砂に描いた夢

Bella

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必然的な偶然

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 あの女性の話が出てから一時間程がしてから、私達は石丸さんに見送られて出口にいた。

「また何かあれば、すぐに連絡させてもらう。なるべく外出は避けて、有馬の傍にいるようにしてくれ」

 黙って頷くと、史弥さんがそっと肩を抱いてくれた。

「おばあ様の葬儀には、俺達も協力させて貰う。遠慮なく言ってくれ」

 礼を言って、史弥さんと並んで車へと歩く。彼は何も言わず、ただ私の肩を抱いてくれている。


「誰か、心当たりがあるんですか?」

 車が静かに進みだしたところで、勇気を振り絞って尋ねると、彼は横目で私を見て笑った。

「まさか。もしもあったら、あの場で石丸さんにそう言ってるよ。もちろん、葉月にもね」

 いつもと変わらない様子の彼は、一度道路から完全に目を離して私を両目でとらえた。そして少しだけ真面目な顔をして、片手をハンドルから離して私の右手を握ってくれる。するりと私の手を包む仕草とその表情が、出会ったばかりのころの、物語に出てくるような紳士そのもののイメージだった彼を思い出させた。

「不安にさせてるかな」

 そう言って、彼は繋いだままの手を持ち上げて私の頬を撫でた。ひんやりと冷たい彼の手の感触が、なぜだか無性に悲しくさせた。そして彼の瞳を見つめて、石丸さんにあの男の目の色が灰色だったことを伝え忘れてしまったことを思い出していた。


 それ以上会話のないまま史弥さんの部屋へと戻り、私は今のソファへ腰を沈めた。史弥さんは淹れたてのコーヒーを私の前に置いて、一つを自らの口へと運んだ。それだけで絵になる彼を、いつもとは違う気持ちで見つめていた。

「今週末までに終わらせなくちゃいけない原稿があるんだ。書斎に居ても構わないかな?」

 申し訳なさそうな顔をして、彼が言う。もちろん、と頷くと、彼はソファの背もたれに手を置いて腰を屈めた。そしてコーヒーの入っているはずのカップから一滴も零すことなく、いとも容易く顔を近づけてくる。

「葉月が不安に思うようなことは、本当に何もないんだよ。本を買っていった女性は、きっとただの偶然に過ぎないよ」

 いくら彼の嘘が完璧だとしても、そう思っていないことは明らかだった。そんなにも目立つ人が近辺に二人もいるとは考えにくいし、もしも祖母宅の近くで目撃されていた女性が本屋に来た人と同一なのであれば、有馬与八の書いた本を買っていったのは明らかに偶然ではない。それが激情だったことも、もちろん必然だ。

-私を捨ててあの女を選ぶなら、その全てをぶち壊してやるわ。あんな女じゃあなたには不釣り合いだって、わからせてやるわ。-

 『激情』の中で婚約者だった女性が口にする台詞が、何度も頭に響いた。

「俺が信じられない?」

 唇が触れてしまいそうなほど顔を近づけてそんな大切なことを聞くのは、あまりにも卑怯だ。もちろんその問いかけに対する答えは一つしかないけれど、大きな不安が胸につかえているのは事実だった。
 それを誤魔化すかのような優しくて激しいキスに、いつしか意識は完全に奪われてしまっていた。


 彼が書斎に籠ってすぐに、私は職場に電話をした。接客中でなければいいけれど、という心配とは裏腹に、明るい声が数コールで応えてくれた。

「はい、坂口書店でーす」

 どこか呑気なその口調に、少しだけ安心する。電話口で笑えば、彼はすぐに私だと気づいたようだった。

「葉月ちゃん? 大丈夫?」

 とたんに気遣ったように優しい声で聞いてくれる。その声に、改めて自分の置かれた状況を理解して涙が滲みそうになる。

「大丈夫です。連絡できていなくて、本当にすみません」
「そんなのいいよ。昨日の夜、あいつから電話もらったしね。聞いたよ、おばあさんのこと。大変だね」

 その言葉が、心の中に重たくのしかかった。祖母の笑顔が浮かんで、声が詰まる。

「しばらく休ませるってあいつ言ってたけど、言われなくてもわかってるつーの」

 少し苛ついた口調で言って、慌てたように取り繕う。

「その、俺だって、葉月ちゃんのこと心配してるわけだし。さすがにこんな時に仕事来いとか言わないよ。仕事なんて心配しなくてもいいから、好きなだけ休めばいいよ。どうせうちが暇なのも知ってるでしょ」

