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1.私の日常
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――今、私の目の前には、死体がある。
それも、一人や二人なんて話ではない。十人は優に超えるがっしりとした体格の男たちが、固い床の上に眠らされている。廃墟と化した雑居ビルの一室には月明かりが差し込み、無機質なコンクリートを染め上げる鮮やかな赤色を際立たせていた。
そんな異様に違いない光景を、私はただ一人、窓際に立ち、声も発さずに眺めていた。深夜のせいか、辺りは静まり返っていた。
この状況を見れば、きっと誰もが、「犯罪に巻き込まれた少女が声も出せないくらいに怯えて立ち尽くしている」と思うだろう。
そんなことを考えている時、突如、沈黙を破るように大きな音を立てて部屋のドアが開け放たれ、一人の少年が姿を現した。
「いや~悪いっ!遅くなったわ!」
ふわふわとした明るめの茶髪をヘアバンドでまとめたその少年は、実際にはほとんど悪びれる様子もなく、この状況に似つかわしくないくらい陽気な声で喋りながら、この異様な空間に足を踏み入れた。
私は、その少年を見るやいなや、床に広がる死体と鮮血を踏まないようにしながら、彼を待ちわびていたかのように勢いよく近づいた。それは、助けを求めるため……。
「おっそい!本当、いつまで待たせる気よ!」
否、文句を言うためである。
少年の声と同様、私の声もこの状況に似つかわしくない調子で、部屋に響き渡る。
「マジでごめんって! そんなに怒ると、せっかくのかわいい顔が台無しだぞ! ね! ユイちゃん!」
「馬鹿! こんなところで本名出さないでよ。誰かに聞かれたらどうすんの!」
「あ~ハイハイ! 失礼しました~、Iさん。それにしても、今日もまた完膚なきまでに全滅だね~」
「当たり前でしょ! 私はプロの殺し屋なんだから」
そう、この目の前に広がる異様な光景を作り出したのは、何を隠そうこの私、真守ユイなのである。コードネームはI。「犯罪に巻き込まれて声も出せないくらい怯えている少女」とは、似ても似つかぬ存在だろう。てか、話逸らしたな、コイツ。
「いや、プロって言っても、まだ見習い……」
「なんか言った?」
私は、何か余計なことを口にしようとした彼の首に、さっきまで振り回していた血の付いたナイフを近づける。
「あ~うん、そうだね! プロだプロ! ほとんどプロ! だから、その刃は下ろしてほしいな~! 君がそれをやるとガチで怖いから~」
笑いながら慌てて訂正する彼を軽く睨みつけながら、私はナイフをゆっくりと下した。相変わらず食えない男だ。
「まったく……。余計なこと言ってないで、エイトもさっさと自分の仕事をして!」
だけど、そのまま何もしないのも、腹の虫がおさまらないので、ヘラヘラしていて余計な一言の多いコイツの頭が少しでも治るように、デコピンをお見舞いしてやった。そうとう痛かったのか、彼は涙目で額を押さえる。ちなみに、“エイト”とはコイツのコードネームだ。
エイトは自分の額を押さえながら、部屋の外で控えていた彼の協力者たちを呼び入れ、死体の回収を始めた。依頼された仕事がターゲットの始末だけだとしても、死体を現場に残したままだと、警察にこちらの足取りを掴まれかねない。だから、可能な限り、死体を回収し、掃除をして現場を元通りにする必要がある。
……それにしても、彼の協力者たちは、彼を見ながらなんでそんなにニヤニヤと笑っているんだろうか? よっぽど、痛がるエイトが面白かったのか?
「も~。Iには慈悲ってものが無いの? 慈悲!」
「そんなのあったらこんな仕事できないわよ」
「そうだけどさ~。なんかこう、殺す時に嫌だな~って思ったりしないの?」
「ない」
「いや、即答かい」
「躊躇ってたらこっちが殺られるもの。それに、私達が受ける大抵の依頼は、今日みたいな犯罪組織や極悪人の始末なんだから、嫌だなんて思ったことないわ」
「ふ~ん。普通君ぐらいの年ごろの女の子だったら、かわいそうだな~とか思って泣いちゃいそうなイメージあるけどね~。俺だって、もしかしたら泣いちゃうかも!」
そう言いながら、エイトはわざとらしく泣き真似をする。元々少し可愛らしい顔立ちをしているせいか、泣き真似をすると一瞬女の子と見間違えそうだ。それこそ、彼の言う『私くらいの年ごろの女の子』の良い例だろう。
だけど、私は違う。むしろ逆だ。
「ターゲットが可哀そう? そんなこと、一度も思ったことないわね。 ましてや泣くなんて、あり得ないわ。私は強いんだから」
そう言いながら、腰につけていた小さいポーチからハンカチを取り出し、ナイフについていた血を拭う。月の光が反射して輝くナイフは、どんな獲物でも切り裂きそうなほど鋭く見えた。
そう。私は、そこら辺にいる女の子とは違う。泣くだけの弱者なんかじゃない。自分に向かってくる悪は、自らの刃で切り裂く強者だ。これまでもそうだったように、これ先も私は泣くことなんてないだろう。
「かわいくね~。そんなんじゃ、きっと嫁の貰い手も見つからねえな!」
そんな余計な一言を再び発した彼に向かって、今度は拭いたばかりのナイフを勢いよく投げつけた。ナイフは彼の頬をかすめて、後ろの壁に突き刺さる。驚きのあまり、エイトは手に持っていた床掃除用のモップを落とした。
「次は無い」
「スンマセン」
さすがの彼も懲りたのか、今度は本気で怯えながら、涙目で両手を上げていた。
「大体、あんただって泣かないわよ、きっと! じゃなかったら、こんなところでこんな仕事なんかしてないわ」
「ん~まぁ、それも言えてるかね~」
そう言いながら、エイトは壁に突き刺さったナイフを抜き、私の方に軽く投げた。まっすぐこちらに向かってくるナイフを、私は眼前でキャッチする。
「なんなら、私が殺されたって泣かないんじゃな~い?」
「それは……」
彼が何か言おうとした瞬間、再び部屋のドアが勢いよく開け放たれ、仲間の一人が入ってきた。
「エイトさん! 警察がもうこの地区まで巡回してます!」
「あれ~? もうそんな時間だったっけ?」
「いや、あんたが来るの遅かったからでしょ!」
「だからそれは悪かったって! てか、お前もいつまでそんな血みどろの格好でいるんだよ」
自分の姿を確認すると、身につけていた仕事用の真っ黒なフード付きコートと長ズボンには、至る所に返り血が付着していた。黒で多少は分かりにくくなっているが、万が一にも警察に見つかれば即アウトだろう。どちらにせよ、このままだと自分の服で現場を汚してしまいかねない。
「やばっ、忘れてた」
「はは! やっぱりまだまだプロとは言えなさそうだな~!」
「後で殺す」
「わぁぁっ! 冗談だって、冗談! とにかく、さっさと着替えないと、下手したら俺たちも目ぇつけられるぞ」
「分かってるわよ、もう!」
そう言いながら、エイトたちが持ってきた道具箱の中から着替えを引っ張り出し、素早くその場で着替え始める。一方のエイトたちも、急ピッチで床掃除を進める。
そして、パトカーの赤色灯が近くのビルを照らし始める頃、私達は停めていた仲間の車に乗り込み、雑居ビルを後にした。ギリギリセーフだ。いや、本当は30分くらい前に終わる予定だったんだけどね!
