天使、夕凪を歌う

如月 神流

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一章「伯爵令嬢と海賊船」

三話「光の中の策略」

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 いつになく、よく会話をしたものだとスコットは半ば感心していた。
 一つの町の領主であるジェフリーと、一隻の海賊船の頭であるスコット。二人の奇妙な契約は、絶妙なバランスをもって続いていた。思えば、この時こんな話をしたのも歯車が動き出すきっかけとなっていたのかもしれない。普段はあれほど余計な慣れ合いを嫌うジェフリーだというのに、今回に限っては貴族としての自分の考えや感情まで垣間見せた。信頼関係を得るためにも常日頃から交流はしておくべきだが、この男の性格を考えるとそうもならない。領主としてならば立派な存在であろうに、一人の人間として見るとどうしてこうも多大な問題を抱えることになってしまうのだろうか。やはり、公私共に完璧な人間などそうそういないということだろうか。もちろん、海賊であるスコットが言えた義理ではないのだが。
「少し喋り過ぎたな……」
 ジェフリーは、そう言って椅子の向きを変えるとスコットに向き直った。
「お前の領分でない政治の話よりも、そろそろ本題に入るとするか」
 それに、スコットは内心安堵する。毎回毎回、思い通りに話が進まないのは慣れたものだが、スコットとて彼と話がしたくてここに来ているわけではないのだ。スコット個人としては、さっさとその本題とやらだけ聞いて帰りたかった。
「そうですね。政治の話など、私にとっては私の今の服装よりもどうでもいい事です」
 だが、それは失言だったらしい。聞くなり、ジェフリーは眉を上げて口を開いた。
「私がわざわざお前ごときに迎えをやったのは何故だと思う。お前が毎回毎回、その舐めた恰好で堂々と来るからだ。下町をうろついている分にはいい。だが、私の邸宅周辺となれば話は別だ。何の偽装もせずにこの家を訪ねるとは……知れたら、私もお前もただでは済まんのだぞ」
 まあ、基本的に違法なのだから仕方がない。どちらかというと、見つかって困るのは世間体を持つジェフリ―の方だろうが、今はスコットの大切な契約相手様だ。既に愛想を尽かして裏切るつもりならともかく、これといって特筆する不満もない今危険に陥れる利点もない。見つかったら見つかったで罪を引っ被って逃げおおせるつもりではあったが、もちろん彼にスコットが言うことはない。その代わりに、スコットは妖しげな笑みを浮かべた。
「それでは、次はきちんとした礼服でも着て参りましょうか」
 すると、ジェフリーは口の端を釣り上げて吐き捨てる。
「馬鹿を言え。海賊の分際で礼服も何もあるか」
 しかし、スコットは内心驚いていた。あの伯爵が嘲笑とはいえ笑ったのだ。一瞬のことで次の瞬間にはいつも通りの表情へと戻ってしまったが、頑なにしかめっ面を崩さなかった伯爵においてこれでも十分珍しいことである。雹でも降ってこなければいいのだが。
 と、スコットは、それにしても――とここで自分の服装を顧みてみた。酷評されるほど、これはそんなに酷い服装であろうか? まあ、傍から見れば伯爵邸には不似合いだろうが。ただ、スコットにしてみれば武器は粗方置いてきたし、愛用の海賊帽も船で留守番中だ。つまり、彼なりに色々気を使っては来た。こうも手酷く否定されては心外なのだが……しかしそれを言葉にしようものなら、もうそれはそれは面倒なことこの上ない事態になるだろう。ただでさえ居心地の悪い空間だ。あえて不快な要素を増やしてまでたかが服装に固執する理由もない。
「仰る通り……ですね」
 スコットは、そう言って声を押し殺したように笑った。
 もう根本的な性格が合わないのだから、そういうものだと納得して上手く付き合うしかない。ジェフリーもスコットのことをある程度認めているとはいえ、基本的には彼も海賊などの野蛮な人間を嫌っているのだ。そうでなくとも、昔から無法者と恐れられてきた海賊だ。打ち解けろなど、そんなこと由緒正しき貴族に求める方が無理な話だろう。
「私がいくらまともな服を着ようとも、元が野蛮な存在ですからね。伯爵様のお気に召すことはないでしょう」
 言って、スコットはジェフリーににこりと微笑みかけた。
「それより、伯爵様は私に何か用があるのだとか? それを伺ってしまいましょう」
 そうすることが、両者にとって一番当たり障りがないことである。だが、そういうわけだかジェフリーは顔を顰めたのだった。
「そう、だったな……」
 と、言葉まで歯切れ悪く考え込む。別にスコットの笑顔に腹を立てたわけではなさそうだが、何か言いにくいことでもあるのだろうか。伯爵ともあろう、この人が。
 ジェフリーは一つ溜め息をつくと、絞り出すようにこう言った。
「ひとつ……お前に頼みたいことがあってな」
 流石の彼も、嫌味の後の頼み事はしづらいらしい。頼みたいと告げたその口調は、妙にくぐもっていた。
「頼み? 伯爵が私に……ですか?」
 以外過ぎる申し出に、スコットも目を瞬く。
 ジェフリーからの頼み事など、初めてのことではないだろうか。二人は何度もこうして顔を合わせてきているが、ジェフリーはその度何か頑なな信条でもあるかのごとく一貫して横柄な態度を貫いてきたのだ。そんな彼がわざわざ家に招いて"頼み"というのだから、ただごとではない。
 ジェフリーは、ああ、と咳払いをして頷いた。
「無法者のお前たちにこそ適した仕事だ。やれるか?」
 それはもちろん――と、スコットとしては答えたいところだったが、ジェフリーがそう言うからには綺麗な依頼でないことは確かだ。契約外の話になるので断ろうと思えばそうすることも出来るが、ここは――。
「それはもちろん――私に出来ることであれば、何なりと。他でもない、伯爵様の頼みですから」
 微笑んで、優雅に低頭して見せる。こういう性格のジェフリーだから、恩は売れる時に売っておくべきだ。聞いてから答えを出しても、損はない。
「ふん、調子のいいことを言いおって」
 あっさりと頷いたスコットに、ジェフリーは鼻を鳴らす。そして、彼は机の引き出しから一枚の紙を取り出してスコットに差し出した。
「頼みとは、私の娘のことだ」
 ただ、彼は立って渡しにくるつもりはないらしく、差し出したままの状態で待っているためスコットはそれを受け取りに行く。――が、スコットが手を伸ばすよりも先に、ジェフリーはその紙を机の上へと放ってしまったのだった。
「お嬢様、ですか……」
 溜め息混じりに紙を拾い上げ、スコットは内容を見る。それは、簡単に書かれた肖像画のスケッチだった。
 描かれているのは若い娘だが、美人というわけでも不美人というわけでもない。白黒のスケッチだけではこれといって目立つ特徴も見受けられなかった。ぱっとしないが、彼女がジェフリーの娘とやらなのだろう。そういえば、何処となく似ている気もした。その、意志の強い頑固そうな目とか。
 だが、スコットも彼女の容姿は知らないまでも、噂としてならば契約相手の身内として既に情報を探っていた。というのも、酒場に通っていればその町の情報は大抵耳に出来るからだ。それほど酒を呑むわけではないが、情報を得る目的で酒場に通う。それで酒場を切り盛りしている店主とも仲良くなれたのだから価値があると言うべきだ。酒場には、貴族とは縁遠い下町にあるにもかかわらず、政治の話から低俗な話まで不思議と情報が集まる。金を積んで情報を買えば、他国の情報まで探れる程に。役立つものばかりではなかったが、海賊として最も手軽で幅広い重要な情報源に変わりない。そこで得た情報によると確か――。
「大変内気な方で……籠の鳥だとか?」
 仄かに皮肉を込めて言うと、ジェフリーの眉間に再び皺が寄る。
「籠は余計だ」
 そして、更に複雑そうな面持ちを加えて、彼はこう付け足した。
「確かに……かなり内気な娘ではあるがな」
 その表情は、珍しく困っているようにも見える。流石のジェフリーも、実の娘のこととなると他人事でなくなるのだろうか。初めて人間らしい情を垣間見せた伯爵に、スコットは半ば感心させられる。が、その会話でジェフリーは何か気に障ることまで思い出したらしく、そんなスコットを唐突に鋭い眼光で射抜いてきたのだった。
「だが、いつの間に外へ出たのか……最近男が出来たらしくてな」
 なるほど、と心の内で呟いて込み上げた笑いを閉じ込める。この手の話はいくらでも転がっていると思うが、いくら前例があろうとも一向に解決しないらしい。恋心など、本人が自制しようとしたところでどうにかなるものではないだろうに、貴族の世界ではそれを何とかしなければならないらしい。だから娘を深窓に幽閉する親がいるのではないかと勘繰りたくなるほどに、滑稽だった。
「それはおめでたい話ではないですか」
 白々しく褒めると、ジェフリーは案の定苦虫でも噛み潰したような顔をする。
「逆だ。悪い虫が付いた」
 どうやら、その虫は伯爵のジェフリーにとって相当気に入らない人物であるらしい。彼の表情は、普段と比べて何とも興味深いものだ。と、なればこのジェフリーの頼みは一つだろう。もしや、と言いかけてスコットが彼の様子を窺えば、彼は口を挟まずに言葉の続きを待つ。確信を深めたスコットは、妖しい笑みを浮かべたのだった。
「その伯爵様の頼み事とやら、私どもに害虫退治をしろと……つまりはそういう内容でしょうか」
 すると、ジェフリーは表情をぴくりとも動かさずに答えた。
「話が早いではないか」
 そして、おもむろに机の引き出しを探り始めた彼は、そこから大人のこぶし程はある革袋を取り出してスコットの前へと放る。机に落ち、それはじゃらりと鈍い金属音を立てた。ある程度の重量を持って落ちたその中身は、恐らく金であろう。火が消えるように、スコットの笑みが失せた。そのまま無言で、考え込むようにスコットはその革袋を見下ろしている。伯爵は、椅子の背もたれに寄りかかると事も無げに言い放ったのだった。
「前金だ。上手くやったら、その倍の額を払おう」
 その言葉にちらりとスコットがジェフリーを見やれば、鳶色のまっすぐな瞳と目が合う。長年の苦労を蓄積したかのように陰りを含んだ瞳は、拒否など出来る筈
がないと、そう語っているかのようであった。それを裏付けるように、彼はスコットの反応を待たずして立ち上がる。そして、最初と同じように窓の方へと体を翻してしまった。
 食えない野郎だ――。そう思って、スコットは袋を手に取った。ずしりと手にかかる重みは、依頼の内容にしては十分過ぎるの程の額であることを物語る。貴族とは、かくも滑稽なものなのか。スコットは、にやりと笑うと胸に手を当てて低頭した。
「伯爵様の仰せとあれば、喜んで――」
 立ちあう者がいたとしたら思わず身震いしたであろう笑みは、ジェフリーには見えていない。スコットは、袋を手にしたまま部屋を後にした。明るい部屋、光が嗤ったと、そんな気がした。
 
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