乙女ゲームは始まらない〜闇魔法使いの私はヒロインを降ります〜

えんな

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仮初の婚約者

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ジークさんとの偽装婚約交渉が成立した翌日、ジークさんは何やら上質な紙を数枚携えてやって来た。

「ここにサインをしろ」

よく見ると、どうやら婚約宣誓書らしい。
宣誓書を穴が開くほど眺めて何か抜け道がないか探してみるが、何もない・・・とほほ。
既にジークさんのサインが入っている。
ふーん、なになに?
ジークさんの正式名は、ジークバルト・フェイツ・ルシュカン。
ほう、初めて知りましたよ。
皇族だから国の名前が入っていますね。

「ジークさんの名前って長いんですね」
「長くて書きにくい。お前は短くて良いな」
「馬鹿にしてます?」

私がムッとしてジークさんを睨みつけると、ジークさんの口元が少し綻んで見えた。

「いずれお前の名も長くなる」

ジークさんと出会って半年、そんな笑い方をするのを見た事が無かったから、私は思わず固まってしまった。

「何だ?」
「ジークさんも笑えるんですね。初めて見ました」

私の言葉にジークさんも固まった。
暫し私と目を合わせた後、彼は顔を背けてしまった。
ほう、照れているのだね、愉快愉快。
ジークさんは顔を隠しながら、指で宣誓書を叩き早く名前を書けと無言で急かした。
宣誓書の下の方にあるジークさんの名前。
その下にある空欄を見つめる。
うーん、本当に私の名前を書いて良いのかなあ・・・。
ひとり葛藤していると、頭の上から声がした。

「嫌なのか?」

ふと、顔をあげてジークさんと目を合わせた。
ジークさんは無表情だ。
こうして意固地になっていても子供っぽいし、何となくジークさんにも失礼な気がする。
私はらしくなく溜息をつくと、筆に手を伸ばしながらジークさんに確認した。

「約束はちゃんと守ってもらいますよ」

そう言ってジークさんの名前の下に自分の名前を書き加える。
まあ、婚約って事はイコール結婚って事では無いし、いずれ解消する事は契約済みだ。
宣誓書をジークさんに見せると、彼は私の名前を確認してから控えていた執事さんに手渡した。
執事さんは、宣誓書を丁寧に丸め白い筒に入れて部屋を出て行った。
それを見送っていると、ジークさんが声をかけてきた。

「では婚約者殿、晴れて婚約が成立した祝杯をあげようではないか」
「何言ってるんですか?問題が山積みなのに、お祝い気分になれる筈が無いでしょう」
「情緒のない奴だな」
「ヤケ酒なら飲めます」
「無粋な奴だ」

扉をノックする音がしてジークさんが許可すると、侍女さん達が入って来た。
冗談だと思っていたのに、本当にお酒と軽食がテーブルの上に並べられた。
グラスにはスパークリングワインが注がれていく。
テーブルセッティングが済むと、侍女さん達は丁寧にお辞儀をして部屋を出て行った。
いつも思っていたのですが、未婚の女性を何故男性と二人きりにするかなぁ。
婚約したとは言え、まだ間違い?が起こるやもしれないのに。
ここに来て半年、少しは打ち解けてきたこのお屋敷の使用人の皆さん。
それでも違和感が拭えないのは、ジークさんと皆さんの距離がかなり遠く感じるところだ。
互いに事務的な会話以外はしないし、ニコっともしないのだ。
お互いが分厚い壁を築いているようで、こちらとしても居心地が悪い。

「早くグラスを取れ」

考え事をしていてジークさんがグラスをこちらに向けていたのに気付かなかった。
慌てて自分のグラスを手に取る。

「互いの未来のために」

ジークさんがグラスを掲げながら視線を合わせてきた。
本当は円満婚約解消目指してーとか言ってみたかったが、ジークさんの視線が真剣だったので茶化すのは憚られた。
頷きながら私もグラスを掲げた。
ジークさんは強張った視線をフッと緩めてからワインを口に含んだ。
彼の所作を見ながら私もひと口味わう。
おっ、甘くなくて飲みやすいね。

「酒が飲めるのか?」

私がもう一口味わっていると、ジークさんがワインボトルを手に聞いてきた。

「普通に飲めます。昔からスパークリングワインは好きです」
「昔から?」

あっ、やば。
前世の事を口走ってしまった。
愛しの旦那さまと旦那さまの作ってくれた美味しい手料理で飲むお酒、そりゃあもう最高でしたわ。
ついつい飲み過ぎちゃって、ソファーで寝込んで旦那さまを困らせた事もしばしば。
楽しい思い出に笑みが溢れる。

「未成年の時分から飲んでいたのか?」
「え、あっ、そういう訳でも無いような、あるような・・・?」

急に現実に戻され、つい慌てて答えてしまった。

「何だ、奇遇だな。俺も10の時から飲んでいるぞ」

え?
そりゃ早すぎだ。
一体、何処のどいつがジークさんにそんな教育をしたんだ?

「俺の育ての親が、かなりの酒豪だったからな」
「ジークさんを育てた方って?」
「ターバルナの大神官だ」

そう言って、ジークさんは私のグラスにお代わりを注いでくれた。
彼がテーブルに置いたボトルを、今度は私が持って彼のグラスにワインを注ぐ。

「不良な大神官さんですね」
「ああ、全くだ」

ジークさんは少し笑いながらそう言うと、またひと口ワインを飲んだ。
呪いの事以外で自分の事を話してくれたのは初めてだ。
その人のことを思い出しているのかな?
ジークさんの事はよく分からない。
いつも淡々としていて、感情が顔に現れる事がほとんど無い。
表情に出るのは、意地悪する時と皮肉を言う時くらいだ。
マリアンヌとグラントに対しては壁を感じず、砕けた物言いをしていたけど。
歯に噛みながらも笑う事もあった。
多分、少なからず信頼関係があるのだと思う。
でも、育ての親というその大神官さんの話をするジークさんは、今まで見た事がない穏やかな顔をしていた。
誰に対しても鋭い視線を崩さない彼なのに、目の前に居ないその人の事を思い出すだけであんな顔が出来るんだ。
こりゃ、もう、恋だね。

「ルナ、お前また変な顔しているぞ」

失礼ですね。
名前と『お前』を一緒に言えばセーフだと思っているのかねー。
ジークさんはそんな風に言いながら、口角を少し上げて笑った。
出会った時よりも色々な表情を見せるようになってきたと思う。
まあ、表情筋の死んでいる時間が長いですけど。
それでも、少しは私にも気を許してくれるようになったって事かな?
ただ、ジークさんを見ていると、時々どう言う訳か少し寂しく思ってしまうのは何故だろう?

「婚約者に対して変な顔って、もう少し言い方があるんじゃないんですか?」
「ほう、俺の婚約者として相応しくあろうとする心意気か?頼もしいな」

この婚約に対して、随分と肯定的な発言ですな。

「ジークさんは女性の扱い方が下手ですね。女性は褒められて美しさに磨きがかかるのですよ」
「お前でも男からの甘い言葉を夢見る訳か」
「婚約したからと言って、早速物扱いですか?やっぱり解消しましょう」
「そう焦るな。ルナが望むなら毎日でも睦言を言い聞かせてやる」

ジークさんからの甘い言葉?
想像したら胸焼けがしてきた・・・うげ。
ジークさんは新たな嫌がらせのネタを見つけて喜んでいるようだ。
私が半眼で睨みつけると、彼は面白そうにまた笑った。

「お前とこうして過ごす時間も悪くない」

今日のジークさんはよく笑う。
笑うと言っても口開けて大笑いする訳じゃ無いけれど。
お酒飲んでいるせいかな。
酒癖悪くなきゃ良いけど。

「ジークさんと居ると、自分の性格がどんどん悪くなっていく気がします」
「そうやって大人になっていくのだ」

そんな大人になりたくないーとか、物語でよく見るセリフは茶番みたいで言いたく無かった。
既に前世で嫌と言うほど大人をやってきたからね。
ジークさんとつまらない大人論議していても何も生まれない。
私は話題を変えた。

