盛り塩一丁! ~風紀委員長×霊感もち高校生~

猫村やなぎ

文字の大きさ
8 / 32
第一章

8

しおりを挟む
「何か、したいことはありますか」

 女性は浅く頷く。

「授業がしたいわ。でも……そうね、教科書がないわね……」
「では、これを」

 センパイは薄い冊子を俺に手渡す。冊子にはバイエルという文字があった。幼稚園生向けのピアノの教本であるようだ。

「……あ、それなら。俺、弾いてみたい曲があるんです。それを教えてもらえませんか」

 女性は軽く目を見開き、微笑んだ。

「もちろん」

 センパイは訝しげに俺を見やる。

「魚沼お前、そんな曲あったのか。ピアノなんて弾けませんみたいにすましておきながら」
「……そんな顔してないですよ。ただ、そうですね。誰にでも思い入れのある曲くらい一つや二つ、あるってことじゃないですか?」

 バイエルのページをめくり、曲を探す。果たしてそれはあった。

「……この曲を」
「あら、きらきら星ね! 素敵だわ。じゃあ、この椅子に座って」

 女性、否、先生はピアノの前にある重厚な椅子を指差す。

「ピアノは弾いたことがある?」
「辛うじて小学生の頃に鍵盤ハーモニカに触れたことがあるくらいです」

 それすらやっているフリで誤魔化していた。

「そう。じゃあ、まず運指から教えるわね」

 先生の指導は適切だった。俺が指を碌に扱えないと見ると、即座に反復練習へと切り替える。その繰り返しだった。やっと弾けるようになった頃には、日は沈みかけていた。

「できた……! 先生、できました!」
「ええ、おめでとう! 頑張ったわね! すごいわ!」
「やった! やりました! 先生、っ」

 ありがとうございます、と振り向き初めて気付く。先生は消えかけていた。

「先生……」

 くしゃり、歪んだ顔に先生の手がそっと添えられる。そんな顔しないで。撫でたかのように見えた手は、するりと俺の体をすり抜けた。

「……ダメね。幽霊じゃ慰めることさえ満足にできないんだから」

 先生は悲しそうに微笑み、透けはじめた半透明の体で俺を抱きしめる。

「私を先生って呼んでくれてありがとう」

 生徒にそう呼ばれるのが夢だったの。笑った先生に言葉が詰まる。

「……俺こそ、ありがとうございました。この曲、大切な曲だったんです。だから、教えてくれてありがとう、先生」

 笑って言うと、先生もつられてにこりと笑う。

「私、先生になってよかった。たった一回、教えただけだけど。それでも、よかった」

 死んでから教え子という存在ができるなんて、私は幸せ者だわ。
 きらきらきらきら。先生の姿が宙に溶ける。先生の言葉も一緒に宙にきらきらと舞い解けた。

「魚沼」

 ハッと意識が覚醒する。呆然と声の方を見やるとセンパイは苦々しそうな表情をし俺の頭を撫でた。

「……悪かった」

 言葉少なだったがセンパイが何について謝っているのか見当はついた。

「ホントですよ」

 認めてやるとセンパイはしゅんと項垂れる。何で人の言葉をそんなに素直に受け取るんだろう。さっきも一方的な理由で口づけられたというのにそれに対して怒りもしない。

「でもまぁ、今回のはいいです。結果的に曲も弾けるようになったんで」

 言い切ってみせるとセンパイは困った顔をし曖昧に笑った。

「そうか。なら、よかったんだが」

 音楽室を出て、校門に差し掛かったあたりでセンパイは躊躇いがちに口を開く。

「魚沼。あの曲、どんな思い入れのあるものなのか、聞いてもいいか」

 言いよどみながら告げられた言葉に、ああこれをずっと聞きたかったのかと得心する。

「いいですけど。これは、死んだ母が好きだった曲です。母はピアノ教室の講師をしていたんですが、俺は生憎と習っていなかったので弾こうにも弾けなくて」
「その、姿は見えたりするのか」

 一瞬思考が止まる。今まで俺の事情を知っているのは幽霊だけだったから、その質問をされることをまるで想定していなかったのだ。

「……見えましたよ」
「今は……」
「さぁ、成仏でもしたんじゃないですか」

 半ば投げやりに答える。俺は母の成仏する姿を見届けていなかった。ある日気が付いたら見えなくなっていた。俺はその時になって初めて母は死んだのだと気づいたのだ。

「すまなかった」
「いえ別に。昔のことですし」

 さらりと受け流す。思いはすでに家のピアノに馳せられていた。



「お帰り」

 小学生に上がったばかりの妹が言う。ただいま、と返すと早々に背を向けられた。

「今日の晩ごはん何か知ってる?」
「カレーだって」

 昨日の残りか。ふぅん、と呟き応接間に行く。長らく使われていなかったピアノは埃を被っていた。ティッシュを手に取り埃を拭う。

 蓋を開けカバーを取り払う。鍵盤に手を置く。思い出すのは習ったばかりのあの旋律。つたない俺の運指に妹が寄ってくる。

「お兄ちゃん、ピアノ弾けたの?」
「今日弾けるようになった」
「? そう。これ、何て曲?」

 妹の目が俺を見上げる。

「……きらきら星。俺の、お母さんが好きだった曲」
「私のお母さん?」
「……お前のお母さんは、どうだろうな。分からないけど。もしかしたら好きかもしれないな」

 そうか。まだ知らないのか。無垢な瞳の残酷さにひっそりと苦笑する。

 曲を弾き終わってもなお、母さんの姿は見えなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

処理中です...