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第二部
第十章 月、粛々と巡る 其の三
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◆◇◆
正月望日の小正月も過ぎ、将軍家の正月行事も一段落ついた。
大姥局は、自分の部屋に自身の侍女たちを集め、ここまでの働きを労うと共に、恒例の歌留多会を催した。
今年はまだ慣れない静がいるので、読み人は読まず、上の句のみを読む。
落ち葉のように散り置かれた取り札の周りを侍女たちはぐるりと取り囲んでいる。どの顔も真顔で、前屈みになってお尻を突き出している様子は、見ている者におかしみさえ感じさせた。
「取った」「やられた」と賑やかに取り札が減り、静もやっと何枚か取って、場の札はなくなった。
「静は何枚取れたのじゃ?」
一番多く札を取った藤に、褒美の櫛を授けた後で、大姥局が尋ねた。
「八枚です。」
静は恥ずかしそうに、自分の取った札を扇のように拡げる。
「ほう、八枚も取れたか。初めての者は、ようて五枚ほどのことが多いがの。」
大姥局が感心した声を出すと同時に、読み手をした由良が静の取った札を手元に預かり、検分した。
由良は、大姥局にずっと付き従っている五十過ぎの小柄で痩せた侍女である。足が悪く、こまごまとは立ち働けないが、聡明さと字の美しさで、大姥局に影のように仕えている。
秀忠の乳母になった時、すでに五十を過ぎていた大姥局に代わって乳を含ませたのは、この由良であった。
「旦那様、静は賢うございます。」
由良が感心したような笑顔で静を見た。
「静、そなたは『花』が詠まれている和歌を全て取りましたね。」
由良は取り札を一つ一つ見ながら、それぞれの句を諳じていく。
「はい。自分の名前が出てまいりますゆえ。」
由良に見透かされたような気がして、静は気恥ずかしそうに答えた。
「恥ずることはない。みな、自分の名が入っているものから覚えるゆえな。」
由良の言葉に侍女たちが、大きく頷いた。
「『しづ心なく花のちるらむ』。ここから『花』の歌を覚えましたか。それに、この上の句は『春』を含むゆえ、『春』の歌を覚えたのですね。」
「はい。気になる和歌がありましたゆえ。」
「気になる和歌?」
由良だけでなく、皆が一斉に静の方を向いた。
「『君がため春の野にいでて若菜つむ』という御和歌でございます。ちょうどこの間、七草を摘みに行ったら雪が降りました。そんな私たちがすることをお上がお詠みになっておられるのが不可思議で……」
静は、本当に心から不思議そうに少し首を傾げながら語った。
「そう言われれば、そうじゃな。」
ふっくらと太った中年の浅茅が、うんうんと頷いた。
「静は素直じゃのう。お上が菜を摘んでいる人を見て詠んだ和歌だとは思わなんだのか?」
蕗という老侍女が柔らかく笑い、静に訊いた。
「そうなのでございますか?」
驚いたような静に、蕗は「さぁ、どうであろうの。」と、とぼけるように答える。
その様子に皆の笑顔が咲きほころんだ。
「静、真のところはわからぬ。そなたが思うように、主上御自らが菜を摘まれたのやもしれぬし、御覧じていた者をお詠みになられたのやも知れぬ。どちらでもよいのじゃ。ただな、和歌というのは書いてあるままを受けとるだけではなく、裏にある気持ちを読み取るのが楽しいのです。」
由良が歌留多の札を崩しながら、おっとりと教えた。
「裏にある気持ち?」
見性院さまが『今も昔も変わらぬ。』とおっしゃっていたのと、なにかつながりがあるのかしら、と静は思った。
由良の手が止まり、上の句の読み札を一枚、下の句の取り札を一枚並べて、座の中へ置いた。
「大中臣能宣朝臣の詠まれた『みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ』という和歌です。これは、どう読みますか?」
由良が皆に問いかける。
「御所をしっかりお守りするため、衛士は夜に火を燃やして見回りし、昼はその火を消してお守りに励んでいる。」
藤が大きな体を斜めにするように考え込みながら答えた。
「藤、そなたもあまり意味を考えずに句を覚えていますね。」
やさしく苦笑いをした由良に、藤は「ばれたか」というように肩をすくめた。
「藤のいうことも間違いではない。そのような風景が詠まれておるゆえ。しかし、これが想い人への歌だとしたらどうです?」
由良の問いに、場が一斉にざわざわとした。大姥局は、おもしろそうにそれを見つめている。静は、自分でも考えてみるが、その和歌が想い人への歌というのがなかなかピンと来なかった。
「火に己の心を重ねているではありませぬか。」
侍女たちの中でいつも一番おとなしい小夜が、顔を赤らめながらオズオズと口にする。
由良がにっこりと笑った。
「そうです。『衛士が焚く篝火のように、私もあなたに会える夜は恋の炎が燃え上がり、あなたに会えない昼は身も心も消え入るほど切なく辛い恋の物思いをしています』という歌です。『あなたに会いたくてたまらない』という激しい想いが裏に隠されているのです。」
由良の説明に、恥ずかしげに袖で顔を隠す者、ほんのりと顔を赤らめる者、さまざまである。
ただ、静だけがにこにことしていた。隣に座っていた浅茅が静の袖を引っ張り、耳元に口を近づけて小声の早口で囁いた。
「早う閨でお会いして情を交わしたいという歌じゃ。」
静は目を丸くして息を詰めると、口元を押さえ真っ赤になった。
静のその様子に、年嵩の侍女たちの笑い声が一斉に響く。
「ほんに静は素直じゃな。」
大姥局の言葉に、侍女たちはまた一斉に頷いた。
「静、和歌というのは奥深いものでしょう?」
由良がまだどこかおかしそうに静を見ながら、いとおしそうに語りかける。
「はい。またお教えくださりませ。」
静は、そのような表現の仕方があることを初めて知った。それから再び静は、百人一首集に夢中になっている。
由良に教えてもらい、切ない恋の歌が多いのも知った。
「おまえさま……」
恋歌を撫でながら、静はそっと、誰にも聞こえないように呟いてみた。
詠み人の想いが解るだろうかと思ったが、なんとなく理解できるものの、 人をそんなに激しく想う気持ちにまで思いが至らない。
「袖が涙でずっと濡れ」たことはない。
静は、そんな激しい歌を詠んだ人々をどこかで羨ましく思いながら、日々の務めをこなしていった。
[第十章 月、粛々と巡る 了]
*****
【正月望日】一月十五日。この年は西暦で2月20日
正月望日の小正月も過ぎ、将軍家の正月行事も一段落ついた。
大姥局は、自分の部屋に自身の侍女たちを集め、ここまでの働きを労うと共に、恒例の歌留多会を催した。
今年はまだ慣れない静がいるので、読み人は読まず、上の句のみを読む。
落ち葉のように散り置かれた取り札の周りを侍女たちはぐるりと取り囲んでいる。どの顔も真顔で、前屈みになってお尻を突き出している様子は、見ている者におかしみさえ感じさせた。
「取った」「やられた」と賑やかに取り札が減り、静もやっと何枚か取って、場の札はなくなった。
「静は何枚取れたのじゃ?」
一番多く札を取った藤に、褒美の櫛を授けた後で、大姥局が尋ねた。
「八枚です。」
静は恥ずかしそうに、自分の取った札を扇のように拡げる。
「ほう、八枚も取れたか。初めての者は、ようて五枚ほどのことが多いがの。」
大姥局が感心した声を出すと同時に、読み手をした由良が静の取った札を手元に預かり、検分した。
由良は、大姥局にずっと付き従っている五十過ぎの小柄で痩せた侍女である。足が悪く、こまごまとは立ち働けないが、聡明さと字の美しさで、大姥局に影のように仕えている。
秀忠の乳母になった時、すでに五十を過ぎていた大姥局に代わって乳を含ませたのは、この由良であった。
「旦那様、静は賢うございます。」
由良が感心したような笑顔で静を見た。
「静、そなたは『花』が詠まれている和歌を全て取りましたね。」
由良は取り札を一つ一つ見ながら、それぞれの句を諳じていく。
「はい。自分の名前が出てまいりますゆえ。」
由良に見透かされたような気がして、静は気恥ずかしそうに答えた。
「恥ずることはない。みな、自分の名が入っているものから覚えるゆえな。」
由良の言葉に侍女たちが、大きく頷いた。
「『しづ心なく花のちるらむ』。ここから『花』の歌を覚えましたか。それに、この上の句は『春』を含むゆえ、『春』の歌を覚えたのですね。」
「はい。気になる和歌がありましたゆえ。」
「気になる和歌?」
由良だけでなく、皆が一斉に静の方を向いた。
「『君がため春の野にいでて若菜つむ』という御和歌でございます。ちょうどこの間、七草を摘みに行ったら雪が降りました。そんな私たちがすることをお上がお詠みになっておられるのが不可思議で……」
静は、本当に心から不思議そうに少し首を傾げながら語った。
「そう言われれば、そうじゃな。」
ふっくらと太った中年の浅茅が、うんうんと頷いた。
「静は素直じゃのう。お上が菜を摘んでいる人を見て詠んだ和歌だとは思わなんだのか?」
蕗という老侍女が柔らかく笑い、静に訊いた。
「そうなのでございますか?」
驚いたような静に、蕗は「さぁ、どうであろうの。」と、とぼけるように答える。
その様子に皆の笑顔が咲きほころんだ。
「静、真のところはわからぬ。そなたが思うように、主上御自らが菜を摘まれたのやもしれぬし、御覧じていた者をお詠みになられたのやも知れぬ。どちらでもよいのじゃ。ただな、和歌というのは書いてあるままを受けとるだけではなく、裏にある気持ちを読み取るのが楽しいのです。」
由良が歌留多の札を崩しながら、おっとりと教えた。
「裏にある気持ち?」
見性院さまが『今も昔も変わらぬ。』とおっしゃっていたのと、なにかつながりがあるのかしら、と静は思った。
由良の手が止まり、上の句の読み札を一枚、下の句の取り札を一枚並べて、座の中へ置いた。
「大中臣能宣朝臣の詠まれた『みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ』という和歌です。これは、どう読みますか?」
由良が皆に問いかける。
「御所をしっかりお守りするため、衛士は夜に火を燃やして見回りし、昼はその火を消してお守りに励んでいる。」
藤が大きな体を斜めにするように考え込みながら答えた。
「藤、そなたもあまり意味を考えずに句を覚えていますね。」
やさしく苦笑いをした由良に、藤は「ばれたか」というように肩をすくめた。
「藤のいうことも間違いではない。そのような風景が詠まれておるゆえ。しかし、これが想い人への歌だとしたらどうです?」
由良の問いに、場が一斉にざわざわとした。大姥局は、おもしろそうにそれを見つめている。静は、自分でも考えてみるが、その和歌が想い人への歌というのがなかなかピンと来なかった。
「火に己の心を重ねているではありませぬか。」
侍女たちの中でいつも一番おとなしい小夜が、顔を赤らめながらオズオズと口にする。
由良がにっこりと笑った。
「そうです。『衛士が焚く篝火のように、私もあなたに会える夜は恋の炎が燃え上がり、あなたに会えない昼は身も心も消え入るほど切なく辛い恋の物思いをしています』という歌です。『あなたに会いたくてたまらない』という激しい想いが裏に隠されているのです。」
由良の説明に、恥ずかしげに袖で顔を隠す者、ほんのりと顔を赤らめる者、さまざまである。
ただ、静だけがにこにことしていた。隣に座っていた浅茅が静の袖を引っ張り、耳元に口を近づけて小声の早口で囁いた。
「早う閨でお会いして情を交わしたいという歌じゃ。」
静は目を丸くして息を詰めると、口元を押さえ真っ赤になった。
静のその様子に、年嵩の侍女たちの笑い声が一斉に響く。
「ほんに静は素直じゃな。」
大姥局の言葉に、侍女たちはまた一斉に頷いた。
「静、和歌というのは奥深いものでしょう?」
由良がまだどこかおかしそうに静を見ながら、いとおしそうに語りかける。
「はい。またお教えくださりませ。」
静は、そのような表現の仕方があることを初めて知った。それから再び静は、百人一首集に夢中になっている。
由良に教えてもらい、切ない恋の歌が多いのも知った。
「おまえさま……」
恋歌を撫でながら、静はそっと、誰にも聞こえないように呟いてみた。
詠み人の想いが解るだろうかと思ったが、なんとなく理解できるものの、 人をそんなに激しく想う気持ちにまで思いが至らない。
「袖が涙でずっと濡れ」たことはない。
静は、そんな激しい歌を詠んだ人々をどこかで羨ましく思いながら、日々の務めをこなしていった。
[第十章 月、粛々と巡る 了]
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【正月望日】一月十五日。この年は西暦で2月20日
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