砂に描いた夢

Bella

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dreamer than a dream

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 すっかりいつもの調子を取り戻した彼は、前から降り注ぐ陽光に眩しそうに目を細めていた。その綺麗な横顔を見ながら、私は必死に言葉を紡いだ。

「話したくないなら、無理にとは言いません。ただ、私の知らない史弥さんの話を、聞いてみたくて……」

 それらしい言葉を並べてみたけれど、結局は私の嫉妬だった。
彼が昔どれだけ荒くれ者だろうが、それでも私は知りたい。彼のことなら、全て知っていたいと思っていた。自分がそんなことを感じるのか、と恐怖にも似た感情に揺さぶられて、それ以上追及ができなくなる。

 車は緩やかにスピードを落とし、やがて止まった。彼がサイドブレーキを引いてエンジンを止めて初めて、私は顔を上げた。そこは、既にマンションの入り口だった。

「とりあえず着替えようか」

 彼の様子は、いつも通り、とは言えなくなっていた。何かを考えているような、そんな感じだ。
 私達は特に何も話さないまま部屋へと戻り、楽な服装へと着替えを済ませた。深緑のロングスカートに、グレーのセーターを合わせた私を見て、史弥さんが頬を緩めた。何かおかしかったかと不安になる私に、彼は安心させるように甘く囁く。

「凄く可愛いね。そんな恰好で外に出すの、心配だな」

 そう言いながら、あっという間に私を腕の中に包み込んでしまう。彼の胸元に両手をついて、色気のない体勢をとってしまった私の額に軽くキスをして、ふわりと全身を包んでくれる。

「本当はこのまま閉じ込めておきたいところだけど、石丸さんを長く待たせるのはあまり賢いとは言えないね。行こうか」

 体を離して、彼は唇に優しいキスをしてくれる。唇が離れて行ってしまうのが悲しくて背伸びをした私に、彼は小さく笑う。そして、何も言わずに手を引いて部屋を出た。


「俺の話は、決して面白いものじゃないよ。気分が悪くなるかもしれない。それでも、聞きたい?」

 彼がそう言ったのは、車に乗り込んでからしばらくが過ぎてからだ。話してはくれないのだとすっかり決めつけていた私は、その問いかけに二つ返事で飛びついた。

「もちろん」

 彼はちらりと私を見て、唇をきつく一文字に結んだ。そして、僅かに舌先を出して唇を湿らせた。下唇を噛む仕草がとても魅力的で見惚れてしまう。

「もしかしたら、俺のことを嫌いになるかも」
「あり得ない」

 膝の上に置かれていた彼の手を、今度は私からきつく握った。少しまごついてしまったけれど、史弥さんが手を広げてくれたので、何とか指を絡めることにも成功した。その手をさらに左手で握りしめて、大切な宝物を抱きしめる子供の用に目を閉じた。

「史弥さんのことなら、何でも知りたい。もっと好きになることはあっても、嫌いになんてなりようがない」

 私の言葉がすべて口から出ていくより前に、彼は繋いでいた手を引き上げて自らの口元へと運んだ。手の甲に冷たい唇の感触がして、心臓が痛くなる。

「葉月にそこまで言われたら、俺も怖がってないで勇気を出さないわけにはいかないな」
「史弥さんも、怖いものがあるんですね」

 いつも威風堂々としている彼にも恐れるものがあるのかと思うと、自然と笑みがこぼれた。そんな彼を、心から愛おしいと感じていた。彼は手に唇を這わせたまま、勝ち気な視線を送ってくる。

「もちろん。一つだけだけど、何よりも怖いよ」

 声のトーンは真剣そのもので、冗談を言っているわけではないとわかった。しかし、彼が怖がるものなど、私には想像もつかなかった。私の混乱を察したのか、彼は小さく笑って、手を私の膝に戻した。

「葉月だよ」
「え?」

 突然名前を呼ばれて、ますます混乱していた。何が私なのか、一体何の話をしていたっけ……。

「怖いものは、葉月」

 大真面目な顔で、彼がこちらを見ている。意味が分からないと首を振れば、彼は一度道路へ視線を戻してから、再び私を見据えた。

「葉月を失うのが、何よりも怖い。こんな気持ちは初めてだよ。全てを捨てたこの俺が、誰かを失いたくないなんてね。我儘なところは昔から変わらないみたいだ」
「私は、どこにも行きません」

 隠しきれなかった感情を器用に読み取った彼が、横目で私を射抜いた。勝気な瞳に歪ませた唇がよく似合っていて、まるで映画かドラマから抜け出てきたようだった。

「嬉しそうだね」

 絡ませたままの指を操り、私の手の甲をするするとなぞっていく。必死に意識を集中させる私を見て、彼が楽しそうに笑っているのがわかる。悔しいけれど、そんな笑顔でさえも恐ろしく魅力的だなんて、あまりにも勝ち目がない。

「嬉しいもん。史弥さんがそんなに私を想ってくれているなんて、夢よりも夢みたいで……」

 ははは、と軽やかな笑い声が車内に響いた。

「夢よりも夢みたい、か。なんて綺麗な響きだろね。今書いてる作品で使わせてもらおうかな」

 うっとりとしたような視線で私を魅了させながらも、彼は片手で落ち着いて運転している。

「そんな、なんか恥ずかしいです。っていうより、今書いてるのってホラーじゃなかった?」

 そうだった、と彼が笑う。

「葉月の台詞はホラーには似つかわしくないね。よし、次の作品はとびきり甘い恋愛小説にしようか」
「そんな簡単に決めていいの?」

 もちろん、と得意げに答えた。目を細めて笑う表情は、とても優しく見える。

「俺の作品だもの。そうだな、こんなのはどう? 自らを憎んで、忌み嫌っていた孤独な男が、誰よりも美しい心を持った麗しい女性に恋をする話」

 ふざけているようだれど、彼の表情はどこか真剣だった。私は何も言わずに、ただ彼の穏やかで悲しい声を聞いていた。

「男は吸血鬼で、彼女はそんな彼を愛してると言ってくれた、少し変わり者の優しい子だ。全てを捨てた男に、彼女は初めて生きる喜びを教えた。そして彼は言うんだ」

 繋いでいた手に力を込めた彼が、視線を私に向ける。完全に道路から視線を外しているにも関わらず、危なっかしい気配すら感じさせずにすいすいと進んでいくのは、彼がヴァンパイア故なのだろうか。
 透き通った瞳で私を捕まえたまま、彼は薄く唇を開く。その隙間から漏れた言葉は、ついさっき私が言ったものと同じとは到底信じられないほどに美しく、痛々しいほどに哀しかった。

「君に愛されるだなんて、夢よりも夢みたいだ」

 心臓が煩いほどに鳴っているのは自覚しているので、間違いなく史弥さんが軽く笑ったのはそのせいだ。今は前を向いて運転している彼の横顔を見ていると、一瞬だけ彼が視線を交わらせた。

「ごめん、俺の台詞にしちゃった」

 冗談ぽく笑った彼が、手を持ち上げて再び甲にキスをしてくれた。

「全てを捨てた吸血鬼の名前は……」

 私の言葉に、彼はぴくりと反応を見せた。視線を僅かに下げて、表情を硬くさせた。その仕草にひるんでしまわぬように、ぎゅっと彼の手を握り締めた。そして、唇を湿らせて言葉を続ける。

「史弥、じゃないですか?」

 いつの間にか、彼の眉間には深い皺が刻まれているように見えた。いつも穏やかで、優しい彼が見せた闇の部分が、なぜだか私を強く惹きつけた。真剣かつどこか悩んで見えるその瞳がいつにも増して魅力的で、彼から目を逸らずことができずにいた。
 しばしの沈黙を破った彼は、優しい笑い声と共に答えてくれた。

「鋭いね、その通りだ。ついでに言うと、優しくて麗しい彼女の名前はもちろん葉月だよ」

 何も言えない私に微笑みを投げてから、彼は話を続けた。

「俺は両親ともに吸血鬼なんだけど、物心ついた時からそれが嫌で堪らなかった」

 低く響く声で、彼が語る。私はそれを、まるできらきらと輝く宝物のように大切に拾い集めて胸へと仕舞いこんでいった。
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