カーナビの時計は、午前1時30分を示していた。
――時は、2050年。21世紀もそろそろ後半に入る今、かつてあった様々な問題は解決され、平和で幸せな世の中になった! ……といった時代は、残念ながらまだ訪れていない。確かに、AI技術が進歩したり、一部の公共交通機関は自動運転化されたり、昔は治療が難しかった病も治療できるようになってきたりと、技術面では幾分か便利な世の中になったのかもしれない。
しかし、依然として残る問題もたくさんある。その中でも、かつてよりむしろ増加傾向にある問題があった。――犯罪だ。
「――次のニュースです。先月から行方不明となっている20代男性の行方について、警察は捜査を進めていますが……」
昨夜の犯罪組織の壊滅から一夜明け、私は平日の真っ昼間から、自宅の居間でテレビを見ながらくつろいでいた。
「んー。今日も特段変わったことは無いわねー」
女子力皆無なポーズでソファーに寝そべりながら、何か面白い番組が無いかとテレビのチャンネルを変えていたが、この時間帯は、私の興味をそそるようなことはやっていないようだった。
すると、ソファーの後ろから、あの陽気で飄々としたアイツの声が聞こえてきた。
「相変わらず、家ではだらしないな~、ユイは」
「あ、エイト」
「いや、別に今は仕事中じゃないんだから、コードネームで呼ぶ必要なくない? 俺にだってちゃんと、“マコト”って言う名前があるんだけど?」
「あぁ。まだ仕事中かと思って」
「その恰好で!?」
まぁ、確かに今は、誰がどう見ても、部屋着姿でくつろいでいるだけにしか見えないだろう。そして、実際にそうである。うん。
「どうせ、さっきまで寝てたから、寝ぼけてんでしょ~。もう11時だよ?」
そう言いながら、彼は私の頬を指でつついた。昔からそうだが、コイツは距離感がバグっているのか? 彼のそのウザったらしい手を振り払いながら、私はソファーから起き上がった。
「うるさいわねー。アンタには関係ないでしょ!」
殺し屋の仕事は、深夜帯に行うことが比較的多い。そのせいもあってか、だいぶ前からこんな乱れた生活が続いている。まぁ、仕事柄外ではあまり目立たないように、今は学校に行ってないから、何ら問題もない。
「はいはい、左様でございますね~。お! このニュース、この間、俺たちの所に依頼されたやつじゃん」
マコトはテレビの画面を指さしながら、私の隣に座った。テレビでは、行方不明の20代男性の話がまだ続いていた。男性の名前は出ていないが、おそらく私達が担当した依頼のターゲットのことだろう。確か、この男に散々弄ばれたという複数人の女性からの依頼だったはずだ。ニュースでは触れられていないが、要はこの男も悪人だったのである。もちろん、依頼は完遂している。今この男には、どこぞの自然豊かな山中で眠ってもらっているはずだ。
「埋めに行った時さ、真夜中だったし山の中だったから、めっちゃ星きれいだったよな~!」
「そうだっけ?」
「そうじゃん! みんなできれいだって話してたじゃん! いや~、あの瞬間はまさに青春って感じだった」
マコトは、腕を組みながらうなずいた。だが、私の中には、きれいな星空を見た記憶なんて全然ない。あるのは、協力者が少なくて、依頼の後処理が大変だったという記憶だけだ。大方、シャベルか何かを枕にして寝てたんだろう。
「ユイはさ~興味ないの? 青春とか」
「別に」
「いやまた即答」
「だって、仕事には必要ないし」
そう言いながら、小腹が空いた私は目の前のテーブルに置いておいたポテチの袋に手を伸ばす。必要なのは、青春よりもエネルギー摂取だ。袋を開けると、塩気を感じる香ばしいポテトの香りが広がり、私の食欲をそそる。しかし、取ろうとした瞬間、マコトが横から袋の中に手を伸ばしてきて、ポテチを数枚かっさらっていった。そして、何食わぬ顔で口に運ぶ。このポテチ泥棒め。
「でもさ~、俺たちもう17歳だぜ! なんかないの? こう、花の学園生活を満喫したいとかさ! てか、このポテチうまいな」
「そういうアンタだって、実はそんなに青春とか興味ないんじゃないの? ポテチ返せ」
ポテチを奪い返そうと手を伸ばすも、その前に口に運ばれた。
「ん~、まぁ、確かに言うほどないな。情報としてなら興味あるけど」
すかさず彼はポテチを数枚かっさらう。
「じゃあ、私達の青春は、ソファーの上でのポテチよ。てか、アンタどんだけ私のポテチ食べる気よ!」
「この塩気がまた最高でやめらんね~」
私は再びマコトからポテチを奪い返そうと、勢いよく彼の手の中のポテチめがけて手を伸ばす。しかし、ソファーの上に置きっぱなしだったテレビのリモコンにもう片方の手を突いてしまい、体勢が崩れ、私の手は空を切った。そして、彼はしたり顔でポテチを食べた。ムカつく。
下に落ちたリモコンを拾いながら、何か面白い番組はやっていないかと再びチャンネルを変えてみる。しかし、違うチャンネルでもニュースしかやっておらず、こっちではどこぞの研究機関が、最新の目の治療方法を公開したといった技術的な話だったりと、やはり、興味のないことばかりだ。
「今日も今日とて、犯罪かどこぞの会社の技術発表に関する話ばかりだな~。まぁ、そういう話題の方が世間に溢れかえってるから無理もないか」
もちろん、犯罪そのものは昔から存在する。しかし、万引きや痴漢のような単独で行われることが多いようなものから、集団強盗やテロといった規模が大きく集団で行われるようなもの、そして殺人のような命のやり取りをするものなど、近年は、多種多様な犯罪が増加していた。
「犯罪に関しては、世の中的にどうなの?」
「ん~。少なくとも、俺たちは依頼が増えるから儲かる」
そう言いながら、マコトは再びポテチを数枚取り出す。食べる勢いは止まらない。
「それは確かに否定できないけど」
もちろん、犯罪が溢れる世界を肯定する気は無い。
大小関係なくどんな犯罪でも、そこには怒りや悲しみ、恨みといった負の感情を抱えた人たちが多く存在する。それは被害者自身だけではなく、被害者の家族や友人といった関係者、時には加害者の関係者まで含まれるかもしれない。負の感情も大きさは様々だが、それは必ずしも犯罪の大きさに比例しない。たとえ周りから見たら小さな犯罪でも、当事者たちにとっては大きな犯罪であり、強い負の感情を抱えることだってあるだろう。そして、そんな大きい負の感情を抱えた人たちの中には、加害者やその関係者への復讐を試みる人もいるかもしれない。
さらに厄介なことに、犯罪数の増加とともに、社会や人間に対して不安や不信感を抱く人も増えてきている。中には、被害を受けたわけでもないのに、不信感から予防措置的に相手を攻撃しようとする人もいなくはない。
こんな風に負の感情の連鎖が続いているのが、現状だ。もちろん法律が無いわけではない。そのおかげか、まだ誰もがお互いに攻撃し合うような世紀末的状況には陥っていない。しかし、法律があっても、ここで私一人がこの状況を嘆こうとも、これまでの歴史を見てもそうであるように、犯罪の発生はそう簡単に止められないのだろう。
「……まぁ、そうね。私達は私達で、世の中から犯罪者や悪人がいなくなるまで、始末していくだけよ」
「そうそう! 俺たちの青春は、昼のソファーでのポテチと夜の街での悪人の始末さ!」
そう言いながら、マコトは手に持っていたポテチを乾杯でもするかのように高らかに掲げる。
「あはは、何よそれ。変な青春ね」
でも、きっとそうなんだろう。ポテチが袋から無くなるまで食べ続けるのと同じように、きっと私達も、犯罪や悪人がこの世界からいなくなるいつかの未来まで、依頼された悪人の始末をし続けるのだろう。そして、それが私達の仕事であり、青春の1ページだ。
私はまた一枚、ポテチを口に運んだ。
その瞬間、リビングにある時計から、昼の十二時を知らせる鐘の音が部屋中に鳴り響いた。
「そんじゃまぁ、そろそろ報告に行きますか!」
マコトは、手に持っていたポテチを全て口の中に入れた。
「そうね。さっさと終わらせましょ」
私もそう言いながら、ポテチの袋をテーブルに置き、テレビの電源を切った。
さて、仕事の時間だ。
犯罪数の増加によって負の感情の連鎖が続くこの時代。治安の悪化のせいか、人々は以前よりもお互いを疑い合い、社会全体では警戒感が高まっていた。
そんな中、彼らの負の感情は、いったいどこに向けられるだろうか? まぁ、やっぱり犯罪者や悪人と呼ばれるような人たちに向けられることが多いだろう。そして彼らは、正義感からか、そのような人たちを『倒すべき悪』として認識するかもしれない。しかし、自らの手を汚すことや、倒すことで今度は自分が社会や法律から悪者扱いされることに恐怖を覚える人もいるだろう。
そんな彼らの中に渦巻く負の感情を代わりに晴らすのが、私達のような“殺し屋”だ。
昨日の依頼の結果報告をするために、私とエイトは上司のいる部屋の前まで来ていた。
私が部屋の扉を静かにノックすると、中から、「入りなさい」という声が聞こえてきた。
