【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

文字の大きさ
39 / 132
第二部

第十三章 さねかずら伸びる 其の三

しおりを挟む
◇◆
 一人で取る食事はいつもよりずいぶん早く終わり、秀忠は自室で寝転んでいる。 
 久しぶりにできた時間であった。薄暮とはいえ、庭に出ることも、剣の稽古でもできたはずであったが、秀忠はどこに寄るということもなく、一人、自室で寝転んでいた。 
 手には古い百人一首集が持たれている。が、秀忠の目は和歌を追いながら、江のことを考えていた。 

 (何故なにゆえ解らぬ……) 
 徳川が乱れれば、豊臣は生き残れるかもしれぬ。しかし、それはできぬ。そのようにしたならいかがなるか。兄上を切腹させた親父じゃ、己も躊躇ちゅうちょなく切り捨てよう。
 いや、己はよい。江じゃ。江の命……命があったとしても、別れねばならなくなろう。そして、子供たちはどうなるか……。子どもたちは……。
 まだ乱世は完全に終わっておらぬ。 

 『将軍家の乱れは天下の乱れとなりますぞ』。利勝の言葉が今更ながら、目を閉じた秀忠に響く。 
 (わかっておる。) 
 徳川が分裂すれば、豊臣ばかりではなく、伊達をはじめ、今だ天下を諦めていないものが、片っ端から名乗りをあげるだろう。そして、戦乱の世に逆戻りするのだ。 
 (それは、江とて本意ではないはず……) 
 秀忠は大の字になり、長いため息をはいた。 

 (『人もをし 人もうらめし』か…) 
 戦のない世、豊臣と並び立つ世。そのためには、まず徳川をしっかりまとめあげなければならない。大御所の苦言が出ないほどに。 
 (しかし、そのためには江か……) 
 秀忠は眉間に皺を寄せ、天井を睨み付けた。御台所として、徳川をまとめあげてほしい。しかし、そうなると江が江でなくなるような気もする。
 難儀な女子に惚れてしまったものだと、秀忠は口をゆがめ、かすかに苦笑いした。 
 あの何事にも一所懸命なところ、まっすぐに向かっていくところが秀忠の心を捉まえて離さない。
 その上に、あの美しさである。惚れない男がいればおかしいと秀忠は思う。
 だからこそ、一成や秀勝という前の夫たちのみならず、江に関わる男たちすべてがねたましい。江に兄弟がいないのをいまさらながら、どこかありがたく思う。 
 気を落ち着けようと、秀忠はだらしなく寝転がり、再びパラパラと冊子をめくる。 

  滝の音は たえて久しく なりぬれど 
   名こそ流れて なほ聞こえけれ 

 今まで、気になったこともない和歌うたが目に留まった。ずっと何ということもない和歌うただと思っていた。
 滝の水がれて、もう長らく水の音はしないけれど、その名声だけは今もこの世に轟いている。ただ、それを詠んだだけの単純な和歌うただと。
 素晴らしい知識人で、詩歌に秀でた藤原公任ふじわらのきんとうの作にしては、いんを踏んだりしているとはいえ、なんとも知れぬ和歌だと今まで見下していた。 
 しかし江にとって、秀勝殿はこの滝と同じなのではなかろうか。秀勝という水の音は聞こえなくなっても、水が流れていた頃の美しさや激しさは、いつも胸の中にあるのではないか。 
 信長様、お市様、勝家様、秀勝殿、太閤殿下……。この世を去ったものたちは、江の中になほ聞こえる滝を残しているのではないか……。中でも、秀勝殿は大きな大きな滝を……。 
 秀忠の胸がチリリとした。 
 (ふん。『じゃから和歌うたはおもしろい。』と秀次殿ならいいそうじゃな。) 
 秀忠は、自分でも知らぬ間に「クククッ」と声に出して笑っていた。 

「上様、いつの間においでになられたのですか?」 
 薄暗い中、一人寝転んでいる秀忠を、大姥局はやんわり咎めた。一緒に入ってきた小夜が、灯台に灯をともして下がる。 
「今宵は静に百人一首の話をしてくださるとか。ありがとうござりまする。」 
 老乳母は、寝転がっている秀忠に、ゆっくりと美しい礼をした。 
「うむ。」 
 大姥局に目をあわせず、秀忠はまことにそっけない返事をする。 
 気のない返事に大姥局は、なにかを考えるような顔を見せた。 
「御台様と、喧嘩でもなさいましたか。」 
 お茶を入れながら、ゆっくりと大姥局は訊く。 
「別に……」 
「フッ、クッフフフフ…ホ、ホホッ…」 
 秀忠のむっつりした返事に、大姥局の笑い声がすぐに被さってきた。 
「なんじゃ。」 
 秀忠は、乳母に向かって遠慮のない渋い顔をする。 
「クフッ、まこと上様は、御台様のこととなると……ッホホホ…」 
 大姥局は、目にうっすら涙さえ浮かべて笑っている。己の心を見透かされたような気がして、秀忠はムックリ起きあがった。

「将軍御台所に、徳川の人間になってほしいのじゃ。」 
 母に愚痴を言うように、将軍は乳母にポツリと漏らした。その言葉の裏には、自分だけの江であってほしいという思いも隠されている。大姥局は、それを十分承知していた。 
「さようでございまするね。したが、御台様はよう努めていらっしゃいまする。」 
 御台所であれば、夫のことだけ考えていればよいのではないと、暗に大姥局は伝える。 
「う…む。」 
「御台様が豊臣や竹千代わかさまをあっさり切り捨てるようなお方なら、上様もそうはご執心になられぬのでございましょう?」 
 ホホホッと大姥局は声をたてて笑った。 
「ときに過ぎることがあるとはいえ、あの真っ直ぐさ、情の厚さがあられるからこその御台様。…まぁ、それは、上様が一番、ようご存じでござりまするか。」 
 クフフと小さく含み笑いをしながら、大姥局は秀忠にお茶を差し出した。 
 (かなわぬ……) 
 溜め息をこらえて思いながらも、秀忠はどこか安らいでいる。大姥局のお茶は秀忠の気疲れをほろほろと癒した。 
「大姥…」 
「はい。」 
「長生きせよ。」 
 にこりともせず、秀忠はただ命令した。それが、秀忠の心からのいたわりであると、乳母にはよくわかった。大姥局の胸が熱くなる。 
「上様がそう仰せなら、今しばらく気張るといたしましょう。」 
 大姥局は少しの鼻声で言うと、目元の皺も深め、にっこりと笑った。 
 秀忠は黙って茶を飲んでいる。 
「きっと、よき御台所様となりまする。」 
 秀忠を安心させるように、柔らかな微笑みを浮かべて、大姥局はゆっくり静かに言った。 
 秀忠は、ただ口を真一文字に結んでいる。 

 薄暮は次第に明るさを失い、闇へと姿を変えていった。半月が雲に見え隠れしている。 
「冷えて参りましたな。」 
 大姥局は片方開いていた襖を閉めに立った。 
「お風邪など召しませぬように。」 
 立ったついでに老乳母は火鉢の火も整える。整えながらも、大姥局の口は休まらなかった。 
「それと、静にも申しましたが、明日の御用に障りなきよう。和歌うたのお話はほどほどになされませ。このところお疲れでございましょう。」 
 大姥局の立て続けの物言いに、秀忠はさすがに溜め息をつく。 
「わかっておる。息抜きじゃ。」 
「まこと息抜きとなさいませ。私からお頼みしておいて、こういうのもはばかりまするが、上様は、気に入ったことにはすぐに気を詰められますし、静も百人一首になると止まりませぬゆえ、少し、案じておりまする。」 
 大姥局は上様の側に座り直すと、まるで秀忠がまだ子供のように言い聞かせた。 
「わかった。気を付けよう。」 
 苦笑いを浮かべながらも秀忠は、乳母に素直に約束する。 
「では、私はこれにて。」 
 言うべきことを言い終えると、ニッと笑い、大姥局はすみやかに退室した。 

 乳母のしっかりとした元気な姿に安堵して、秀忠はまた一人で百人一首集を繰り始める。 
 ほどなくして、静が酒膳と綿わたのふっくら入った羽織を持って入ってきた。 
「失礼いたしまする。旦那さまより、仰せつかって参りました。」 
「その羽織はよい。」 
 酒膳を置いて羽織を広げた静を秀忠は止めた。
 (鍛えておかねばならぬ)という思いが、ふっと頭の中をかすめたからである。秀忠は、一瞬愕然がくぜんとした。それは、いずれ戦があると、それを止められぬと、無意識のうちに思っていたと自覚させるのであった。 
 秀忠の厳しい目に気づかず、静は、羽織をきれいに畳み直すと後ろに下げ、盃に酒をついだ。 
「して、そなたの好きな和歌うたは?」 
 秀忠は、前触れもなく静に尋ねると、盃に手を伸ばす。 
「あ、その……」 
 いきなり話をはじめられ、静は自分の百人一首集を胸元から取り出しながら、うろうろと戸惑いを見せた。 

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

『続・聖パラダイス病院』

菊池昭仁
現代文学
『聖パラダイス病院』の続編です。こんな病院なら入院生活も悪くはありません。

処理中です...