Ωの皇妃

永峯 祥司

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第2部

違和感

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 午後の賑わい。ウィランドン随一の喧騒の中にリューシらの姿はあった。

「──さっすが、小さいとはいえ首都なだけはあるな」

 感嘆の声を上げるのはバルトリスである。ミートパイらしきものを齧る様子を横目に見ながら、リューシは「そうだな」と相槌を打つ。

 デロックスは思いの外活気に溢れた場所である。赤毛に混じって見られる他の髪色は増え、国交の中心地といった様子を良く表している。そこかしこから耳に入ってくる言語もウィランドン語とルバルア語が更に入り乱れた。
 当然規模ではキリダに及ばないが、こうした雰囲気は大都市が狭い範囲に凝縮されたかのような印象を与えている。“活力”という点ではこちらの方が勝っているかも知れない。

 そんな異国でもこいつのゲテモノ食いは健在か、とリューシは半ば呆れながらバルトリスが右手に持っているパイに再度目をやる。
 というのも、今彼が咀嚼しているのはモモスクのパイなのだ。串焼き程ではないにしろ、その毒々しい彩りは相変わらず。いや、むしろ生地に練り込まれてゲテモノ感に拍車がかかっている。なぜこれを食べようと思ったのか、通称“犬のゲロ”を毎日食堂で飲んでいたこの男に尋ねるのは無駄だろう。
 
「ん? 一口食うか?」
「いらん」

 一種の怖いもの見たさで視界に入れていたのを勘違いしてパイを差し出してくるが、間髪入れずに断る。どうせこれも前回と同じ何とも言えない味だ。その証拠に一口目から今まで美味いという感想は聞こえない。
 それでも「見た目程悪い味じゃねぇぞ」とバルトリスはぺろりとゲテモノを完食した。流石だなといらぬ感心。
 セドルアが興味深そうに視線を寄越していたのは気付かなかった事にしておく。皇子までゲテモノ食いになられては始末に負えない。

 宿は街の中心から少し外れた場所で取るか等と相談しながら歩いていれば、リューシの体にどんと衝撃が走った。直後に小さな悲鳴。反射的に伸びた手がぶつかってきた者の腕を掴んで支える。

 派手に尻餅つく事を逃れた者は小柄で、自分と同じようにフードを深く被っている。まだ子供のようだ。少年とも少女とも取れる声がウィランドン語で礼を述べ、慌てたように走り去って行く。一瞬触れた腕の筋肉の付き具合からすると少年だろうとリューシは推察した。

「あの子、何であんなに顔を隠してるんですかね」

 華奢な背中はすぐに人混みの中に消え、その後にリーンが疑問を口にする。確かにローブを身に付けている子供はあまりお目にかからない。奇妙といえば奇妙か。
 だが、こちらには関係のない事だ。「さあな」とだけ返した。

 ただ少し引っ掛かりを覚えるのが、ちらりとフードの影から覗いたストロベリーブロンド。どこかで見たような気もする。わざわざ思い出さねばならない程重要だったかどうかはわからないが。

「とりあえず、もう少し静かな場所に行こう」

 ここでは人目が多過ぎる。リューシの言葉に各々が頷き、大通りから外れようと足を向けたその時。

「……っ」

 ぐらりとローブに包まれた体躯が傾いた。咄嗟に受け止めたセドルアが危な気なく腰を支える。リューシは必然的にその胸に凭れ掛かる格好になり、他の者も異変に気付いてまた動きを止めた。

「どうした」

 覗き込んできたバルトリスの顔を見ようとし、目が霞んでいる事を自覚する。頭が働かず身体に力が入らない。先程少年を支えたはずの腕まで思うようにならないのだ。身体に感覚がない。まるで──


──魂が抜ける、ような。


「おい! しっかりしろ!」

  叱咤するバルトリスのバリトンにすっと意識が鮮明になる。
 見える。身体が動く。セドルアの体温を感じる。

「……もう、大丈夫だ……」

 セドルアに「失礼しました」と詫び、凭れていた体重をゆっくりと退ける。己の足で立つ。体幹はブレない。嘘のように何ともなかった。

 ──何だったんだ、今のは……?

 困惑していれば、バルトリスが安心させるようにポンと肩を叩いてくる。それだけで酷く心が落ち着いた。

「隊長、」

 揺れるような声に振り向く。3対の気遣わし気な眼差し。ノットの今にも医者を引き摺って来そうな気迫を感じ、リューシは大丈夫だともう一度伝える。

「気にするな。少々目眩がしただけだ」

 疑うような表情をしながらも、彼らは顔を見合わせて頷いてくれた。

「辛いようなら言えよ?」

 フード越しにバルトリスの手が頭を撫でる。ああ、と素直に答えた。リューシの一応の無事が確認された事でそのまま一行の歩みは再開される。

 以降心持ち近くなった──否、ぴったりと横に張り付き始めたセドルアを気にしているうちに、ストロベリーブロンドの少年の事はリューシの頭の片隅からも抜け落ちた。


  それから一行が腰を落ち着けたのは日が傾きかけた頃である。

 今回は格付けするなら上の下。そこに2部屋取っている。例によって木賃宿に宿泊しようと考えていたのだが、安い所はどこも満室だった。
 宿の主人らが口を揃えて言うには、「空くのを待つ間に年中野晒しだ」と。ウィランドン各地から出稼ぎに集まる人々が長期間滞在するのに8割、宿泊費を抑えたい観光客が入れ替わり立ち替わり利用するのに2割と常に空きがない状態らしい。

 2、3軒ではどうしてもというなら相当窮屈な相部屋になるがと提案を受けたが、見知らぬ人間と部屋を共有するのはリスクが大きい。よしや相部屋の相手に問題がなかったとしても、それだけ密集した空間にいれば必然的に人目は避けられなくなる。
 ただでさえ顔を覚えられない為に1か所での長居はしないようにしているのだ。不特定多数の者に接触する事になるこの提案は歓迎出来るものではなかった。

 そういうわけで、空きの多い上等な宿で体を休める事となったのであった。懐を少々犠牲にする羽目になるものの、先のリューシの件もあり反対する者はいなかった。

「──はぁぁぁぁベッドが柔らけぇ……」

 ばふっと清潔なシーツに倒れ込み、バルトリスがくぐもった感動の声を上げる。風呂上がりの赤毛はろくに拭いてもいない。シーツに落ちる水滴を見兼ね、リューシは乱雑にタオルを投げ付けた。

「髪くらい拭け。餓鬼か」
「へいへい……っと」

 起き上がり素直に髪を拭くが、おざなりに4、5回ぐしゃぐしゃと掻き回すだけのがさつなそれに小さくため息が出る。

「貸せ」

 自分の投げ付けたタオルを奪い取り、ベッドに腰掛けた状態のバルトリスの頭全体を包んだ。肌触りの良い布の下で何だ何だと笑う。

「お前が拭いてくれるのかよ。こりゃ貴重だな」
「うっせぇな。黙って拭かれてろ」
「素が出てんぞ、素が」

 何が面白いのかカラカラと笑う男の髪をリューシは問答無用で拭き始める。
 頭皮を指の腹でマッサージするように。力任せにするのではなく、水気をタオルに移すつもりで拭いてやるのがコツだ。

「おお……気持ちいいな、これ」

 感嘆する声に、前世の友人の美容師直伝だからなと心中で返す。別に自慢にもならないが、例の「俺の神経細胞がストライキ」な同僚もお気に入りだった腕前である。作戦で彼がドジを踏んだ際には強烈な指圧をお見舞いしてやったものだ。

 頭皮や根元の方は粗方拭き終わり、毛先に取り掛かろうとした時、パタンと扉の音がする。バルトリスの頭に手を乗せたまま見れば、セドルアが浴場から帰ったところであった。なぜか、こちらを凝視して硬直している。

「殿下?」

 ぽたり。プラチナブロンドから水滴が垂れた。カーペットの上に出来た小さな染みに視線を落とし、またセドルアを見上げる。

「くくっ……殿下、きちんと拭かねば風邪を召されますよ」

 くつくつと抑えた笑い声と共にタオル越しのバルトリスの頭が揺れた。じっとしていろとそれを軽く叩けば、セドルアからチッと低い舌打ちが一つ。

「……俺も拭け」

 簡潔な台詞に堪らずバルトリスが噴き出した。セドルアは無表情のまま、それをアメジストでじっとりと睨む。お前は黙っていろとでも言いた気である。

 ──それにしても、表情筋を動かさずに舌打ちしたり睨んだり、器用な事をするものだ。

 初めのうちはただの無表情としか思っていなかったが、近頃“表情豊かな無表情”という矛盾したものになりつつあるような気がする。やはり思考が読めない事も多いのだが、その頻度が減っているような気がしないでもない。自分の慣れだろうか、それとも彼自身に変化があったのか。よくわからないが、ともかく表情を変えずに感情を露にするのはセドルア特有のものだろう。
 結局器用なのか不器用なのか。妙な部分を熟考しながらリューシは承諾の意を伝え、座って待つよう促した。バルトリスの隣ではなく向かいのベッドに腰を降ろす辺りに並々ならぬ敵愾心を感じるが、それは一旦見なかった事にする。

 まさかこの皇子に髪を拭けと言われる日が来ようとは。えも言われぬおかしさが込み上げバルトリスのように噴き出しそうになるのをぐっと堪えつつ、手早く赤毛を仕上げてしまう。この世界にドライヤーはない。毛先まで拭き取れば後は自然乾燥だ。
 すっきりしたとご満悦の男を小突き、リューシはセドルアの手からタオルを受け取った。

「失礼します」

 一言断りを入れ、正面に立ってバルトリスと同じように頭を包む。指圧を加えながら拭いていけば驚いたように肩が揺れた。

「強過ぎますか」

 尋ねれば、「いや、」と否定の返答がある。

「慣れないだけだ」

 一瞬、手を止めた。
 慣れない? そんなはずはない。皇族なら必ず何人かの世話人が付いている。風呂で体を洗うまではしないにしても、こうしたケアなら彼らの業務の範疇だ。日常でこそあれ、慣れていないという事はあり得ない。

「そういうのは世話人がしてくれるんじゃあないんですか」

 リューシの疑問を代弁するかのようにバルトリスが訊く。セドルアはやはり表情は変えず、

「物心つく頃には大抵の事は自分でしていた」

 だからこういう事は初めてだ、と。

「へぇ、自立した皇族ってのも珍しいですね。そりゃあ立派だ」

 からかいではなく素直に感心した調子でバルトリスが言うが、リューシははてと首を傾げる。
 それはセドルアが手を借りない生活を幼い時分から自主的にしていたのか、あるいは手を貸す者がいなかったのか。彼の口振りではどちらとも取れ、どちらとも判別が付かない。不鮮明な違和感を覚えた。

 だが、今は敢えて踏み込む事でもないだろう。初めてだと言い存外気持ち良さ気に身を任せているセドルアの髪を丁寧に拭いてやりながら、リューシは違和感を隅に追いやった。
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