景だ。九時の開店の為に約一時間前に出勤する私を待ち構えているかのように、彼はシャッターを開けて、カウンターに座って私を迎えてくれる。雨が降ろうが雪が降ろうが、どんよりと雲が世界を覆い尽くそうが、その表情はいつも晴れ晴れとしていて、苦しくなるほど明るい声で挨拶をしてくれる。しかしこの日は、いつもと違っていた。

「おはようございます。どうしたんですか、怖い顔して……」

 頬杖をついている彼は、明らかに不機嫌だった。むすっと口をへの字に結び、にこりともしないで私を見ている。これは、彼にしてはとても珍しいことだ。

「私、何かしましたか?」

 昨日、仕事で何かミスをしてしまっただろうか? それとも、きちんと自分の仕事を終わらせずに帰ってしまっただろうか? 必死に頭を働かせたけれど、思い当たる節はなかった。そしてそれを証明するかのように、彼も小さく首を横に振る。

「いや、葉月ちゃんじゃないよ」

 何とか刺々しくならないように、気を使って話してくれているのがわかる。自分のせいでないのなら、と少しほっとして奥のロッカーへと向かうべく、カウンターへと入り込んだ。

「そうですか。なら、良かったです。いや、良くはなかったですね。すみません」

 あの彼がここまでふくれっ面をしているのだから、よほど嫌な事があったのだろう。それを『良かった』とは無神経だったと反省する。

「いや、いいよ」

 相変わらずにこりともせず、彼がそう言う。ピリピリとした空気が嫌で、早くここから離れたいと思った。今日一日彼がこんなムードでいるのなら、長い一日になりそうだ。
 彼の横を通り過ぎた時、くるりと椅子の上で私の動きに合わせて彼が回った。そうすることで、彼はずっと私に視線を送り続けた。

「昨日、あいつにきちんと伝えてくれたみたいだね」

 冷たい目でそう言われて、思わず足が止まった。確信めいた口調だった。確かに私は昨日史弥さんに坂口さんからの伝言を伝えたが、何故彼がそれを知っているのか。

「俺が店のシャッター開ける前から、店先で待ち構えてやがった」
「え、史弥さんがですか」

 驚いて尋ねると、彼は不貞腐れた様子で頷いた。
 まさか史弥さんが店まで来るなんて、考えてもいなかった。昨夜伝言の件を伝えた際も、いつもと変わらぬ余裕な態度で、気にしている素振りも無かったように思えた。

「何て、言ってましたか」

 大きなため息をついた後、彼は史弥さんの丁寧な口調を大雑把に真似しながら話し出した。

「あなたが葉月を想うのも、私を嫌うのも私はまるで構いません。ただし、この間もお伝えした通り、葉月を傷付けたり怖がらせるような事は許さない。とか言っちゃってさ、葉月ちゃんといる時と別人みたいな顔してさ」

 あの綺麗な顔でにこりともせずに怒る史弥さんを想像するだけで、背筋にひやりと冷たい汗がつたった。あの地を這う様に低い声で、静かに警告する彼が鮮明にイメージできて、何故だか首筋に鳥肌が立った。想像などではなく、この目で直接見たかったと、そう思った。彼の魅惑的な香りにあてられて、私も大概おかしくなってきている。

「しかも最後に、何て言ったと思う?」
「何て言ったんですか?」

 史弥さんの口から零れた言葉全てが知りたくて、前のめりになりそうなのをグッと堪える。

「今度葉月に指一本でも触れたら、それを一生後悔させてやる」

 史弥さんの口調を真似たのだろう、低い声でそう言った。乱暴とも取れる史弥さんの言葉が、私はとても嬉しかった。
 昨日、彼が職場の人と食事に行くと知った時、私の中に初めての感情が芽生えた。ドロドロとして黒いその感情は、夜まで時間をかけてぐんぐんと大きくなった。しかしあの瞬間、彼が相手は男性だったと笑った時、心配いらないと私の頭を撫でた時、その感情は一種で消え去った。しかし、それはいつでも私の心を蝕もうと機会を伺っているのがわかる。そんな『嫉妬』や『独占欲』と呼ばれる感情の処理の仕方もわからず、ただ醜い自分を責めていた。
 しかし史弥さんも同じように私に嫉妬や独占欲を抱いているのだと改めて実感して、それを嬉しいと感じた。これは、異常なのだろうか。

「なにが後悔させてやるだ。朝っぱらから堂々と脅しやがってよ。葉月ちゃん、本当にあいつといて大丈夫?」
「大丈夫って、何がです?」

 ふいにいつものトーンで話しかけられて、少なからず動揺した。問いかけた私に、彼はまだ不機嫌な顔をしている。

「あいつに乱暴に扱われてるんじゃないの? 一生後悔させてやる、なんて普通の人間の言う事じゃないって」

 彼の言う事も一理ある、と思った。それでも史弥さんが優しいのは事実だし、嫌だと思う事をされたことも、乱暴に扱われた琴なんて一度だってなかった。それどころか、自分のことを棚に上げて史弥さんを責める坂口さんに少し腹を立てた。

「史弥さんはそんなことしません。昨日だって……」

 ―とても優しかった。
 そう言おうとして、昨夜の事を唐突に、そして鮮やかに思い出した。

 濃い花のような彼の香り、頼もしい腕と胸の感触、彼の体温、そして唇と口内を這う舌先の感覚が一気にフラッシュバックして、顔に血液が集中する。
 かぁと赤くなったであろう私の顔を見て、坂口さんが目を見開く。恥ずかしくなってその場から逃げるようにロッカールームへ駈け込んで、身支度を整えた。

 髪を結んで、呼吸を整えてから戻ると、坂口さんもいつもの彼に戻っていた。口元に笑みを浮かべて、カウンターに肘をついている。その横に並んで、開店準備を始める。彼の好みでかけているBGMを流す為にスイッチを入れれば、緩やかなクラシックが耳に心地良い。どちらかと言えば私もクラシックが好きだが、たまにはジャズでも流してみるのもいいかもしれないな、などと思ってみたりする。

「何ニヤついてるの」

 頬杖に邪魔をされて口がきちんと動かせず、聞き取りにくい発音で坂口さんが言った。カウンター下に屈みこんで、金庫を開けながら顔を引き締める。中から平たいポーチを取り出して、金庫の扉を閉める。

「ニヤついてなんかないです」

 ポーチの中から現金を取り出して、それをレジの中へと入れていく。毎朝のルーティンになっている仕事だ。本日発売になる文庫やコミックは既に昨日の閉店後に並べてあるので、これが終われば実質朝の支度は終了となる。

「さっきは顔真っ赤にしてたし、幸せそうでなによりですよ」

 拗ねた口調でそう言われて視線を合わせると、一応、といった感じで口角を釣り上げた。

「信じて貰えないかもしれないけど、葉月ちゃんの幸せを喜んではいるんだよ」

 ふと悲しげな目でそう言った。胸がチクリと痛んで、息が苦しくなる。

「わかってます。ありがとうございます」

 頬を緩めて微笑めば、彼も同じように笑ってくれる。

「ま、俺ならもっと幸せに出来るとは思ってるけど」

 笑って誤魔化したが、内心そんなことはありえないと思った。史弥さんが私にくれるのは、いつだって色鮮やかで目が痛くなるほどの感情だった。たった一度頬に指先が触れるだけで、二度とこの手を離したくないと、そう思った。私をこんな気持ちにさせられるのは、地球上どこを探しても史弥さん以外に見つからないはずだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...