乙女ゲームは始まらない〜闇魔法使いの私はヒロインを降ります〜

えんな

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聖剣と私

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巨大な竜を取り巻く妖しい黒煙は次第に濃くなっていき、夜空は月や星の光が翳って漆黒の闇となった。
頭上には雷を帯びた黒い雲が渦を巻き、空気の爆ぜる音をさせながら時々巨大竜の岩の様な鱗に白い光を映し出している。
眇められた凶々しい赤黒い瞳は地上に向けられていた。

その視線の先に居る黒竜は、黒く艶やかな翼を広げ姿勢を低くし空を睨んでいる。

『ご主人さまの邪魔はしたくないよ、離れよう』
『高台に移動する』

クロがそう言うと、私たちを乗せた銀狼の毒ちゃんがジークさんに背を向け、開けた皇城庭園から外を目指して走り出した。

始祖竜さん、どうかジークさんを守って。

毒ちゃんの背から後ろを振り返り、ジークさんを伺いながら祈る。

闇夜に浮かんでいた怨嗟竜は、帝都を揺るがす恐ろしい咆哮を上げ黒竜さんに突撃して来た。
地上で構えていた黒竜さんの口から豪炎が吐き出され、飛んで来た怨嗟竜の頭を焼くかと思われた。
しかし、黒緑竜はその巨体に反し、軽やかに身体を捻って豪炎を躱した。
捻った身体で黒竜さんの背後に回った怨嗟竜は、黒竜さんの翼を掴み引き千切ろうと力を込めた。
ギシギシと軋む音がして、黒竜さんが呻く声が漏れて来る。

離せ、下衆トカゲ、いやヒキガエル竜め!
ヒキガエルみたいなブサイク竜の分際で、ジークさんになんて事するんだ!

心の中で叫んだ言葉にハッとした。

私はこの場面を一度目にしている・・・!
この後、ジークさんは怨嗟竜の首に噛み付いて、その牙を折られてしまう。
そして、血を吐いて倒れてしまっていた!

ダメだ!!
何か方法を考えなければ!

『毒ちゃん、竜牙剣は何処にあるか分かる?!』
『分からん』
『あれが無いと怨嗟竜を止める事が出来ない!この後、ジークさんの牙が折られて、ジークさんが倒れちゃう!!』
『竜眼で見たのか?』

私は毒ちゃんの背中で大きく頷いた。
ジークさんが倒れた後の事は分からない。
でも、ジークさんを守る為にも、怨嗟竜の相手をする何か力が私には必要だ。
奴の魔力は爆弾なんて言うレベルでは無い。
それこそ、この帝都を一瞬で吹っ飛ばす程の破壊力を秘めているかも知れない。
多少、竜の力を得た私の魔力では全く歯が立たない。
何か他に・・・。

『ニクスだ!』

肩の上のクロが前方の空を見上げて叫んだ。
暗闇の中、清々しい風と共に緑色に煌めく美しい光が漂い始めた。
やがて一陣の竜巻が現れ、その中心が一瞬白く弾けた。
暗闇に慣れていた私は、眩しさに眼を細める。
光の中心から降り立ったのは、白いローブを纏い長い白銀の髪をたなびかせた大神官長だった。
ニクスさんがバラーさまをここまで運んでくれたんだ。

「バラーさま、竜牙剣は何処にありますか?!」

挨拶など悠長にしている場合では無い。
彼を見るなり、私は毒ちゃんの背中から転がり降りてバラーさまの元に走った。

「ルナ、あれは怨嗟竜か?」

バラーさまが険しい眼で、黒竜さんの翼に手を掛ける巨大竜を睨む。

「皇帝の亡骸を食べた妖魔術師からあいつが生まれたんです」
「アルスランドめ、あの様な化け物に成り下がるとは・・・!」

手に携えている聖剣を握りしめ、バラーさまが低い声で唸った。

「この後、ジークさんが倒れてしまうんです!お願いです!竜牙剣の在処を教えて!!」

私はバラーさまの胸倉を掴む勢いで詰め寄った。
私の不遜な態度など気に留める事も無く、バラーさまは眉根を寄せて首を横に振った。

「分からぬ。ジェスリードを助けた其方が使って以降、行方が知れておらん。あの後、似せて作った紛い物を保管していただけだ」

ドンッと言う地面を踏み付ける音がして振り返る。
黒竜さんの長い尾が、背後に居る怨嗟竜の首に巻き付き奴を引き倒そうとしていた。
首を締められた巨大竜は、黒竜さんの翼から手を離し後ろに後退った。

この後だ。
ジークさんが怨嗟竜の首に喰らい付くのは。

『止めて!ジークさん!噛み付かないで!!』

私の念話は届かず、黒竜のジークさんは身体を反転させ、ふらついた怨嗟竜の首に鋭い牙を深く突き立てた。
巨大な竜は首から血を流し、地鳴りの様に世界を震わす唸り声を響かせた。
だが、怨嗟竜は悶える事も無く、その両手で首に喰らい付く黒竜さんの頭を掴んだ。

ダメだ!!
間に合わない!
何か、何か、・・・!?

私は半ばパニックになりながら辺りを見回した。
そして、バラーさまの手の中の、白く仄かに光る聖剣に眼が止まった。

「借ります!!」
「駄目だ!これは・・・」

バラーさまが止めるのも聞かず聖剣を掴んだ、その瞬間。

『愚か者!資格無き者が触れるでないわ!』

見知らぬ男の怒声に続き、電気に似た強烈なエネルギーが全身を駆け抜けた。
心臓の鼓動が、一度大きく打った後止まった気がした。
意識が飛び、気付けば地面に倒れ、呼吸が再開出来ずに何度も喘いでいた。
感電したかの様に手を離す事が出来ず、左手は聖剣を握ったままだ。

「ルナ!剣を離すのだ!」

バラーさまの叫ぶ声がする。

離してたまるか!
力になりそうなモノなら何でも使ってやる!

『ルシュカンと無縁の穢らわしい手で我に触れるでない!』

無縁?
穢らわしいだと?!

「その剣は、嘗て竜毒で命を落とした皇族の祈りで鍛えられたものだ。故にルシュカンでなければ触れる事が叶わぬ」

バラーさまはそう言って、私の手から剣を取り上げようとした。
私は尻もちを着いたまま後退り、バラーさまの手を躱すと握る聖剣に向かって怒鳴った。

「偉そうに言うお前こそ、穢らわしいあのバケモノの血筋じゃないか?!」
『何っ?!』

再び稲妻が剣から放たれ、握る私の手を伝い全身に広がった。
歯を食い縛り不快な電撃痛に耐える。
吐き気と眩暈で焦点が合わせ辛い。

「図星か?」

負けるもんか。
口角を上げて不敵に笑う。

「お前たちルシュカン族に、まともな自浄能力が無いからこんな事になるんだ。お前たちの力不足を補ってやるから私に従え!」
『お前如きの小娘に何が出来る?!』
「お飾りの剣如きが何の役に立つ?!」

ルシュカン皇族の思念が蓄積してるのか?
剣の分際で選民意識とは滑稽だ。
こんないけ好かない剣なぞ、使い終わったら叩き折ってやる、怒。

剣相手にぎゃいぎゃい言い合っていると、黒竜さんの悲鳴にも似た咆哮が響き渡った。
怨嗟竜は掴み上げた黒竜さんの首を捻り始めた。

「言い争っている場合か?!ジークさんが死んでもいいのかっ?!」
『小娘が思い上がるな!あれを止められると思っているのか?』

このバカ剣!
今直ぐ叩き折ってやりたい!

その時、バキッという礫音がして怨嗟竜の首に喰らい付いていた黒竜さんは叩き飛ばされた。
黒緑竜の首には、黒竜さんの牙だけが折れて突き刺さっていた。

「ジークさんっ!!」

地面に叩きつけられた黒竜さんの口からは、夥しい赤い血が吐き出された。

「ジークさんに万が一の事があったらお前のせいだ!絶対に許さないからなっ!!」

剣はそれ以上、電撃で攻撃しては来なかった。
石頭な聖剣を掴んだまま、私は銀狼の毒ちゃんの元へ走った。
すると、またあの不気味な笑い声が地響きの様に湧き起こった。

『詰まらぬ。その程度の力だったとは期待外れだ。もう良い』

そう言って怨嗟竜は、自身の首に突き刺さっていた黒竜さんの牙を事も無げに抜いて投げ捨てた。

地に横倒れになった黒竜さんに近付きながら、その暗赤色の双眸から一瞬強く妖しい光を放った。
その光を受けて、黒竜さんの全身が一度大きく緊張した後、小刻みに震え出した。

『お前は要らぬ。死ぬが良い』

冷酷な声で告げると、怨嗟竜は眼を眇め赤黒い瞳の光を強めた。
黒竜さんは苦しそうに両手を首にやり、何か首に巻き付いている戒めの様なものを外すそうと身を捩っている。

まさか、魔眼の力?!
怨嗟竜となって尚、あの力を使えるのか?

「お願い毒ちゃん、あのバケモノの所まで連れてって!」
『何をする気だ?』

あの時、毒ちゃんが妖魔術師に捉われた私を助けてくれた様に、魔眼の力を断ち切らなければジークさんが危ない。

「魔眼を断ち切らなきゃ!」
『気付かれず奴に近付く事は我では難しい。直ぐに勘付かれる』

でも、私だけでは奴の顔まで飛べない。
どうしたら・・・。

『アタシが連れてくわ』

目の前に、緑の煌めく風を漂わせたニクスさんがフッと現れた。

「ニクスさん!ありがとうございます!」
『僕が囮になって、あのバケモノを惹きつけるよ』

クロまで力を貸してくれる。

「ありがとうクロ。ジークさんをお願いね」
『では、我も奴を撹乱させよう』

皆んな、ありがとう!

「さあ、お前の言う所の下賤なモノが力を貸すと言うのに、高貴なお前らは何もしないのか?偉そうに御託を並べるのがルシュカン皇族サマらしい」

先程から黙り込んでいるバカ聖剣に向かって、皮肉をたっぷり言ってやる。
それでも、聖剣からは何の反応もなかった。

「ニクスさん、お願いします!」

私が手を伸ばすと、ニクスさんの手が伸びて触れるか否かのうちに、私の身体は緑の風に包まれ宙に浮かんだ。
自分の手や身体を見ると、何となくぼやけているような・・・?

『アタシの風に巻かれている間は、アンタの姿は誰にも見えないわ』

おお、これは凄い。

『ただ、姿を現さなければ力を使うことは出来ないのよ。だから、あのバケモノを殴りたいのなら、顔の近くに移動してから風を解いてあげるから上手くやんなさいよ』

おお、そりゃ難しい、泣。

私がニクスさんの風に巻かれて闇夜を移動している間、地上では帝国兵が隊列を成し怨嗟竜に向けて大砲を準備していた。
その中心にはゼインさんが居る。
そんな物理攻撃で、あのバケモノに致命傷を与えられるとは思えない。
ゼインさんや兵士の皆さんに、無駄な犠牲を払って欲しくない。

巨大竜はその様子を気にも留めず、喘ぐ黒竜さんの元にゆっくりと手を伸ばしてきた。
その腕に纏わり付く様に、クロが素早い動きで怨嗟竜の動きを封じてくれている。

奴の顔までもう少しだ、クロ、頑張って。

心の中で祈る。
怨嗟竜の顔が間近に見えてきたその時、奴の赤黒い眼が私の視線と重なった。

?!
こちらが見えているのか?

『小娘が、何の真似だ?』

!!
不味い、見つかった!

「ニクスさん!」

私は風の魔力を解いて貰おうとニクスさんに叫んだ。

『ダメよ!今解いたら、アンタ死ぬわよ』

でも、風に守られているだけでは攻撃だって出来ない。
目の前に迫る怨嗟竜の口が大きく開き、その中心に緑色を帯びた炎が渦を巻いて集まり出していた。

炎で焼かれてしまう!

『我に任せろ。ルナは眼を狙え』

毒ちゃんの落ち着いた声に心の中で頷く。
怨嗟竜の口から炎が吹き出される寸前、暴風雪を纏った銀の狼が私の前に飛び出した。
一瞬怯んだ怨嗟竜目掛けて、銀狼の毒ちゃんはその口から氷の竜巻を吹き付けた。

『今だ!行け!』

毒ちゃんの合図でニクスさんの風が凪いだ。
自分の身体が宙に放り出され重力を感じ、怨嗟竜の頭の高さから落下し始めた。
下を覗くと、毒ちゃんの氷の爆風で怨嗟竜が炎を吐き出せずにいた。

さすがは毒ちゃん、竜の力を持った魔獣はやはり強い。
怨嗟竜の意識が毒ちゃんに向いている、今がチャンスだ。

奴の赤黒い左眼を捕らえた瞬間、私は両手で聖剣を握り直した。

「ルシュカンの意地とやらを見せてみろっ!!」

叫びながら全体重を乗せて、怨嗟竜の左眼に聖剣を深々と突き立てた。

『うがぁああああーー!!』

巨大竜は絶叫し、顔を振りながら手を剣が刺さった左眼に充てがおうとした。
その時、暗闇を切り裂いて天から雷光が落ち、ドンッと言う爆発音をさせて聖剣に光のエネルギーが集中した。
剣を握った私の両腕にも、激痛と共に電気が奔る。
歯を食いしばり痛みに耐える。
聖剣に集まったエネルギーは輪となってクルクルと回わり、帯の様に太い軌道を描いた。
よく見ると、何か魔法陣の様な幾何学模様が浮かんでいる。
すると、光の帯は真っ白に発光し、剣の突き刺さった怨嗟竜の左顔面を左眼ごと吹き飛ばした。

痛っっったーーい!!

遂には痛みに耐えられず、私は聖剣を握っていた手を離してしまった。
宙に投げ出された身体を、今度は毒ちゃんが背中で受け止めてくれた。

『大丈夫か、ルナ?』

毒ちゃんにありがとうと言いたいのに声が出ない。
身体は震え、よく見ると両の掌は赤黒く爛れて血が滲んでいた。

むぅーっ。
あのバカ聖剣、私諸共、怨嗟竜を焼き殺そうとしたな。
ルシュカンを嘲笑ったから聖剣にやり返されたのか。
まあ、これで魔眼を断ち切れたからそれでもいい。
ジークさんは大丈夫だろうか?

私を乗せた毒ちゃんが着地した少し先に視線を向けた。
魔眼から解放された黒竜さんが、ふらつきながらも立ち上がろうとしている。
私は毒ちゃんから降りて、黒竜さんの元へ駆け出した。

良かった。
牙は折れてしまったけれど、ジークさんは・・・。

思考を巡らせていたその時。
背後から熱風の様な圧を感じ、遅れて激烈な痛みが私の背中を襲った。

『ルナーーーッ!!!』

叫んだのはジークさん?

何が起きたのか分からず、身体に力も入らない。
気付けば地面に倒れ、咳き込みながら血を吐いていた。


何だ、これ・・・?

手を動かせず、呼吸も苦しい。
腹這いで倒れた私の背中から、首を伝って温かい血が流れて来た。
声を出せず、ヒューヒューと嫌な音が自分の喉から聞こえる。

意識が混濁していく中、強烈な殺気を放つ片眼の黒緑竜の鋭い爪が私の視界の端に映った。
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