乙女ゲームは始まらない〜闇魔法使いの私はヒロインを降ります〜

えんな

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裏切り者ゼルさん

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頬に風を感じる・・・。
何か肉の焼けたような嫌な臭いが鼻につく。
閉じていた瞼を開けて目の前の世界を見渡す。
周囲を黒煙が覆い、見える景色は風が吹いて煙が薄れる合間だけだ。
一体何処に居るのかも分からない。
ただ、巨大な獣の咆哮が鳴り響き、此処が安全でない事を物語っている。

確か、皇帝と会って魔眼で動けなくなった筈・・・。
けれども、身体はフワフワと軽い。
まるで身体が無いみたいだ。

え?!
まさか、本当に身体が無いの?!

慌てて自分の身体を触る。
が、やはり感触が無い。
うーん。
これはいつぞや経験した、竜眼持ちヴァルテンの先見?の力なのか?

自分の足元を見るとやはり空間に浮いているようで、以前、どこかの三男さんたち裏切者を見た時と同じ感覚だ。
次の瞬間、耳を劈く咆哮と同時に視界が晴れ、巨大な2体の竜の姿が目に飛び込んできた。

眼を見張り絶句する。

1体は見覚えのある金眼の黒竜だった。
地上に立ち、黒く艶やかな翼を広げ姿勢を低くして空を睨んでいる。

あの黒竜さんはジークさん?

その視線の先には見た事の無いもう1体の竜が、その翼を羽ばたかせ空に浮かんでいた。

黒竜さんより一回りはありそうなその体躯は黒味がかった深い緑色で、岩の様な凹凸で覆われていた。
両の瞳は赤黒く、見た目に禍々しい生き物に見える。
赤目の緑竜は再び咆哮を上げたと同時に恐ろしい速さで黒竜さんに迫って来た。
黒竜さんは口から爆炎を吹き出すも、緑竜は身体を器用に捻って回避した。
巨体にも関わらず身の熟しが軽い緑竜は、黒竜さんの背後を取るとその翼に手をかけ引き千切ろうと力を込めた。
ギシギシと軋む音がして、黒竜さんが呻く声が漏れて来る。

離せ、下衆トカゲ、いやヒキガエル竜め!
ヒキガエルみたいなブサイク竜の分際で、ジークさんになんて事するんだ!

黒竜さんは長くしなやかな尻尾を緑竜の背後から首に巻き付け、後ろに引き倒そうと締め上げた。
黒竜さんの翼から手を離した緑竜は一瞬、ふらつき身体を仰け反らせた。
それを見逃さず、黒竜さんは身体を反転させて緑竜の首に鋭い牙を突き立てた。

やった!
さすがはジークさん!黒竜さん!

だが、緑竜の首に突き立てられた牙は深々と刺さっている筈なのに、緑竜は酷く冷静だった。
黒竜さんの頭を両手で掴むと、首を折る勢いで頭を捻り上げた。
黒竜さんの悲鳴にも似た咆哮が響き渡る。
そして次の瞬間、バキッという礫音がして緑竜に喰らい付いていた黒竜さんは吹き飛ばされ、緑竜の首には牙だけが折れて突き刺さっていた。

なんて酷い!!
地に倒れた黒竜さんは口から大量の血を吐いていた。

ジークさん!!

黒竜さんの元に急ごうと脚を動かしたが、浮いている脚は縺れて前に進めない。
急に前の景色から引き離される様に後ろへ引っ張られる。

いや!
ジークさんの元に行かせて!

叫べども自分が居た前方の世界は遥か遠く点となり、身体に圧倒的な重力を感じて動かす事が出来なくなった。

・・・これは、ジークさんの危機を知らせる夢なの?

泥の中に引きずられるように、私は身体も意識も闇の中に溶けてしまった。





今世で何度気絶したのだろう?
前世で読んでいたラノベで度々気を失うヒロインに、またですかーとよく溜息を吐いたものだ。
その対象が今まさに自分だと思うと、何だかウンザリする。

眼を動かす事がやっとだが、どうやら最初に連れて来られた魔障壁の中に居るらしい。
だが、最初と違い今は床に転がされている、泣。
段々と扱いが雑になってきた・・・涙。

身体が痺れているし頭もガンガンする。
失念していたが、皇帝も竜の血を引く男だ。
何か強い魔力を持っていて然るべきと備えておかねばならなかったのに。
だが、まさか魔眼の持ち主だったとは。
魅了の魔力と違い、見た者を縛りつけることも出来る稀有な力だ。
お屋敷に来た時に一度見ていたのに、良いお父さんだと勝手に思い込んでその力を見落としていた。

毒ちゃんは無事かな?

