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†堕落†
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階段をがむしゃらに登りきった朱音は、その勢いのまま、問題の氷皇本人の部屋へと突進した。
次いで、それまでの勢いも殺さぬままに両の拳を振り上げると、そのまま複数回、扉に向かって拳を交互に、強く叩きつける。
けたたましい、という表現が何よりぴったりなその朱音の行動は、その後ろから不承不承ながら付いてきていた懐音と柩に、先刻の自失を遥かに上回る疲弊感を覚えさせていた。
「…あいつ、確か名門のお嬢様学校に通っていたはずだな。だとすれば普通は、それなりにでも影響を受けているはずの、お嬢様の欠片くらいの言動は取れるものなんじゃないのか…?」
その端正な顔をすっかり疲労に歪めて、額に手をかけながら懐音が呟く。
一方の柩は、普段ならそんな懐音を窘める立場にいる。しかしながら今回ばかりは、柩はそれを承知の上で、それでもひたすらに同感であると思い、頷いた。
「まあ…だから朱音は普通じゃないんだろう」
「…そうだな。違いない」
大きく息を吐いた懐音は、そんな柩と共に朱音の側へと歩を進める。
すると、朱音が先程から叩き続けている氷皇の部屋の、固く閉ざされていた扉が、内側から音もなく開いた。
「! 氷皇…?」
朱音は驚いて手を止める。
中から姿を見せたのは、線の細い、知的ながらもどこか物憂げな様子を醸し出す、黒髪黒眼の、黒耀石を反映させたような容姿を持った、美しい少年だった。
「氷皇!」
朱音が喜びに声をあげる。すると、氷皇と呼ばれた少年は、よほど注意しなければ気付かない程に、寂れたように…脆く微笑んだ。
「朱音…久しぶりだね。逢いたかったよ」
幼なじみから告げられた嬉しい言葉に、朱音は、懐音や柩には今だ見せたこともないような、人懐っこい笑みを見せた。
もはやここまで来ると、完全な部外者であることから、懐音と柩はまるっきり口を挟めず…
朱音と氷皇のやり取りを観察し、せめてその言動を意識することで、二人は上条氷皇という、ひとりの人間を捉えようとしていた。
朱音は大きく頷いて答える。
「うん、あたしも… ってそれよりも、氷皇、体の調子はどうなの?
今、どこかおかしい所とか、具合が悪い所とか…ない?」
「…!?」
それは心中を、そして隠している事実を全て見透かされたかのような気がして、氷皇はこの時ばかりは動揺を隠せず、驚愕に一瞬、きつく眉を顰めた。
が、すぐに冷静さを取り戻すと、言っている意味が分からないといった表情をする。
「うん…俺は平気だよ。
朱音、こんな所で立ち話も何だから、中に入るといい。勿論そこの客人も一緒にね」
その表情を優しい微笑みへと変えた氷皇は、傍らにいた懐音と柩の方へ、目を走らせた。
見た目からして朱音の連れであるこの二人に、軽く会釈をすることで簡単な挨拶を済ませた氷皇は、大きく扉を開くと、自らの部屋へと三人を招き入れた。
…その、皆の僅かな動きの隙をついて、柩が懐音に目配せし、慎重に慎重を重ねた、低い小声で呟く。
「…気付いたか? 懐音」
「ああ。…どうも一足遅かったようだな。よほどその感覚が優れていなければ、あれにはまず気付かないだろうが…」
懐音は警戒に目を細めた。
朱音の通常通りの反応からして、どうやら人間の目には見えていないようだが、懐音と柩のその瞳には、氷皇が漆黒の羽根に、徐々にその身を侵食されている様が、よりはっきりと映っている。
懐音はその双眸を、判断するように氷皇へと向けた。
この少年…上条氷皇は、一見、利己的かつ堅実的なようでいて、その内面は体の線と同じように脆弱で、酷く細い。
現に彼は先程、幼なじみである朱音から唐突に、自らの隠し事にも近い核心に触れられたことに動揺したのか、しっかりと襤褸を出した。
…それは、朱音が体調を訊いた時の氷皇の答え。
彼は、『大丈夫』ではなく、『平気だ』と答えた。
普通の状態でなら、大抵の人間はその答えに、朱音同様に安堵して満足し、そのまま放置するだろうが、その答えこそが実は、何かに耐えている証。
見た目にもこの言葉にも、彼は明らかに、誰かに何かを仕掛けられている…!
現段階で、氷皇がこうまで平然としているのが不思議なくらいだ。
闇に身を喰われ、冒されるということは、想像を絶する痛みと、これ以上ない程の深い絶望を伴う。
“闇にその身を染められ、そしてやがては支配される…!”
だが、目の前の人間…
上条氷皇には、まるでそれが見られない。
「…人間の割に、大した精神力だ」
その理由には、懐音はあえて触れなかったが、それでもそれ自体を理解していることから、その口元には、知らぬうちに不敵な笑みが浮かべられる。
そんな懐音の、珍しいともいえる賛辞を知ることもないままに、氷皇は申し訳なさそうに目を伏せ、朱音に謝罪した。
「せっかく来て貰ったのに何だけど、俺の方にも客人がいるから、あまり長話は出来ないんだ。ごめんね」
「!あ、いいのいいの。かえって気を遣わせちゃってごめん。こっちのことは気にしないで」
朱音は慌てて勢い良く手を振る。
「そもそも、約束無しにいきなり押しかけたあたしたちが悪いんだから。先約があるなら、そっちを優先するのは当たり前よ。
それに氷皇も、見た感じでは結構元気そうだし…」
すぐ帰るから、と、氷皇が心配しないように笑顔でそう答えようとした朱音の肩は、突然、懐音と柩に双方から掴まれ、そのまま背後へと強く引き寄せられた。
「!な…」
唐突なことで、朱音はがくん、と体のバランスを崩し、勢い余って倒れそうになる。
まさしく何の前置きもないままにそこまでされて、さすがに朱音は腹を立て…
次の瞬間には、すかさず体勢を立て直し、その勢いも衰えぬまま、二人に激しく食ってかかった。
「いきなり何するのよ! もう少しでまともにコケるとこだっ…
…え? 何…!?」
反射的に二人の表情を目の当たりにした朱音は、何故か畏れに顔を強張らせ、そのまま絶句した。
次いで、それまでの勢いも殺さぬままに両の拳を振り上げると、そのまま複数回、扉に向かって拳を交互に、強く叩きつける。
けたたましい、という表現が何よりぴったりなその朱音の行動は、その後ろから不承不承ながら付いてきていた懐音と柩に、先刻の自失を遥かに上回る疲弊感を覚えさせていた。
「…あいつ、確か名門のお嬢様学校に通っていたはずだな。だとすれば普通は、それなりにでも影響を受けているはずの、お嬢様の欠片くらいの言動は取れるものなんじゃないのか…?」
その端正な顔をすっかり疲労に歪めて、額に手をかけながら懐音が呟く。
一方の柩は、普段ならそんな懐音を窘める立場にいる。しかしながら今回ばかりは、柩はそれを承知の上で、それでもひたすらに同感であると思い、頷いた。
「まあ…だから朱音は普通じゃないんだろう」
「…そうだな。違いない」
大きく息を吐いた懐音は、そんな柩と共に朱音の側へと歩を進める。
すると、朱音が先程から叩き続けている氷皇の部屋の、固く閉ざされていた扉が、内側から音もなく開いた。
「! 氷皇…?」
朱音は驚いて手を止める。
中から姿を見せたのは、線の細い、知的ながらもどこか物憂げな様子を醸し出す、黒髪黒眼の、黒耀石を反映させたような容姿を持った、美しい少年だった。
「氷皇!」
朱音が喜びに声をあげる。すると、氷皇と呼ばれた少年は、よほど注意しなければ気付かない程に、寂れたように…脆く微笑んだ。
「朱音…久しぶりだね。逢いたかったよ」
幼なじみから告げられた嬉しい言葉に、朱音は、懐音や柩には今だ見せたこともないような、人懐っこい笑みを見せた。
もはやここまで来ると、完全な部外者であることから、懐音と柩はまるっきり口を挟めず…
朱音と氷皇のやり取りを観察し、せめてその言動を意識することで、二人は上条氷皇という、ひとりの人間を捉えようとしていた。
朱音は大きく頷いて答える。
「うん、あたしも… ってそれよりも、氷皇、体の調子はどうなの?
今、どこかおかしい所とか、具合が悪い所とか…ない?」
「…!?」
それは心中を、そして隠している事実を全て見透かされたかのような気がして、氷皇はこの時ばかりは動揺を隠せず、驚愕に一瞬、きつく眉を顰めた。
が、すぐに冷静さを取り戻すと、言っている意味が分からないといった表情をする。
「うん…俺は平気だよ。
朱音、こんな所で立ち話も何だから、中に入るといい。勿論そこの客人も一緒にね」
その表情を優しい微笑みへと変えた氷皇は、傍らにいた懐音と柩の方へ、目を走らせた。
見た目からして朱音の連れであるこの二人に、軽く会釈をすることで簡単な挨拶を済ませた氷皇は、大きく扉を開くと、自らの部屋へと三人を招き入れた。
…その、皆の僅かな動きの隙をついて、柩が懐音に目配せし、慎重に慎重を重ねた、低い小声で呟く。
「…気付いたか? 懐音」
「ああ。…どうも一足遅かったようだな。よほどその感覚が優れていなければ、あれにはまず気付かないだろうが…」
懐音は警戒に目を細めた。
朱音の通常通りの反応からして、どうやら人間の目には見えていないようだが、懐音と柩のその瞳には、氷皇が漆黒の羽根に、徐々にその身を侵食されている様が、よりはっきりと映っている。
懐音はその双眸を、判断するように氷皇へと向けた。
この少年…上条氷皇は、一見、利己的かつ堅実的なようでいて、その内面は体の線と同じように脆弱で、酷く細い。
現に彼は先程、幼なじみである朱音から唐突に、自らの隠し事にも近い核心に触れられたことに動揺したのか、しっかりと襤褸を出した。
…それは、朱音が体調を訊いた時の氷皇の答え。
彼は、『大丈夫』ではなく、『平気だ』と答えた。
普通の状態でなら、大抵の人間はその答えに、朱音同様に安堵して満足し、そのまま放置するだろうが、その答えこそが実は、何かに耐えている証。
見た目にもこの言葉にも、彼は明らかに、誰かに何かを仕掛けられている…!
現段階で、氷皇がこうまで平然としているのが不思議なくらいだ。
闇に身を喰われ、冒されるということは、想像を絶する痛みと、これ以上ない程の深い絶望を伴う。
“闇にその身を染められ、そしてやがては支配される…!”
だが、目の前の人間…
上条氷皇には、まるでそれが見られない。
「…人間の割に、大した精神力だ」
その理由には、懐音はあえて触れなかったが、それでもそれ自体を理解していることから、その口元には、知らぬうちに不敵な笑みが浮かべられる。
そんな懐音の、珍しいともいえる賛辞を知ることもないままに、氷皇は申し訳なさそうに目を伏せ、朱音に謝罪した。
「せっかく来て貰ったのに何だけど、俺の方にも客人がいるから、あまり長話は出来ないんだ。ごめんね」
「!あ、いいのいいの。かえって気を遣わせちゃってごめん。こっちのことは気にしないで」
朱音は慌てて勢い良く手を振る。
「そもそも、約束無しにいきなり押しかけたあたしたちが悪いんだから。先約があるなら、そっちを優先するのは当たり前よ。
それに氷皇も、見た感じでは結構元気そうだし…」
すぐ帰るから、と、氷皇が心配しないように笑顔でそう答えようとした朱音の肩は、突然、懐音と柩に双方から掴まれ、そのまま背後へと強く引き寄せられた。
「!な…」
唐突なことで、朱音はがくん、と体のバランスを崩し、勢い余って倒れそうになる。
まさしく何の前置きもないままにそこまでされて、さすがに朱音は腹を立て…
次の瞬間には、すかさず体勢を立て直し、その勢いも衰えぬまま、二人に激しく食ってかかった。
「いきなり何するのよ! もう少しでまともにコケるとこだっ…
…え? 何…!?」
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