海が鳴いている

八助のすけ

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海が鳴いている17

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「……マコちゃん?」

 章良が物音と気配で目を開けると、店の窓の鍵を確認し、表入り口と裏口の鍵をまた確認している真琴の背中が見えた。真琴が寝落ちしてから、座敷奥の布団を広げて真琴を寝かし、食器を洗い自分も真琴の隣に横になった後章良もそのまま眠ってしまったらしかった。

 夜から船に乗り漁をし、本来なら昼前には寝ると言う生活をしていた為、真琴が目を覚ますまで待てずにいた。章良がのっそりと起き上がると、真琴がそれに気付いてこちらへとやって来た。

「浄水くん、ごめんね……今夜も漁があるんでしょ?」

「あ、うん……でも凄く寝たって感じ」

「そう、僕もこんなに熟睡したの久しぶりだった」

 ボーンボーンボーンボーンボーン、柱にかけてある振り子時計が五時を知らせる。

「ごめんね、もっと早くに起きてれば辰朗さん家でゆっくり用意出来たのに、ちょっと待って、残った料理を保存容器に詰めるから持って帰って」

 座敷の上に腰をかけ、土間に足を降ろした姿勢で座っている章良が、目の前を通過する真琴の手首を掴んだ。

「マコちゃん」

「――――!」

 章良に手を引っ張られ、真琴の身体が反転し章良と向かい合わせとなった。自分を見上げる章良の顔は、これまで見て来たどの顔とも違いとても大人びて見える。

「浄水……くん?」

 真琴の大きな黒目が、少し不安に揺れるが、章良は視線すら避けるのを許さない様に、大きな両手で真琴の手を包み込んだ。

「……俺、ここを出てからずっと考えてたんだ」

 章良がゆっくりと、噛み締める様に話始める。

「何度も自分に問いかけて、自分の気持ちを繰り返し確かめてた」

「…………」

「一次的な物だったり、同情だったり、そんな気持ちでこの気持ちが成り立ってんじゃないかって、何度も何度も何度も自分に問いかけて来た……俺にその資格と覚悟があるのかって……」

「……資格と覚悟って?」

「俺に、マコちゃんを守る資格と覚悟があるのかって」

 真琴の瞳が見開かれ、章良に掴まれた手に力が籠もるのが解った。

「俺、マコちゃんが好きだ」

〈……ああ……恐れていた事が……〉

 その言葉を聞いて、真琴が顔色を変え眩暈を起こした様に少しよろめいた。

「駄目、駄目だよっ! それは駄目!」

「何が駄目なの? 俺が年下だから?」

「違う! そうじゃない、君はとても素直で皆から愛されてる! それに才能だってあるし、これから色々な可能性を秘めてる! そんな君を狂わせる訳にはいかないんだ!」

「狂うって?」

「…………僕は……僕と関わった人を狂わせてしまうんだ……孝史は昔は皆の人気者で凄く良い奴だった、でも……僕と付き合う様になってまるで人が変わってしまったんだ、お前は無意識に男を誘っているって……仕事をしても何時も長続きしなくて、それも全て僕のせい……僕は人を駄目にするって、だから責任をとって自立出来るまで面倒見ろ、そう言われてた。

 それは、あながち間違いじゃないって自分でも解ってる……店の先輩や同僚に乱暴された後も、僕が誘ったと……全員がそう証言してた…………店のオーナーに僕が男を誘っていた事は伏せておいてやるから、店を辞めろって言われた。僕は誘っているなんて自覚は全くない、なのに、これまで関わった人は皆同じ事を言うんだ…………もう嫌なんだ、僕のせいで僕の大切な人が人生を狂わせてしまうのを見たくない……だから……浄水君の気持ちを受け入れる事は出来ない……」

 それまで真琴を厳しい顔で見上げたまま黙っていた章良が、掴んでいた真琴の手を思い切り引くと、真琴がそのまま章良の身体に多い被さる形となった。

「っ――――――!?」

 驚いて章良から離れようとする真琴を、章良の腕がそれを許さずに抱き締める。

「よっ……かった――――――!!」

「え? なにが!? ちょっと浄水君ちゃんと僕の話を聞いてた?!」

「俺! マコちゃんに嫌われて避けられてたらどうしようって思ってた! 元彼がやって来て、焼けぼっくりに火が付いたんじゃないかって! だったら逆に俺が告白したらマコちゃんもっと悩んでしまって、このまま島から出て行くんじゃないかって、すげえ怖かった!」

「え? はあ? 待って、そこ?」

 章良の腕の中から抜けだそうと抵抗するが、元々身体の大きさから力からして敵う訳も無く、最後は諦めて抱き締められるままになる。

「俺、マコちゃんに大切って思われてるって事だよね?」

「……当たり前だろ……僕は……今のままの浄水君で居て欲しいんだ、僕のせいで後ろ指をさされたり、白い目で見られたりしたら僕が耐えられない、それに……孝史はまた来ると言ってた、彼はとても執念深いし強欲なんだ。自分の物だと認定した物や人に対しての執着は異常で、どんな手を使っても引き戻そうとする……もし、浄水君がここで一緒に暮らしていると知ったら、今度は浄水君をターゲットにするのは火を見るより明らかだ……正直、僕も彼が一体何を仕掛けて来るのか解らなくて……これまでも僕だけが叩かれて暴言を吐かれるだけでは済まなかった。一度彼が転がり込んで来た後、彼の束縛に耐えられなくて唯一仲良かった同僚の部屋に泊めてもらった事がある、それが気に入らなかった孝史が先輩達を焚きつけて……」
 
 真琴はそこで言葉を詰まらせ、肩をブルっと振るわせた。章良は黙ったまま真琴の身体を全身で護る様にきつく抱き、髪の毛を混ぜる様に撫でる。

「マコちゃんの過去はもう拭い去れない……俺がどれだけ慰めても、それは変える事は出来ない……でも、これからは俺がマコちゃんを護りたいって立候補しても良いかな、他の人が何を言おうがマコちゃんを疑ったり白い目で見たりしたとしても、俺はマコちゃんを信じるって決めたんだ。どんな事があっても俺だけはマコちゃんの味方でいるって決めた……。
 辰っちゃんの受け売りだけどね、男として惚れたのならどんな事があっても惚れた相手を信じろって、俺がどれだけ相手の事を好きかまず自分自身に問い質せって、そして覚悟が決まったらもう迷うな――そう言われたんだ。だから、すっと考えて考えて何度も繰り返して……覚悟して今日ここに来た。俺はマコちゃんが好きだ、これからも一緒に居たいしずっと愛していく」

「……――っ」

 真琴は、溢れそうになる気持ちを飲み込む様にキツく唇を嚙んだ。泣いてはいけないと何度も自分に言い聞かせる。

「…………いま……直ぐには返事出来ない……」

「解ってる、今答えが聞きたいって訳じゃないんだ、俺はこう想っているって事を伝えに来ただけだから、マコちゃんの中で答えが出るまで俺は一ヶ月でも一年でも待つ。でも、これだけは忘れないで……マコちゃんは自分で思っているよりずっと皆から愛されてるって」

「…………」

 これまで、自分に対してこんなにも一途に気持ちをぶつけて来られた事は無かった、親でさえどこか一歩距離を置かれていると感じて、幼い頃はいつもどこか索漠とした気持ちを抱えていた。

 認められたくて自分の立ち位置を模索していた頃もあったが、周りの何処にもありのままの自分を受け入れて貰える場所もなかった。飢えて渇いた心を満たす様に寄り添った男からは、望んだ形の愛は貰えず、これが自分の運命だと何時しか求める事を諦めた。

 そんな真琴の心に章良の言葉が突き刺さって行く。求めて求めて得られなかった物が、全てを諦めた今与えられている。ずっと欲しかった言葉が降り注ぐ中、真琴は戸惑いと、充足と、希求の狭間で揺れ動いている。

 今口を開けば想いが溢れてしまう――。

 傷つき萎縮した複雑な心を抱えた真琴は、溺れそうになる気持ちが流され無い様に、目の前にある背中にしがみつくしか出来なかった。

 ボーンボーンボーンボーンボーンボーン……

 振り子時計の音を合図に、章良は真琴を解放する。真琴はゆっくりと身体を離し、章良の青っぽい瞳を見つめた。

「俺、今日はもう帰るよ……」

「…………うん」

「今日の返事は……急いでないから、俺ずっと待ってる。マコちゃんが俺と一緒にいても良いって思えたら……教えて」

 章良がスマートフォンケースから、一枚のメモ用紙を取り出して真琴へ手渡す。そこには、090から始まる番号と、メールアドレスが書かれていた。

「それ、俺の番号……今日の返事じゃなくても、何かあったら電話して、直ぐに駆けつけるから」

「え? でも浄水君の電話は止めてるって言ってなかった?」

「うん、止めてたけどまた繋げたんだ。俺も、もう過去から逃げないって決めた」

「……そうか……」

 真琴が感慨深くそのメモをみつめてから、自分のスマートフォンケースに挟んだ。

「じゃ! 帰るわ!」

 章良がグンと腕を伸ばし背伸びをして、店の入り口を開けると、もう夕方にも関わらず熱気のある外気が空調の効いた店内に流れ込んで来た。章良が店と外の境目に立ち、振り向き様に真琴をもう一度抱き寄せ、細い身体を包み込む。

「じ、浄水君!?」

「……何かあっても絶対に一人で抱え込まないで……俺、まだまだ未熟だし頼りないかもしれなけど、何があっても助けるから……絶対幸せになる、マコちゃんが二度と自分に関わった人間が不幸になるって思わせる様な事にはならないって誓うよ。
 マコちゃんは自分を嫌いかもしれないけど、周りが敵だらけになったとしても、俺だけはマコちゃんを大好きだって事を思い出して」

「……」

 真琴は、店の入り口から身体半分を出して、夏の日差しの中へと溶ける様に遠ざかる章良の背中を見ていた。視界から消えても暫く眺めていた真琴だったが静かに引き戸を閉め、入り口の引き戸に縋りつきながら、ズルズルとその場に崩れ落ちた。

「――っ……ふっ……う……ううっ」

 ずっと堪えていた熱いものが一気に決壊し溢れ出す。冷えた心に突き刺さった真琴の言葉の一つ一つがじわじわと熱を持ち、心を解して行くのが解る。

「……どうしよう……どう……しよう……」












 もう、誰も愛さないと切り離したはずなのに……













 浄水君への気持ちが止められないよ……














「ふぅ……うっ……あ……あああっ……」









 真琴は、まるで子供の様に泣きじゃくった。










【続】
 2019/07/31 海が鳴いている17 
 八助のすけ
 
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