砂に描いた夢

Bella

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深層

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 部屋に通されてから5分もしないうちに、石丸さんは姿を見せた。
 いつものようにきちっとしたスーツを着て、柄の入っていないネクタイを締めている。

「朝早くからすまない。さっそくだけど片瀬さん、今から大切なことを聞くから、よく思い出して答えて欲しい。もしかしたら、とても辛い質問かもしれない。時間がかかっても構わない。ただ、記憶と向き合って、しっかりと思い出して欲しい。できるか?」

 いつになく怖い顔をした石丸さんにそう言われて、私は唇を噛んだ。両親と祖母を無残に痛めつけて私から奪った男を捕まえるためなのだ、と頭ではわかっていても、すぐに頷くことができなかった。

 もうこのまま忘れさせてくれたらいいのに、そう思ってしまうこともある。けれどそれでは、大切な家族があまりにも報われないじゃないか。私の家族だけじゃない。他にも、たくさんの家庭が犠牲になっている。平和だったはずの家に突然現れた悪魔の尻尾を掴めるのは、私しかいない。

 肩を抱いてくれている史弥さんの優しい瞳を見つめてから、鋭く光る石丸さんへと目を移し、頷いた。

「よかった。それじゃあ聞くが、休憩を挟みたくなったり、もしくは有馬に席を外してほしいと思うなら、すぐに言ってくれ」

 休憩はまだしも、彼に離れて欲しいなどと望むはずがないと思っていた。私はまだ、事の重大さに気が付いてはいなかったのだ。


「じゃあ聞くが、男の身体的特徴、声、何でもいい。覚えていることはないか?」

 低く地を這いづる声に足を掴まれて、暗闇に引き込まれていく。小刻みに震えだした私の手を、史弥さんが優しく包み込んでくれた。

「当時も答えたと思います……」

 消え入りそうな声で答えた私に、石丸さんは首を横に振った。

「いや、君は、何も覚えていないと答えている。当時は、犯人の逮捕と同時に、君の心を守ることも最優先事項だった。そのため、それ以上強くは聞かれなかったはずだ」

 確かに、当時は何を聞かれても頑なに覚えていないと首を横に振り続けた。やがて何人もの女性警官たちが、私を気遣ってか聞くのを止めてくれたのだ。

「しかし今は状況が違う。君はもう、一人で怯える少女じゃない。そう判断したから、もう一度話を聞かせてもらいたくて呼んだんだ。ショックな出来事が起きると、脳が防衛本能を働かせるため、記憶が曖昧になることは確かによくあることなんだ」

 低い声で、真剣に石丸さんが説明してくれるのを、じっと見つめていた。彼も一度も目を逸らさずに、私を見ていた。

「もしも本当に何一つ思い出せなければ、専門家の力を借りることも考えている」
「専門家?」

 口を挟んだ史弥さんに頷いて見せた石丸さんが、カウンセラー、という単語を口にした。

「カウンセラーによる心理療法だ。一種の催眠術にも近いらしいが、捜査において信頼性は高く、被害者の同意をもとに行われることも多いんだ」
「それって、つまり、何をするんですか?」

 聞きなれ言葉に不安を隠しきれずに聞くと、石丸さんはほんの少しだけ表情を和らげた。

「君は何もしなくていい。ただ、カウンセラーの言う通りにするだけだ。そうすることで、君は、あの日、あの時間に戻ることが出来る」

 あの日、あの時間に戻る……。本当に、そんなことが可能なのだろうか。そしてそれが可能だったとして、私に堪えられるだろうか。

「もう一度聞くよ。君を暴行して、ご両親、そして御祖母様を殺害した男の特徴を、何か一つでもいい、憶えていることは?」

 私は、必死に記憶を辿った。あの日から一度も開けたことのない鍵を開けて、そこに封じ込めていた記憶を探る。が、私の手に触れるのは、ひやりと冷たい暗闇だけだった。男の顔は覚えているのに、声も、髪の色も、当時の服装も、何一つ思い出せないのだ。

