明治不忍蓮華往生

No.37304

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(ここで死ぬのか)
 と、藤田は思う。簡単に人を斬るものは、簡単に斬り殺されることになる──そう思って、なるべく敵手のことを知り、心の負担になるよう気を配ってきたが──なるほど、その基準で言えば、今回はあまりに性急に過ぎた。何しろ、なぜ捻木が自身の古い名を知っているのか、それすら分からぬ始末だ。
 斉藤一。それはかつて、かれが新撰組という浪士集団の一角を成していた頃に名乗っていた名前だ。この時代、すでに新撰組は無名の組織ではない。近藤、土方、沖田あたりとなれば、知るものは少なくないだろう。
 だが、斉藤一はそうではない。現代新撰組の組長は誰であれ有名人である。そのため現代人である我々には分かりづらいが、明治十一年においてはまだ、斉藤一という名前は世に知られたものではないのだ。その名を知られていた驚きは、相当のものであろう。
 しかし、何というざまだ。藤田は自嘲する。いまの名ではかからなかった妖術に、青春のかなたに捨ててきた名前を呼ばれてかかるとは。どうやら、自分にとってあの名前は、動揺を誘うに足るものであったらしい──
 薄ぼんやりとした視界の中、敵の持つ刃だけが鋭く陽光を照り返している。鮮烈な光は、大上段に振りかぶられ、なおいっそう輝きを強めた。
 その光が、走馬燈を呼び起こしたか。かれは、暗い路地に立っていた。どこか、と考えるまでもない。そこは京の街だった。むせかえるほどに血なまぐさい、かれの青春の幻影だった。
 宵闇の路地には、いくつもの死体が転がっている。死体は、不逞浪士のものでもあり、斉藤と同じ羽織姿の隊士のものでもあった。立っているのはただ二人、斉藤と、彼に剣を向ける薩摩の浪人だけだ。
 だが、斉藤ももう、剣をとれぬほどに手傷を負っている。対する浪人は、まだ剣を振りかぶるだけの体力はある。ああ。これは負けるな。泥の中にいるように重い手足をぶら下げて、斉藤は迫り来る白刃をただ眺めていた。だが、厭な気分はない。ここでなら、死んでもいい。斉藤はそう思った。思った途端、かれの周囲には死体に代わり、花が乱れ咲いていた。咲くは蓮華だ。そうか、ここは泥中なのだ、藤田は得心する。動けぬのも道理──
 ──何してやがる、斉藤よぉ。
 泥中に沈みかけたかれに、誰かの声が届いた。背を誰かの掌に強くたたかれ、かれは転げるようによろめいた。
 頬を、鋭い痛みが走る。耳には風切音が残っている。
「はぁ!?これも解くのか、何なんだあんた」
 避けたのは、大上段からの切り込みだった。ならば下段よりの切り返しがある。敵の居場所を確認する暇はない。藤田はがむしゃらに地面を転がる。身についた勘で、かれは返す刀をかわしきった。
 捻木は刀を振り上げきっている。対する藤田は、片膝をついている。捻木は、隙だらけの胴を藤田にさらしている。藤田は、下方より体勢を復帰せねばならぬ不利を負っている。
「あ、ああああ、あああああ」
 叫んでいたのは果たして我であったか彼であったか。藤田の足が地面を蹴って、刀とともにからだが跳ね上がる。捻木の刀がくるりとかえり、刀が振り下ろされる。赤い血が、乾いた地面に飛び散った。
 藤田は、がくりと膝をつく。その前で、腹を深く穿たれた男の手から、刀がぽとりと落下した。
「──あはは、強いねえ、あんた」
 穿ったのは、膵臓のあたりだ。すぐには死なずとも、手当は間に合わぬ。血に濡れた愛刀を抜き取ると、捻木の腹からはごぷりとどす黒い血が溢れ出た。
 地面に倒れ伏した捻木は、手を地面につき、起きあがろうとしている。意図を察し、藤田は手を差し伸べた。
「どこで、お会いしましたか」
 捻木が正座する手助けをしつつ、藤田はどうしても聞きたかったことを尋ねた。首を落とす前に、それだけは確認しておきたかったのだ。捻木は苦しげに口を開いた。
「小松川の、警察署で。あんた、よくわからん役職で出向してたろ」
 藤田は二つほど瞬きをした。小松川の警察署、つまり、第六方面第二署だ。一時期、署内の汚職摘発のために出向していたことがある。正規の仕事ではなく今回同様密命であったため、書記兼戸口取調掛、とかいう妙な肩書であったのは捻木の言うとおりだ。そして──「藤田五郎警部補」が出向するわけにはいかぬという書類上の問題で別名を考えろと言われて、面倒だったので斉藤一と名乗ったことを、藤田は思いだしていた。
「うん、でも、悪くない。良いな、こういうのも」
 肩すかしを食らった気分でいると、捻木がだれともなくつぶやくのが聞こえた。制服の上衣とシャツは、すでに寛げられている。
「言い残すことは」
 捻木は首を左右に振った。
「頼むよ」
 藤田は捻木の求めに従いかれの脇に立ち、かれが短く持った刀を自らの腹に突き刺すのを待った。切っ先が腹の皮を破り、横に引かれる。あとは、慣れたことだ。
 空は驚くほどに澄んでいる。鳴いている鳥は不如帰ほととぎすだろうか。不忍池には、いささか季節をはずした蓮がただ一輪だけ咲いていた。赤い放物線を描いて、捻木の首が飛んだのは、そのような景色の中でのことだった。首は、藤田が羨ましさを覚えるほど、満足した顔をしていた。
 ──首の皮一枚残す、とは行かねえんだな。
 また誰かに、そんな声をかけられた気がしたが、藤田は別段驚きはしなかった。それが何人であるのかは、すでに気づいている。
「うるさいな、おまえだってそんな芸当できなかったろ」
 ここは上野だ。慶応四年、上野戦争の舞台となり、彰義隊最期の地となった地だ。
「でも、助けてくれたことには礼を言う。あとはさっさと成仏しておけよ、原田」
 新撰組で組長をつとめていた原田左之助も、彰義隊の一員として戦闘に参加し、命を落としたと聞いている。いや、正確には上野の山のあたりではなく、どこぞかの
邸宅で死んだのだったとも聞いた気がするが──まあ、
細かいことは気にしない質の男だった。多少の距離など問題にはならないのだろう。
 後処理だのの雑用をすませ、藤田は警視庁へと戻った。あとは大警視に報告をすませるだけだ。懐かしい亡霊に会ったせいか、人を斬った後にしては軽い足取りで廊下をあるいていた藤田は、どうも庁内が妙に騒がしいことに気がついた。
「何かあったのか」
 手近なところにいる巡査を捕まえ、何が起きたのかを尋ねる。巡査は、質問が信じられぬ、と言いたげな表情を浮かべ、返答した。
「どうしたって、ご存じないんですか。内務卿が、暗殺されたんですよ」
「は」
 今、下手人になるはずの男を斬ったばかりじゃないか。思わずそう叫びかけた口を慌てて押さえ込んでいるうちに、巡査はなおざりな敬礼をして立ち去って行った。市内の警戒に駆り出される途中だったのだろう。
 この日。明治十一年五月十四日、内務卿大久保利道は、東京府麹町紀尾井坂において斬殺された。犯人らは犯行後自ら出頭し、のちに国事犯として処刑される。
 各々の命に従って、廊下を警官たちがあわただしく行き来している。藤田はそんな中、泥のような気分で廊下に背を預けて、ただただ口元を押さえていた。
(どうか、時代よ、流れる水のごとくあれ)
 かれは、心からそう願った。そうしなければ、不忍池に蓮華のふたつ浮かぶさまが、心のうちにどうしてもわき上がってきてしまうのだった。
 <了>
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