扉を開け中に入ると、天気の良い真っ昼間だというのにカーテンが閉め切られており、そのせいか、部屋の中はどことなく薄暗く感じた。
独特な緊張感が漂う中、私達は奥に座っている人物の前へと歩を進めた。
「報告書は読んだわ。お疲れ様、I、エイト」
「ありがとうございます。お母様」
そう。何を隠そう、上司というのは、私の母親なのである。
なんで実の母親が上司なのかって? こう見えて、私の家は、代々裏家業として殺し屋を営んできた一族なのである。もちろん、表の歴史では知られていないため、私達一族の存在を知る人はほぼいないが、こう見えて江戸時代から続く老舗の殺し屋らしい。いや、老舗の殺し屋ってなんだ? 詳しいことは知らないが、どうやら私のご先祖様が、正義感から世に蔓延る悪を滅しようと、悪人を倒しに東奔西走し始めたことが密かに評判を呼び、その結果、周りからも悪人成敗を頼まれるようになったのが始まりなんだとか。
まぁ、そのおかげか、私の代に至るまで、多くの親族が殺し屋かそれに関係する仕事を裏の世界でやってきた。もちろん、私の両親と兄も殺し屋だし、その影響を受けた私も殺し屋だ。あ、ちなみにエイトはただの居候だ。
「犯罪組織の壊滅については、特にイレギュラーなことも無かったみたいだし、この件に関しては、私の方から依頼主に報告しておくわ」
お母様はそう言いながら、昨日エイトが提出した報告書を、一枚めくる。ちなみに、私は報告書を書いていない。以前、書こうとしたら、エイトに散々下手くそだと馬鹿にされたから、それ以降は彼に丸投げだ。だから、何を書いたのかは知らない。今回の依頼主は確か、犯罪組織によって家族を殺されたという数人からであったはずだ。
まぁ、兎にも角にも、今回のように私たち殺し屋は、負の感情を抱えた依頼主からの依頼を受け、悪人であるターゲットを人知れず始末すること、つまりは暗殺を仕事にしてきた。
もちろん、負の感情を抱く誰もが、私達のようなところに依頼するわけではない。しかし、時には、私達のような汚れ仕事を引き受ける人間が必要とされるのだ。
「それよりも、I。エイトに対してナイフを投げつけたというのは、一体どういった経緯でそんなことをしたのかしら?」
「え?」
思わぬ話題に、私は横に立っていたエイトの方に勢いよく顔を向けた。エイトもそれに合わせて、勢いよく私と反対の方向を見る。コイツ、告げ口したな。後で殺す。
「仲間同士の争いは、禁止しているはずだけど。この報告書の内容はどういうことかしら?」
お母様はそう言うと、見ていた報告書を私の方に向ける。そこには、昨日、余計な一言を発したエイトに対して、ナイフをぶん投げたことに関することが書かれていた。いや、そんなところまで書く必要ないだろ。
「誤解です! お母様。これはこの馬鹿がいちいち余計なことを言うから、少しお灸をすえてやろうと思っただけなんです! 決して、殺そうとしたわけではありません」
「いや、別に俺は事実を言っただけ……」
必死に誤解を解こうとする私の横で、エイトはまた何か余計な一言を言おうとしていた。私はすかさず彼の足を思いきり踏み付け黙らせる。横目で見ると、いつものへらへら笑った表情こそ崩れてはいないが、痛みを必死にこらえているのか、彼の口の端はぴくぴくと動いていた。自業自得だ。
「I。私は何度も教えたはずよ。『仲間を信じ、悪を疑え』と」
「はい……」
この言葉は、昔から我が家で伝えられてきたもので、いわば家訓だ。私達一族は、みんなこの言葉を聞きながら育つ。だから、耳にたこができるほど聞いている。
「今の時代、誰もが互いを疑い合って暮らしている。でも、そんな時こそ、仲間を信じ助け合う必要があるわ」
お母様はそう言いながら書類を机に置くと、鋭い眼光でこちらを見つめた。
「この仕事は特にそうだけど、今のご時世、仲間の裏切りや疑い合いは命取りになりかねない。もちろん……」
その瞬間、お母様は机の上にあったボールペンを、目にもとまらぬ速さで私に向かって投げ飛ばした。私は何とかそれを間一髪で避けた。ボールペンは後ろの扉に突き刺さる。
「裏切者には粛清あるのみだけど」
長い前髪から覗く眼差しは、まさにターゲットを始末する時の殺し屋の眼だった。凍てつく視線のせいか、部屋の中にも凍り付いたかのような緊張感が漂う。背筋に冷たいものが走った。
「こんな時代だからこそ、仲間は大切にしなさい。いいわね」
「……はい、すみません」
やっぱり、お母様にはかなわない。どれだけ強気でいたとしても、その鋭い眼を見れば、たとえターゲットでなくても、委縮してしまうだろう。
お母様は一瞬の間の後、少しため息をつきながら、エイトの方をちらりと見る。
「まあ、大方、彼も彼で何か余計なことを言ったんでしょうけど」
「あれ、俺、奥様に疑われてる?」
しかし、エイトの声は届かなかったのか、お母様はその言葉に気にする様子もなく、今回の報告書の束を机の引き出しの中にしまい、代わりに別の書類の束を取り出した。
「とりあえず、この話はおしまいよ。早速だけど、あなたたちには次の依頼に取り掛かってもらうわ」
つい昨日、依頼を一つ終わらせたばかりなのに、まさかこんなすぐ新たな依頼が来るとは……。
年々犯罪が増加しているからか、悪の粛清を求める人たちも増加傾向にあり、我が家の仕事も、近年、増加傾向にあった。世も末だな。
「次の依頼だけど、おそらく長期に渡っての潜入任務になると思うわ」
「長期ですか!?」
その言葉に私は、思わず身を乗り出して反応してしまった。
長期とは珍しい。少なくとも私の場合は、昨日のように単発か、長くても三日ほどで終わるものが多かったからだ。
ただ、私が身を乗り出した理由はそれだけではない。単純に、私にとっては初めての長期任務になるからだ。
長期任務は数こそ少ないが、比較的難易度が高い。潜入などが加わってくることによって、暗殺のスキルだけではなく、演技力や忍耐力、その他さまざまな能力が必要とされるからだ。
……そう、それはつまり、私の能力が優れているから、この依頼の担当に抜擢されたということだ! さすが私。やっぱりプロだった。あ、いけないいけない。私はプロなんだから、これくらいでそんな跳ね上がっていたら恥ずかしいわよ、ユイ。
とは思いつつも、身体は正直で、何とかポーカーフェイスを貫こうにも、口の端はニヤケそうになる。私は、自分の顔を引き締めるために、軽く頬をひっぱたいた。何となく横からは、冷ややかな視線が向けられている気がするが、まぁ、それは気にしないでおこう。
「そ、それにしても珍しいですね! こういう長期の潜入任務って言うと、たいていお兄様が担当することが多いのに」
「そうね。本当はそうしようと思っていたけど、今ちょうど別の長期任務に行ってもらっているからいないのよ。まぁでも、そろそろIにもこういった任務をやってもらいたいと思っていたから、ちょうど良かったわ」
あ、なるほどねー。私は、シノブお兄様の代打ってことか。要は、偶然長期任務が重なって人手不足だから、私まで回ってきたって言うことね。はいはい納得。……はぁ。
明らかに私のテンションが下がっていることに気付いたのか、エイトがまるで慰めるかのように私の肩に手を乗せ、こちらに憐みの目を向けてきた。やめろ。そんな目で私を見るんじゃない。悲しくなるだろが。
でも、確かに今回はお兄様の代打かもしれないけど、一応少しは期待してもらえているのかもしれない。そう思うと、なんだか少し嬉しくなった。
「それで、どこに潜入するんですか?」
話の進まない私にしびれを切らしたのか、今度はエイトがお母様に尋ねた。
「あなたたちには、ある高校に潜入してもらいたいの」
「高校…ですか? つまり、今回のターゲットは、教師ということですか?」
あまり聞きなれない潜入先に、私もつい聞き返した。
「いいえ、女子高生よ」
「「女子高生!?」」
さらに、ターゲットとしては聞きなれないワードに、私とエイトの驚く声が重なった。
いや、本当に世も末だな。ついには女子高生まで、誰かに恨まれるほどの悪事を働くようになったということか。
「奥様、ターゲットが女子高生なら、わざわざ学校に潜入せずとも、部屋の中に侵入するなり、登下校時に攫うなりすれば、始末なんて簡単だと思われるのですが」
確かに、エイトの言うとおりだ。女子高生の始末なんて、昨日の犯罪組織の壊滅より簡単な仕事だろう。
「普通の女子高生ならね。でも残念だけど、この少女は、そのあたりの女子高生とは違うのよ」
そう言うと、お母様はさっき机の中から出した書類をこちらに向けた。それをエイトが手にとり、私も横からのぞく。今回のターゲットに関する資料のようだった。
「朝比奈カリン。17歳。神代学院高校2年生……」
「もしかして、“あの”朝比奈家か?」
「……誰?」
私の疑問に対して、エイトは「嘘だろ!?」とでも言うかのように、驚いた顔でこちらを見てきた。無知で悪かったわね!
