【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

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第二部

第十三章 さねかずら伸びる 其の二

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◆◇◆

 翌日、いつにも増して静は機嫌よく働いていた。常に、にこにことしている静なので、「いつもより機嫌がよい」というのは分かりにくいものだが、今日の静は機嫌がよかった。 
 機嫌がよい中で、時々出る小さなアクビをグッと噛み締めては涙をにじませる。 
 その姿が、あまりに愉快でほほえましく、つい大姥局おおばのつぼねが声をかけた。 

「静、なにやら楽しそうじゃな。」 
「あ、申し訳ありませぬ。」 
 静がフッと我に返ったようにうきうきした様子を恥じる。 
「いや、よい。そなたの笑顔は宝じゃ。何ぞあったか?」 
 火鉢の近くに陣取り、脇息けそくにももたれず、ピンと背筋を伸ばして大姥局が静に訊いた。 
「上様が、今宵こよい、百人一首のお話をしてくださると。」 
 静は、大姥局の手前に横向きに控えて座り、喜びを押し込めるように報告をした。 
 大姥局が微笑み、なにか言いそうになる前に他の侍女から口々に「えっ?」「上様と?」と言う羨望せんぼうの声が思わず上がる。 
「旦那様がお願いしてくださったとか。」 
 静が、手をついたまま大姥局に神妙な顔で礼を言った。 
「ふむ。そなたが余りに熱心ゆえな。じゃが、上様の御用のお邪魔はしてはならぬぞ。」 
「はい。」 
 静は、にっこり笑って返事をした。 

 大姥局は去年の秋以来、秀忠が静から遠のいているのを知っていた。静がただいるだけで、秀忠の江を思う気持ちが落ち着いているのならば、大姥局としてはそれでもよかったが、家康の「もう一人か二人……」という言葉も気にはなっている。 
 したがって、大姥局にしてみれば、「百人一首は口実」という部分もある。しかし、近頃の秀忠の激務と静のこれからを考えると、和歌の話で終わればそれでもよしと大姥局は思っていた。 
 (大御所様は、お忙しいときほど女子おなごの元に通うておいでじゃったが、上様はそこは似なかったと見ゆる。) 
 大姥局のふっと緩んだ口許を見て、静が上目遣いに申し出た。
 
「あの……他の皆様もご一緒ではいけないのでしょうか?」 
「しっ、静!」 
 静の大胆な提案に、他の侍女たちが口々に慌てた。
 できるなら一緒に聴きたい。それはどの侍女も思っている。よって、静の言葉は嬉しいが、そのようなことが出来るはずもないのを長年仕える奥女中なら、誰しも知っている。 
 しかし、静にして見れば「私だけ申し訳ない」という思いもあるのだろう。大姥局も、周りの侍女もそれがよく分かっていたから、誰も静を怒らなかった。 

 大姥局が、どう答えようと口許の皺を深めるように引き締めて思案していると、そのすぐ側にいた由良がにっこりと口を挟んだ。 
「旦那様、上様はしばらく和歌うたや物語から遠ざかっておられますゆえ、夜通し語られるやもしれまぬな。」 
 由良の言葉に、藤が思わず、「夜通し!?」と声をあげる。他の侍女たちも、声こそあげなかったが、目を丸くした。 
「フム、そうじゃなぁ。」 
 大姥局には、由良の意図がすぐに理解できた。そして、心底困ったような顔で二度頷いた。由良がそれを見て、さらに続ける。 
「上様は、お好きなことになりますと止まらぬことがありますゆえ。私がお教えしただけでなく、豊臣におられる頃に、みやびな方々とも交わっておられて、色々お話を聞かれたご様子ですし。」 
「確かにのう。止まらぬことがあるのう。」 
 大姥局は、なにかを思い出したように、眉をひそめ、眉間の皺を深めた。 
「上様のお話はお聞きしたい気持ちがありまするが、夜通しはきつうございます。静はよいのか?」 
「はい!」 
 てぷっとした体から嘆息たんそくする声を出した浅茅あさじの問いに、静は笑顔で大きく頷いた。 
「これ、静。上様の明日の御用にさわりなきよう、長引きそうならお止めして、やすんでいただくのじゃぞ。」 
 大姥局が、即座に慌てて注意をする。 
「静も百人一首になると止まらぬゆえなぁ。」 
 老侍女のふきが、孫娘をかばうように静をからかう。 
「はっ、はい。気を付けましてございます。」 
 静は、慌てて手をついて皆の方へ頭を下げた。 皆の顔に笑顔が咲く。 
「よう聴いて、私たちにも教えておくれ。」 
 藤がそう言うと、侍女たちが一斉に頷く。 
「皆はその前に、静ほど百人一首を読むことじゃな。」 
 大姥局はにんまり笑い、遠慮もなく皆に言って聞かせた。 
「それは…そうでございますね」 
 浅茅のひょうきんな答えに再び皆の笑い声が重なっていった。 

◇◆◇

 その日の夕方、将軍は根をつめて政務を早めに終え、奥に戻ってきた。首をほぐすように動かしながら、夕餉ゆうげを取る部屋にたどり着いたが、そこに江の姿はなかった。 

「江は?」 
「お部屋へ戻られましてございます。」 
 御膳部の侍女が答え、ご飯をよそう。 
「そうか。」 
 秀忠は一瞬鋭い目を江の座に落としたが、黙って座り、黙って膳に手をつける。目の前にある御台所の手付かずの膳を見ずに、秀忠はひたすら箸を動かしていった。 
 ほどなくして、せわしないきぬ擦れの音が聞こえる。ご飯を頬張ったままの秀忠の口許が微かに緩み、箸の動きがゆっくりになった。 

「申し訳ありませぬ。」 
 衣擦れの音が止まり、部屋の入り口にひれ伏したのは民部卿であった。 
「いかがした?」 
 秀忠は、不機嫌に食べる手を止め、民部卿を見る。 
「なにかあったのか?」 
 訊きながら、秀忠はうなづいて民部卿に近づくよう促した。 

 (民部がわざわざ出向いてくるなど……) 
 秀忠は、江が本当に熱でも出したのではないか、それともまたなにかあったかと頭の中には一気に心配が渦巻いている。 
「一度はここへ来たのであろう? どこぞ悪いのか?」 
 秀忠は矢継ぎ早やに尋ねた。 
「いえ、特にお熱があるとかと言うことはありませぬがなにやら『疲れた』と仰せで……」 
「そうか。よう働いておったからな。奥に変わったことは。」 
 淡々とした声で本来ならば、御台所の江に尋ねる言葉を、秀忠は民部卿にかけた。 
「あっ、本日は……特にございませぬ。」 
 居心地悪そうにモジモジと体を動かしながら、民部卿は申し訳なさそうである。 
「そうか。」 
 秀忠は、再び箸をのろりと動かし始めた。民部卿は必死に隠そうとしているが、江が己の顔を見たくないことが何となく伝わってきた。 
「風疫騒ぎでよう働いたゆえ、疲れておるのじゃろう。私は自分の部屋で休むゆえ、江もしばしゆっくり休ませるがよい。今日は江の好物のけんちんもあるゆえ、膳も運んで、食べたいときに食べさせるがよいぞ。」 
 どこか突き放すような口調で、秀忠は江をいたわった。民部卿は江の気持ちを思いつつも秀忠の思いを察し、困ったような顔をする。 
「ありがたきお言葉。御台様にはそのようにお伝えいたしまする。」 
 困惑しながら民部卿は頭を下げた。 
「ああ。」 
 秀忠はぶっきらぼうに返事をすると、ズッと味噌汁をすすった。民部卿が江の膳を取り、退がるために一礼する。それを横目に見て秀忠が声をかけた。 
「そうじゃ民部、江に伝えよ。『竹千代や国松が相撲をとれるようになったら私に教えよ』と。よろしく頼むぞ。」 
「はっ、はい。必ず。」 
 『江のことを頼む』。そうとも聞き取れた秀忠の言葉に、民部卿がやっとホッとした笑みを見せて再び一礼し、御台所の膳を持って退室した。 

 膳がなくなったところに向き合い、秀忠は箸を動かす。まるで、そこには最初からなにもなかったように、秀忠の表情は変わらなかった。
 ただ、その目はどこを捉えているのか、侍女たちが身動きする隙さえ与えない将軍の食事であった。ピンとした空気のなか、秀忠の箸と器の音だけが聞こえていた。 
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