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終章
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ガルス内。都市部より遠く離れた場所にあるガルス空軍基地。
荒野の上にカーペットの如く伸びる長大な滑走路。その先端には一機の超音速機の姿があった。魔属の手が及ばない成層圏を飛行するこの機は、離陸の時に備えてエンジンを唸らせていた。
その機内にはまるで戦地に赴くような物々しさの完全武装した兵士が搭乗している。青いベレー帽を被った彼らは国連軍兵士だ。
そしてその兵士たちが囲むように機体中央に据えられた一室。四方を分厚い鉄壁に囲まれ、正面には重厚な扉が一つ。堅牢なその部屋の内部には、全身に拘束具を装着され、床と一体化した座席に完全固定された男が一人いるだけだった。兵士たちはこの男を目的地まで護送する任を与えられている。
いささか過剰な護送体制とも思えるが、この男が何者であるかを知れば、この厳重な拘束も、外にいる屈強な兵士たちでも不安が残るほどである。
その男の名はヴィルヘルム・ノートン。
クラス:マスターの勇者であり、救国の英雄と呼ばれていた。しかし今や彼は、魔属大戦を引き起こそうと画策したテロリストである。
前代未聞のこの犯罪者は超音速機でガルス空軍基地を発ち、国際司法裁判所のある都市まで速やかに護送される手はずになっていた。
僅かな光源しか無い暗闇の中で静かに座するヴィル。彼の心境は、完全に覇気を失い、ただ己に下される裁きを待つ……などとは程遠かった。
むしろその眼光は尚鋭さを増し、思考はすでに先に向けられていた。
――このまま国際法廷の場に向かうことに意味はあるのか。
法廷の場で全てを語り、人々に訴えかける、と思うほど夢見がちではない。
そんなことをしても何も変わりなどしない。それで人々の認識が変わるようであれば、これほどまでに苦労はしなかった。
それどころか、すでに裁判の流れも、判決すらも全て決められているに違いない。増長した勇者がどうなるか見せしめにされるのだろう。
全ての勇者に対する戒めとして。
類人兵器風情が逸脱すれば、どんな末路を辿るのかを。
であるなら、このまま大人しく連行されるのは得策ではない。
体の回復はおよそ二割程度。全快には程遠いが、拘束を解くくらいならば造作も無い。飛び立つ前なら、隙を見て逃げ出すことも不可能ではない。
しかし、もはやマーレのような強力な後ろ盾もないばかりか、逃亡犯として追われる身となる。これまでのような活動はできないだろう。
――構いはしない。ボクはまだ何も果たしてはいない。
――それに、どうせ元より一人だ。一人でまた一から始めればいい。
覚悟を決めるとヴィルは拘束を解くべく力を込める。
『ヴィルの仲間は、怒り狂って関係ない人間まで殺すお前を見て、喜ぶような奴らだったのか?』
その時ふと、アオイの言葉を思い出した。そして彼の仲間――あのロマリアナの地で散っていった友たちの顔が脳裏を過った。
今のボクを見たら、彼らはなんと言っただろうか。もし彼らが生きていたなら、ボクが一人でなければ、どこかで思いとどまっただろうか。
何度想像しても、うまくいかない。
想像の中の彼らと彼女は、自分を厳しく叱り、そして優しく諭してくる。
そうして気付けば、込められた力が抜けていた。
別に悔い改めるわけでもないし、間違っていたとも思わない。
――でも、他にも方法はあるかもしれない。
そうして思案に耽りはじめた時、目の前の扉が開かれ、一人の男が入ってきた。軍人かと思ったが、それにしては風体が明らかに違う。
長身痩躯を高価そうなスーツで包んだビジネスマン風の中年男。野暮ったい黒縁の眼鏡と、常に笑っているような細い目が対照的でアンバランスな印象を与えた。
この男が護送の担当にはとても見えない。[イーター]は没収されていようとも、ヴィルならその気になれば素手でも倒せそうなくらいだ。
だが、本能的にヴィルはこの男の正体を察していた。
「いやはや、随分とご活躍でしたね。さすが、救国の英雄の面目躍如といったところですか」
扉が閉められるのを待ってから、彼はヴィルの前に立つと、まるで世間話でもするかのように気軽に声をかけてくる。
「あぁ。申し遅れましたが、私はケルビン・ミラー。あなたと同じクラス:マスターの勇者です」
怪訝な顔をするヴィルにその男、ケルビンは名乗った。
「せっかくの休暇も急遽キャンセル。南国のビーチでのバカンスから、こんな何もない辺鄙なところまで使いっぱしりですよ……。私はこんなことをするためにクラス:マスターなったわけじゃないんですがねぇ」
そいつはご苦労なことだ。
そう言ってやろうと思ったが、あいにく今のヴィルには猿轡が噛まされ喋ることはできない。
「ええ、まったく。とんだ貧乏くじです」
しかし、ケルビンはヴィルの心中に答えるように笑いながらそう返した。
「ま、そんなわけでしてね。今日はあなたにお願いがあって参りました。あ、私個人のではなく、依頼主からって意味ですので」
終始軽薄な態度のこの男を睨みながら、ヴィルは彼の目的を推し量る。少なくとも、護送のためにこの場に来たわけではないようだ。
まさか、法定で凶行に及んだ動機を語ることで、人々や世論に影響を与えることを恐れた何者かが……
「あっはっは。心配しなくても、あなたの言葉で心動く人なんかいませんて。案外、夢見がちな人なんですね?」
ひらひらと手を振りながらケルビンは笑い飛ばす。またしても心中を見通したかのようなタイミング。
「あいにくと、あなたの事情なんてこちらの知ったこっちゃありません。ただ、公の場で今回の一件を話されるといろいろと面倒なんですよ。あなただってそれはわかるでしょう?」
言われるまでもなく、それはヴィルも薄々気付いていた。
それは、マーレと反勇者思想についてだ。
いかにマーレが権力と財力を兼ね備えていたとはいえ、それだけで都市の地下に研究施設を築いたり、都合よく勇者候補を何人も同じ地に呼び寄せるなど限りなく不可能に近い。
すなわち、彼の主張に賛同し協力するものが国連内部に少なからず存在している。そう考えるのはごく自然なことだ。
そして、それを明かされるのを疎んだ者たちが、この男を差し向けたのだろう。
「勇者及び魔属の研究、勇者代替構想。それらは彼一人の妄執であり、今回の一件はすべて彼の独断でやったことだった。世間的にはそれが一番収まりがいいんですよ」
(ボクに法廷で、都合のいい証言しろと?)
「無論、ご協力いただければそれなりの見返りはお約束いたしますよ。例えばこんなのはどうでしょう?“救国の英雄は過酷なミッションの連続で心神喪失していた。責任の一端は勇者機関にもある”として、情状酌量の上、医療刑務所に――」
(取引か。だが生憎、洗いざらい全ての真実を語るつもりだ)
「またまた心にもないことを。少なくとも、ここから力ずくで脱走するよりは利口だと思うんですがねぇ」
ヴィルは確信した。この男のDEEPは、思考のハッキングだ。その証拠に、ヴィルが確信を得ると同時にケルビンは「ようやく気付いたか」とばかりに笑みをより深めた。
(ボクの心が読めるならわかるだろう。ボクは自身の目的のためだけに行動する。貴様のような権力におもねり、嬉々として使い走りをするゲスとは違って、ボクはまだ勇者としての誇りを失ってはいない!)
「あっはっはっは!テロリストにそんなこと言われても説得力ゼロですよ。それともあなたなりの冗談のつもりですか?」
ケルビンは心底おかしそうに腹を抱えて笑ったが、ヴィルの真剣な眼差しを受けると白けたように笑いを収めた。
「ま、そう言うとは思っていましたよ。そもそも、取引だの交渉だのまどろっこしいやり方が間違いなんですよ。まったく、お上の考えていることはわかりません」
やれやれといった表情で肩をつり上げる仕草をしたケルビンは、おもむろにヴィルの正面に歩み寄る。
「臭い物に蓋をする、なんて言葉があるでしょ?どうも私は昔から理解できなくて。子供の頃からずっと思っていましたよ。“いや、そんな臭いなら捨てろよ”ってね」
最後を冷たい口調で言い終わると同時に、ヴィルは胸に痛みを感じた。
いつの間に抜いたのか、ケルビンの手には小振りな剣が握られ、その刃が拘束具ごと彼の胸を縦に切り裂いていた。
呻き声を上げながら床に倒れ伏すヴィル。だが意識はクリア、思考はいたって冷静であった。確かに刃はヴィルの体を深々と切り裂いてはいたが、この程度の傷では致命傷には成り得ない。
むしろこれはチャンスだ。怯んだと見せかけて、この男を返り討ちに――
ヴィルは様子を窺うように視線を上げると、満面の笑みを浮かべるケルビンと目があった。
「千載一遇のチャンス、とでも思いましたか?」
異変は、その時だった。
胸の傷口から駆け昇る尋常ではない激痛に、ヴィルは声を上げることもできずに床上をのたうち回った。その痛みは胸の傷からではあったが、明らかに刀傷とは異質の苦しみであった。
「ああ。その傷口は再生不可能ですよ。斬撃時、刃から剥がれ落ちたナノマシンが細胞の活性を抑制して、傷口をじわじわ広げていきます。ま、と言っても私も理屈は理解していないんですが、とにかくそういう聖剣なんですと」
医療器具を連想させる直線的で銀一色のその聖剣は、照明の僅かな光を受け怪しく光る。
「上級種の魔属すらももがき苦しんで死に至らしめるものですから、いくらあなたでもこれを抑えることは不可能でしょう……って、聞こえていませんか」
ついには口から血と吐瀉物を吐き出し、激しくもがき苦しむヴィルを見て、ケルビンは呆れたように溜息をつく。
そして、自分の仕事は終わったとばかりに踵を返し、この場を後にしようとする。
(待て……)
意識が飛びそうなほどの痛みに耐えながらも、ヴィルはケルビンの背に呼びかけた。
「ご安心ください。この機は離陸後、不幸にも成層圏に到達する前に有翼魔属の襲撃に遭い墜落する――とまぁ、そんなフライトプランになっております。それでは快適な空の旅を。グッドラック」
愉快げにそう告げると恭しく頭を下げ、機を後にした。
数分後、機が離陸しても暗闇の中で全身を駆け巡る激痛に苛まれ、ついにはもがく事すらできなくたったヴィル。自身から流れ出た血の海に横たわり、薄れ行く意識の中で彼は僅かに安堵を覚えていた。
――あぁ。ボクは間違っていなかった。
やはりこの世界は狂っている。
救うに値しない世界だった、と。
荒野の上にカーペットの如く伸びる長大な滑走路。その先端には一機の超音速機の姿があった。魔属の手が及ばない成層圏を飛行するこの機は、離陸の時に備えてエンジンを唸らせていた。
その機内にはまるで戦地に赴くような物々しさの完全武装した兵士が搭乗している。青いベレー帽を被った彼らは国連軍兵士だ。
そしてその兵士たちが囲むように機体中央に据えられた一室。四方を分厚い鉄壁に囲まれ、正面には重厚な扉が一つ。堅牢なその部屋の内部には、全身に拘束具を装着され、床と一体化した座席に完全固定された男が一人いるだけだった。兵士たちはこの男を目的地まで護送する任を与えられている。
いささか過剰な護送体制とも思えるが、この男が何者であるかを知れば、この厳重な拘束も、外にいる屈強な兵士たちでも不安が残るほどである。
その男の名はヴィルヘルム・ノートン。
クラス:マスターの勇者であり、救国の英雄と呼ばれていた。しかし今や彼は、魔属大戦を引き起こそうと画策したテロリストである。
前代未聞のこの犯罪者は超音速機でガルス空軍基地を発ち、国際司法裁判所のある都市まで速やかに護送される手はずになっていた。
僅かな光源しか無い暗闇の中で静かに座するヴィル。彼の心境は、完全に覇気を失い、ただ己に下される裁きを待つ……などとは程遠かった。
むしろその眼光は尚鋭さを増し、思考はすでに先に向けられていた。
――このまま国際法廷の場に向かうことに意味はあるのか。
法廷の場で全てを語り、人々に訴えかける、と思うほど夢見がちではない。
そんなことをしても何も変わりなどしない。それで人々の認識が変わるようであれば、これほどまでに苦労はしなかった。
それどころか、すでに裁判の流れも、判決すらも全て決められているに違いない。増長した勇者がどうなるか見せしめにされるのだろう。
全ての勇者に対する戒めとして。
類人兵器風情が逸脱すれば、どんな末路を辿るのかを。
であるなら、このまま大人しく連行されるのは得策ではない。
体の回復はおよそ二割程度。全快には程遠いが、拘束を解くくらいならば造作も無い。飛び立つ前なら、隙を見て逃げ出すことも不可能ではない。
しかし、もはやマーレのような強力な後ろ盾もないばかりか、逃亡犯として追われる身となる。これまでのような活動はできないだろう。
――構いはしない。ボクはまだ何も果たしてはいない。
――それに、どうせ元より一人だ。一人でまた一から始めればいい。
覚悟を決めるとヴィルは拘束を解くべく力を込める。
『ヴィルの仲間は、怒り狂って関係ない人間まで殺すお前を見て、喜ぶような奴らだったのか?』
その時ふと、アオイの言葉を思い出した。そして彼の仲間――あのロマリアナの地で散っていった友たちの顔が脳裏を過った。
今のボクを見たら、彼らはなんと言っただろうか。もし彼らが生きていたなら、ボクが一人でなければ、どこかで思いとどまっただろうか。
何度想像しても、うまくいかない。
想像の中の彼らと彼女は、自分を厳しく叱り、そして優しく諭してくる。
そうして気付けば、込められた力が抜けていた。
別に悔い改めるわけでもないし、間違っていたとも思わない。
――でも、他にも方法はあるかもしれない。
そうして思案に耽りはじめた時、目の前の扉が開かれ、一人の男が入ってきた。軍人かと思ったが、それにしては風体が明らかに違う。
長身痩躯を高価そうなスーツで包んだビジネスマン風の中年男。野暮ったい黒縁の眼鏡と、常に笑っているような細い目が対照的でアンバランスな印象を与えた。
この男が護送の担当にはとても見えない。[イーター]は没収されていようとも、ヴィルならその気になれば素手でも倒せそうなくらいだ。
だが、本能的にヴィルはこの男の正体を察していた。
「いやはや、随分とご活躍でしたね。さすが、救国の英雄の面目躍如といったところですか」
扉が閉められるのを待ってから、彼はヴィルの前に立つと、まるで世間話でもするかのように気軽に声をかけてくる。
「あぁ。申し遅れましたが、私はケルビン・ミラー。あなたと同じクラス:マスターの勇者です」
怪訝な顔をするヴィルにその男、ケルビンは名乗った。
「せっかくの休暇も急遽キャンセル。南国のビーチでのバカンスから、こんな何もない辺鄙なところまで使いっぱしりですよ……。私はこんなことをするためにクラス:マスターなったわけじゃないんですがねぇ」
そいつはご苦労なことだ。
そう言ってやろうと思ったが、あいにく今のヴィルには猿轡が噛まされ喋ることはできない。
「ええ、まったく。とんだ貧乏くじです」
しかし、ケルビンはヴィルの心中に答えるように笑いながらそう返した。
「ま、そんなわけでしてね。今日はあなたにお願いがあって参りました。あ、私個人のではなく、依頼主からって意味ですので」
終始軽薄な態度のこの男を睨みながら、ヴィルは彼の目的を推し量る。少なくとも、護送のためにこの場に来たわけではないようだ。
まさか、法定で凶行に及んだ動機を語ることで、人々や世論に影響を与えることを恐れた何者かが……
「あっはっは。心配しなくても、あなたの言葉で心動く人なんかいませんて。案外、夢見がちな人なんですね?」
ひらひらと手を振りながらケルビンは笑い飛ばす。またしても心中を見通したかのようなタイミング。
「あいにくと、あなたの事情なんてこちらの知ったこっちゃありません。ただ、公の場で今回の一件を話されるといろいろと面倒なんですよ。あなただってそれはわかるでしょう?」
言われるまでもなく、それはヴィルも薄々気付いていた。
それは、マーレと反勇者思想についてだ。
いかにマーレが権力と財力を兼ね備えていたとはいえ、それだけで都市の地下に研究施設を築いたり、都合よく勇者候補を何人も同じ地に呼び寄せるなど限りなく不可能に近い。
すなわち、彼の主張に賛同し協力するものが国連内部に少なからず存在している。そう考えるのはごく自然なことだ。
そして、それを明かされるのを疎んだ者たちが、この男を差し向けたのだろう。
「勇者及び魔属の研究、勇者代替構想。それらは彼一人の妄執であり、今回の一件はすべて彼の独断でやったことだった。世間的にはそれが一番収まりがいいんですよ」
(ボクに法廷で、都合のいい証言しろと?)
「無論、ご協力いただければそれなりの見返りはお約束いたしますよ。例えばこんなのはどうでしょう?“救国の英雄は過酷なミッションの連続で心神喪失していた。責任の一端は勇者機関にもある”として、情状酌量の上、医療刑務所に――」
(取引か。だが生憎、洗いざらい全ての真実を語るつもりだ)
「またまた心にもないことを。少なくとも、ここから力ずくで脱走するよりは利口だと思うんですがねぇ」
ヴィルは確信した。この男のDEEPは、思考のハッキングだ。その証拠に、ヴィルが確信を得ると同時にケルビンは「ようやく気付いたか」とばかりに笑みをより深めた。
(ボクの心が読めるならわかるだろう。ボクは自身の目的のためだけに行動する。貴様のような権力におもねり、嬉々として使い走りをするゲスとは違って、ボクはまだ勇者としての誇りを失ってはいない!)
「あっはっはっは!テロリストにそんなこと言われても説得力ゼロですよ。それともあなたなりの冗談のつもりですか?」
ケルビンは心底おかしそうに腹を抱えて笑ったが、ヴィルの真剣な眼差しを受けると白けたように笑いを収めた。
「ま、そう言うとは思っていましたよ。そもそも、取引だの交渉だのまどろっこしいやり方が間違いなんですよ。まったく、お上の考えていることはわかりません」
やれやれといった表情で肩をつり上げる仕草をしたケルビンは、おもむろにヴィルの正面に歩み寄る。
「臭い物に蓋をする、なんて言葉があるでしょ?どうも私は昔から理解できなくて。子供の頃からずっと思っていましたよ。“いや、そんな臭いなら捨てろよ”ってね」
最後を冷たい口調で言い終わると同時に、ヴィルは胸に痛みを感じた。
いつの間に抜いたのか、ケルビンの手には小振りな剣が握られ、その刃が拘束具ごと彼の胸を縦に切り裂いていた。
呻き声を上げながら床に倒れ伏すヴィル。だが意識はクリア、思考はいたって冷静であった。確かに刃はヴィルの体を深々と切り裂いてはいたが、この程度の傷では致命傷には成り得ない。
むしろこれはチャンスだ。怯んだと見せかけて、この男を返り討ちに――
ヴィルは様子を窺うように視線を上げると、満面の笑みを浮かべるケルビンと目があった。
「千載一遇のチャンス、とでも思いましたか?」
異変は、その時だった。
胸の傷口から駆け昇る尋常ではない激痛に、ヴィルは声を上げることもできずに床上をのたうち回った。その痛みは胸の傷からではあったが、明らかに刀傷とは異質の苦しみであった。
「ああ。その傷口は再生不可能ですよ。斬撃時、刃から剥がれ落ちたナノマシンが細胞の活性を抑制して、傷口をじわじわ広げていきます。ま、と言っても私も理屈は理解していないんですが、とにかくそういう聖剣なんですと」
医療器具を連想させる直線的で銀一色のその聖剣は、照明の僅かな光を受け怪しく光る。
「上級種の魔属すらももがき苦しんで死に至らしめるものですから、いくらあなたでもこれを抑えることは不可能でしょう……って、聞こえていませんか」
ついには口から血と吐瀉物を吐き出し、激しくもがき苦しむヴィルを見て、ケルビンは呆れたように溜息をつく。
そして、自分の仕事は終わったとばかりに踵を返し、この場を後にしようとする。
(待て……)
意識が飛びそうなほどの痛みに耐えながらも、ヴィルはケルビンの背に呼びかけた。
「ご安心ください。この機は離陸後、不幸にも成層圏に到達する前に有翼魔属の襲撃に遭い墜落する――とまぁ、そんなフライトプランになっております。それでは快適な空の旅を。グッドラック」
愉快げにそう告げると恭しく頭を下げ、機を後にした。
数分後、機が離陸しても暗闇の中で全身を駆け巡る激痛に苛まれ、ついにはもがく事すらできなくたったヴィル。自身から流れ出た血の海に横たわり、薄れ行く意識の中で彼は僅かに安堵を覚えていた。
――あぁ。ボクは間違っていなかった。
やはりこの世界は狂っている。
救うに値しない世界だった、と。
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