【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

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第三部

第二十章 月、清かに冴える 其の三

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 翌朝、栄嘉さかよしは帰っていった。 
嘉衛門よしえもんを許してくれ。家を思うてのことじゃった。じゃが、気にせずともよいぞ。ゆっくり休んで、思う通りにすればよい。誰にもそなたを責めさせぬ。」 
 打ち沈んだ静に、そう言い残して。 

 体の重さは無くなってきたが、その分、心が重い。なにか気を紛らわせられないか、静は起きて身を整えた。 
義姉上あねうえさま、なにかお手伝いできることは。」 
「あら、起きて大丈夫? 遠慮せず、ゆっくりおやすみなさいな。」 
「でも……」 
 はっきりしない、静らしからぬ様子に、久は苦しみを見てとる。 
「じっとしておられないのね。お富さんにそっくり。」 
 笑顔で言う久の言葉に、静の眉が恥ずかしそうにピクリと動いた。 
「昨日はごちそうさま。山栗。子供たちが喜んで食べて、お静の分がなかったわね。」 
「いえ、いいんです。傷むし。」 

「お静ちゃん。」 
 久が静の肩に手をかけ、そう呼び掛けた。 
「お静ちゃんは小さい頃からそうね。そうやって、みなに与えてしまうのね。私にはそんな辛抱しなくていいのよ。甘えてちょうだい。お美津みたいに。」 
 久は静を抱き寄せ、ポンポンと背を叩いた。 
「ありがとう存じます。」 
 長身の久の胸近くで静の目が潤む。 
「そうだわ。百人一首で手習いをしてたんですって?」 
 静から身を離した久は、嬉しそうな声をたてた。 
「はい。義姉上あねうえさまのお手本で。」 
「そうらしいわね。くすしいご縁ね。じゃぁ、カルタの字を書くのを、けてもらっていいかしら。」 
「はい。」 
 生真面目な顔で、静は小さく返事をした。 

◇◆

 いつもは久が書き写しをしている部屋なのであろう。三畳の小部屋に、筆や手習いの本が整然と置いてあった。 
 久が書きやすいいくつかの和歌を選んでいる間、静は久の傍らにある木札を見ていた。
 
 『私の嫁になってくれませんか』そう言った才兵衛は、昼頃に戻ってきたのに、静には声をかけなかった。いや、静の姿を見つけるとあからさまに避けた。 
 (『思っていたような女じゃなかった』と思ったわよね。きっと。) 
 知られたことが恥ずかしく、才兵衛に申し訳ないと思ったが、静の女の心は傷つけられていた。 
 (でも、『お役に立てるなら』と、上様に身を投げ出したのは私自身。) 
 自業自得か……とも静は思う。やり場のない思いをどうしたらいいのか。ただ唇を噛んで静は耐えていた。 

「書きやすそうなのに小裂こぎれを挟んでおいたから、お静の書きやすいのから書いてちょうだい。」 
「はい。」 
「無理はいけませぬよ。私のご用だから、私にも残しておいてね。」 
 久はいたずらっぽく笑い、静の気を楽にさせた。 

 一人になった部屋で、静はゆっくりと墨をする。 
 皆様と歌留多かるたを楽しんだのはいつだっただろう…… 
 お藤さまが「まだ負けませぬ」と言われたのはいつだったか。 
 上様からお教えをいただいたのは……。 
 百人一首集を前に思い浮かぶのは、城内での楽しかったこと。
 そしてそれは、最後には秀忠うえさまへと繋がった。 
 好きな和歌を一首選べなかったとき、『まことそなたらしい』と笑顔で仰せになった上様。 
 いつもなんとなくピリピリと尖っている秀忠うえさまが、幾度か自分だけに見せた笑顔に、静の心が揺さぶられる。
 
 (私がお慕いしているのは嘉衛門さまじゃ。和歌を読んで思い浮かんだのは嘉衛門さまではないか。) 

 静は、まるで自分がまことがない人のように思われた。 
 嘉衛門の信じられぬような言葉があったとはいえ、慕う心がなくなるような、そんな浅い思いだったのか……。 
 静は、想いが深いゆえに嘉衛門の言葉に、より傷ついたと思い至らなかった。 
 嘉衛門の言葉が、静の想い出の中の嘉衛門をも拒絶しさせてしまったのに気づかないでいるのだった。 

◆◇◆

 翌日も静は木カルタを書いていた。 
 改めて和歌集を見ると、静は身につまされる。和歌の激しさ、せつなさが心の中に飛び込んでくる。 
 (和歌うたというのは、こうも激しいものだったのか……) 

  吹くからに 秋の草木の しをるれば 
   むべ山風を 嵐といふらむ 

 この和歌も、ただの漢字遊び、言葉遊びだと思っていた。 
 それが今では違う。 
 野分の日から心に吹き荒れる風は、私というものをすべて倒し、自分をなくしていきそうな気がする。 
 そんなふうに身に入ってくるのだ。 

 『ただ、例えばこの前に好きな女子と別れていたり、大事な人を亡くしていたりしているのを桜の花に重ね合わせたとしたら、どうじゃ?』 
 「しづ心なく花の散るらむ」の和歌を、上様はそのように教えてくださった。上様にも私のようなお辛い思いがあったのだろうか……。 

 (私はまだ、「和歌うたに心を沿わせる」ということが解ってなかったのかもしれぬ。) 
 「おまえさま」と呟いて、湧き上がった喜びや哀しみ。我が身を襲った悲しみとて、自分の中で小さな幸せに変えられたではないか。 
 今は、和歌に心を沿わせると辛い思いや切ない思いが体を切り裂くように巡る。 
 『我らは、和歌うたに心を沿わせることしかできぬ。頭で解ろうとするより、自分を映して感じればよい。』 
 上様はそう教えてくれた。しかし今、和歌に自分を映すと心は千々に乱れる。 

 静は昨夜、久が夫と話をするのを偶然聞いた。 
 助兵衛は、静が上様のお手付きになっているのを何より驚いていた。その声に静の足が止まったのである。 
「あの器量で。」 
 助兵衛は思わず大声をたて、久に叱られていた。 
 そして、神尾かんおの家での出来事を久が、かいつまんで教えていた。 
嘉衛門よしえもん殿のいう通りじゃ。上様のお手がつくのはほまれではないか。」 
 嬉しそうな声でそう言っていた。さらに大きく久から叱られていたが。 
 それが当たり前のことなのであろうか……。 

 『運が向いてきたのやもしれぬ』。
 嘉衛門はそう言った。それが武家の考えなのか?
 それを受け入れるのが武家の娘としては当たり前なのか……。 
 誉れなのだろうか、身代わりで抱かれても。 
 御台様に似ているところがあるのは畏れ多いほどに嬉しい。
 でも、だから抱かれるというのは誉れなのか……? 
 静はふぅーっと大きく息を吐き、木カルタへ向かい合った。 

◇◆

 その夜はヒンヤリと涼風が吹き、小望月こもちづきが美しい姿を見せていた。 
 きらめくような月明かりに誘われて、静は月を見上げる。 

 (栄太ちゃんはまた歌を歌ってるかしら。私を思い出してくれているかしら。) 
 あと二日で仲秋の名月になる。 
 美しい月に、月を詠んだ和歌がいくつか思い浮かぶ。 

  秋風に たなびく雲の 絶え間より 
   もれいづる月の かげのさやけさ 

  めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 
   雲がくれにし 夜半の月かな 

 口ずさんで浮かぶのは、なぜか秀忠である。 

  月みれば ちぢに物こそ かなしけれ 
   我が身ひとつの 秋にはあらねど 

「我が身ひとつの 秋にはあらねど、我が身ひとつ……」 
 静の手が自然にお腹へ伸びた。 
 たしか、あの日と同じ月…… 
 秀忠に命ぜられた夜も確か小望月であった。 
 あの日も月の光に端正な秀忠の顔が浮かび上がっていた。 
 ーーあのときの赤子やや……。 
 お腹をさすると涙が溢れてきた。 
 ーーあのときのやや、あのときの。 
 静の口から、嗚咽が漏れ始めた。 
 さやかな月の光の中に、赤子ややがいるような気がする。 
 ーー夢の中で見た煌めく光はこれだったのだろうか……。 

 (お許しくだされ、お許しくだされ、お許しくだされ……) 
 静の心は、ただその言葉で溢れかえった。 
 月が自分の身に迫ってくるような気がする。 
 (私はどうしたらいいんだろう……) 
 月の光の中、静の心は定まらずにいた。 
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