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2.久しぶりの学校
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「ね、眠い……」
依頼内容を聞いてから1週間。ついに今日から高校の潜入任務ということもあって、私は立派なことに、朝7時という非常に早い時間に起床した。濃紺のブレザーと、似たような色のチェック柄のスカートといった真新しい制服を身につけ、いつも通りに長い黒髪を一つに結わえる。ある程度の身支度を整えた私は、寝ぼけながらもなんとかリビングまで降りてきたところだった。
部屋の扉を開けると、美味しそうな匂いと共に、今の私とは正反対でいつも通りの明るい陽気な声が聞こえた。
「お、ようやく起きたのか! 朝ごはんできてるぞ~」
朝ごはんの準備を終えたマコトは、私が来るのを待つ間に洗い物でもしていたのか、エプロンを外しながらキッチンから出てきた。
ダイニングテーブルを見ると、温かい湯気が立ち昇るおいしそうな朝ごはんが並べられていた。朝ごはんとか、いつぶりだろう。
まだ寝ぼけている目をこすりながら、私はふらふらと食卓についた。
「それじゃあ! 今日からの長期任務、がんばるぞ!ってことで、いただきます!」
「はいはい、いただきまーす」
いや、マジでコイツ朝から元気だな。そんなことを考えながら、みそ汁をすする。久々の朝ごはんは、まだ眠気が覚めない私の身体にすこぶる染みた。
「どうどう? おいしい?」
「うんうん、おいしいおいしい」
好きな人に手料理を食べてもらっている時の女の子のように、頬杖を突きながら可愛らしい笑顔でこちらを見つめるマコトに対し、私はそっけない態度で返答した。
あぁでも、美味しいのは本当だ。この朝食もそうだが、コイツは何気に料理の腕がいいのだ。可愛らしい顔も相まって、おそらく、将来は良い嫁になれるだろう。
「だろだろ~! お前が久々にまともな朝ごはんを食べるからな! 腕によりをかけて作ったんだぞ~」
私の塩対応に対し、彼は自信満々な様子で答えた。
「まぁ、私をサポートするのが、あんたの役目だからね」
「いや、そこはありがとうの一言があっても良くない?」
一応マコトは、基本的に私たち殺し屋をサポートする立場にある。だから、情報収集から料理まで、様々なサポートスキルを身につけているのだ。まぁ、コイツの場合、料理の技術はずば抜けている気もするが。
「それにしても、こうやって誰かと食事をするなんて久しぶりだな~。やっぱり、誰かと一緒に食事をした方が楽しいよな。話し相手もいて!」
私自身も、誰かと一緒の食事というのは、本当に久しぶりだった。昼に起きていたからというのもあるが、たいてい両親も兄も仕事が忙しく、そろわないことの方が多かった。今だって、コイツと二人きりの食事である。
「あ、そうだ! 忘れる前に、これ渡しとくな」
マコトは箸を置くと、足元に置いてあった学生鞄の中から、一冊の小さな藍色の手帳を取り出した。そこには、“白川マイ”という知らない人の名前が書かれていた。
「なにこれ? 学生証? このマイって誰?」
「お前の学校での名前」
「え、偽名なの?」
「当たり前だろ! 本名で行って、もし任務に失敗したらどうするんだよ! 俺たちの情報が外部に漏れるだろ」
「私、プロだもん」
「はいはい、それは分かったって! でも、プロだって時には失敗することもあるだろ? 万が一の保険ってことだよ!」
「ふーん」
何となくうまく丸め込まれているような気もしなくはないが、まぁマコトの言うことも一理あるか。
「ちなみに、俺は学校では“ヒナタ”って名前で通すから、よろしく! ま、普段は赤の他人だけどな」
そう言いながら、彼は自分の学生証を私に見せた。
「……ん? あんた、私とクラス違うの?」
彼の学生証には、2年1組というクラスが書かれていた。一方で私の学生証は、2年2組と記されている。
「そうだけど」
「私のサポート役なのに?」
「さすがに、同日に転校生二人を一クラスに詰めるのは無理だったんじゃないか?」
彼は、どうでもよさそうに言うと、残りのご飯を食べはじめた。
「何かトラブルがあったらどうすんのよ?」
「お前はプロなんだろ? だったら、一人でもできるんじゃね~?」
ニヤニヤと笑いながらこちらを見つめる彼の様子から、明らかに揶揄われていることが分かった。
コイツ、こういうところだけ都合がいい。この間の件、まだ根に持ってんの? ちなみに、この間、私のことを散々見習いだと馬鹿にしてきたコイツは、ナイフのダーツの的にしてやった。もちろん当ててはいないが、壁に穴を開けまくったことで、後からお母様に呼び出されて怒られた。しかも、今度は私がダーツの的にされた。あの時のお母様の目は、マジで怖かった。
「まぁ、いざという時は、呼んでくれればすぐに駆け付けてやるさ! それよりも、俺は先に出るからな。早く食べないと遅刻するぞ~」
そう言いながら、彼は空いた食器を片付けにキッチンへ向かった。
「分かってるわよ」
ようやく少し眠気が覚めてきた私は、朝食の残りをかきこんだ。さすがに、初日から遅刻だなんてごめんだ。下手したら、悪目立ちしてターゲットを殺りにくくなってしまうかもしれない。
「あ、そうだ。さっき言おうと思ってたんだけどさ」
リビングから出ようとしていたマコトが、慌てて食器を片付けようとしている私の動きを止めるようにいきなり口を開いた。すると、まるで品定めでもするかのように、まじまじと私のことを見始めた。コイツ、喧嘩売ってんの?
「何? 私、忙しいんだけど」
私は明らかに不機嫌そうな態度を見せたが、彼は特に何も気にする様子もなく、まじまじと見続け、再びゆっくりと口を開いた。
「……お前って、制服のネクタイ、自分で結べるの?」
「さぁ? やったことないから、分からないわ」
そんなことはどうでもいい。それよりも急がないと遅刻だ。
そう思いながら、適当に答えてその場をやり過ごし、私はキッチンに食器を置きに行った。
「……やっぱり、こいつに一人でやらせるのは不安かも」
後に、彼があきれ顔でそのように小さく囁いたことを、私は知らない。
「――はーい、皆さん。おはようございます。早く席についてくださいねー。今日はなんと、このクラスに転校生が来ましたよ~」
そうこうしているうちに、いつの間にか、久しぶりの学校生活が始まっていた。
あの後私は、ネクタイを結ぶのに苦戦しながらも、インターネットという素晴らしいツールを駆使し、どうにか結ぶことが出来た。さすが私だ。まぁ、電車は乗り遅れたけど。おかげで、事前に校舎を見て回ることが出来なくなってしまった。このことを聞いたらマコトは……いや、今は仕事中だから、本名はよそう。きっとエイトは、また私を見習いと馬鹿にしてくるに違いないので、内緒にしておく。
ちなみに、私と彼は、一応学校では他人同士という設定にしておく予定なので、登下校はバラバラだ。おかげで、一人冷静に作戦を振り返る時間ができた。
今回の作戦はこうだ。まず、姿形も分からないターゲットがどの人物で、どこにいるのかを調査する。もちろん、あくまで自然にだ。判明後も、すぐにターゲットには近づかず、まずは彼女のクラスメイトや友達のような関係者に近づいて外堀から埋めていく。そして、あくまで自然の成り行きという形でターゲットに近づき、徐々に親密度を上げていって、二人きりになったところで殺す。以上だ。
どう? 完璧な作戦じゃない? まぁ、今どきの人はみんな警戒心が強いから、二人きりになれるほど親密度を上げるには時間がかかるかもしれないけど。そこは気長に待つしかないわね。
この作戦でまず気を付けるべきことは、何と言っても最初の印象だ。ここで変なことをすれば、下手するとクラスメイト全員に引かれて、任務の遂行に支障をきたす可能性もある。最悪の場合、不審者だと思われて警察でも呼ばれれば、それこそ終わりだ。
「じゃあ、転校生の方~。入っていいですよ~」
朝から気だるそうな先生の合図の下、私は少しの緊張感と共に、ゆっくりと教室の中へ入る。
まぁ、さすがに警察は無いとしても、第一印象は重要だ。だけど、下手に元気キャラやお淑やかな令嬢キャラを演じても、かえって怪しまれるだけだろう。そこで私は考えた。
「――白川マイです。よろしくお願いします」
ごく普通の、地味な一般生徒が一番だと。
私は、少しの微笑みと緊張した雰囲気を伴わせながら、いかにも普通な女の子らしく挨拶をした。
「は~い。それじゃあ、白川さんは窓際の一番後ろの席が空いてるので、そこを使ってくださいね」
「はい! ありがとうございます」
教室には30人ほどの私と同世代の男女が一堂に会していた。久しぶりの学校だからか、同じ年齢の人たちが一か所にこんなにたくさんいるというのは、何となく不思議な光景だ。
突然の転校生の登場に、クラス内はそこそこの盛り上がりを見せていた。多くの生徒は周りの人たちとお喋りしながら、自分の席へと向かう私のことを興味深そうにしげしげと見ていた。
仕事だとこんなにじっくりと注目されることがほとんど無いから、不覚にもちょっとだけ緊張している。
衆目を集めながら、私はなるべく周りを見ずに、自分の席についた。
「じゃあ、みなさん。白川さんと仲良くしてくださいねー。それでは、ホームルームを終わります」
先生はそう言いながら、教室を後にした。
先生が去った教室は、突然の転校生の登場に大いに盛り上がり、私は多くの人に声をかけられた! ……とでもなると思った? 残念ながら、実際にはそれほどまで盛り上がっていない。確かに、多少興味深そうにこちらをチラチラと見る人もいるが、多くの人が何事もなかったかのように席を立ち、私に話しかけようとする者は誰もいなかった。
私に興味が無いから? 否、警戒しているのだ。
まぁ、無理もない。ただでさえ、年々治安が悪化している状況の中、こんな金持ちやVIPの多い高校に突如、転校生なんてものが現れれば、誰だって多少なりとは警戒するだろう。
え? 寂しいかって? まさか! 私がここにいるのは、あくまでターゲットを始末するためだ。馴れ合いに来たわけじゃない。友達とか心底どうでもいい。
とりあえず、まずは作戦通りにターゲットを探しつつ、周囲の警戒心を解くことから始めるとするか。
そう思った矢先だった。
「ねぇねぇっ! 私、朝比奈カリンって言うの!」
突如、聞き覚えのある名前と共に、無邪気で明るい少女の声が飛び込んできた。
突然の声に驚いた私は、声がした方に勢いよく顔を向けた。いつからいたのか、私の机のすぐ横には一人の少女が立っていた。満面の笑みを浮かべるその少女は、17歳にしてはやや幼い顔立ちをしており、その元気で可愛らしい様子からは、これまで見てきた悪人たちにあったような邪気は一切感じられなかった。
しかし、間違いない。ターゲットだ。
写真こそないものの、肩より上の栗色の髪の毛と右目の泣きぼくろは、事前資料に記載されていたターゲットの特徴と合致している。一瞬、同姓同名の他人かとも考えたが、さすがに特徴まで一致している人は、そうそういないだろう。
あまりに突然の登場に、私は思わず少し身構える。しかし、彼女は私の警戒心に気付いていないのか、特に気にする様子もなく話を続けた。
「えーっと、白川マイさんって言うのね! これからよろしく!」
そう言うと、彼女は握手を求めて手を差し伸べてきた。
……これは罠か何かなの?
まさか、ターゲットの方から近づいてくるなんて……。もちろん、願ったり叶ったりではあるけど、いささか早すぎないか? 私が殺し屋なのがバレた? いや、それならむしろ警戒するはず……。
突拍子もない彼女の行動に、私は頭を悩ませた。
私が彼女の顔をじっと見ると、彼女は少し首をかしげた。ハーフアップにしたゆるふわ天然パーマが、可愛らしく揺れる。その表情からは、全くもって真意が読み取れない。
……もしかして、試されてる? ここで、彼女の手を握るかによって、今後の彼女の警戒度が変わるのかもしれない。
「……うん。よろしくね、朝比奈さん!」
だったら、このチャンス、逃すわけにはいかない。
私は立ち上がり、意を決して、彼女の手を握った。これで、少しでも警戒心を解けるか?
その時だった。
突如、彼女は握った私の手を強く引いて、自分の元に私を引き寄せる。予想外の行動に、私は反応が遅れた。懐に入られてしまった。
マズいっ……殺られる!
しかし、ここでさらに予想外なことが起きた。彼女は私の手を引くと、そのまま私を抱き寄せたのだ! あまりに想像の斜め上をいく展開で、私の頭は混乱していた。
「……えっと、朝比奈さん。一体、何をしているのかな?」
「もちろん! お近づきのハグ!」
お近づきのハグって何!? 普通、初対面の人にハグなんてしないでしょ! 警戒心皆無なの?
しかし、彼女は私の混乱している様子を特に気にすることもなく、勢いよく私を引き剥がすと、次から次へと話を進めていった。
「あ、カリンって呼んでいいよ! 私も白川さんのこと、マイちゃんって呼んでいいかな?」
「え、うん」
「そう言えば、マイちゃんってどこに住んでるの? おうちはここから遠い? 何でこの学校を選んだの? あ、誕生日っていつ? 今度お祝いしたいな~! 好きな物とか何かあるかな? あ、趣味とかって何かある? そうだ! 連絡先交換しようよ! あ、あとあと!」
突如始まるマシンガントークに、私の思考はついに停止した。あまりに怒涛の勢いで、止める隙すらない。しかも、彼女は徐々に身を乗り出してきて、距離は近づくばかりだ。もちろん、私が困惑していることに気付いている様子はなく、むしろ身振り手振りやボディータッチが増加する一方である。周りは誰も彼女のことを止めようとはせず、むしろ「またか……」といった感じの反応だ。
……え、何この子。めっちゃウザい。
依頼内容を聞いてから1週間。ついに今日から高校の潜入任務ということもあって、私は立派なことに、朝7時という非常に早い時間に起床した。濃紺のブレザーと、似たような色のチェック柄のスカートといった真新しい制服を身につけ、いつも通りに長い黒髪を一つに結わえる。ある程度の身支度を整えた私は、寝ぼけながらもなんとかリビングまで降りてきたところだった。
部屋の扉を開けると、美味しそうな匂いと共に、今の私とは正反対でいつも通りの明るい陽気な声が聞こえた。
「お、ようやく起きたのか! 朝ごはんできてるぞ~」
朝ごはんの準備を終えたマコトは、私が来るのを待つ間に洗い物でもしていたのか、エプロンを外しながらキッチンから出てきた。
ダイニングテーブルを見ると、温かい湯気が立ち昇るおいしそうな朝ごはんが並べられていた。朝ごはんとか、いつぶりだろう。
まだ寝ぼけている目をこすりながら、私はふらふらと食卓についた。
「それじゃあ! 今日からの長期任務、がんばるぞ!ってことで、いただきます!」
「はいはい、いただきまーす」
いや、マジでコイツ朝から元気だな。そんなことを考えながら、みそ汁をすする。久々の朝ごはんは、まだ眠気が覚めない私の身体にすこぶる染みた。
「どうどう? おいしい?」
「うんうん、おいしいおいしい」
好きな人に手料理を食べてもらっている時の女の子のように、頬杖を突きながら可愛らしい笑顔でこちらを見つめるマコトに対し、私はそっけない態度で返答した。
あぁでも、美味しいのは本当だ。この朝食もそうだが、コイツは何気に料理の腕がいいのだ。可愛らしい顔も相まって、おそらく、将来は良い嫁になれるだろう。
「だろだろ~! お前が久々にまともな朝ごはんを食べるからな! 腕によりをかけて作ったんだぞ~」
私の塩対応に対し、彼は自信満々な様子で答えた。
「まぁ、私をサポートするのが、あんたの役目だからね」
「いや、そこはありがとうの一言があっても良くない?」
一応マコトは、基本的に私たち殺し屋をサポートする立場にある。だから、情報収集から料理まで、様々なサポートスキルを身につけているのだ。まぁ、コイツの場合、料理の技術はずば抜けている気もするが。
「それにしても、こうやって誰かと食事をするなんて久しぶりだな~。やっぱり、誰かと一緒に食事をした方が楽しいよな。話し相手もいて!」
私自身も、誰かと一緒の食事というのは、本当に久しぶりだった。昼に起きていたからというのもあるが、たいてい両親も兄も仕事が忙しく、そろわないことの方が多かった。今だって、コイツと二人きりの食事である。
「あ、そうだ! 忘れる前に、これ渡しとくな」
マコトは箸を置くと、足元に置いてあった学生鞄の中から、一冊の小さな藍色の手帳を取り出した。そこには、“白川マイ”という知らない人の名前が書かれていた。
「なにこれ? 学生証? このマイって誰?」
「お前の学校での名前」
「え、偽名なの?」
「当たり前だろ! 本名で行って、もし任務に失敗したらどうするんだよ! 俺たちの情報が外部に漏れるだろ」
「私、プロだもん」
「はいはい、それは分かったって! でも、プロだって時には失敗することもあるだろ? 万が一の保険ってことだよ!」
「ふーん」
何となくうまく丸め込まれているような気もしなくはないが、まぁマコトの言うことも一理あるか。
「ちなみに、俺は学校では“ヒナタ”って名前で通すから、よろしく! ま、普段は赤の他人だけどな」
そう言いながら、彼は自分の学生証を私に見せた。
「……ん? あんた、私とクラス違うの?」
彼の学生証には、2年1組というクラスが書かれていた。一方で私の学生証は、2年2組と記されている。
「そうだけど」
「私のサポート役なのに?」
「さすがに、同日に転校生二人を一クラスに詰めるのは無理だったんじゃないか?」
彼は、どうでもよさそうに言うと、残りのご飯を食べはじめた。
「何かトラブルがあったらどうすんのよ?」
「お前はプロなんだろ? だったら、一人でもできるんじゃね~?」
ニヤニヤと笑いながらこちらを見つめる彼の様子から、明らかに揶揄われていることが分かった。
コイツ、こういうところだけ都合がいい。この間の件、まだ根に持ってんの? ちなみに、この間、私のことを散々見習いだと馬鹿にしてきたコイツは、ナイフのダーツの的にしてやった。もちろん当ててはいないが、壁に穴を開けまくったことで、後からお母様に呼び出されて怒られた。しかも、今度は私がダーツの的にされた。あの時のお母様の目は、マジで怖かった。
「まぁ、いざという時は、呼んでくれればすぐに駆け付けてやるさ! それよりも、俺は先に出るからな。早く食べないと遅刻するぞ~」
そう言いながら、彼は空いた食器を片付けにキッチンへ向かった。
「分かってるわよ」
ようやく少し眠気が覚めてきた私は、朝食の残りをかきこんだ。さすがに、初日から遅刻だなんてごめんだ。下手したら、悪目立ちしてターゲットを殺りにくくなってしまうかもしれない。
「あ、そうだ。さっき言おうと思ってたんだけどさ」
リビングから出ようとしていたマコトが、慌てて食器を片付けようとしている私の動きを止めるようにいきなり口を開いた。すると、まるで品定めでもするかのように、まじまじと私のことを見始めた。コイツ、喧嘩売ってんの?
「何? 私、忙しいんだけど」
私は明らかに不機嫌そうな態度を見せたが、彼は特に何も気にする様子もなく、まじまじと見続け、再びゆっくりと口を開いた。
「……お前って、制服のネクタイ、自分で結べるの?」
「さぁ? やったことないから、分からないわ」
そんなことはどうでもいい。それよりも急がないと遅刻だ。
そう思いながら、適当に答えてその場をやり過ごし、私はキッチンに食器を置きに行った。
「……やっぱり、こいつに一人でやらせるのは不安かも」
後に、彼があきれ顔でそのように小さく囁いたことを、私は知らない。
「――はーい、皆さん。おはようございます。早く席についてくださいねー。今日はなんと、このクラスに転校生が来ましたよ~」
そうこうしているうちに、いつの間にか、久しぶりの学校生活が始まっていた。
あの後私は、ネクタイを結ぶのに苦戦しながらも、インターネットという素晴らしいツールを駆使し、どうにか結ぶことが出来た。さすが私だ。まぁ、電車は乗り遅れたけど。おかげで、事前に校舎を見て回ることが出来なくなってしまった。このことを聞いたらマコトは……いや、今は仕事中だから、本名はよそう。きっとエイトは、また私を見習いと馬鹿にしてくるに違いないので、内緒にしておく。
ちなみに、私と彼は、一応学校では他人同士という設定にしておく予定なので、登下校はバラバラだ。おかげで、一人冷静に作戦を振り返る時間ができた。
今回の作戦はこうだ。まず、姿形も分からないターゲットがどの人物で、どこにいるのかを調査する。もちろん、あくまで自然にだ。判明後も、すぐにターゲットには近づかず、まずは彼女のクラスメイトや友達のような関係者に近づいて外堀から埋めていく。そして、あくまで自然の成り行きという形でターゲットに近づき、徐々に親密度を上げていって、二人きりになったところで殺す。以上だ。
どう? 完璧な作戦じゃない? まぁ、今どきの人はみんな警戒心が強いから、二人きりになれるほど親密度を上げるには時間がかかるかもしれないけど。そこは気長に待つしかないわね。
この作戦でまず気を付けるべきことは、何と言っても最初の印象だ。ここで変なことをすれば、下手するとクラスメイト全員に引かれて、任務の遂行に支障をきたす可能性もある。最悪の場合、不審者だと思われて警察でも呼ばれれば、それこそ終わりだ。
「じゃあ、転校生の方~。入っていいですよ~」
朝から気だるそうな先生の合図の下、私は少しの緊張感と共に、ゆっくりと教室の中へ入る。
まぁ、さすがに警察は無いとしても、第一印象は重要だ。だけど、下手に元気キャラやお淑やかな令嬢キャラを演じても、かえって怪しまれるだけだろう。そこで私は考えた。
「――白川マイです。よろしくお願いします」
ごく普通の、地味な一般生徒が一番だと。
私は、少しの微笑みと緊張した雰囲気を伴わせながら、いかにも普通な女の子らしく挨拶をした。
「は~い。それじゃあ、白川さんは窓際の一番後ろの席が空いてるので、そこを使ってくださいね」
「はい! ありがとうございます」
教室には30人ほどの私と同世代の男女が一堂に会していた。久しぶりの学校だからか、同じ年齢の人たちが一か所にこんなにたくさんいるというのは、何となく不思議な光景だ。
突然の転校生の登場に、クラス内はそこそこの盛り上がりを見せていた。多くの生徒は周りの人たちとお喋りしながら、自分の席へと向かう私のことを興味深そうにしげしげと見ていた。
仕事だとこんなにじっくりと注目されることがほとんど無いから、不覚にもちょっとだけ緊張している。
衆目を集めながら、私はなるべく周りを見ずに、自分の席についた。
「じゃあ、みなさん。白川さんと仲良くしてくださいねー。それでは、ホームルームを終わります」
先生はそう言いながら、教室を後にした。
先生が去った教室は、突然の転校生の登場に大いに盛り上がり、私は多くの人に声をかけられた! ……とでもなると思った? 残念ながら、実際にはそれほどまで盛り上がっていない。確かに、多少興味深そうにこちらをチラチラと見る人もいるが、多くの人が何事もなかったかのように席を立ち、私に話しかけようとする者は誰もいなかった。
私に興味が無いから? 否、警戒しているのだ。
まぁ、無理もない。ただでさえ、年々治安が悪化している状況の中、こんな金持ちやVIPの多い高校に突如、転校生なんてものが現れれば、誰だって多少なりとは警戒するだろう。
え? 寂しいかって? まさか! 私がここにいるのは、あくまでターゲットを始末するためだ。馴れ合いに来たわけじゃない。友達とか心底どうでもいい。
とりあえず、まずは作戦通りにターゲットを探しつつ、周囲の警戒心を解くことから始めるとするか。
そう思った矢先だった。
「ねぇねぇっ! 私、朝比奈カリンって言うの!」
突如、聞き覚えのある名前と共に、無邪気で明るい少女の声が飛び込んできた。
突然の声に驚いた私は、声がした方に勢いよく顔を向けた。いつからいたのか、私の机のすぐ横には一人の少女が立っていた。満面の笑みを浮かべるその少女は、17歳にしてはやや幼い顔立ちをしており、その元気で可愛らしい様子からは、これまで見てきた悪人たちにあったような邪気は一切感じられなかった。
しかし、間違いない。ターゲットだ。
写真こそないものの、肩より上の栗色の髪の毛と右目の泣きぼくろは、事前資料に記載されていたターゲットの特徴と合致している。一瞬、同姓同名の他人かとも考えたが、さすがに特徴まで一致している人は、そうそういないだろう。
あまりに突然の登場に、私は思わず少し身構える。しかし、彼女は私の警戒心に気付いていないのか、特に気にする様子もなく話を続けた。
「えーっと、白川マイさんって言うのね! これからよろしく!」
そう言うと、彼女は握手を求めて手を差し伸べてきた。
……これは罠か何かなの?
まさか、ターゲットの方から近づいてくるなんて……。もちろん、願ったり叶ったりではあるけど、いささか早すぎないか? 私が殺し屋なのがバレた? いや、それならむしろ警戒するはず……。
突拍子もない彼女の行動に、私は頭を悩ませた。
私が彼女の顔をじっと見ると、彼女は少し首をかしげた。ハーフアップにしたゆるふわ天然パーマが、可愛らしく揺れる。その表情からは、全くもって真意が読み取れない。
……もしかして、試されてる? ここで、彼女の手を握るかによって、今後の彼女の警戒度が変わるのかもしれない。
「……うん。よろしくね、朝比奈さん!」
だったら、このチャンス、逃すわけにはいかない。
私は立ち上がり、意を決して、彼女の手を握った。これで、少しでも警戒心を解けるか?
その時だった。
突如、彼女は握った私の手を強く引いて、自分の元に私を引き寄せる。予想外の行動に、私は反応が遅れた。懐に入られてしまった。
マズいっ……殺られる!
しかし、ここでさらに予想外なことが起きた。彼女は私の手を引くと、そのまま私を抱き寄せたのだ! あまりに想像の斜め上をいく展開で、私の頭は混乱していた。
「……えっと、朝比奈さん。一体、何をしているのかな?」
「もちろん! お近づきのハグ!」
お近づきのハグって何!? 普通、初対面の人にハグなんてしないでしょ! 警戒心皆無なの?
しかし、彼女は私の混乱している様子を特に気にすることもなく、勢いよく私を引き剥がすと、次から次へと話を進めていった。
「あ、カリンって呼んでいいよ! 私も白川さんのこと、マイちゃんって呼んでいいかな?」
「え、うん」
「そう言えば、マイちゃんってどこに住んでるの? おうちはここから遠い? 何でこの学校を選んだの? あ、誕生日っていつ? 今度お祝いしたいな~! 好きな物とか何かあるかな? あ、趣味とかって何かある? そうだ! 連絡先交換しようよ! あ、あとあと!」
突如始まるマシンガントークに、私の思考はついに停止した。あまりに怒涛の勢いで、止める隙すらない。しかも、彼女は徐々に身を乗り出してきて、距離は近づくばかりだ。もちろん、私が困惑していることに気付いている様子はなく、むしろ身振り手振りやボディータッチが増加する一方である。周りは誰も彼女のことを止めようとはせず、むしろ「またか……」といった感じの反応だ。
……え、何この子。めっちゃウザい。
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