とりあえず、端的に言うと、今回のターゲットは、お金持ちのお嬢様らしい。彼からの説明を聞いた感じだと、朝比奈家とは技術産業で名を馳せている一族として有名なんだとか。そのせいで秘匿されている情報も多いのか、今回はターゲットに関する情報がいつも以上に少なく、資料も紙ぺらたった一枚に収まってしまうほどだった。ターゲットの写真すら無い。
「おそらく、エイトの考えている通りね。以前、朝比奈家に関する調査を行った時、家族構成員の中にターゲットと同じ名前が含まれていた記憶があるわ。ただ、詳しい情報は分からず、朝比奈家どころかターゲットに関する情報も少ない。そして、これ以上、外部からは情報を得られそうにない。でも、朝比奈家が資産家である以上、自宅を含め、ターゲット周辺のセキュリティは相当厳重なものになっている可能性が高いわ。そうなると、彼女に手を出せるのは、比較的セキュリティが低い学校くらいになるのよ」
いやまぁ、実際には今の時代、学校もそれなりにセキュリティは整っているはずだと思うけど、おそらく朝比奈家の警備の方が厳重ということなのだろう。さすがお金持ち。
「ターゲットの通う高校に転校生として潜入し、ターゲットを探し出して継続的に見張りつつ、隙ができた際に始末する。それが今回のあなたたちの任務よ」
確かに、いくら多少は警備がゆるくなるとは言え、学校という人の多い場ですぐさま任務を完了させるのは難しいだろう。そう考えると、これまでの任務と比べて、比較的長期に渡る任務になると言えるのかもしれない。
「あと、ついでに可能な限り、エイトはIのサポートをしつつ、朝比奈家や神代学院高校に関する情報も集めておいてちょうだい。朝比奈家をはじめ、あの高校の出身者には影響力のある人間やその関係者も多いわ。その子女も多く在籍しているから、持っていて損な情報は無いはずよ」
「はい。奥様」
エイトは、殺し屋の仕事におけるいわばバディであり、私達は常に二人で依頼をこなしている。まぁ、部下のような協力者もいなくはないけど。主に、私がターゲットの始末を担当し、彼が情報収集や戦闘サポートといった後方の支援を担当している。
それにしても、何となくエイトの方がお母様に信頼されている気がする……。任される仕事も多いし。ずるい。
……あ、そうよね。いくらなんでも、長期任務でいろんな情報を集めながら、私のサポートをするのって大変なんじゃない? うんうん、きっと大変よね。
それに、今回に関しては、いくら潜入任務と言っても、ターゲットは女子高生たった一人だし、強くて優秀な私なら、きっと一人でも仕事をこなせるんじゃない?
「お母様。今回はターゲットの情報が少ない上、他の情報収集もする必要がある中、さらに私のサポートもするというのは、いささか彼の負担が大きすぎではないでしょうか?」
「いや、別に俺は……」
「それに、今回のターゲットは、たかが高校生一人です。サポートが無くても問題ありません。だから、潜入とターゲットの始末は私一人でやります。彼にはそれ以外の外部からできる仕事や情報収集に集中してもらえばいいのではないでしょうか?」
彼の言葉を遮りながら、私は意気揚々とお母様に提案した。
これも全て、お母様に信頼してもらうため……じゃなかった。エイトの負担を減らすためである。そう、彼のためである。決して、彼に嫉妬しているわけではない。
「駄目よ」
はい、即答。いや、分かってはいたけど、特に検討することもなく却下されるとは。
「昔から、18歳になるまでは必ず二人一組で仕事に当たるというしきたりなのは、あなたも分かっているはずよ。それに、外部からよりも多くの情報を得られる可能性が高い。だから、学内に潜入できるこの機会を利用しない手は無いわ」
出たな、家の謎ルール。何故か18歳になるまでは、二人一組で仕事をしないといけないのだ。本当に謎。だけど、お母様の言うことも一理あるから、何も言い返せない。
しかし、そんな私の不満を察してか、お母様は私にある提案をした。
「でもそうね。今回の任務がうまく終われば、早めに独り立ちを考えてもいいわよ」
「え、それってつまり……」
「あなただけのコードネームをあげるわ」
「本当ですか!」
嬉しさのあまり、つい声が大きくなる。
「だから、早く任務を終わらせてきなさい。依頼主も、なるべく早く終わることを望んでいそうだし、他の仕事もあるんだから」
「はい! 私、めちゃくちゃ頑張ります!」
「……本当にこいつは、単純だな」
そんなエイトの呆れた声が聞こえてきた気がするけど、まぁきっと気のせいだろう。
報告が終わった私達は、お母様に一礼し、入った時と同じように、落ち着いた様子で静かに部屋から退出した。しかし、扉を閉めた瞬間、思わず表情筋がゆるむ。私の心の中では、ボルテージが爆上がりだった。
「コードネーム……。あぁ、なんて甘美な響き!」
そう、私はコードネームのことで頭がいっぱいなのだ。嬉しさのあまり、その場で軽いターンをするほどだ。
「いや、浮かれすぎだろ。たかがコードネームで」
「当たり前でしょ! コードネームがもらえるのは、一人前の証なんだから! それに、一人でいろんな依頼を受けられるようになれば、アンタの余計な一言にいちいちイライラしなくて済むし!」
「あーはいはい」
私の勢いに押されたエイトは、のけぞりながらうるさそうに耳をふさぐ。
私の家では、18歳になると殺し屋として独り立ちができ、単独でも依頼を担当できるようになる。その時に、自分用のコードネームが与えられるのだ。ちなみに、私とエイトが今使っているコードネームは、代々受け継がれてきたいわば見習い用のものである。だから、個人のコードネームがもらえるということは、一人前として認められたということになるのだ。あと、純粋にかっこよくない?
