砂に描いた夢

Bella

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 史弥さんの瞳はどこか照れくさそうで、いつもより少年のような幼さを含んでいるような気もした。
 確かにあの男と同じ灰色の目をしているが、彼の瞳は澄み切っていて、どこまでも優しい。あの男のように欲情の影すらも見せないその穏やかな瞳を、私は黙って見つめていた。

「お前の頼みは聞いたぞ、有馬。残念だが、楽しい話はここまでだ


 重苦しい声を出した石丸さんは、史弥さんの隣に椅子を移動させて座り込んだ。いつにも増して深く刻まれた眉間の皺が、これから彼が話そうとしている内容を既に物語っていた。

「祖母のことですね」

 史弥さんの手がするりと伸びてきて、優しく私の左手を包み込んでくれた。ひんやりとした手が心地よくて、現実を忘れそうになる。

「検死の結果が出たそうだ。家から発見されたのは、間違いなく奥森良江さん、君のお祖母様だった」

 涙が零れないように必死に堪えたけれど、それを嘲笑うかのようにポロポロと頬に涙が伝う。
 冷たい指先の感覚がして、史弥さんが涙を拭ってくれたのだと気付く。

「残念だよ。心からお悔やみを言う。君はもう…充分過ぎるほどに傷付いているのに」

 石丸さんはそう言って、悔しそうに唇を噛んだ。

「あの男は……どうして祖母を? 私の居場所をずっと知っていて、今も、近くにいるんですか?」

 そんなことを石丸さんに聞いたところで、彼が答えられるはずもないのはわかりきっていた。私が投げかけた間抜けな質問に、彼は表情を変えずに答える。

「それはわからない。たまたま君のお祖母様を見つけたのか、それとも……ずっと君を見ていたのか」

 ずっと、見ていた?

 全身に鳥肌が立つと同時に、あの男の笑顔が脳裏に浮かんだ。最後にあの男を見たとき、手を大きく開いて確かにこう言った。

「またね」

 あの時から、再び私を地獄に叩き落とすと決めていたのだろうか?

「どうして……」

 泣きながら発した言葉は喉の奥で詰まり、最後まで紡ぐことが出来なかった。石丸さんは、眉をあげて続きの言葉が出てくるのを待った。

「どうして、私を殺さないんですか。これ以上私を苦しめて、何が……」
「あのような生き物が考えるところなど私はわからないが……奴が君に執着しているのは事実だ」

 きっぱりと言い切った石丸さんの隣で、史弥さんが息を吐いて開いている方の手で自らの目元を覆った。

「どうして葉月がこんな目に……」

 苦しそうにそう言って、私の手を強く握り締めてくれる。

「執着って……今まで何も……」

 いや、と石丸さんが鋭く首を振れば、史弥さんの射るような視線が石丸さんへと向けられた。

「奴は、我々が把握しているだけでも、君の家での事件以後かなりの家族を襲っている。皆君の一家と同様の目に遭っているが……1つだけ、相違がある」

 それが何なのか、私にはわかるような気がした。目を閉じて俯くと、ぼたぼたとシーツに涙の落ちる音が響く。

「誰も、生き残ってないんですね」

 史弥さんが石丸さんを見たのが、その気配でわかった。そして、石丸さんはきっぱりと答える。

「そうだ。君以外は、皆殺されている」
「何故、葉月だけを……」

 変わらず強い力で手を握ってくれている史弥さんの低い声が聞こえる。

「憶測でしかないが……奴は、何らかの理由で君を気に入ったのだろう。片瀬家での事件以後、奴は毎回現場となった家を放火している。そこでは、必ず署名行為が見つかっている」

 先ほど車の中で見せられた、ミルクの置物のことだろう。
 男の意図がまるでわからないことが、恐怖と不気味さを増幅させた。

「とにかく、今日から君は保護の対象になる。お祖母様のご遺体はまだ君の元に返すわけにもいかなくてね。悪いが、葬儀などはかなり遅くなってしまうことをわかって欲しい」

 大丈夫です、と頷いた。今は何も考えられず、優しかった祖母がいなくなってしまった実感もまだ抱けていなかった。

「君の家は、24時間体制で保護下に入る。私以外にも、仲間の警官が警備につくことにもなるが、構わないかな?」

 はい、と返事をすると、石丸さんは少しだけ表情から力を抜いた。

「片瀬さん、我々が負うのは吸血鬼だ。つまり、君の護衛にあたる警官も、私の仲間だ。わかるね?」

 明言こそ避けたものの、その口調や彼の表情、そして史弥さんの心配そうな顔から、その意図がはっきりとわかる。

「皆さん、ヴァンパイアなんですね」

 静かに頷いた石丸さんが、私の顔色を伺うように目を細める。

「怖いか」

 その質問に答えるのは、自分で思っていたよりも簡単で、困難だった。

「怖いという気持ちと、怖くないという気持ちが混在しています。だけど、お二人のことは心から信頼しています。だから、他の方々のことも……」

 心の内を明かすように、ゆっくりと答えた。二人はそれぞれがそれぞれに似合った表情を浮かべて、私を見つめ返した。

「ありがとう。君のその言葉には、とても大きな意味がある」

 そう言いながら石丸さんは立ち上がり、史弥さんに目配せをした。

「片瀬さんの主治医と話をしてくる。すぐに帰れるはずだ」

 静かに出て行った石丸さんを見送って、今更な質問を史弥さんにぶつける。

「そういえば、私どうしてここに?」

 記憶にあるのは、史弥さんの目をあの男と重ねてパニックに陥ったところまでだ。
 彼は、困ったように眉尻を下げて小さく笑う。

「俺が悪かったんだよ。どうしても葉月と話したくて、石丸さんの脇から手を伸ばしたんだ」

 申し訳なさそうに目を細めて、彼は話を続ける。

「そしたら、そのまま気絶しちゃったんだ。ごめん、よほど怖がらせたね」

 悲しそうな目を一瞬見せた後、彼は大きな手で私の頬を包み込んだ。額を寄せて、小さな声で囁く。

「約束するよ。俺は絶対に、葉月を傷付けたりしない。どんなものからも守ってみせるよ。だから……側に居させてほしい」

 彼の気持ちに胸が痛くなって、それと同時に嬉しさと暖かさで心がほんの少し軽くなる。

「葉月に嫌われたら、俺は生きていけないよ」

 そっと額を離した彼は、ゆっくりと唇を近づけたが、すぐに離れてしまった。
 その唇がそれ以上遠くへ行ってしまう前に、私は彼の襟へ指を伸ばした。

「葉月?」

 驚いた顔をした彼が、すぐに満面の笑みを浮かべる。至近距離で見るそのあまりの眩しさに目が眩み、倒れてしまいそうになる。

 私の精一杯の勇気を受け止めてくれた史弥さんは、とても優しく唇を重ねて、その腕の中に私を閉じ込めてくれた。

「葉月、提案があるんだ」

 彼の胸に耳を当てて、低い声を聞いていた。ゾクゾクと背中を駆け抜けていく痺れが全身に広がるようで、身体の自由が効かなくなりそうだ。

「提案?」

 やっとの思いで言葉を口にした私の頭を大きな手で撫でながら、彼は頷く。

「葉月さえ良ければ、しばらくうちに来ないか」

 突然のことに、頭が真っ白になる。史弥さんのうちに行く、というのはしらばくそこで共に生活をするという意味だろうか?

 朝起きれば当たり前のように史弥さんがそこにいて、夜眠るときも彼が側にいる。そんな日常に、果たして私の心が追いついてこれるのか、それが心配だった。

 何も答えない私に、史弥さんは珍しく不安そうな目を向けた。

「嫌なら、無理にとは言わないよ」

 不安はある。ありのままの自分を晒すのも恥ずかしかった。だが、嫌かと聞かれたら……。

「嫌じゃ、ないです」

 彼はほっと息を吐いてからもう一度私をぎゅっと抱き締めた。

 私はただ、あの日から追いかけ続けてくる闇から逃れられていなかった事実に気付かない振りをして、史弥さんの肩に顔を埋めていた。今だけは、ただ彼に甘えていたかった。
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