23 / 33
†忘却†
3
しおりを挟む
★☆★☆★
「…ねえ、あれで良かったの? 朱音」
「何がよ? 緋桜」
先程の一件から、隣家に移動する為にか、てくてくとした足取りで道路を歩いていた緋桜が、左隣から朱音に訊ねた。
すると朱音は、明らかに質問の意味が分からない、といった顔をして、訝しげに緋桜を見上げる。
緋桜は再び口を開いた。
「あれだけの量の洗濯物、全部、柩さんに押し付けたりしてさ。
あれを洗うだけでもひと手間だよ。
柩さんの方にだって、何か都合があるかも知れないじゃない」
「ああ、そのこと? 多分大丈夫よ。
…あの懐音と絡む暇があるんだから」
「……」
緋桜は今度は口を開かなかった。
まあ、朱音の性格上、予測がつかないこともなかったが、あろうことか即答した挙げ句にこの言い種とは。
大概、懐音も口が悪いが、よくよく考えてみれば、もしかなくとも、“性格上はどっちもどっちなのではないか”、と思い立った緋桜が嘆息する。
それに朱音は、更に目を細めた。
「…嫌な溜め息ね」
「つきたくもなるだろ…」
緋桜はとうに否定する気も失せて、深く肩を落とし…
再度、呆れ混じりの溜め息をつく。
…そうこうしている間に隣家に着いた。
隣家の前に足を止めた二人は、思わずごくりと息を呑み、その家の上から下までを、まさしく視線を落とすような形で、満遍なく見つめた。
──それは家というよりは館に近く、入り口には無数の蔦が、壁を覆うようにして蔓延っていた。
館全体のイメージとしては、洋館に近く、確かに相応に立派ではある…が、その蔦と、どこか特有の重苦しさを感じさせる負の雰囲気が、介入しようとする者を、心理的に拒み、足止め同様に足を固まらせ、竦ませている。
それでも辛うじて周囲に植えられた広葉樹が、その雰囲気を幾分か和らげている。
その館の様子を把握した朱音の頬には、僅かに冷や汗が伝ったが…
それでも次には我に返った朱音は、ふと思い立ったように、緋桜の服の片袖を、くいくいと引っ張った。
それに気付いた緋桜は、瞬時に顔を強張らせる。
「…まさか、朱音…
俺に先に行けって言うの?」
朱音の意図を察し、さすがに緋桜の口元が引きつる。
それに朱音は、首の関節が壊れた人形のように、激しく首を縦に振った。
「勿論! 緋桜、男の子でしょ!?」
「…全く…昔からそうだけど、朱音は、こんな時ばっかり俺を推すんだね…」
もはや朱音の性格を嫌というほど理解している緋桜は、弁解も反論もせず、ただひたすらに溜め息をつくことしか出来ない。
その背中を朱音が文字通り後押しした。
「いいから、ほら、ご挨拶!
人当たりがいいのは懐音のお墨付きだから大丈夫よ!」
「…懐音さんに言われてもね…」
緋桜の表情は更に引きつる。
しかしこの朱音の性格上、早く事を起こさなければどうなるかは知れているので、仕方なく緋桜は先に立って玄関前まで歩を進める。
生い茂った蔦のため、手探りにも近い形で呼び鈴を捜し当てると、やや躊躇いがちにそれを押す。
軽やかなチャイムにも近い音が、その館の内部に響き渡った。
…しかし返事も、然したる反応もない。
「…? 留守かな」
背後で、まさしくその背に隠れるような形で様子を窺う朱音に、緋桜は声をかける。
すると朱音は、その館の雰囲気に呑まれたのか、やや青ざめた顔を近付ける形で、緋桜に物申した。
「!る、留守ならまた日を改めてお詫びに伺いましょ!?
今度は誰が何と言おうと、絶対にあの俺様ヘビースモーカーを連れて来るから!
今日は出直しってことで──」
「朱音…それ聞いたら、懐音さん…
怒って、絶対に来ないよ」
「…そうかな」
「懐音さんの性格、まさか忘れた訳じゃないだろ。絶対にそうだよ」
緋桜は、はっきりと答えることでこの会話を完結させると、じっと扉を見つめ、次には何かを振り切るように、ノブへと手をかけた。
しかし、その手が、ある種の違和感に強張る。
「どうしたの? 緋桜」
「…開いてる…」
朱音の方に視線を移さぬままに、緋桜はゆっくりとドアを押してみせる。
それに朱音は唖然となった。
「…応答がないのに開いてるの?
言っちゃ何だけど、このご時世に、不用心極まりないわね…」
「でも、現にこうして開いてるってことは、誰かが奥に居るのかも知れないよ。
さっきのだって、もしかしたら聞き逃した可能性も──」
朱音と緋桜が、そう声を潜めつつも中の様子を窺っていると、全く唐突に、その前方から、やんわりとした抑揚の青年の声が響いた。
『…その通りだよ、お客人』
「えっ…!?」
誰もいないと思われていた内部から…
それも、すぐ近くから親しげに放たれた声に、朱音の体はぎくりと固まった。
一方、それを気にかけながらも、緋桜はそれのみで射抜けるかの如く目を鋭く細めると、声のした方を沈黙と共に見据える。
そこには透き通るまでの美しい肌を持つ、外国人風の青年が、暖かい笑みを湛えてこちらを見つめていた。
『どなたが訪ねて来たのかと思えば…
ひとりは先程のお嬢さんか』
「!あのっ…」
何をさて置いても、まずは謝らなければ、という考えが根底にある朱音は、緋桜の陰から前に出る形で、躊躇いがちに青年に話しかける。
するとその青年は、いかにも不思議そうにその瞳をぱちくりさせた。
『何…?』
「あ、あの、あた… いや、私… 燐藤朱音って言います!
さっき… いえ先程は、初対面なのにも関わらず、ろくにご挨拶もせずにすいませ…
!違った、申し訳ありませんでした!」
普段があの状態のため、敬語を使うことに慣れていない朱音は、それだけで既にしどろもどろだ。
するとその青年は、ぱちくりさせた目を今度は点にすると、やがて屈託なく笑った。
『…何だ、そんなことでわざわざ家まで来てくれたの?
随分丁寧…というか几帳面な人だね。こっちは別に気にしてないんだから、そんなに畏まらなくていいのに』
「!い、いえいえそんな滅相もない!
やっぱり隣近所への挨拶って大事ですし、そういう訳には…」
朱音は勢い良く手を振った。
「…ねえ、あれで良かったの? 朱音」
「何がよ? 緋桜」
先程の一件から、隣家に移動する為にか、てくてくとした足取りで道路を歩いていた緋桜が、左隣から朱音に訊ねた。
すると朱音は、明らかに質問の意味が分からない、といった顔をして、訝しげに緋桜を見上げる。
緋桜は再び口を開いた。
「あれだけの量の洗濯物、全部、柩さんに押し付けたりしてさ。
あれを洗うだけでもひと手間だよ。
柩さんの方にだって、何か都合があるかも知れないじゃない」
「ああ、そのこと? 多分大丈夫よ。
…あの懐音と絡む暇があるんだから」
「……」
緋桜は今度は口を開かなかった。
まあ、朱音の性格上、予測がつかないこともなかったが、あろうことか即答した挙げ句にこの言い種とは。
大概、懐音も口が悪いが、よくよく考えてみれば、もしかなくとも、“性格上はどっちもどっちなのではないか”、と思い立った緋桜が嘆息する。
それに朱音は、更に目を細めた。
「…嫌な溜め息ね」
「つきたくもなるだろ…」
緋桜はとうに否定する気も失せて、深く肩を落とし…
再度、呆れ混じりの溜め息をつく。
…そうこうしている間に隣家に着いた。
隣家の前に足を止めた二人は、思わずごくりと息を呑み、その家の上から下までを、まさしく視線を落とすような形で、満遍なく見つめた。
──それは家というよりは館に近く、入り口には無数の蔦が、壁を覆うようにして蔓延っていた。
館全体のイメージとしては、洋館に近く、確かに相応に立派ではある…が、その蔦と、どこか特有の重苦しさを感じさせる負の雰囲気が、介入しようとする者を、心理的に拒み、足止め同様に足を固まらせ、竦ませている。
それでも辛うじて周囲に植えられた広葉樹が、その雰囲気を幾分か和らげている。
その館の様子を把握した朱音の頬には、僅かに冷や汗が伝ったが…
それでも次には我に返った朱音は、ふと思い立ったように、緋桜の服の片袖を、くいくいと引っ張った。
それに気付いた緋桜は、瞬時に顔を強張らせる。
「…まさか、朱音…
俺に先に行けって言うの?」
朱音の意図を察し、さすがに緋桜の口元が引きつる。
それに朱音は、首の関節が壊れた人形のように、激しく首を縦に振った。
「勿論! 緋桜、男の子でしょ!?」
「…全く…昔からそうだけど、朱音は、こんな時ばっかり俺を推すんだね…」
もはや朱音の性格を嫌というほど理解している緋桜は、弁解も反論もせず、ただひたすらに溜め息をつくことしか出来ない。
その背中を朱音が文字通り後押しした。
「いいから、ほら、ご挨拶!