『毒ちゃん?』
『大丈夫か?』

毒ちゃんがドレスの胸元でもぞもぞと動き顔を覗かせた。

『あんな強力な魔眼を持っているとは思わなかったな。ルナ、大丈夫か?』
『頭が痛いし、身体が痺れて動かし辛いよ』
『強力な使い手ならば、その場で呼吸や心臓を止めてしまう事も出来る』
『皇帝もそれ程の使い手という事?』
『だが、あいつはそうしなかった。恐らく、まだ何か企んでいるのだろう』

彼はジークさんを怨嗟竜にしたいのだ。
竜の血が続くこの世界を滅ぼしたいのだ。
その為に、ジークさんの前で私を殺すつもりなんだ。
でも、それなら自分ひとりでこの世から居なくなればいいのに、何故この世界を道連れにしようとするのか?

やっぱり、皇帝もこの世界ならではの甘ったれた男なんだ。
好いた女を自分のモノに出来ないからと、竜の血に八つ当たりをしているだけだ。
そして、ひとりで死ぬのが怖いのだ。

そんな安っぽい傷心に付き合わされるジークさんや私、この世界の皆さんは堪ったものじゃない。
何とかあの馬鹿親父をギャフンと言わせたい、怒。

それに、気になるのは先ほど見た、夢とも現実ともつかない2体の竜。
1体は黒く美しい金眼の竜だった。
多分、あれはジークさんだ。
もう1体は何処から来たのだろう?
毒々しいし、顔が潰れたヒキガエルのようで竜好きの私としては絵的に納得がいかない、怒。

『毒ちゃんは怨嗟竜を見た事あるの?』
『怨嗟竜の出現は800年以上も昔の話だ。我はまだ存在しとらん』
『顔の潰れたヒキガエルみたいな竜っているの?』
『・・・今、この姿でいる我に喧嘩をふっかけているのか?』

毒ちゃんの金眼が眇められ黒いオーラが見えて来そうだが、如何せん小ちゃなカエルさんなので迫力にかける、笑。
小さな頭を撫でてあげたいが、痺れて手が動かせない。

『毒ちゃん、この痺れってどのくらい続くもの?』
『分からん。ルナをそのまま動けないようにして、抵抗できないまま殺そうとするのではないか?』

げ。
マジですか、泣。
何とか手を動かせたとして、この空間の中では魔力を集める事が難しい。

『しっかりしろ、ほら』

私の胸元から飛び出した毒ちゃんは、髪留めさんを私の手元まで持って来てくれた。
毒ちゃんは、今度は私の頭の上に飛び乗り、気合いを入れろとばかりに短い手足で頭をぺしぺし叩いた。
その動作が可愛らしくて、思わず笑みが溢れる。

『毒ちゃんありがとう。貴方は良い竜毒さんね。私が無事にここから出られたら、何としても毒ちゃんの魔力を戻すからね』
『当たり前だ。その言葉、忘れるなよ?』

頭の上で踏ん反り返っているであろう毒ちゃんの気遣いに心から感謝する。
そうだ、こんな所でヘコタレてなんかいられない。
毒ちゃんの入れてくれた気合のお陰で、両腕に少し力が戻ってきた。
床に突っ伏していた身体を両の腕で支える。
やっとの事で痺れる身体を持ち上げ床に座ると、目の前に置かれた髪留めさんをそっと拾い両手で包む。

ジークさん、髪留めさん、私にもう少し力を下さいね。

祈るように髪留めさんに口付ける。
ふと視線を上げると、正面のノブ無し扉が青白く光り出していた。
毒ちゃんが急いで私の頭のてっぺんの髪の毛に身を隠す。

こんな身体の状態で、妖魔術師でもやって来たら流石のヒロインもマズイだろうな。
そう考えながら身構えていると扉が内側に開き、私の嫌いな能面顔の男が現れた。

何だ、コイツか。

不快も露わに片眉を上げる。
私の威嚇にも顔色を変えず、ゼルさんは床に座る私を見下ろしてきた。

何の用だよゲス2号。

心の中で罵っていると、裏切り者は一歩私に近付いてきた。
背後の扉が閉まると、ゼルさんは口を開いた。

「確かめたい事があります」

何言ってんのコイツ、怒。

怒鳴りたいのを堪えながら、私はゼルさんを睨み上げた。

「あの時、何故、私を見てあの名を呼んだのですか?」

は?
何の事?

「貴女は私に向かって『ルーネリア』と言った」

??
そんな事言ったっけ?

「何故、私の姉の名を口にしたのです?」

へ?
ルーネリアがゼルさんのお姉さんだったの?

目が点になっているであろう私に向かい、彼は質問を止めなかった。

「何処でその名を知ったのです?」
「それが何だというのです?裏切り者に話す価値があるとでも?」

立場が弱いからと、何でも私が答えるとでも思っているのか?
私は痺れる身体を支えながらも凄んでみせた。

「その名は一族の恥として捨てられた名だ。それを何故、貴女が知っているのか?」

眉を顰めたゼルさんの能面顔が、初めて苦痛で歪んで見えた。
そうか、艶やかな黒髪の持ち主、過去で見たルーネリアの顔はゼルさんに似ていたんだ。
過去に渡ってお姉さんを助けたというのに、弟のコイツはジークさんと私を陥れた裏切り者だ。
教えてなんかやるものか、怒。
ゼルさんが心情を吐露するがままに、私は黙って彼を見ていた。

「彼女は当時の皇太子の婚約者だった。家格が離れている為に貴族からは反対されたが、皇太子自身が強く望み、そして彼女も彼を心から愛していた。だが、竜の魔力が発現した皇太子は廃嫡され、彼女との婚約も解消されてしまった。狂っていく彼を支えたいと、側で寄り添い続けた。だが、尽きない苦痛から彼を解放する為に、彼女は罪を犯した」

ゼルさんの薄く青い瞳、ルーネリアの持つ色と同じ瞳が、何処か遠くに向けられている。

「国宝とされる剣を盗み出し、その剣で皇太子を刺し殺したのだ」

え?
私が渡った過去とは展開が違う。
どういう事だ?

「その剣で自身をも貫き自害した」

視線を私に戻したゼルさんの両眼には涙が溢れていた。
能面顔で心があるかも分からなかった彼が、今、この瞬間、感情を爆発させている。

「あまつさえ宝剣を盗み、更には廃嫡されたとは言え皇族を弑するなど一族の恥。我が家は取り潰され、一族は離散の憂き目にあった」

ゼルさんは膝を突くと床に座る私の目の高さに視線を合わせてきた。

「貴女に分かるか?この屈辱が!その女の名を呼ばれる事の苦痛が!」

ゼルさんの瞳は悲痛な色を浮かべているが、今はまだ、皇帝と違い狂気のそれでは無い。

「貴方はルーネリアさんを愛しているのね」

思った事を口にした私に、彼は一瞬、驚いて眼を開いた。
だが、直ぐに顔色を憤怒に変えて私の顎を鷲掴みにした。

「貴女に何が分かる?!」
「分からない。でも、私が見た過去は、少なくともそんな悲惨な結末ではなかった」

私の言葉に彼の掴んだ顎の手がゆっくり離れていった。

「貴女は何を知っている?」

私から少し離れて、彼は跪いたまま私の視線を真っ直ぐに受けて言った。

「貴方の事は知らない。ルーネリアさんとも直接話はしていない。でも、彼女を大切に愛しんでいた皇太子とは話をしたわ。命を大切にすると、彼女を大切にすると、彼は私に約束してくれた。今、この時も、彼らは何処かで生きているのでは無いの?」

私の言葉が理解出来ないのか、ゼルさんは眼を見開いて口元を震わせていた。
だが、やがて彼は叫び出した。

「助かりたいが為の詭弁だ!」
「私の知っている事を話したまでよ」
「私は見たんだ!血塗れの彼女を!美しかった姉が、血だらけになっていたあの姿を!」

再び涙が彼の頬を伝っていく。

「私の愛した姉ルーネリアルーネリアは、血だらけで、汚名に塗れて死んでいったのだ!あの血さえ、竜の血さえ無ければ、彼女は今でも幸せだった筈なんだ!!」

次第に怒声が強くなり、私の姿さえ見えているのか分からない。
ゼルさんは今、狂気の中に居る。
今の彼に何を言っても無駄だ。
私は無言で彼が落ち着くのを待った。

頭を垂れ肩を震わせて啜り泣く彼は、お屋敷で見せていた姿と違いとても小さく、まるで子供のように見えた。

「一族の受けた恥辱を晴らして下さったのはアルスランドさまだ。あのお方は、あの薄汚い竜の血をこの世から浄化して下さる。我が家の汚名を回復してくださるのだ」
「その血を引いているのもまた皇帝なのに?」
「あの方は違う」
「違わない」
「違う!!」

この人を狂気から戻せば、ここから出る事が出来たかも知れない。
けれど、それはもう叶いそうにない。

ゼルさんは話は終わりだとばかりに立ち上がり、私に背を向けた。
私はゼルさんの上着の裾を掴んで引っ張った。

「この世が滅ぶのならば、貴方も死ぬのよ?」
「元より一度滅んだも同然の身。今更また死のうが構わない。竜の血さえ絶えるのならば、それ以上に望む事など最早無い」

狂った人間の思考など理解出来ない。
私は両眼に力を入れてゼルさんを睨んだ。

どうかお願い!
ジークさん、髪留めさんに気付いて!

ゼルさんの視線を私の眼に惹きつけ、その隙に握っていた髪留めさんを彼の上着の裾に刺し込みながら叫んだ。

「そんな下らない貴方の望みに、ジークさんや私を巻き込まないで!!」

ゼルさんは冷たい視線で私を一瞥すると、裾に縋り付く私の手を乱暴に振り解いた。

「帝国史上に渡り繰り広げられてきた、人族と竜族の戦いに決着がつくのですよ」

ゼルさんは扉に向き直り手を翳した。
彼の掌に応えるように扉が青白く光り出した。

「これ以上に無い崇高な望みではありませんか?」

そう言って一度私を振り返ったゼルさんの瞳は、初めて見る絶望にも似た瞳の色だった。
彼は顔を前に向けると開いた扉の青白い光の中へと足を踏み入れ、ゼルさんの身体は溶けて消えて行った。
光を失い閉じた無機質な扉を見ながら、私の心に広がったのは虚無感だけだった。
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