「まぁ、浮かれすぎて、任務に支障きたさなければいいけど。そんなことよりも、久しぶりの学校だぜ? なんか楽しみとかそういうの無いのか?」
「別に。そもそもこれは仕事であって、青春を楽しむために行くわけではないもの。私の青春は、昼のポテチと夜の仕事なんだから」
そう言えば、まだ残ってるじゃん、ポテチ。早く食べきらないと湿気ってしまう。そう思いながら、リビングの方へ歩を進めた。
「まぁ、そんな昼間の青春も、残念ながらしばらくおあずけかもしれないけどな」
「え、なんでよ」
「いやだって、高校生はちゃんと毎朝起きて、勉強して、お昼ご飯食べてって、規則正しい生活してるだろ! まぁさすがに、ずっと昼起きポテチ生活も体に悪そうだし、お前の生活改善にはちょうど良いんじゃね?」
「ハッ……」
そうか、朝から起きないといけないのか。つまり、しばらくこの自堕落……じゃなかった、睡眠時間を十分に確保する生活とはお別れしないといけないってこと? マジか。
衝撃の事実に思わず足を止めた私の元に、後ろを歩いていたマコトが追い付く。彼は私の横に立つと、ニヤニヤしながら私の肩に手を置く。
「お前、起きれなそうだな」
その揶揄うような表情にムカついた私は、彼の手を払いのける。
「お、起きれるわよ。私は殺しのプロよ!」
「いや、そこにプロとか関係ないだろ。そもそも、まだ見習いだし……」
「あ」
「ん?」
「そういえば、アンタのこと殺そうと思ってたんだった」
私は、満面の笑みで彼を見つめた。
「ヤベッ……」
余計なことを言ってしまったと思ったのか、彼は焦った表情で視線をそらす。
「しかも、2回」
「なんか増えてね!?」
まぁ、1回分はついさっき思ったからな。
マコトは再びこちらを向くと、一瞬だけ私と目を合わせてニコッと笑い、その後、一目散に廊下を走って逃げていった。
「ちょっ、待ちなさい!」
そんな彼の後を、私も全速力で追いかけた。
それも、一人や二人なんて話ではない。十人は優に超えるがっしりとした体格の男たちが、固い床の上に眠らされている。廃墟と化した雑居ビルの一室には月明かりが差し込み、無機質なコンクリートを染め上げる鮮やかな赤色を際立たせていた。
そんな異様に違いない光景を、私はただ一人、窓際に立ち、声も発さずに眺めていた。深夜のせいか、辺りは静まり返っていた。
この状況を見れば、きっと誰もが、「犯罪に巻き込まれた少女が声も出せないくらいに怯えて立ち尽くしている」と思うだろう。
そんなことを考えている時、突如、沈黙を破るように大きな音を立てて部屋のドアが開け放たれ、一人の少年が姿を現した。
「いや~悪いっ!遅くなったわ!」
ふわふわとした明るめの茶髪をヘアバンドでまとめたその少年は、実際にはほとんど悪びれる様子もなく、この状況に似つかわしくないくらい陽気な声で喋りながら、この異様な空間に足を踏み入れた。
私は、その少年を見るやいなや、床に広がる死体と鮮血を踏まないようにしながら、彼を待ちわびていたかのように勢いよく近づいた。それは、助けを求めるため……。
「おっそい!本当、いつまで待たせる気よ!」
否、文句を言うためである。
少年の声と同様、私の声もこの状況に似つかわしくない調子で、部屋に響き渡る。
「マジでごめんって! そんなに怒ると、せっかくのかわいい顔が台無しだぞ! ね! ユイちゃん!」
「馬鹿! こんなところで本名出さないでよ。誰かに聞かれたらどうすんの!」
「あ~ハイハイ! 失礼しました~、Iさん。それにしても、今日もまた完膚なきまでに全滅だね~」
「当たり前でしょ! 私はプロの殺し屋なんだから」
そう、この目の前に広がる異様な光景を作り出したのは、何を隠そうこの私、真守ユイなのである。コードネームはI。「犯罪に巻き込まれて声も出せないくらい怯えている少女」とは、似ても似つかぬ存在だろう。てか、話逸らしたな、コイツ。
「いや、プロって言っても、まだ見習い……」
「なんか言った?」
私は、何か余計なことを口にしようとした彼の首に、さっきまで振り回していた血の付いたナイフを近づける。
「あ~うん、そうだね! プロだプロ! ほとんどプロ! だから、その刃は下ろしてほしいな~! 君がそれをやるとガチで怖いから~」
笑いながら慌てて訂正する彼を軽く睨みつけながら、私はナイフをゆっくりと下した。相変わらず食えない男だ。
「まったく……。余計なこと言ってないで、エイトもさっさと自分の仕事をして!」
だけど、そのまま何もしないのも、腹の虫がおさまらないので、ヘラヘラしていて余計な一言の多いコイツの頭が少しでも治るように、デコピンをお見舞いしてやった。そうとう痛かったのか、彼は涙目で額を押さえる。ちなみに、“エイト”とはコイツのコードネームだ。
エイトは自分の額を押さえながら、部屋の外で控えていた彼の協力者たちを呼び入れ、死体の回収を始めた。依頼された仕事がターゲットの始末だけだとしても、死体を現場に残したままだと、警察にこちらの足取りを掴まれかねない。だから、可能な限り、死体を回収し、掃除をして現場を元通りにする必要がある。
……それにしても、彼の協力者たちは、彼を見ながらなんでそんなにニヤニヤと笑っているんだろうか? よっぽど、痛がるエイトが面白かったのか?
「も~。Iには慈悲ってものが無いの? 慈悲!」
「そんなのあったらこんな仕事できないわよ」
「そうだけどさ~。なんかこう、殺す時に嫌だな~って思ったりしないの?」
「ない」
「いや、即答かい」
「躊躇ってたらこっちが殺られるもの。それに、私達が受ける大抵の依頼は、今日みたいな犯罪組織や極悪人の始末なんだから、嫌だなんて思ったことないわ」
「ふ~ん。普通君ぐらいの年ごろの女の子だったら、かわいそうだな~とか思って泣いちゃいそうなイメージあるけどね~。俺だって、もしかしたら泣いちゃうかも!」
そう言いながら、エイトはわざとらしく泣き真似をする。元々少し可愛らしい顔立ちをしているせいか、泣き真似をすると一瞬女の子と見間違えそうだ。それこそ、彼の言う『私くらいの年ごろの女の子』の良い例だろう。
だけど、私は違う。むしろ逆だ。
「ターゲットが可哀そう? そんなこと、一度も思ったことないわね。 ましてや泣くなんて、あり得ないわ。私は強いんだから」
そう言いながら、腰につけていた小さいポーチからハンカチを取り出し、ナイフについていた血を拭う。月の光が反射して輝くナイフは、どんな獲物でも切り裂きそうなほど鋭く見えた。
そう。私は、そこら辺にいる女の子とは違う。泣くだけの弱者なんかじゃない。自分に向かってくる悪は、自らの刃で切り裂く強者だ。これまでもそうだったように、これ先も私は泣くことなんてないだろう。
「かわいくね~。そんなんじゃ、きっと嫁の貰い手も見つからねえな!」
そんな余計な一言を再び発した彼に向かって、今度は拭いたばかりのナイフを勢いよく投げつけた。ナイフは彼の頬をかすめて、後ろの壁に突き刺さる。驚きのあまり、エイトは手に持っていた床掃除用のモップを落とした。
「次は無い」
「スンマセン」
さすがの彼も懲りたのか、今度は本気で怯えながら、涙目で両手を上げていた。
「大体、あんただって泣かないわよ、きっと! じゃなかったら、こんなところでこんな仕事なんかしてないわ」
「ん~まぁ、それも言えてるかね~」
そう言いながら、エイトは壁に突き刺さったナイフを抜き、私の方に軽く投げた。まっすぐこちらに向かってくるナイフを、私は眼前でキャッチする。
「なんなら、私が殺されたって泣かないんじゃな~い?」
「それは……」
彼が何か言おうとした瞬間、再び部屋のドアが勢いよく開け放たれ、仲間の一人が入ってきた。
「エイトさん! 警察がもうこの地区まで巡回してます!」
「あれ~? もうそんな時間だったっけ?」
「いや、あんたが来るの遅かったからでしょ!」
「だからそれは悪かったって! てか、お前もいつまでそんな血みどろの格好でいるんだよ」
自分の姿を確認すると、身につけていた仕事用の真っ黒なフード付きコートと長ズボンには、至る所に返り血が付着していた。黒で多少は分かりにくくなっているが、万が一にも警察に見つかれば即アウトだろう。どちらにせよ、このままだと自分の服で現場を汚してしまいかねない。
「やばっ、忘れてた」
「はは! やっぱりまだまだプロとは言えなさそうだな~!」
「後で殺す」
「わぁぁっ! 冗談だって、冗談! とにかく、さっさと着替えないと、下手したら俺たちも目ぇつけられるぞ」
「分かってるわよ、もう!」
そう言いながら、エイトたちが持ってきた道具箱の中から着替えを引っ張り出し、素早くその場で着替え始める。一方のエイトたちも、急ピッチで床掃除を進める。
そして、パトカーの赤色灯が近くのビルを照らし始める頃、私達は停めていた仲間の車に乗り込み、雑居ビルを後にした。ギリギリセーフだ。いや、本当は30分くらい前に終わる予定だったんだけどね!
カーナビの時計は、午前1時30分を示していた。
――時は、2050年。21世紀もそろそろ後半に入る今、かつてあった様々な問題は解決され、平和で幸せな世の中になった! ……といった時代は、残念ながらまだ訪れていない。確かに、AI技術が進歩したり、一部の公共交通機関は自動運転化されたり、昔は治療が難しかった病も治療できるようになってきたりと、技術面では幾分か便利な世の中になったのかもしれない。
しかし、依然として残る問題もたくさんある。その中でも、かつてよりむしろ増加傾向にある問題があった。――犯罪だ。
「――次のニュースです。先月から行方不明となっている20代男性の行方について、警察は捜査を進めていますが……」
昨夜の犯罪組織の壊滅から一夜明け、私は平日の真っ昼間から、自宅の居間でテレビを見ながらくつろいでいた。
「んー。今日も特段変わったことは無いわねー」
女子力皆無なポーズでソファーに寝そべりながら、何か面白い番組が無いかとテレビのチャンネルを変えていたが、この時間帯は、私の興味をそそるようなことはやっていないようだった。
すると、ソファーの後ろから、あの陽気で飄々としたアイツの声が聞こえてきた。
「相変わらず、家ではだらしないな~、ユイは」
「あ、エイト」
「いや、別に今は仕事中じゃないんだから、コードネームで呼ぶ必要なくない? 俺にだってちゃんと、“マコト”って言う名前があるんだけど?」
「あぁ。まだ仕事中かと思って」
「その恰好で!?」
まぁ、確かに今は、誰がどう見ても、部屋着姿でくつろいでいるだけにしか見えないだろう。そして、実際にそうである。うん。
「どうせ、さっきまで寝てたから、寝ぼけてんでしょ~。もう11時だよ?」
そう言いながら、彼は私の頬を指でつついた。昔からそうだが、コイツは距離感がバグっているのか? 彼のそのウザったらしい手を振り払いながら、私はソファーから起き上がった。
「うるさいわねー。アンタには関係ないでしょ!」
殺し屋の仕事は、深夜帯に行うことが比較的多い。そのせいもあってか、だいぶ前からこんな乱れた生活が続いている。まぁ、仕事柄外ではあまり目立たないように、今は学校に行ってないから、何ら問題もない。
「はいはい、左様でございますね~。お! このニュース、この間、俺たちの所に依頼されたやつじゃん」
マコトはテレビの画面を指さしながら、私の隣に座った。テレビでは、行方不明の20代男性の話がまだ続いていた。男性の名前は出ていないが、おそらく私達が担当した依頼のターゲットのことだろう。確か、この男に散々弄ばれたという複数人の女性からの依頼だったはずだ。ニュースでは触れられていないが、要はこの男も悪人だったのである。もちろん、依頼は完遂している。今この男には、どこぞの自然豊かな山中で眠ってもらっているはずだ。
「埋めに行った時さ、真夜中だったし山の中だったから、めっちゃ星きれいだったよな~!」
「そうだっけ?」
「そうじゃん! みんなできれいだって話してたじゃん! いや~、あの瞬間はまさに青春って感じだった」
マコトは、腕を組みながらうなずいた。だが、私の中には、きれいな星空を見た記憶なんて全然ない。あるのは、協力者が少なくて、依頼の後処理が大変だったという記憶だけだ。大方、シャベルか何かを枕にして寝てたんだろう。
「ユイはさ~興味ないの? 青春とか」
「別に」
「いやまた即答」
「だって、仕事には必要ないし」
そう言いながら、小腹が空いた私は目の前のテーブルに置いておいたポテチの袋に手を伸ばす。必要なのは、青春よりもエネルギー摂取だ。袋を開けると、塩気を感じる香ばしいポテトの香りが広がり、私の食欲をそそる。しかし、取ろうとした瞬間、マコトが横から袋の中に手を伸ばしてきて、ポテチを数枚かっさらっていった。そして、何食わぬ顔で口に運ぶ。このポテチ泥棒め。
「でもさ~、俺たちもう17歳だぜ! なんかないの? こう、花の学園生活を満喫したいとかさ! てか、このポテチうまいな」
「そういうアンタだって、実はそんなに青春とか興味ないんじゃないの? ポテチ返せ」
ポテチを奪い返そうと手を伸ばすも、その前に口に運ばれた。
「ん~、まぁ、確かに言うほどないな。情報としてなら興味あるけど」
すかさず彼はポテチを数枚かっさらう。
「じゃあ、私達の青春は、ソファーの上でのポテチよ。てか、アンタどんだけ私のポテチ食べる気よ!」
「この塩気がまた最高でやめらんね~」
私は再びマコトからポテチを奪い返そうと、勢いよく彼の手の中のポテチめがけて手を伸ばす。しかし、ソファーの上に置きっぱなしだったテレビのリモコンにもう片方の手を突いてしまい、体勢が崩れ、私の手は空を切った。そして、彼はしたり顔でポテチを食べた。ムカつく。
下に落ちたリモコンを拾いながら、何か面白い番組はやっていないかと再びチャンネルを変えてみる。しかし、違うチャンネルでもニュースしかやっておらず、こっちではどこぞの研究機関が、最新の目の治療方法を公開したといった技術的な話だったりと、やはり、興味のないことばかりだ。
「今日も今日とて、犯罪かどこぞの会社の技術発表に関する話ばかりだな~。まぁ、そういう話題の方が世間に溢れかえってるから無理もないか」
もちろん、犯罪そのものは昔から存在する。しかし、万引きや痴漢のような単独で行われることが多いようなものから、集団強盗やテロといった規模が大きく集団で行われるようなもの、そして殺人のような命のやり取りをするものなど、近年は、多種多様な犯罪が増加していた。
「犯罪に関しては、世の中的にどうなの?」
「ん~。少なくとも、俺たちは依頼が増えるから儲かる」
そう言いながら、マコトは再びポテチを数枚取り出す。食べる勢いは止まらない。
「それは確かに否定できないけど」
もちろん、犯罪が溢れる世界を肯定する気は無い。
大小関係なくどんな犯罪でも、そこには怒りや悲しみ、恨みといった負の感情を抱えた人たちが多く存在する。それは被害者自身だけではなく、被害者の家族や友人といった関係者、時には加害者の関係者まで含まれるかもしれない。負の感情も大きさは様々だが、それは必ずしも犯罪の大きさに比例しない。たとえ周りから見たら小さな犯罪でも、当事者たちにとっては大きな犯罪であり、強い負の感情を抱えることだってあるだろう。そして、そんな大きい負の感情を抱えた人たちの中には、加害者やその関係者への復讐を試みる人もいるかもしれない。
さらに厄介なことに、犯罪数の増加とともに、社会や人間に対して不安や不信感を抱く人も増えてきている。中には、被害を受けたわけでもないのに、不信感から予防措置的に相手を攻撃しようとする人もいなくはない。
こんな風に負の感情の連鎖が続いているのが、現状だ。もちろん法律が無いわけではない。そのおかげか、まだ誰もがお互いに攻撃し合うような世紀末的状況には陥っていない。しかし、法律があっても、ここで私一人がこの状況を嘆こうとも、これまでの歴史を見てもそうであるように、犯罪の発生はそう簡単に止められないのだろう。
「……まぁ、そうね。私達は私達で、世の中から犯罪者や悪人がいなくなるまで、始末していくだけよ」
「そうそう! 俺たちの青春は、昼のソファーでのポテチと夜の街での悪人の始末さ!」
そう言いながら、マコトは手に持っていたポテチを乾杯でもするかのように高らかに掲げる。
「あはは、何よそれ。変な青春ね」
でも、きっとそうなんだろう。ポテチが袋から無くなるまで食べ続けるのと同じように、きっと私達も、犯罪や悪人がこの世界からいなくなるいつかの未来まで、依頼された悪人の始末をし続けるのだろう。そして、それが私達の仕事であり、青春の1ページだ。
私はまた一枚、ポテチを口に運んだ。
その瞬間、リビングにある時計から、昼の十二時を知らせる鐘の音が部屋中に鳴り響いた。
「そんじゃまぁ、そろそろ報告に行きますか!」
マコトは、手に持っていたポテチを全て口の中に入れた。
「そうね。さっさと終わらせましょ」
私もそう言いながら、ポテチの袋をテーブルに置き、テレビの電源を切った。
さて、仕事の時間だ。
犯罪数の増加によって負の感情の連鎖が続くこの時代。治安の悪化のせいか、人々は以前よりもお互いを疑い合い、社会全体では警戒感が高まっていた。
そんな中、彼らの負の感情は、いったいどこに向けられるだろうか? まぁ、やっぱり犯罪者や悪人と呼ばれるような人たちに向けられることが多いだろう。そして彼らは、正義感からか、そのような人たちを『倒すべき悪』として認識するかもしれない。しかし、自らの手を汚すことや、倒すことで今度は自分が社会や法律から悪者扱いされることに恐怖を覚える人もいるだろう。
そんな彼らの中に渦巻く負の感情を代わりに晴らすのが、私達のような“殺し屋”だ。
昨日の依頼の結果報告をするために、私とエイトは上司のいる部屋の前まで来ていた。
私が部屋の扉を静かにノックすると、中から、「入りなさい」という声が聞こえてきた。