「ジークさんの子供の頃の事を教えて下さい」

ジークさんの和やかだった表情が分かりやすく無表情になった。
この人、嫌な事あると無表情になるんだな。
前も思ったけれど、コツさえ掴めば割と分かりやすい人なのかも。
地雷を踏んだような気もしないでは無い。
だがしかし!何故私がジークさんの顔色を伺って生きなきゃならんのだ?
そもそも、この契約婚約も、呪いの解呪も、決定権は私にあるのだ。
命を狙われる、ジークさんの盾になる私が彼に付き従う必要は無い筈だ。
言いたくなければ言わなくて良いのよーなんてヒロインみたいな甘々な事は言わない。
だって、私の命がかかっているんだから。
ジッと彼を見据えていると、やがていつものように諦めたような目で話し始めた。

「前にも話した通り、俺は現皇帝と神殿に仕える巫女との間にできた子だ。本来、巫女は還俗しなければ子を成すことは許されない。その禁を犯して生まれたのが俺だ。巫女と俺は神殿深くに隠された」
「見つかったら殺されたりするって事ですか?」
「皇帝には俺以外の男子が3人いた。皇統政争は世の常だ。後ろ盾の無い俺は直ぐに殺されただろう」
「それを匿ってくれたのが大神官さんなのですね?」
「ああ、そうだ」

ジークさんの視線は強かった。
大神官さんは何故ジークさんを助けたのだろう。
皇室にバレたら、大神官さんや神殿の人たちもただでは済まないだろうに。
私が思った疑問を、ジークさんは読み取ったかのように話してくれた。

「ターバルナの大神官は現皇帝の叔父だ。そして、彼の息子も俺と同じ呪いにかかっていた」
「その方は、今・・・?」

先を聞くのは怖かったが、聞かずにはいられなかった。

「死んだ」

ジークさんは無表情だった。
顔に出さないけれど、本当はきっと、すごく悲しんでいるんじゃないのかな。
私は聞いた事を少し後悔した。
言葉が出てこない。
何となく申し訳なくて俯いてしまう。

「大神官は、亡き息子と同じ境遇の俺を哀れに思ったのだろう。自身が危険になる事も顧みず、俺を育ててくれた」

顔を上げると、自嘲気味に笑うジークさんの視線とぶつかった。

「だが結局は、俺も彼の息子と同じ道を辿っている。運命は何も変わってはいない」

ジークさんの声は穏やかだ。
けれどもそれは、諦めの音を含んでいた。

「私が居ます!同じ運命ではないですよ!」

お酒のせいか、つい勢い込んで声が大きくなってしまった。
ジークさんに諦めて欲しくなかった。
だって、彼は私を見つけたのだから。
ジークさんの目を覗き込む。
ちょっとだけでもジークさんに伝わって欲しいな。

「お前は、本当に変わった奴だ」

いつもの皮肉っぽい言葉では無かった。
フッと力を抜いたその瞳が少し笑っている。
先程の暗い空気が、ちょっとだけ晴れた気がした。

諦めの瞬間はあるけれど、本当は頼りたくも無い赤の他人に、こうして境遇を話すくらいにはこれから先の未来を変えたいという思いがあるのだろう。
ドラゴンさんは好きでジークさんはいけ好かないけれど、今日のこの時間で少し協力してあげたいと思うようになった。
呪いが解けた時、彼はどんな顔をするのだろう?
その瞬間を期待して、ジークさんに協力するのも楽しいかもしれない。

「私のお陰で、ジークさんの人生が面白くなってきたでしょう?」

解呪までのその道のりも、ただ味気なく過ごすのは勿体無いと思う。
きっと、彼は、その境遇ゆえに経験出来なかった色々な感情が置いてきぼりになっているんだろうな。
それを沢山、これから知っていけば良い。
何なら、元オバサンの私が教えてあげよう。

「ああ、ペットを飼った時の感覚と似ているな」

むうー。
誰がペットだ?
私が口を尖らせると、ジークさんはまた口元を緩めて穏やかな顔をした。
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