12 / 33
†堕落†
12
しおりを挟む
その朱音の体を、側に寄ることで辛うじて受け止めた懐音は、会話による先制を図るサガを制しようとしたが、既に遅し。
次の瞬間。
何かが引き裂かれるような嫌な音がしたかと思うと、氷皇の背から、不意に堕天使さながらの、漆黒の翼が生えた。
「!う…あぁぁあぁぁっ…!」
最も見られたくなかった者に見られたという絶望が、悲しみが…涙となって氷皇の頬を濡らす。
対する朱音は、唐突に目の前で起きた現象の意味が分からず、ただ、大きく目を見開いて立ち竦んだ。
「…ひ…おう…?」
…“なに”?
“何が起こったの”?
“あれは…本当に、氷皇…”?
“あれは…本当に… ヒト…”!?
「…なに… その…姿…?」
硬直し、血の気さえも失った朱音の体を、懐音が支える。
その手から伝わるのは、怯えを露にした震え…己の意志ではどうにもならない、畏怖。
…氷皇は自らの手のひらに顔を埋めたまま、絶望に肩を震わせる。
そしてそれに応じるように、艶やかな漆黒の翼が、その背で緩やかに揺れる──
「…っ」
さすがに全身の血が引いたのか、がくがくと震える朱音の足から力が抜ける。
それを救うようにしっかりと支えた懐音は、その手に僅かに力を込めた。
「何故だ… 答えろ、サガ!
何故、上条氷皇に手を出した!?」
珍しく怒りを露にした懐音を、一連の流れを、頬に伝う冷や汗を放置したままに見つめていた柩が抑えた。
「…懐音、落ち着け。その答えは既に出ているだろう…
なのに、何をそうも焦る? それ自体が愚問でしかないというのに」
「!っ、例え愚問でも何でも…」
怒りも露に、なおもサガを責めようとする懐音を、柩は片手を軽く上げることで制した。
…真っ直ぐに、サガを見据える。
「…サガ様、懐音の言うことは尤もです。幾ら貴方でも…今回ばかりはおイタが過ぎるんじゃないですか」
サガはその瞳に、ある意志を込めて柩を一瞥した。
「…死神の長か。どの辺りがそれに該当すると言うんだ?
命を刈るばかりの存在がよく言う。お前もあの世界に属する者なら、その本質を知らないはずはないだろう」
くつくつと喉を鳴らして酷薄に笑むその姿は、何よりも美しく、そして醜悪で…
結果としてその一連の言動は、懐音の怒りに更に火を注ぐ結果となった。
「余計な口を挟むな、柩。分かるだろう、こいつはまともに話が通じるような奴じゃない。
こいつを黙らせるには、ただひとつ。…実力行使で潰して、自分がどれだけ身の程知らずであるのか、思い知らせるしかない」
「…、全く…相変わらず歯に衣を着せぬというか…
まあ、そんな科白もお前だからこそ出るんだろうがな」
柩がどんよりと肩を落として、低く呟く。
懐音はそれにまるで構いもせず、改めてサガを鋭く見つめた。
不意に、その灰の瞳に宿る、途方もない殺気。
それはまだ直視しないうちから、サガの恐れという名の本能を、直に刺激する。
瞬間、ぞくりとした寒気がサガを襲った。
…それに伴って、冬の息吹にも近い、凍てついた肌寒さを覚える。
極寒の針で突かれているかのような特有の鋭さも、その身を刺し、麻痺を広めるかの如く、徐々に…緩やかに、五感を支配してゆく。
それは身も竦むような、紛れもない…
“恐怖”。
「…、美しい玩具だったが…残念だ。今回ばかりは手放さざるを得ないようだな。
他ならぬ、懐音…貴方に目を付けられたのでは…な」
サガは懐音の言動に留意しながら魔力を発動させる。
その魔力が床に、邪悪な光を放つ、漆黒の紋章を描いた。
「待て、サガ! まだ話は…」
このままでは、一方的にやられた挙げ句に逃げの一手を打たれてしまうと踏んだ懐音は、警戒も露にサガを留めようとする。
しかし、当のサガは、まさしく凄絶なまでに綺麗な…
天使と見紛うばかりの、柔らかな陽射しを思わせる、極上の笑みを浮かべた。
