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第8話 “***”の不在
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壇上のリューは、いつものように姿勢を正し、口元に柔らかな微笑を浮かべていた。
ミエン人民共和国の正統な最高指導者として、国民と世界に語りかけるために。
広報官の司会のもと、記者会見は滞りなく進行していた。
国内外の記者たちは、誰もがよく訓練されたように、**“空気を読む質問”**しか口にしない。
失業率の低下、国営企業の黒字化、隣国との貿易協議──。
数字と修辞に彩られた言葉を、リューは一つ一つ、丁寧な口調で返していく。
会見場には、かつてなく整った“秩序”があった。
いや、それは沈黙の支配と言い換えてもよかった。
リューは手元のスマートフォンをポケットの中から取り出し、資料を確認するような体で画面を開いた。
──センドゥ。
検索欄には、昨日までは氾濫していたキーワード「プーア」が、見事に沈黙していた。
投稿は消えた。
画像も、動画も、風刺画も、コラージュも、すべて消えていた。
しかし、そこに並ぶのは別種の騒がしさだった。
「え、なんで“***”が消えてるの? 意味わかんないんだけど…」
「私のアカウントだけ? “***”の投稿全部消されてるんだけど」
「怖……やばいよねこれ。公安に拘束されるかもしれない………。」
「“***”って打ち込むだけでアラート鳴るって噂、本当だったのかな」
「みんな、あれ投稿した履歴残ってないよね? 消しておこうよ……」
“***”──
それは、もはや語ることすらはばかられる言葉となっていた。
リューは静かに、ほとんど笑みを隠すこともなく、画面を閉じた。
満足だ。
支配は完成した。
人々の心に恐れを植え付け、意識から対象を消す。
それこそが、かつてのメー初代大統領が実践した「統治の真髄」であった。
しかし、まさにそのときだった。
ふと、壇上から客席の右端を見やると──
一瞬、何かが見えた気がした。
黄色い。
なにか、青い布のようなものをまとっていたような──
リューは瞬時に目を凝らしたが、そこには何もなかった。
ネイビーのジャケットを着た女性記者が、沈黙のまま椅子に座っているだけだった。
気のせいか。
目の疲れか。
自分にそう言い聞かせながらも、リューは一瞬だけ手のひらが汗ばんでいることに気づい
た。
そのとき、前方から声が上がった。
「質問、よろしいでしょうか」
あの記者だった。
バゲットの女性記者──薄茶色の髪をきっちりと束ねた、冷静な眼差しの記者。
リューは静かに頷く。
彼女は鋭いが礼儀正しく、体制に真正面から逆らうような愚は犯さない。
そう思っていた。
「本日、いくつかの国際メディアでは、貴国における文化的表現の取り扱いについて関心が高まっております。例えば……あるキャラクターの突然の“退場”に関して、諸外国では多くの憶測が流れています。それについて、大統領閣下のお考えをお聞かせください」
沈黙。
記者席の空気が、わずかに緊張でざわつく。
だが、リューの表情は変わらなかった。
むしろ、彼はゆっくりと記者の手元に視線を向けた。
──そこにあった。
ペンケース。
青いTシャツ。
黄色い毛並み。
細く笑う目。
プーア。
リューの瞳が、ほんのわずかに光を失った。
「……たいへん、意義深いご質問をありがとうございます」
彼は一語一語、丁寧に口を開く。
「国家の秩序と文化的純正性を守ることは、我々の責務であり民族の誇りを守ることでああります。表現の多様性については、我が国の文化・伝統を重んじるものであれば、ある程度認めても良いとは思いますが、外部勢力による文化侵略の可能性を排除することもまた、主権国家の権利であり、責務なのです」
拍手は起こらなかった。
記者たちはただ、静かにメモを取り続けていた。
ペンケースのプーアは、何も言わなかった。
ただ、笑っていた。
あのいつもの細い目で。
ミエン人民共和国の正統な最高指導者として、国民と世界に語りかけるために。
広報官の司会のもと、記者会見は滞りなく進行していた。
国内外の記者たちは、誰もがよく訓練されたように、**“空気を読む質問”**しか口にしない。
失業率の低下、国営企業の黒字化、隣国との貿易協議──。
数字と修辞に彩られた言葉を、リューは一つ一つ、丁寧な口調で返していく。
会見場には、かつてなく整った“秩序”があった。
いや、それは沈黙の支配と言い換えてもよかった。
リューは手元のスマートフォンをポケットの中から取り出し、資料を確認するような体で画面を開いた。
──センドゥ。
検索欄には、昨日までは氾濫していたキーワード「プーア」が、見事に沈黙していた。
投稿は消えた。
画像も、動画も、風刺画も、コラージュも、すべて消えていた。
しかし、そこに並ぶのは別種の騒がしさだった。
「え、なんで“***”が消えてるの? 意味わかんないんだけど…」
「私のアカウントだけ? “***”の投稿全部消されてるんだけど」
「怖……やばいよねこれ。公安に拘束されるかもしれない………。」
「“***”って打ち込むだけでアラート鳴るって噂、本当だったのかな」
「みんな、あれ投稿した履歴残ってないよね? 消しておこうよ……」
“***”──
それは、もはや語ることすらはばかられる言葉となっていた。
リューは静かに、ほとんど笑みを隠すこともなく、画面を閉じた。
満足だ。
支配は完成した。
人々の心に恐れを植え付け、意識から対象を消す。
それこそが、かつてのメー初代大統領が実践した「統治の真髄」であった。
しかし、まさにそのときだった。
ふと、壇上から客席の右端を見やると──
一瞬、何かが見えた気がした。
黄色い。
なにか、青い布のようなものをまとっていたような──
リューは瞬時に目を凝らしたが、そこには何もなかった。
ネイビーのジャケットを着た女性記者が、沈黙のまま椅子に座っているだけだった。
気のせいか。
目の疲れか。
自分にそう言い聞かせながらも、リューは一瞬だけ手のひらが汗ばんでいることに気づい
た。
そのとき、前方から声が上がった。
「質問、よろしいでしょうか」
あの記者だった。
バゲットの女性記者──薄茶色の髪をきっちりと束ねた、冷静な眼差しの記者。
リューは静かに頷く。
彼女は鋭いが礼儀正しく、体制に真正面から逆らうような愚は犯さない。
そう思っていた。
「本日、いくつかの国際メディアでは、貴国における文化的表現の取り扱いについて関心が高まっております。例えば……あるキャラクターの突然の“退場”に関して、諸外国では多くの憶測が流れています。それについて、大統領閣下のお考えをお聞かせください」
沈黙。
記者席の空気が、わずかに緊張でざわつく。
だが、リューの表情は変わらなかった。
むしろ、彼はゆっくりと記者の手元に視線を向けた。
──そこにあった。
ペンケース。
青いTシャツ。
黄色い毛並み。
細く笑う目。
プーア。
リューの瞳が、ほんのわずかに光を失った。
「……たいへん、意義深いご質問をありがとうございます」
彼は一語一語、丁寧に口を開く。
「国家の秩序と文化的純正性を守ることは、我々の責務であり民族の誇りを守ることでああります。表現の多様性については、我が国の文化・伝統を重んじるものであれば、ある程度認めても良いとは思いますが、外部勢力による文化侵略の可能性を排除することもまた、主権国家の権利であり、責務なのです」
拍手は起こらなかった。
記者たちはただ、静かにメモを取り続けていた。
ペンケースのプーアは、何も言わなかった。
ただ、笑っていた。
あのいつもの細い目で。
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