「言われた言葉は、全部覚えているのに……どうして……」

 肝心な時に役に立たない記憶が歯がゆくて顔をしかめると、史弥さんが包んでくれていた手を解いてふわりと抱きしめてくれる。彼の体温と優しい匂いに心が落ち着いて、囚われていた闇に光が差し込む。

「葉月、自分を責めないで」

 彼の胸に顔を埋めた時、石丸さんの鋭いため息が聞こえた。

「有馬、悪いが外して貰えるか」

 その言葉に驚いて顔を上げれば、やはり石丸さんは眉間に皺を寄せて私を見ていた。その迫力に、思わず息を飲む。史弥さんは臆することもなく、静かに反論をした。

「俺が外したからって、葉月の記憶が戻るとは思えない。葉月に無理をさせるなら、連れて帰る」

 毅然と、しかしどこか子供の我儘のような口調でそう言った史弥さんに、石丸さんは二度目のため息をつく。

「何も、片瀬さんに無理をさせようとは思っていない。彼女の負担になるようなことはしないと約束する。だから、少しの間、外へ出ていてくれ」
「でも、葉月には俺が……」
「史弥、言うことを聞け」

 反論を続ける史弥さんに、石丸さんが一喝した。決して大きな声ではなかったのに、史弥さんは口を噤み、悔しそうに唇を噛み締めた。そして、何かを諦めたように目を閉じて首を振った後、優しい視線を私へ向けた。

「葉月、一人で大丈夫?」

 史弥さんに頷くと、彼は額にキスをして、頭を撫でてから部屋を後にした。

「本当に過保護だな。あんな男だとは思わなかったよ。君が、よほど大切なようだ」

 呆れたようでもあり、嬉しそうでもある石丸さんがそう言った。どんな反応をするべきかわからずに俯けば、彼の声が降ってくる。

「君が、男の記憶を無意識のうちに消してしまっているのは仕方のないことだ。責める気はない。ただ、今のままでは……あまりにも情報が少なすぎるんだ。あいつを追い詰めるのは、不可能に近い」

 顔を上げると、石丸さんは鬼のように顔を強張らせて、額に青筋を浮かべていた。

「そんな話をするために、史弥さんを追い出したわけじゃないですよね」

 石丸さんは驚いたように目を大きく開けて、銀色の机の上で両手を組んだ。下を向いて深く息を吐いたかと思うと、すぐに顔を上げて私を視界にとらえる。

「鋭いね。俺は君に、心理療法を受けて欲しいと考えている。史弥が聞けば、間違いなく君を心配して、無理をしなくてもいいと声をかけるだろう。そうすれば、君の気持が揺れてしまうと思ったが……もしかしたら私は、君を随分と見くびっているのかもしれないな」

 優しく目を細めた石丸さんに、何故か私は父を思い出していた。

「それから、もう一つ。どちらかと言えば、こっちが本題だ。心理療法に関しては、君が望むなら史弥と相談してもいい」
「本題って?」

 恐る恐る聞く私に、彼は小さく頷いて見せた。

「一つだけ教えて欲しい。その男の顔は、憶えているね?」

 私が頷くのを確認すると、石丸さんは少し考えたような素振りを見せた後、こう切り出した。

「奴の目の色を、憶えているか?」

 忘れるはずもなかった。しかし、この質問には違和感があった。ここは日本で、犯人も平均的な日本人と言える顔をしていたように思う。私は、犯人が外国人だったとは一度も言っていない。そうなれば、瞳の色を聞くのは明らかに不自然だった。アジア諸国に暮らす多くの人種の瞳は、黒か茶色だ。特質して言わなければならないほど茶色い目を持つ人を探すほうが難しいくらいではないだろうか。
 考えた末、私は正直に答えた。

「灰色でした。まるで、史弥さんの瞳のように」

 もちろんあれほど美しくはなかったし、隙あらば私の心臓を止めてしまおうとはしてこなかったが、色だけは、同じだった。
 石丸さんは何も言わず、ただ一度、頷いた。
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