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第9話 二千年の対話
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上院議員当選日 深夜
祝賀会の喧騒が去ったホテルのスイートルームで、デネブ・フォスターは深夜、独りソファーの上に座っていた。
部屋の隅にはパーティー帰りに置きっぱなしにした花束が香っていたが、それに気づく余裕はなかった。
彼女は疲れから静かに目を閉じと、安らかな眠りに落ちていく。
──そして、夢の庭園が広がった。
今回は空がことさら深く青く、樹々の葉が柔らかい光をまとって揺れていた。
石のベンチには、やはりあの男――クラウディウスが、いつものようにトーガを着て腰掛けていた。
「おお来たな、フォスター元老院議員」
「まだ正式に就任していないわよ」
「だが、選ばれた。千人の群衆より、一人の信任のほうが重い。それが共和政の本質というものだ。」
デネブは静かにクラウディウスの隣に座った。
「……ありがとう、クラウディウス。あなたがいなければ、私はここまで来られなかった」
クラウディウスは少しだけ笑った。
「私こそ君に感謝している。知らぬ土地で、知らぬ政治に触れ、知らぬ娘に取り憑いて、ようやく少しだけ生を感じた」
少しの間、二人の間に風の音だけが流れた。
やがて、デネブが思い出したように口を開いた。
「ねえ、クラウディウス。あなたって、ローマの第一の市民―プリンケプス、だったのよね? 元老院の前で演説して、国を動かしていた。そういえば……あなた自身の政治のことについて詳しく聞いてなかったわね。あなたはどんな国を目指して、どんな政治を行っていたの?」
その問いに、クラウディウスはほんのわずか身を起こした。
目は遠く、遥か昔の過ぎ去った時を見ているようだった。
「……私は生まれつき、醜かった。話すことも、歩くことも、まともにはできぬと笑われていた。母から見捨てられ、拾われた祖母には無視され、一族で唯一優しくしてくれたのは兄ゲルマ二クスのみ。そのため私はただ、書物だけが友であり、歴史を知ることだけが生きがいだった。文字の中に、古代の叡智に、逃げておった」
「けれど、プリンケプスになった……?」
「いや、なってしまったのだ。甥――カリグラが暴政の末暗殺され、偉大なるカエサルの系譜に連なる者の中で唯一年長者の生き残った私が、甥を暗殺した近衛軍に押し上げられた。しかし、いざプリンケプスになって元老院に協力を求めても、殆どの議員は儂を侮り、慇懃無礼な態度を取るばかりで、協力してもらえなかった」
「どうしたの?」
「そこで学識あるギリシャ人の解放奴隷たちを取り立て、政務を執り行うこととした。君から聞いたフラワーでいうところの官僚だな。彼らの知恵と手を借りて、甥が傾けた帝国の財政の立て直しを図りつつ、水道の整備をした。遠方との文書のやり取りを市民に解放したり、奴隷の取扱いに関する法などの法体系を見直し、属州にも目を向けたりしたものだ」
デネブは、これまで夢の中で見てきた“かぼちゃ”と呼ばれる男の印象が少しずつ崩れていくのを感じた。
滑稽でどこか憎めない存在――そう思っていたが、その内面には深い、静かな信念があった。
「そして、一番やりたかったこと。それは――私が得た歴史の知識を政治に生かし、君と同じようにローマを更に繁栄させ、市民を幸福に導くこと。そして、そのために属州民であっても市民とし、彼らを排除しないローマを築くことを目指していた」
「……え?」
デネブは、言葉を失った。
さらにクラウディウスは続ける。
「ローマがなぜ繁栄したのか。それは寛容であったからだ。ギリシャは自らの文化に固執し、異民族をバルバロイとして遠ざけたから大国ペルシアを退けるも短い栄華しか築けなかった」
「だがローマは、王でさえ外から来たし、偉大なるユリウス・カエサルの祖先、我が祖先グラッススも君たちの言葉でいうところの移民だ。理念に賛同する者は市民として迎え入れ、血ではなくローマへの忠誠で国をつないだ。カルタゴのハンニバル・バルカによって存亡の危機に陥った時、スピキオ・アフリカヌスが出てくるまで持ちこたえたのも、同盟諸都市に対して寛大であったからだ」
「そして、その寛容を忘れたとき、マリウスとスッラが現れ、市民は分断し、偉大なる大伯父がアウグストゥスの栄誉を受けるまで100年余りの内戦と停滞の時代を過ごすこととなった」
クラウディウスはデネブの目をまっすぐ見つめて言った。
「だからこそ、私はローマの未来のために、ガリア属州出身の者を元老院に迎えるべきだと考え、前例がないと反対していた元老院議員を演説で説得した。それが、祖国が更なる繁栄を迎えるための歴史からの教訓であると。その時ばかりは私をバカにしていた議員までが賛成に回ってくれたものよ」
沈黙が流れた。
デネブの胸に、何か重い石が置かれたような感覚があった。
「私……あなたと、正反対のことを言ってきたわ」
「そうだな。君は移民を排し、多様性を否定し、自由より秩序を重んじた。だが、それもまた一つの信念。すべてを否定はしない」
クラウディウスは、穏やかな表情で続けた。
「否定をしないのは、かのアレクサンドロス大王の師アリストテレスの教えにある「中庸」が最高の善たる市民の「幸福」へと至る道であると思うからだ。中庸を「勇気」で例えれば、勇気は少なすぎれば臆病となり、多すぎれば蛮勇となる。その中間こそが最も良い勇気である、となる」
「では、中庸に向かうためにどうすればよいか。それは異なる意見を容認し、その均衡点を見出していくことが、その方法であると私は考えている」
「・・・・・・・・・・・」
「デネブよ、君は国を愛する者だ。ならば改めて問う。愛する祖国をどのように導きたい?何を守り、何を信じてこの国を作り、そしてどうそれを改めていく?」
デネブは、目を閉じて考えた。
静かな風が髪を撫でる。
そして、ゆっくりと目を開け、クラウディウスをまっすぐに見た。
「……ありがとう、クラウディウス。あなたのおかげで、今夜私は“本来の政治”とは何なのか、少し分かった気がする」
クラウディウスは微笑んだ。その顔には靨が浮かんではにかんでいるようにも見える。
「かぼちゃの演説も、たまには役に立つだろう?」
祝賀会の喧騒が去ったホテルのスイートルームで、デネブ・フォスターは深夜、独りソファーの上に座っていた。
部屋の隅にはパーティー帰りに置きっぱなしにした花束が香っていたが、それに気づく余裕はなかった。
彼女は疲れから静かに目を閉じと、安らかな眠りに落ちていく。
──そして、夢の庭園が広がった。
今回は空がことさら深く青く、樹々の葉が柔らかい光をまとって揺れていた。
石のベンチには、やはりあの男――クラウディウスが、いつものようにトーガを着て腰掛けていた。
「おお来たな、フォスター元老院議員」
「まだ正式に就任していないわよ」
「だが、選ばれた。千人の群衆より、一人の信任のほうが重い。それが共和政の本質というものだ。」
デネブは静かにクラウディウスの隣に座った。
「……ありがとう、クラウディウス。あなたがいなければ、私はここまで来られなかった」
クラウディウスは少しだけ笑った。
「私こそ君に感謝している。知らぬ土地で、知らぬ政治に触れ、知らぬ娘に取り憑いて、ようやく少しだけ生を感じた」
少しの間、二人の間に風の音だけが流れた。
やがて、デネブが思い出したように口を開いた。
「ねえ、クラウディウス。あなたって、ローマの第一の市民―プリンケプス、だったのよね? 元老院の前で演説して、国を動かしていた。そういえば……あなた自身の政治のことについて詳しく聞いてなかったわね。あなたはどんな国を目指して、どんな政治を行っていたの?」
その問いに、クラウディウスはほんのわずか身を起こした。
目は遠く、遥か昔の過ぎ去った時を見ているようだった。
「……私は生まれつき、醜かった。話すことも、歩くことも、まともにはできぬと笑われていた。母から見捨てられ、拾われた祖母には無視され、一族で唯一優しくしてくれたのは兄ゲルマ二クスのみ。そのため私はただ、書物だけが友であり、歴史を知ることだけが生きがいだった。文字の中に、古代の叡智に、逃げておった」
「けれど、プリンケプスになった……?」
「いや、なってしまったのだ。甥――カリグラが暴政の末暗殺され、偉大なるカエサルの系譜に連なる者の中で唯一年長者の生き残った私が、甥を暗殺した近衛軍に押し上げられた。しかし、いざプリンケプスになって元老院に協力を求めても、殆どの議員は儂を侮り、慇懃無礼な態度を取るばかりで、協力してもらえなかった」
「どうしたの?」
「そこで学識あるギリシャ人の解放奴隷たちを取り立て、政務を執り行うこととした。君から聞いたフラワーでいうところの官僚だな。彼らの知恵と手を借りて、甥が傾けた帝国の財政の立て直しを図りつつ、水道の整備をした。遠方との文書のやり取りを市民に解放したり、奴隷の取扱いに関する法などの法体系を見直し、属州にも目を向けたりしたものだ」
デネブは、これまで夢の中で見てきた“かぼちゃ”と呼ばれる男の印象が少しずつ崩れていくのを感じた。
滑稽でどこか憎めない存在――そう思っていたが、その内面には深い、静かな信念があった。
「そして、一番やりたかったこと。それは――私が得た歴史の知識を政治に生かし、君と同じようにローマを更に繁栄させ、市民を幸福に導くこと。そして、そのために属州民であっても市民とし、彼らを排除しないローマを築くことを目指していた」
「……え?」
デネブは、言葉を失った。
さらにクラウディウスは続ける。
「ローマがなぜ繁栄したのか。それは寛容であったからだ。ギリシャは自らの文化に固執し、異民族をバルバロイとして遠ざけたから大国ペルシアを退けるも短い栄華しか築けなかった」
「だがローマは、王でさえ外から来たし、偉大なるユリウス・カエサルの祖先、我が祖先グラッススも君たちの言葉でいうところの移民だ。理念に賛同する者は市民として迎え入れ、血ではなくローマへの忠誠で国をつないだ。カルタゴのハンニバル・バルカによって存亡の危機に陥った時、スピキオ・アフリカヌスが出てくるまで持ちこたえたのも、同盟諸都市に対して寛大であったからだ」
「そして、その寛容を忘れたとき、マリウスとスッラが現れ、市民は分断し、偉大なる大伯父がアウグストゥスの栄誉を受けるまで100年余りの内戦と停滞の時代を過ごすこととなった」
クラウディウスはデネブの目をまっすぐ見つめて言った。
「だからこそ、私はローマの未来のために、ガリア属州出身の者を元老院に迎えるべきだと考え、前例がないと反対していた元老院議員を演説で説得した。それが、祖国が更なる繁栄を迎えるための歴史からの教訓であると。その時ばかりは私をバカにしていた議員までが賛成に回ってくれたものよ」
沈黙が流れた。
デネブの胸に、何か重い石が置かれたような感覚があった。
「私……あなたと、正反対のことを言ってきたわ」
「そうだな。君は移民を排し、多様性を否定し、自由より秩序を重んじた。だが、それもまた一つの信念。すべてを否定はしない」
クラウディウスは、穏やかな表情で続けた。
「否定をしないのは、かのアレクサンドロス大王の師アリストテレスの教えにある「中庸」が最高の善たる市民の「幸福」へと至る道であると思うからだ。中庸を「勇気」で例えれば、勇気は少なすぎれば臆病となり、多すぎれば蛮勇となる。その中間こそが最も良い勇気である、となる」
「では、中庸に向かうためにどうすればよいか。それは異なる意見を容認し、その均衡点を見出していくことが、その方法であると私は考えている」
「・・・・・・・・・・・」
「デネブよ、君は国を愛する者だ。ならば改めて問う。愛する祖国をどのように導きたい?何を守り、何を信じてこの国を作り、そしてどうそれを改めていく?」
デネブは、目を閉じて考えた。
静かな風が髪を撫でる。
そして、ゆっくりと目を開け、クラウディウスをまっすぐに見た。
「……ありがとう、クラウディウス。あなたのおかげで、今夜私は“本来の政治”とは何なのか、少し分かった気がする」
クラウディウスは微笑んだ。その顔には靨が浮かんではにかんでいるようにも見える。
「かぼちゃの演説も、たまには役に立つだろう?」
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