人当たりがいいのは懐音のお墨付きだから大丈夫よ!」
「…懐音さんに言われてもね…」
緋桜の表情は更に引きつる。
しかしこの朱音の性格上、早く事を起こさなければどうなるかは知れているので、仕方なく緋桜は先に立って玄関前まで歩を進める。
生い茂った蔦のため、手探りにも近い形で呼び鈴を捜し当てると、やや躊躇いがちにそれを押す。
軽やかなチャイムにも近い音が、その館の内部に響き渡った。
…しかし返事も、然したる反応もない。
「…? 留守かな」
背後で、まさしくその背に隠れるような形で様子を窺う朱音に、緋桜は声をかける。
すると朱音は、その館の雰囲気に呑まれたのか、やや青ざめた顔を近付ける形で、緋桜に物申した。
「!る、留守ならまた日を改めてお詫びに伺いましょ!?
今度は誰が何と言おうと、絶対にあの俺様ヘビースモーカーを連れて来るから!
今日は出直しってことで──」
「朱音…それ聞いたら、懐音さん…
怒って、絶対に来ないよ」
「…そうかな」
「懐音さんの性格、まさか忘れた訳じゃないだろ。絶対にそうだよ」
緋桜は、はっきりと答えることでこの会話を完結させると、じっと扉を見つめ、次には何かを振り切るように、ノブへと手をかけた。
しかし、その手が、ある種の違和感に強張る。
「どうしたの? 緋桜」
「…開いてる…」
朱音の方に視線を移さぬままに、緋桜はゆっくりとドアを押してみせる。
それに朱音は唖然となった。
「…応答がないのに開いてるの?
言っちゃ何だけど、このご時世に、不用心極まりないわね…」
「でも、現にこうして開いてるってことは、誰かが奥に居るのかも知れないよ。
さっきのだって、もしかしたら聞き逃した可能性も──」
朱音と緋桜が、そう声を潜めつつも中の様子を窺っていると、全く唐突に、その前方から、やんわりとした抑揚の青年の声が響いた。
『…その通りだよ、お客人』
「えっ…!?」
誰もいないと思われていた内部から…
それも、すぐ近くから親しげに放たれた声に、朱音の体はぎくりと固まった。
一方、それを気にかけながらも、緋桜はそれのみで射抜けるかの如く目を鋭く細めると、声のした方を沈黙と共に見据える。
そこには透き通るまでの美しい肌を持つ、外国人風の青年が、暖かい笑みを湛えてこちらを見つめていた。
『どなたが訪ねて来たのかと思えば…
ひとりは先程のお嬢さんか』
「!あのっ…」
何をさて置いても、まずは謝らなければ、という考えが根底にある朱音は、緋桜の陰から前に出る形で、躊躇いがちに青年に話しかける。
するとその青年は、いかにも不思議そうにその瞳をぱちくりさせた。
『何…?』
「あ、あの、あた… いや、私… 燐藤朱音って言います!
さっき… いえ先程は、初対面なのにも関わらず、ろくにご挨拶もせずにすいませ…
!違った、申し訳ありませんでした!」
普段があの状態のため、敬語を使うことに慣れていない朱音は、それだけで既にしどろもどろだ。
するとその青年は、ぱちくりさせた目を今度は点にすると、やがて屈託なく笑った。
『…何だ、そんなことでわざわざ家まで来てくれたの?
随分丁寧…というか几帳面な人だね。こっちは別に気にしてないんだから、そんなに畏まらなくていいのに』
「!い、いえいえそんな滅相もない!
やっぱり隣近所への挨拶って大事ですし、そういう訳には…」
朱音は勢い良く手を振った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生先はご近所さん?
フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが…
そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。
でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
心が折れた日に神の声を聞く
木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。
どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。
何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。
絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。
没ネタ供養、第二弾の短編です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる