†我の血族†

如月統哉

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†失われた魔力†

ルファイア=シレン

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「…もう、目の前に居るっていうのに…大した余裕よね」

ほくそ笑むサリアの顔には、それでも脂汗が滲み出てきている。
“本当に強い者”は、対峙したその時点で分かる。『蛇に睨まれた蛙』とは…先人はよく言ったものだ。
言い得て妙すぎて、他に言葉が見あたらない。

…それだけ絶望的な状況だった。

すると、魔力によって、いつの間にか神崎家の上空に浮かんでいた“人影”が、何となくではあるが、僅かに笑った気がした。

「!来る…」

フェンネルの言葉に、カミュが反応したと全く同時、その当のカミュの喉元を、男の手が捉えた。

「!」

あまりにも突然のことで、声すらも上げられなかったカミュに、その手の持ち主は、静かに憐れみの目を向けた。

「──堕ちたな、カミュ=ブライン。この程度に反応出来ないとは…」

その男が己を見る、憐れみに満ちた視線が嫌で、カミュはその手を、感情のままに思い切り払いのけた。
途端に、事態を察して戦闘態勢に入っている六魔将の三人が、その隙をついて攻撃を仕掛けようとするが、男は冷酷な視線のみでそれを制した。

「六魔将の半分か。少しその場で大人しくしていろ。…お前たちは、抵抗も出来ない非力な主を、このままなぶり殺されたくはないだろう?」

男は、そう言って低く嘲笑した。
反して六魔将たちは、力ずくでもこの男を黙らせたいのは山々なのだが、男の言葉が、事実をも含めた脅迫まがいのため、こちら側からはなす術もなく…
ただ、それでも…せめてもの抵抗に、忌々しげに歯噛みをした。
その隙に、カミュは目の前にいる男の上から下までを、ざっと見やった。

…歳の頃は、フェンネルと同じくらいだろうか。二十代半ば程の、蒼の髪に漆黒の瞳を持った、色白の男だ。
だが、色が白く、あくまで見た目の線が細いだけで、先程、自分の喉元を捉えた彼のあの速さ…、そして力強さは、その外見が持つイメージとは、全く異なっている。
…まさしく驚愕に値し、更に驚嘆すべきものだ。

すると、そんなカミュの反応が気になったのか、男が怪訝そうにカミュを見下ろした。

「…? 貴様…」

男の稀有な反応に、視線が下へ向いていたカミュが、気付いたように男を見上げると、男は訝しげに目を細めた。
男の、その美しい瞳を、徐々に疑惑が浸食していく。

「…先程のあれは…フェイクではないのか?
本当に、俺の攻撃が見えなかったと…?」
「!…何故、そう思う」

カミュは、内心の激しい動揺を、無理やり押し殺して問い返した。
すると男は、その瞳に宿された疑惑の一部を払拭させた。

代わりにその双眸に浮かび上がったのは、途方もない殺気だ。
冷たくも鋭い彼の瞳を反映するかのように、その場の空気が凍てついていく。

「ふん…、虚勢を張るのはやめろ。お前は、明らかに動揺している…!」
「!?…」

カミュが、ぎくりと体を強張らせると、男は幾つかの、自らの考えを口にした。

「見たところ、今の貴様の魔力は全く感じられない。…が、だとすれば、何らかの理由で、貴様の身体能力、あるいは反応速度が低下したか…
またあるいは、かつて扱えたはずの、それら全てを忘れているか…だ」

ルファイアの的確な一言一句が、じわじわとカミュの精神を苛んでいく。
しかし、最後に放たれた疑問符で、カミュは自らの心情が、ぎりぎりまで追い込まれたことを悟った。

そのカミュの反応を見たルファイアが、勝ち誇ったように哄笑する。

「!くっ…、ははっ…、ははははっ!
その顔は図星か! そうだろうな!」

ルファイアは、何やら言葉に含みを入れた。
それに過剰に反応したカミュが、乗せられたように声を荒げる。

「何のことだ!?」

怒りと焦りを同時に露にしているカミュに、この時、起伏する感情の合間を縫って、ごく僅かな隙が出来た。
しかし、それにも気付かず、また、自分を目の前にしていながら、その弱点を全くカバーしようともしないカミュに、何らかの確信を持ったルファイアは、更にその感情を煽った。

「以前の貴様は、それほど大人しくはなかった。
俺の姿を見る度に、血に飢えた瞳を見せつつも、即座に攻撃を仕掛けてきた──
あの時の攻撃的な貴様は、一体どこへ行った?」
「!? …俺…が?」

…確かに、今までに聞いた話からすれば、この男は間違いなく敵なのだろう。
しかし、頭がそれを認識していない。
周囲の話の上では敵であっても、今の自分の感情では、これといった実害を被っていないだけに、判断がつきかねている。

しかし、この男の言うことを鵜呑みにするのであれば、過去の自分が有無を言わさず攻撃を仕掛けていたらしいことからしても、この男は…間違いなく敵だ。

すると、そんなカミュの考えを読んだのか、男は不意に、カミュの首を掴み、そのまま容易に持ち上げた。
男の頭より、更に上に体が浮く形となり、カミュは苦しげな呻き声を洩らす。

「!くっ…」
「!カミュ様っ」

こうまでされて、さすがに抑えが利かなくなったのか、反射的にフェンネルが動こうとする。
それに、男は今まで抑えていた、自らの魔力の一端を垣間見せた。

…一瞬にして、突風に近い風が、フェンネルを含めた三人を吹き飛ばす。

「!うっ…」
「うわっ!」

彼らは何とか、それぞれに体勢を整え、その場に降り立つと、忌々しげに男を見た。
その、突き刺すような視線に気付いた男は、冷酷に三人を見下すと、捕らえた獲物をなぶる肉食獣のような瞳を、カミュに向けた。

「…どうやら、今までの記憶が皆無なようだな? カミュ=ブライン」
「…何の…ことだ…」

首を押さえられている息苦しさから、カミュは息も絶え絶えに訊ねる。
しかし、あくまでしらを切ろうとしたカミュに、男は苛立ちを覚えたらしく、強く歯噛みをした。

「今更とぼけるな…! 貴様の記憶は失われているのだろう!?
そうでなければ、あれだけの魔力を誇る貴様が、こうも易々と俺に捕らえられるものか!」
「!…っ」

カミュは、男の手を振り解こうと、男の手に爪を立てた。

「…俺の記憶が…あろうと…なかろうと、貴様になど…関係ないだろう…!」
「…ほう、この状況で、まだ強がりが出るのか」

男は不敵に笑うと、カミュを掴んでいた手を離した。
足が地に着き、わずかに咳き込むカミュに、男は冷たい視線を落とす。

「ならば、改めて名乗ってやろう…
俺の名はルファイア。“ルファイア=シレン”」
「…ルファイア…」

カミュが、懸命に記憶を辿ろうとする。が、頭のどこかが不愉快に疼くだけで、彼に関する記憶は甦ることはなかった。

「そうだ、カミュ=ブライン。貴様は父親の代わりに俺と戦っていた…
自らの領域に踏み込まれない為にな!」
「!…父親…? サヴァイス=ブラインか!?」
「…父親の名は知っているか。ある程度の情報は得ているようだな」
「…、ルファイア…、俺に構うな…」

カミュは、冷めた声で呟いた。

「記憶を失っている俺となど、戦う価値はないだろう…
現に今の俺には、お前と戦う理由はない」
「…、随分と甘くなったものだな」

男… ルファイアが顔をしかめる。

「それが貴様の本心であるなら、記憶を無くしたツケはここにも来ているようだ…
案外それが、記憶が戻らない原因のうちのひとつなのではないか?」
「…何と言われようが構わない。今の俺は…」
「ふん…、貴様がそうでも、こちらとしては降って湧いた絶好のチャンスだ。
…悪いが、有効に使わせてもらうぞ」
「!…何…」

俯き加減にしていたカミュが、何かに気付いて顔を上げた次の瞬間、その体は、近くにあった大木に、勢い良く叩きつけられていた。
鈍い音がして、大木が突然の負荷に対しての悲鳴をあげ、行き場を失った葉が周囲に舞い散る。

「ぐっ…!」

突然に与えられた鋭い痛みに、体中が謂われのない熱を持ち、更に軋む。

「カミュ様っ…!」

動くのを禁じられた六魔将たちは、さすがに気が気ではない。
しかし、いずれにせよ、このままの状況では、こちらが手出しをしようがしまいが、自分たちが仕える主は確実に殺されてしまう。
そこまで察したフェンネルは、さすがに切羽詰まった感情を露にした。

すると、カミュが急に大きく咳込んだ。
あまりの息苦しさに抑えも効かず、そうせざるを得なかったカミュは、口に手を当てて、しばらく呼吸を整えていた。
が、ようやく呼吸が正常に戻り、その手がゆっくりと離された時、不意にその口元から、一筋の血が流れた。

…それでも、口の中を切ったわけではなかった。だが、それよりも明らかに広範囲と呼べる部位が、痛みという感情の総てを占めていた。
痛めたのは、間違いなく内臓や器官の方らしく、カミュの体の内部は、ずきずきと鈍く疼きつつも…確実に傷んでいた。

忌々しくも、そこまで自らのやられ具合を、体調で強制的に認識させられたカミュは、次には、その口元から流れた血を、躊躇うこともなく自らの手の甲で拭った。
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