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クラースが狼人タルブの話は俺に任せてもらえるかと言うので、全権委ねることにした。クラース預かりの話はしつつ、マティアスに話を通すことは大丈夫か確認すればもちろんとの返事がくる。
「サキが危険に巻き込まれないよう、この話とは切り離しておきたいだけだから」
「クラース……」
このまま上に話を通しに行くというクラースに館へ送ってもらうと、キーラのご機嫌伺いに買ってきたふわりとした菓子を手に談話室に入る。ソファーで眠ってしまったキーラに薄布を掛け、その傍では先ほどまで本を読んでいたのであろう、開いたページを指で押さえたままイェルハルドがうたた寝をしていた。
それほど冷える季節でもない、布を掛ければ起きてしまうだろう。前世で観たことのある天使と大天使の荘厳な絵画を思い出しながら、サキは静かに菓子を置くと部屋を出た。
館の廊下を一人歩きながら窓に映る自分の姿が目に入る。もう少し涼しくなれば10歳になるというのにサキの背は一向に伸びていない。前世では同じ年には第二次性徴を迎えていたからなあと思いつつ、いまだ何の兆しも現れぬ腰に目を落とした。
この世界の人間は皆大柄である、特にマティアスは背が高いので自分もそうなると思っていたのだが、半分はラミの血なのだ。ラミは少しだけ一般男性の身長よりも小柄なのである。
(ムスタ師匠だって背はそんなにないし、男は背の高さじゃないしな)
おやつを食べるために厨房を覗いたサキは菓子を出してくれたカティに、甘いものよりも乾燥した小魚とミルクを頼むと、ぼりぼり小魚を食べミルクで流し込み口元をぐいと拭った。
「サキ坊ちゃま、何かございましたか」
穏やかにカティが尋ねるので身長が伸び悩んでいる話をすれば、可笑しそうにコロコロと笑われた。
「マティアス様だってサキ坊ちゃまくらいの年には、お小さかったんですよ。マティアス様の背がお伸びになったのは成人の少し前ほどでしたかしら。急にