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第二部
第十章 月、粛々と巡る 其の二
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◆◇◆
昨年の十月十三日、夜も明けないうちからお忍びで池上本門寺の御会式へ出掛ける大姥局に、静は供として付き従った。
大姥局の後ろに控え、辰の刻からの入滅法要に静は初めて身を置く。その荘厳さに心打たれ、静の瞳から知らずと涙が溢れた。連れて来てくれた大姥局に感謝の念を抱きつつ、法要後、本堂出口近くに来ると五重塔が目についた。
そこで利勝に声をかけられたのが、遠い遠い昔のように感ぜられる。
(まだ、一年経ってないのに……)
父や弟に差し入れを持ってきた日を思い出す。
(みんな達者かしら)。
父をはじめ、家族の顔が静の頭に浮かんだ。
「里心がついたか?」
塔を見て立ち止まった静に、大姥局が声をかけた。
「あ、いえ。」
静が大姥局の手を取った。
「気持ちよう働いてくれるゆえ、宿下がりもさせなんだ。すまぬな。」
大姥局は足元を確かめて、静が並べた草履をゆっくりと履く。
「いいえ、旦那様。私は、皆様に可愛がっていただき、毎日が楽しゅうございます。」
草履を履き終わった大姥局に、静は心から朗らかに笑って、女主人を安心させた。
参道脇で待っていた駕籠に大姥局を乗せ、静は付き従って歩く。
寺をあとにしてほどなく、駕籠が小さな路地に入って止まった。不思議に思う静に駕籠の声が呼び掛ける。
「静。」
「はい、旦那様。」
「この先の榮屋を知っておろう。そこで葛餅を買うてまいれ。折りを三つじゃ。」
「三つ…でございますか?」
「そうじゃ。寄るところがあるゆえな。」
大姥局に言われた通り、静は路地先の小さな小さな店に行き、葛餅を求めた。
それを持って駕籠が止まったのは、江戸城北の丸、比丘尼屋敷の前であった。
本丸の天守閣はすぐそこに見えるが、本丸と北の丸の間には堀が巡らされており、静は今まで足を踏み入れたことがない。
(ここも城内なんだ。)
大きな屋敷が立ち並ぶ通りを見て、静は改めて、江戸城の広さと徳川の天下人としての力を実感する。
目の前にあるのも、尼僧が住むには不似合いなほどに厳めしい門であった。その門をくぐり、大姥局が葛餅を差し出したのは、見性院と呼ばれる年嵩の尼である。
大姥局と見性院が話をしている間、静は控えの間にいた。庭の方から、賑やかな鳥の声が聞こえる。
静は立ち上がって庭を見、鳴き声を探してみた。
(あっ、椋の木。実が熟してるのね。よく食べたなぁ。)
大工だった父は、木の性質をよく教えてくれた。食べられる実や薫る葉、そして、どのように使うかなど。
椋の木の葉はざらざらしていて、父の作ってくれたおもちゃをよく磨いた。木がつるつるになっていくのが面白く、父が「おっ、うまいうまい。静は丁寧だな。」と頭を撫でてくれた。
不意に目頭が熱くなる。静は、いつも笑みを浮かべる口許をギュッと噛み締めた。
『女は愛嬌ぞ、静』。
父の言葉を思いだし、静は鰯雲を見上げて、笑顔を作った。
ほどなく大姥局に呼ばれ、静は老女二人の元へと進む。
「庭になにかありましたか?」
静の返事が聞こえた方向から推し量ったのであろうか、上品な内にも、どこかりりしさを感じさせる老尼は、穏やかに微笑んで下女に尋ねた。
「何を見ておったのじゃ?」
大姥局が、静が答えやすいようさりげなく助け船を出す。
「椋の木を見ておりました。鳥が来ておりましたゆえ、実が熟れておるのかと思いまして。」
静は、わずかに緊張しながら、ほんの少し笑みを浮かべ、ゆっくりとあるがままを答えた。
「ほう、そなたは食べたことがあるのか?」
見性院が、興味深そうに訊く。
「はい。私は大工の娘ですゆえ、父にいろいろ教わりました。あの葉で木を磨く手伝いもいたしましたので、懐かしゅうございました。」
「さようか。」
見性院は感心な子供を誉めるように、にこやかに頷いた。
「では、庭には食べられる実をつける木を多く植えてあるのが分かったでしょう。私も父の教えでそうしているのですよ。」
ふんわりと寂しげに微笑みながら尼僧は庭を見つめ、大姥局も同じような顔で同じ方向を見つめた。
「お陰さまで食べる楽しみ、差し上げる楽しみだけでなく、小鳥やリスなどにも慰められています。」
ジョウビタキであろうか、甲高い「ヒーュヒー」というさえずりに、老尼は慈母観音のような優しい笑みを浮かべる。
静の緊張を解きほぐすような、そんな柔らかな微笑みであった。
「そなたは板橋の出だと大姥殿に聞きましたが、神尾栄嘉という者を知っていますか? お久という娘がよい字を書くのじゃが。」
見性院の言葉を聞くや、静がこれ以上はないほどの満面の笑みを見せた。
「よく存じております。ときどき私たちに読み書きを教えてくださいました。お久様もお嫁に行くまで、よく手習いを見てくださいました。」
勢い込んで言う静を見て、見性院と大姥局が目だけを合わせ、微かに微笑んだ。
「そういえば、そのお久に書いてもろうた。大姥殿、こちらが頼まれていたものじゃ。」
濃い紫色の風呂敷の中から見性院は冊子を取り出した。大姥局が恭しく礼をする。
「ありがとうござりまする。」
大姥局は冊子を手に取ると、静の方へ体を向けて差し出した。
「これはそなたのものじゃ。」
「私の?」
静が手に取った表紙には『をぐら百にん一しゅしゅう』とある。怪訝そうな静の顔が、みるみる嬉しそうにほころんだ。
「正月には歌留多取りをするゆえ、そなたもそろそろ覚えるがよいと思うての。」
「ありがとうございまする! お藤さまに見せていただいたのより、読みやすうございます。」
以前、先輩侍女の藤に百人一首集を見せてもらったが、崩しが多く、静はすらすら読めなかった。
「人懐っこい字でありましょう? 昭乗というまだ若い僧の手跡が元じゃ。読みやすいゆえ、浪人の子女たちに真似てもろうて、歌留多などを作ってもろうておるのです。少しでも暮らしの足しになればよいのですが……」
おっとりした尼の語り口だったが、中にピンと一本まっすぐに何か入っていた。
「さようですね。手習いの教本としてもよいやも知れません。静も真似て書くがよい。」
「和歌は、今も昔も人の心は変わらないというのを教えてくれます。よく楽しみなされ。」
大姥局と見性院に立て続けに言われ、静は夢見心地で「はい。」と頷いていた。
こうして、去年の秋、百人一首集が自分の手元に来てから、静は、暇があれば飽きもせず読み、そして日に三首ほど書き成して日々を過ごした。
*******
【昭乗】 後の松花堂昭乗。真言宗の僧、文化人。のちに幕府で書を教える人。
昨年の十月十三日、夜も明けないうちからお忍びで池上本門寺の御会式へ出掛ける大姥局に、静は供として付き従った。
大姥局の後ろに控え、辰の刻からの入滅法要に静は初めて身を置く。その荘厳さに心打たれ、静の瞳から知らずと涙が溢れた。連れて来てくれた大姥局に感謝の念を抱きつつ、法要後、本堂出口近くに来ると五重塔が目についた。
そこで利勝に声をかけられたのが、遠い遠い昔のように感ぜられる。
(まだ、一年経ってないのに……)
父や弟に差し入れを持ってきた日を思い出す。
(みんな達者かしら)。
父をはじめ、家族の顔が静の頭に浮かんだ。
「里心がついたか?」
塔を見て立ち止まった静に、大姥局が声をかけた。
「あ、いえ。」
静が大姥局の手を取った。
「気持ちよう働いてくれるゆえ、宿下がりもさせなんだ。すまぬな。」
大姥局は足元を確かめて、静が並べた草履をゆっくりと履く。
「いいえ、旦那様。私は、皆様に可愛がっていただき、毎日が楽しゅうございます。」
草履を履き終わった大姥局に、静は心から朗らかに笑って、女主人を安心させた。
参道脇で待っていた駕籠に大姥局を乗せ、静は付き従って歩く。
寺をあとにしてほどなく、駕籠が小さな路地に入って止まった。不思議に思う静に駕籠の声が呼び掛ける。
「静。」
「はい、旦那様。」
「この先の榮屋を知っておろう。そこで葛餅を買うてまいれ。折りを三つじゃ。」
「三つ…でございますか?」
「そうじゃ。寄るところがあるゆえな。」
大姥局に言われた通り、静は路地先の小さな小さな店に行き、葛餅を求めた。
それを持って駕籠が止まったのは、江戸城北の丸、比丘尼屋敷の前であった。
本丸の天守閣はすぐそこに見えるが、本丸と北の丸の間には堀が巡らされており、静は今まで足を踏み入れたことがない。
(ここも城内なんだ。)
大きな屋敷が立ち並ぶ通りを見て、静は改めて、江戸城の広さと徳川の天下人としての力を実感する。
目の前にあるのも、尼僧が住むには不似合いなほどに厳めしい門であった。その門をくぐり、大姥局が葛餅を差し出したのは、見性院と呼ばれる年嵩の尼である。
大姥局と見性院が話をしている間、静は控えの間にいた。庭の方から、賑やかな鳥の声が聞こえる。
静は立ち上がって庭を見、鳴き声を探してみた。
(あっ、椋の木。実が熟してるのね。よく食べたなぁ。)
大工だった父は、木の性質をよく教えてくれた。食べられる実や薫る葉、そして、どのように使うかなど。
椋の木の葉はざらざらしていて、父の作ってくれたおもちゃをよく磨いた。木がつるつるになっていくのが面白く、父が「おっ、うまいうまい。静は丁寧だな。」と頭を撫でてくれた。
不意に目頭が熱くなる。静は、いつも笑みを浮かべる口許をギュッと噛み締めた。
『女は愛嬌ぞ、静』。
父の言葉を思いだし、静は鰯雲を見上げて、笑顔を作った。
ほどなく大姥局に呼ばれ、静は老女二人の元へと進む。
「庭になにかありましたか?」
静の返事が聞こえた方向から推し量ったのであろうか、上品な内にも、どこかりりしさを感じさせる老尼は、穏やかに微笑んで下女に尋ねた。
「何を見ておったのじゃ?」
大姥局が、静が答えやすいようさりげなく助け船を出す。
「椋の木を見ておりました。鳥が来ておりましたゆえ、実が熟れておるのかと思いまして。」
静は、わずかに緊張しながら、ほんの少し笑みを浮かべ、ゆっくりとあるがままを答えた。
「ほう、そなたは食べたことがあるのか?」
見性院が、興味深そうに訊く。
「はい。私は大工の娘ですゆえ、父にいろいろ教わりました。あの葉で木を磨く手伝いもいたしましたので、懐かしゅうございました。」
「さようか。」
見性院は感心な子供を誉めるように、にこやかに頷いた。
「では、庭には食べられる実をつける木を多く植えてあるのが分かったでしょう。私も父の教えでそうしているのですよ。」
ふんわりと寂しげに微笑みながら尼僧は庭を見つめ、大姥局も同じような顔で同じ方向を見つめた。
「お陰さまで食べる楽しみ、差し上げる楽しみだけでなく、小鳥やリスなどにも慰められています。」
ジョウビタキであろうか、甲高い「ヒーュヒー」というさえずりに、老尼は慈母観音のような優しい笑みを浮かべる。
静の緊張を解きほぐすような、そんな柔らかな微笑みであった。
「そなたは板橋の出だと大姥殿に聞きましたが、神尾栄嘉という者を知っていますか? お久という娘がよい字を書くのじゃが。」
見性院の言葉を聞くや、静がこれ以上はないほどの満面の笑みを見せた。
「よく存じております。ときどき私たちに読み書きを教えてくださいました。お久様もお嫁に行くまで、よく手習いを見てくださいました。」
勢い込んで言う静を見て、見性院と大姥局が目だけを合わせ、微かに微笑んだ。
「そういえば、そのお久に書いてもろうた。大姥殿、こちらが頼まれていたものじゃ。」
濃い紫色の風呂敷の中から見性院は冊子を取り出した。大姥局が恭しく礼をする。
「ありがとうござりまする。」
大姥局は冊子を手に取ると、静の方へ体を向けて差し出した。
「これはそなたのものじゃ。」
「私の?」
静が手に取った表紙には『をぐら百にん一しゅしゅう』とある。怪訝そうな静の顔が、みるみる嬉しそうにほころんだ。
「正月には歌留多取りをするゆえ、そなたもそろそろ覚えるがよいと思うての。」
「ありがとうございまする! お藤さまに見せていただいたのより、読みやすうございます。」
以前、先輩侍女の藤に百人一首集を見せてもらったが、崩しが多く、静はすらすら読めなかった。
「人懐っこい字でありましょう? 昭乗というまだ若い僧の手跡が元じゃ。読みやすいゆえ、浪人の子女たちに真似てもろうて、歌留多などを作ってもろうておるのです。少しでも暮らしの足しになればよいのですが……」
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大姥局と見性院に立て続けに言われ、静は夢見心地で「はい。」と頷いていた。
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