 無理やり明るい声を出してくれているのがわかって、胸が熱くなる。

「ありがとうございます。落ち着いたら、必ず連絡しますから」

 うん、と電話越しに彼が頷くのがわかった気がした。

「そうだ。もし良ければ、今日の仕事終わりにでも何か持っていこうか? 食べるものとか、欲しいものはある? なんでも言ってよ」
「そんな、申し訳ないです。大丈夫ですから」

 少し間が開いたのち、静かな声が返ってくる。

「こんな時くらい甘えてよ。それとも、あいつが傍にいるのかな」

 彼の気持ちが痛いほど伝わってきて、口ごもってしまう。気まずい沈黙が数秒続いてから、やっとの思いで私は口を開く。

「今、史弥さんの部屋にいるんです。その方がいいだろうって刑事さんも言ってくれて……」

 なぜか言い訳がましく石丸さんからも進められたと言い足した自分の汚さに、思わず目を閉じて息を吐く。電話の向こうで、彼のため息が聞こえる。

「そうか。それは……よかった」

 いつになく低い声を出した彼に戸惑って、やはり何も言えなくなる。彼はそれを見越したかのように小さく笑って、もう切るね、と優しく言った。それじゃあ、と終話ボタンを押して、卑怯な自分を存分に罵ることにした。


 それから数時間して史弥さんが書斎から出てきたとき、私は夕食の支度をしていた。キッチンに立って鍋の様子を見る私を、彼は廊下から見つめていた。ふいに目が合って悲鳴をあげた私に、彼が慌てて近寄る。顔には優しい笑みが浮かんでいて、伸ばした右手で頬を撫でてくれる。

「ごめん、そんなに驚くと思わなくて」

 笑いながらそう言った彼にさりげなく抱きしめられて、高鳴っていた心臓は更に動きを早めた。

「全く気付かなかったから……」

 うん、と彼が低く頷く。

「これからは料理をする葉月に見惚れる前に、声をかけることにしよう」

 彼の言葉に耳まで熱くなる。彼と一緒にいると、悲しく堪らないはずの祖母のことも、私を取り巻く全てのことがどうでもよくなってしまう。悲しみの淵に落ちる寸前で助けられていることに感謝すると同時に、どこか危機感すら覚えていた。

「いい匂いがして、超特急で仕事を終わらせたよ。一人にしてごめんね」

 額に優しくキスをしてくれた彼が、私を通り越して鍋に視線を向けたのがわかった。

「美味しそう。ロールキャベツ?」

 鼻をかるくひくつかせた彼がそう言って、腕の中にいる私に視線を落とした。

「よくわかったね」

 鍋には蓋がしてあって、中身は見えないはずだ。彼は得意げに笑ったかと思うと、少しだけ不安そうに眉を下げた。そして真面目な顔をして、ぴたりとくっつけていた体を少しだけ離した。

「葉月、俺は人間じゃない。歩く時は足音がしないし、それでもまだヒトより早く移動できる」

 そういえば、本屋でも奥のコーナーにいたはずの彼があっという間にレジに姿を見せたことがあった。

「耳も目も鼻も、比べ物にならないくらい効く。力だって、葉月がどれだけ武装したって俺には抵抗もできない」
「抵抗なんて、する気もないけど……」

 ゆるりと抱きしめていた腕をほどいてしまった史弥さんが、真剣な眼差しを向ける。指先に髪の毛先を巻き付けて、するりと落とす。どこか、悲しそうな目をしている。

「葉月、わかるだろ? 俺は人間じゃなくて、吸血鬼だ」

 その言葉に、体がびくりと震えた。
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