扉を開け中に入ると、天気の良い真っ昼間だというのにカーテンが閉め切られており、そのせいか、部屋の中はどことなく薄暗く感じた。
独特な緊張感が漂う中、私達は奥に座っている人物の前へと歩を進めた。
「報告書は読んだわ。お疲れ様、I、エイト」
「ありがとうございます。お母様」
そう。何を隠そう、上司というのは、私の母親なのである。
なんで実の母親が上司なのかって? こう見えて、私の家は、代々裏家業として殺し屋を営んできた一族なのである。もちろん、表の歴史では知られていないため、私達一族の存在を知る人はほぼいないが、こう見えて江戸時代から続く老舗の殺し屋らしい。いや、老舗の殺し屋ってなんだ? 詳しいことは知らないが、どうやら私のご先祖様が、正義感から世に蔓延る悪を滅しようと、悪人を倒しに東奔西走し始めたことが密かに評判を呼び、その結果、周りからも悪人成敗を頼まれるようになったのが始まりなんだとか。
まぁ、そのおかげか、私の代に至るまで、多くの親族が殺し屋かそれに関係する仕事を裏の世界でやってきた。もちろん、私の両親と兄も殺し屋だし、その影響を受けた私も殺し屋だ。あ、ちなみにエイトはただの居候だ。
「犯罪組織の壊滅については、特にイレギュラーなことも無かったみたいだし、この件に関しては、私の方から依頼主に報告しておくわ」
お母様はそう言いながら、昨日エイトが提出した報告書を、一枚めくる。ちなみに、私は報告書を書いていない。以前、書こうとしたら、エイトに散々下手くそだと馬鹿にされたから、それ以降は彼に丸投げだ。だから、何を書いたのかは知らない。今回の依頼主は確か、犯罪組織によって家族を殺されたという数人からであったはずだ。
まぁ、兎にも角にも、今回のように私たち殺し屋は、負の感情を抱えた依頼主からの依頼を受け、悪人であるターゲットを人知れず始末すること、つまりは暗殺を仕事にしてきた。
もちろん、負の感情を抱く誰もが、私達のようなところに依頼するわけではない。しかし、時には、私達のような汚れ仕事を引き受ける人間が必要とされるのだ。
「それよりも、I。エイトに対してナイフを投げつけたというのは、一体どういった経緯でそんなことをしたのかしら?」
「え?」
思わぬ話題に、私は横に立っていたエイトの方に勢いよく顔を向けた。エイトもそれに合わせて、勢いよく私と反対の方向を見る。コイツ、告げ口したな。後で殺す。
「仲間同士の争いは、禁止しているはずだけど。この報告書の内容はどういうことかしら?」
お母様はそう言うと、見ていた報告書を私の方に向ける。そこには、昨日、余計な一言を発したエイトに対して、ナイフをぶん投げたことに関することが書かれていた。いや、そんなところまで書く必要ないだろ。
「誤解です! お母様。これはこの馬鹿がいちいち余計なことを言うから、少しお灸をすえてやろうと思っただけなんです! 決して、殺そうとしたわけではありません」
「いや、別に俺は事実を言っただけ……」
必死に誤解を解こうとする私の横で、エイトはまた何か余計な一言を言おうとしていた。私はすかさず彼の足を思いきり踏み付け黙らせる。横目で見ると、いつものへらへら笑った表情こそ崩れてはいないが、痛みを必死にこらえているのか、彼の口の端はぴくぴくと動いていた。自業自得だ。
「I。私は何度も教えたはずよ。『仲間を信じ、悪を疑え』と」
「はい……」
この言葉は、昔から我が家で伝えられてきたもので、いわば家訓だ。私達一族は、みんなこの言葉を聞きながら育つ。だから、耳にたこができるほど聞いている。
「今の時代、誰もが互いを疑い合って暮らしている。でも、そんな時こそ、仲間を信じ助け合う必要があるわ」
お母様はそう言いながら書類を机に置くと、鋭い眼光でこちらを見つめた。
「この仕事は特にそうだけど、今のご時世、仲間の裏切りや疑い合いは命取りになりかねない。もちろん……」
その瞬間、お母様は机の上にあったボールペンを、目にもとまらぬ速さで私に向かって投げ飛ばした。私は何とかそれを間一髪で避けた。ボールペンは後ろの扉に突き刺さる。
「裏切者には粛清あるのみだけど」
長い前髪から覗く眼差しは、まさにターゲットを始末する時の殺し屋の眼だった。凍てつく視線のせいか、部屋の中にも凍り付いたかのような緊張感が漂う。背筋に冷たいものが走った。
「こんな時代だからこそ、仲間は大切にしなさい。いいわね」
「……はい、すみません」
やっぱり、お母様にはかなわない。どれだけ強気でいたとしても、その鋭い眼を見れば、たとえターゲットでなくても、委縮してしまうだろう。
お母様は一瞬の間の後、少しため息をつきながら、エイトの方をちらりと見る。
「まあ、大方、彼も彼で何か余計なことを言ったんでしょうけど」
「あれ、俺、奥様に疑われてる?」
しかし、エイトの声は届かなかったのか、お母様はその言葉に気にする様子もなく、今回の報告書の束を机の引き出しの中にしまい、代わりに別の書類の束を取り出した。
「とりあえず、この話はおしまいよ。早速だけど、あなたたちには次の依頼に取り掛かってもらうわ」
つい昨日、依頼を一つ終わらせたばかりなのに、まさかこんなすぐ新たな依頼が来るとは……。
年々犯罪が増加しているからか、悪の粛清を求める人たちも増加傾向にあり、我が家の仕事も、近年、増加傾向にあった。世も末だな。
「次の依頼だけど、おそらく長期に渡っての潜入任務になると思うわ」
「長期ですか!?」
その言葉に私は、思わず身を乗り出して反応してしまった。
長期とは珍しい。少なくとも私の場合は、昨日のように単発か、長くても三日ほどで終わるものが多かったからだ。
ただ、私が身を乗り出した理由はそれだけではない。単純に、私にとっては初めての長期任務になるからだ。
長期任務は数こそ少ないが、比較的難易度が高い。潜入などが加わってくることによって、暗殺のスキルだけではなく、演技力や忍耐力、その他さまざまな能力が必要とされるからだ。
……そう、それはつまり、私の能力が優れているから、この依頼の担当に抜擢されたということだ! さすが私。やっぱりプロだった。あ、いけないいけない。私はプロなんだから、これくらいでそんな跳ね上がっていたら恥ずかしいわよ、ユイ。
とは思いつつも、身体は正直で、何とかポーカーフェイスを貫こうにも、口の端はニヤケそうになる。私は、自分の顔を引き締めるために、軽く頬をひっぱたいた。何となく横からは、冷ややかな視線が向けられている気がするが、まぁ、それは気にしないでおこう。
「そ、それにしても珍しいですね! こういう長期の潜入任務って言うと、たいていお兄様が担当することが多いのに」
「そうね。本当はそうしようと思っていたけど、今ちょうど別の長期任務に行ってもらっているからいないのよ。まぁでも、そろそろIにもこういった任務をやってもらいたいと思っていたから、ちょうど良かったわ」
あ、なるほどねー。私は、シノブお兄様の代打ってことか。要は、偶然長期任務が重なって人手不足だから、私まで回ってきたって言うことね。はいはい納得。……はぁ。
明らかに私のテンションが下がっていることに気付いたのか、エイトがまるで慰めるかのように私の肩に手を乗せ、こちらに憐みの目を向けてきた。やめろ。そんな目で私を見るんじゃない。悲しくなるだろが。
でも、確かに今回はお兄様の代打かもしれないけど、一応少しは期待してもらえているのかもしれない。そう思うと、なんだか少し嬉しくなった。
「それで、どこに潜入するんですか?」
話の進まない私にしびれを切らしたのか、今度はエイトがお母様に尋ねた。
「あなたたちには、ある高校に潜入してもらいたいの」
「高校…ですか? つまり、今回のターゲットは、教師ということですか?」
あまり聞きなれない潜入先に、私もつい聞き返した。
「いいえ、女子高生よ」
「「女子高生!?」」
さらに、ターゲットとしては聞きなれないワードに、私とエイトの驚く声が重なった。
いや、本当に世も末だな。ついには女子高生まで、誰かに恨まれるほどの悪事を働くようになったということか。
「奥様、ターゲットが女子高生なら、わざわざ学校に潜入せずとも、部屋の中に侵入するなり、登下校時に攫うなりすれば、始末なんて簡単だと思われるのですが」
確かに、エイトの言うとおりだ。女子高生の始末なんて、昨日の犯罪組織の壊滅より簡単な仕事だろう。
「普通の女子高生ならね。でも残念だけど、この少女は、そのあたりの女子高生とは違うのよ」
そう言うと、お母様はさっき机の中から出した書類をこちらに向けた。それをエイトが手にとり、私も横からのぞく。今回のターゲットに関する資料のようだった。
「朝比奈カリン。17歳。神代学院高校2年生……」
「もしかして、“あの”朝比奈家か?」
「……誰?」
私の疑問に対して、エイトは「嘘だろ!?」とでも言うかのように、驚いた顔でこちらを見てきた。無知で悪かったわね!
とりあえず、端的に言うと、今回のターゲットは、お金持ちのお嬢様らしい。彼からの説明を聞いた感じだと、朝比奈家とは技術産業で名を馳せている一族として有名なんだとか。そのせいで秘匿されている情報も多いのか、今回はターゲットに関する情報がいつも以上に少なく、資料も紙ぺらたった一枚に収まってしまうほどだった。ターゲットの写真すら無い。
「おそらく、エイトの考えている通りね。以前、朝比奈家に関する調査を行った時、家族構成員の中にターゲットと同じ名前が含まれていた記憶があるわ。ただ、詳しい情報は分からず、朝比奈家どころかターゲットに関する情報も少ない。そして、これ以上、外部からは情報を得られそうにない。でも、朝比奈家が資産家である以上、自宅を含め、ターゲット周辺のセキュリティは相当厳重なものになっている可能性が高いわ。そうなると、彼女に手を出せるのは、比較的セキュリティが低い学校くらいになるのよ」
いやまぁ、実際には今の時代、学校もそれなりにセキュリティは整っているはずだと思うけど、おそらく朝比奈家の警備の方が厳重ということなのだろう。さすがお金持ち。
「ターゲットの通う高校に転校生として潜入し、ターゲットを探し出して継続的に見張りつつ、隙ができた際に始末する。それが今回のあなたたちの任務よ」
確かに、いくら多少は警備がゆるくなるとは言え、学校という人の多い場ですぐさま任務を完了させるのは難しいだろう。そう考えると、これまでの任務と比べて、比較的長期に渡る任務になると言えるのかもしれない。
「あと、ついでに可能な限り、エイトはIのサポートをしつつ、朝比奈家や神代学院高校に関する情報も集めておいてちょうだい。朝比奈家をはじめ、あの高校の出身者には影響力のある人間やその関係者も多いわ。その子女も多く在籍しているから、持っていて損な情報は無いはずよ」
「はい。奥様」
エイトは、殺し屋の仕事におけるいわばバディであり、私達は常に二人で依頼をこなしている。まぁ、部下のような協力者もいなくはないけど。主に、私がターゲットの始末を担当し、彼が情報収集や戦闘サポートといった後方の支援を担当している。
それにしても、何となくエイトの方がお母様に信頼されている気がする……。任される仕事も多いし。ずるい。
……あ、そうよね。いくらなんでも、長期任務でいろんな情報を集めながら、私のサポートをするのって大変なんじゃない? うんうん、きっと大変よね。
それに、今回に関しては、いくら潜入任務と言っても、ターゲットは女子高生たった一人だし、強くて優秀な私なら、きっと一人でも仕事をこなせるんじゃない?
「お母様。今回はターゲットの情報が少ない上、他の情報収集もする必要がある中、さらに私のサポートもするというのは、いささか彼の負担が大きすぎではないでしょうか?」
「いや、別に俺は……」
「それに、今回のターゲットは、たかが高校生一人です。サポートが無くても問題ありません。だから、潜入とターゲットの始末は私一人でやります。彼にはそれ以外の外部からできる仕事や情報収集に集中してもらえばいいのではないでしょうか?」
彼の言葉を遮りながら、私は意気揚々とお母様に提案した。
これも全て、お母様に信頼してもらうため……じゃなかった。エイトの負担を減らすためである。そう、彼のためである。決して、彼に嫉妬しているわけではない。
「駄目よ」
はい、即答。いや、分かってはいたけど、特に検討することもなく却下されるとは。
「昔から、18歳になるまでは必ず二人一組で仕事に当たるというしきたりなのは、あなたも分かっているはずよ。それに、外部からよりも多くの情報を得られる可能性が高い。だから、学内に潜入できるこの機会を利用しない手は無いわ」
出たな、家の謎ルール。何故か18歳になるまでは、二人一組で仕事をしないといけないのだ。本当に謎。だけど、お母様の言うことも一理あるから、何も言い返せない。
しかし、そんな私の不満を察してか、お母様は私にある提案をした。
「でもそうね。今回の任務がうまく終われば、早めに独り立ちを考えてもいいわよ」
「え、それってつまり……」
「あなただけのコードネームをあげるわ」
「本当ですか!」
嬉しさのあまり、つい声が大きくなる。
「だから、早く任務を終わらせてきなさい。依頼主も、なるべく早く終わることを望んでいそうだし、他の仕事もあるんだから」
「はい! 私、めちゃくちゃ頑張ります!」
「……本当にこいつは、単純だな」
そんなエイトの呆れた声が聞こえてきた気がするけど、まぁきっと気のせいだろう。
報告が終わった私達は、お母様に一礼し、入った時と同じように、落ち着いた様子で静かに部屋から退出した。しかし、扉を閉めた瞬間、思わず表情筋がゆるむ。私の心の中では、ボルテージが爆上がりだった。
「コードネーム……。あぁ、なんて甘美な響き!」
そう、私はコードネームのことで頭がいっぱいなのだ。嬉しさのあまり、その場で軽いターンをするほどだ。
「いや、浮かれすぎだろ。たかがコードネームで」
「当たり前でしょ! コードネームがもらえるのは、一人前の証なんだから! それに、一人でいろんな依頼を受けられるようになれば、アンタの余計な一言にいちいちイライラしなくて済むし!」
「あーはいはい」
私の勢いに押されたエイトは、のけぞりながらうるさそうに耳をふさぐ。
私の家では、18歳になると殺し屋として独り立ちができ、単独でも依頼を担当できるようになる。その時に、自分用のコードネームが与えられるのだ。ちなみに、私とエイトが今使っているコードネームは、代々受け継がれてきたいわば見習い用のものである。だから、個人のコードネームがもらえるということは、一人前として認められたということになるのだ。あと、純粋にかっこよくない?
「まぁ、浮かれすぎて、任務に支障きたさなければいいけど。そんなことよりも、久しぶりの学校だぜ? なんか楽しみとかそういうの無いのか?」
「別に。そもそもこれは仕事であって、青春を楽しむために行くわけではないもの。私の青春は、昼のポテチと夜の仕事なんだから」
そう言えば、まだ残ってるじゃん、ポテチ。早く食べきらないと湿気ってしまう。そう思いながら、リビングの方へ歩を進めた。
「まぁ、そんな昼間の青春も、残念ながらしばらくおあずけかもしれないけどな」
「え、なんでよ」
「いやだって、高校生はちゃんと毎朝起きて、勉強して、お昼ご飯食べてって、規則正しい生活してるだろ! まぁさすがに、ずっと昼起きポテチ生活も体に悪そうだし、お前の生活改善にはちょうど良いんじゃね?」
「ハッ……」
そうか、朝から起きないといけないのか。つまり、しばらくこの自堕落……じゃなかった、睡眠時間を十分に確保する生活とはお別れしないといけないってこと? マジか。
衝撃の事実に思わず足を止めた私の元に、後ろを歩いていたマコトが追い付く。彼は私の横に立つと、ニヤニヤしながら私の肩に手を置く。
「お前、起きれなそうだな」
その揶揄うような表情にムカついた私は、彼の手を払いのける。
「お、起きれるわよ。私は殺しのプロよ!」
「いや、そこにプロとか関係ないだろ。そもそも、まだ見習いだし……」
「あ」
「ん?」
「そういえば、アンタのこと殺そうと思ってたんだった」
私は、満面の笑みで彼を見つめた。
「ヤベッ……」
余計なことを言ってしまったと思ったのか、彼は焦った表情で視線をそらす。
「しかも、2回」
「なんか増えてね!?」
まぁ、1回分はついさっき思ったからな。
マコトは再びこちらを向くと、一瞬だけ私と目を合わせてニコッと笑い、その後、一目散に廊下を走って逃げていった。
「ちょっ、待ちなさい!」
そんな彼の後を、私も全速力で追いかけた。
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