「…俺の方から話すようなことは、今は何もない。
氷皇のことは好きに扱えばいい。それこそ“生かすも殺すも”…好きにすればいい。
あの方の血を強く引いた貴方には、それが容易く出来るのだから」
「!…」
神魔という高位に属する、魔の中の魔であるはずのサガと顔を合わせても、知り合いであるということ以外は、さしたる反応も見せなかった懐音が、ここにきて初めて、激しく動揺した。
自らの血の琴線に触れられた際の、失態にも近いその過剰反応は、端から見ても容易に分かるものだった。
知らぬ間に表情を硬め、ほんの一瞬、わずかながら眉を顰めた、そんな懐音に…
その天使の微笑みを、不意に悪魔の嘲笑へと変えて、サガは非情にも言い捨てた。
「今日の所は退いておこう…
いずれまた何処かで。“兄上”」
「!…っ、サガっ!!」
懐音が憤り、激しく叫ぶも、当のサガは、懐音に対して、乾いた静寂の笑みをぶつける。
その笑みが潰える頃には、恐らくは、一般に瞬間移動と呼ばれる技を使ったのだろう…
サガの姿はいつの間にか、その場から消え失せていた。
後には、開け放たれた窓から、穏やか、かつ、涼やかな風が吹くばかりだ。
ぎりっ、と、彼らしくもなく、もはや何度目かも分からないほどに苛立たしく歯を軋ませて、懐音はサガの居た場所を、鋭い瞳のままに睨む。
そんな感情の起伏を露にする懐音に、柩は宥めるように、声のトーンをわずかに落として話しかけた。
「…諦めろ。サガ様は元々、ああいった御方だ…
お前には良く分かるはずだろう? 懐音」
柩の諭しに、懐音の拳が、より固く握りしめられる。
「…ああ、分かるさ。あいつの事なら嫌って程な。
どれだけ狡猾で、どれだけ人間を馬鹿にしているのか…
そんなことはもう、身に染みる程に分かっている」
懐音は指をきつく握り込む。
自らの手のひらに小さな三日月が複数、痕跡を残すことも厭わずに。
そのまま懐音は、低く呟いた。
次の瞬間。
何かが引き裂かれるような嫌な音がしたかと思うと、氷皇の背から、不意に堕天使さながらの、漆黒の翼が生えた。
「!う…あぁぁあぁぁっ…!」
最も見られたくなかった者に見られたという絶望が、悲しみが…涙となって氷皇の頬を濡らす。
対する朱音は、唐突に目の前で起きた現象の意味が分からず、ただ、大きく目を見開いて立ち竦んだ。
「…ひ…おう…?」
…“なに”?
“何が起こったの”?
“あれは…本当に、氷皇…”?
“あれは…本当に… ヒト…”!?
「…なに… その…姿…?」
硬直し、血の気さえも失った朱音の体を、懐音が支える。
その手から伝わるのは、怯えを露にした震え…己の意志ではどうにもならない、畏怖。
…氷皇は自らの手のひらに顔を埋めたまま、絶望に肩を震わせる。
そしてそれに応じるように、艶やかな漆黒の翼が、その背で緩やかに揺れる──
「…っ」
さすがに全身の血が引いたのか、がくがくと震える朱音の足から力が抜ける。
それを救うようにしっかりと支えた懐音は、その手に僅かに力を込めた。
「何故だ… 答えろ、サガ!
何故、上条氷皇に手を出した!?」
珍しく怒りを露にした懐音を、一連の流れを、頬に伝う冷や汗を放置したままに見つめていた柩が抑えた。
「…懐音、落ち着け。その答えは既に出ているだろう…
なのに、何をそうも焦る? それ自体が愚問でしかないというのに」
「!っ、例え愚問でも何でも…」
怒りも露に、なおもサガを責めようとする懐音を、柩は片手を軽く上げることで制した。
…真っ直ぐに、サガを見据える。
「…サガ様、懐音の言うことは尤もです。幾ら貴方でも…今回ばかりはおイタが過ぎるんじゃないですか」
サガはその瞳に、ある意志を込めて柩を一瞥した。
「…死神の長か。どの辺りがそれに該当すると言うんだ?
命を刈るばかりの存在がよく言う。お前もあの世界に属する者なら、その本質を知らないはずはないだろう」
くつくつと喉を鳴らして酷薄に笑むその姿は、何よりも美しく、そして醜悪で…
結果としてその一連の言動は、懐音の怒りに更に火を注ぐ結果となった。
「余計な口を挟むな、柩。分かるだろう、こいつはまともに話が通じるような奴じゃない。
こいつを黙らせるには、ただひとつ。…実力行使で潰して、自分がどれだけ身の程知らずであるのか、思い知らせるしかない」
「…、全く…相変わらず歯に衣を着せぬというか…
まあ、そんな科白もお前だからこそ出るんだろうがな」
柩がどんよりと肩を落として、低く呟く。
懐音はそれにまるで構いもせず、改めてサガを鋭く見つめた。
不意に、その灰の瞳に宿る、途方もない殺気。
それはまだ直視しないうちから、サガの恐れという名の本能を、直に刺激する。
瞬間、ぞくりとした寒気がサガを襲った。
…それに伴って、冬の息吹にも近い、凍てついた肌寒さを覚える。
極寒の針で突かれているかのような特有の鋭さも、その身を刺し、麻痺を広めるかの如く、徐々に…緩やかに、五感を支配してゆく。
それは身も竦むような、紛れもない…
“恐怖”。
「…、美しい玩具だったが…残念だ。今回ばかりは手放さざるを得ないようだな。
他ならぬ、懐音…貴方に目を付けられたのでは…な」
サガは懐音の言動に留意しながら魔力を発動させる。
その魔力が床に、邪悪な光を放つ、漆黒の紋章を描いた。
「待て、サガ! まだ話は…」
このままでは、一方的にやられた挙げ句に逃げの一手を打たれてしまうと踏んだ懐音は、警戒も露にサガを留めようとする。
しかし、当のサガは、まさしく凄絶なまでに綺麗な…
天使と見紛うばかりの、柔らかな陽射しを思わせる、極上の笑みを浮かべた。
「…俺の方から話すようなことは、今は何もない。
氷皇のことは好きに扱えばいい。それこそ“生かすも殺すも”…好きにすればいい。
あの方の血を強く引いた貴方には、それが容易く出来るのだから」
「!…」
神魔という高位に属する、魔の中の魔であるはずのサガと顔を合わせても、知り合いであるということ以外は、さしたる反応も見せなかった懐音が、ここにきて初めて、激しく動揺した。
自らの血の琴線に触れられた際の、失態にも近いその過剰反応は、端から見ても容易に分かるものだった。
知らぬ間に表情を硬め、ほんの一瞬、わずかながら眉を顰めた、そんな懐音に…
その天使の微笑みを、不意に悪魔の嘲笑へと変えて、サガは非情にも言い捨てた。
「今日の所は退いておこう…
いずれまた何処かで。“兄上”」
「!…っ、サガっ!!」
懐音が憤り、激しく叫ぶも、当のサガは、懐音に対して、乾いた静寂の笑みをぶつける。
その笑みが潰える頃には、恐らくは、一般に瞬間移動と呼ばれる技を使ったのだろう…
サガの姿はいつの間にか、その場から消え失せていた。
後には、開け放たれた窓から、穏やか、かつ、涼やかな風が吹くばかりだ。
ぎりっ、と、彼らしくもなく、もはや何度目かも分からないほどに苛立たしく歯を軋ませて、懐音はサガの居た場所を、鋭い瞳のままに睨む。
そんな感情の起伏を露にする懐音に、柩は宥めるように、声のトーンをわずかに落として話しかけた。
「…諦めろ。サガ様は元々、ああいった御方だ…
お前には良く分かるはずだろう? 懐音」
柩の諭しに、懐音の拳が、より固く握りしめられる。
「…ああ、分かるさ。あいつの事なら嫌って程な。
どれだけ狡猾で、どれだけ人間を馬鹿にしているのか…
そんなことはもう、身に染みる程に分かっている」
懐音は指をきつく握り込む。
自らの手のひらに小さな三日月が複数、痕跡を残すことも厭わずに。
そのまま懐音は、低く呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生先はご近所さん?
フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが…
そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。
でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
心が折れた日に神の声を聞く
木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。
どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。
何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。
絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。
没ネタ供養、第二弾の短編です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる