2 / 6
1.トマトのポタージュスープ
画家の青年
しおりを挟む
ある日の夕方のことだった。店主がトマトスープを仕込んでいると、ある青年がレストランにやってきた。
見たところ画家で、大きなイーゼルを畳んで背負い、キャンパスと、絵の具や筆の入った鞄を持っていた。
青年は、冴えない様子で大きくため息をついて席についた。そして、ハッと気づいて、青年のほうにやってくる店主を見た。
「あ、予約をしていませんでした!」
青年はそう言うと立ち上がった。店主はそれを止めた。店内は全て木でできている。床も、椅子も木だった。だからそれなりにすごい音がした。
店主は笑って青年を椅子に座らせた。
「荷物をお預かりしますよ」
そう言ってやると、青年は少しためらいがちに荷物を店主に差し出した。そして、一息つくと、自分の席の壁にある絵を見た。
「お上手なんですね。魅力的だ」
青年はそう言うと、少し寂しそうに店主を見た。
「畑仕事の片手間に描くんですよ。そんな絵でもお求めになるお客様がいらしてね。ありがたい限りですよ」
そう返すと、画家の青年は項垂れて、末には頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「どうして僕の絵はこうもダメなんだ!」
そう言って嘆くので、サービスにと思ってお茶を持ってきた店主は足を止めた。秋の日の落ち方は非常に早い。先ほど青年が入ってきた時はまだ明るかったのに、もう暗くなってしまっている。
「どうしてダメなのだと思うんですか?」
青年の前にそっとお茶をおくと、青年は首を横に振って答えた。
「ご自分の絵がお嫌いなので?」
すると、青年は嘆くのをやめ、起き上がって店主を見た。
「嫌いですよ。仕事の片手間に描いた絵が売れて、本業でやっている僕の絵は全く売れない。そんな売れない絵が好きになるものか」
それを聞いて、店主は青年をなだめるように、優しくその背をさすり、お茶をティーポットからカップに移して行った。黄金色に光る半発酵のお茶がその豊かで華やかな香りをあたりに広げていく。
その香りに、青年は目が覚めたような表情をして店主を見た。
「絵など所詮、自己満足の世界。自分が満足できて好きになれればどんな絵であれ名作なのだと思いますよ。ただ、売って生活の糧にするとなると話は別ですね」
店主は、そう言ってニコリと笑い、厨房に下がっていった。そして、しばらくしてひと掬いのスープをスープ皿に盛って持ってくると、青年の目の前に置いた。
それは真っ赤なトマトのポタージュスープで、中に入っている全ての具材を全て潰して裏漉しした丁寧な作りのものだった。
「何もない海だと思ってください。これが、あなたの絵です」
店主は、そういうと、失礼、と一言添えて、スプーンでそれをかき回した。
「じつにいろんなものが入っているスープです。ですが、見た目は何もない。でも、こうしたらどうでしょう?」
店主が、少し不安げにこちらを見る青年に笑いかけて、バジルの葉を一枚、スープの上に浮かべた。
「もう、お分かりになりましたね」
それを聞いて、画家はハッとした。
「ドラマが、生まれた! 葉っぱは船、いや、孤島か? それだけじゃない。バジルの葉で劇的にスープの味が変わるんだ! そうか、僕に足りなかったのはこれか。動かない情報を詰め込むだけじゃない。せっかく詰め込んだ情報を活かすドラマが必要だったんだ!」
青年はそう言って、店主に笑いかけてスープを懸命に飲んだ。そして、飲み干してしまうと、店主が用意してくれたキャンパスを店内でイーゼルに立てかけた。
そこには大きく長い灯台とそこから続く道、灯台の向こうの青い海と空、そして雲が描かれていた。
青年は、そこに、船と、りんごの木を描き足した。
「りんご恋し、船の旅路よ」
画家はそう言って、筆を置いた。
見たところ画家で、大きなイーゼルを畳んで背負い、キャンパスと、絵の具や筆の入った鞄を持っていた。
青年は、冴えない様子で大きくため息をついて席についた。そして、ハッと気づいて、青年のほうにやってくる店主を見た。
「あ、予約をしていませんでした!」
青年はそう言うと立ち上がった。店主はそれを止めた。店内は全て木でできている。床も、椅子も木だった。だからそれなりにすごい音がした。
店主は笑って青年を椅子に座らせた。
「荷物をお預かりしますよ」
そう言ってやると、青年は少しためらいがちに荷物を店主に差し出した。そして、一息つくと、自分の席の壁にある絵を見た。
「お上手なんですね。魅力的だ」
青年はそう言うと、少し寂しそうに店主を見た。
「畑仕事の片手間に描くんですよ。そんな絵でもお求めになるお客様がいらしてね。ありがたい限りですよ」
そう返すと、画家の青年は項垂れて、末には頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「どうして僕の絵はこうもダメなんだ!」
そう言って嘆くので、サービスにと思ってお茶を持ってきた店主は足を止めた。秋の日の落ち方は非常に早い。先ほど青年が入ってきた時はまだ明るかったのに、もう暗くなってしまっている。
「どうしてダメなのだと思うんですか?」
青年の前にそっとお茶をおくと、青年は首を横に振って答えた。
「ご自分の絵がお嫌いなので?」
すると、青年は嘆くのをやめ、起き上がって店主を見た。
「嫌いですよ。仕事の片手間に描いた絵が売れて、本業でやっている僕の絵は全く売れない。そんな売れない絵が好きになるものか」
それを聞いて、店主は青年をなだめるように、優しくその背をさすり、お茶をティーポットからカップに移して行った。黄金色に光る半発酵のお茶がその豊かで華やかな香りをあたりに広げていく。
その香りに、青年は目が覚めたような表情をして店主を見た。
「絵など所詮、自己満足の世界。自分が満足できて好きになれればどんな絵であれ名作なのだと思いますよ。ただ、売って生活の糧にするとなると話は別ですね」
店主は、そう言ってニコリと笑い、厨房に下がっていった。そして、しばらくしてひと掬いのスープをスープ皿に盛って持ってくると、青年の目の前に置いた。
それは真っ赤なトマトのポタージュスープで、中に入っている全ての具材を全て潰して裏漉しした丁寧な作りのものだった。
「何もない海だと思ってください。これが、あなたの絵です」
店主は、そういうと、失礼、と一言添えて、スプーンでそれをかき回した。
「じつにいろんなものが入っているスープです。ですが、見た目は何もない。でも、こうしたらどうでしょう?」
店主が、少し不安げにこちらを見る青年に笑いかけて、バジルの葉を一枚、スープの上に浮かべた。
「もう、お分かりになりましたね」
それを聞いて、画家はハッとした。
「ドラマが、生まれた! 葉っぱは船、いや、孤島か? それだけじゃない。バジルの葉で劇的にスープの味が変わるんだ! そうか、僕に足りなかったのはこれか。動かない情報を詰め込むだけじゃない。せっかく詰め込んだ情報を活かすドラマが必要だったんだ!」
青年はそう言って、店主に笑いかけてスープを懸命に飲んだ。そして、飲み干してしまうと、店主が用意してくれたキャンパスを店内でイーゼルに立てかけた。
そこには大きく長い灯台とそこから続く道、灯台の向こうの青い海と空、そして雲が描かれていた。
青年は、そこに、船と、りんごの木を描き足した。
「りんご恋し、船の旅路よ」
画家はそう言って、筆を置いた。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
おめでとう。社会貢献指数が上がりました。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
「正しく」生きれば、どこまでも優しいこの国。
17歳のシュウは、社会貢献指数を高め、平穏な未来を手に入れようとしていた。しかし、システムに疑問を抱く父のランクは最低の「D」。
国家機能維持条項が発令された夜、シュウの端末に現れたのは、父の全権利を支配するための「同意」ボタンだった。
支配か、追放か。指先ひとつで決まる、親子の、そして人間の尊厳の行方。
【拡散希望】これが息子の命を奪った悪魔たちです。
水井伸輔(Mizui Shinsuke)
SF
息子の死の真相は、AIだけが知っていた――。
16歳で急死した最愛の一人息子。仕事にかまけて彼を孤独にさせていた父親は、深い後悔から息子のスマホデータを元に「故人AIアバター」を制作する。
毎晩モニター越しの息子と語り合い、罪悪感を埋め合わせる日々。しかしある夜、AIの息子が信じられない言葉を口にする……。
狂気に満ちた暴走を始める父親。
現代社会の闇と、人間の心の歪みを抉る衝撃のショートショート。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる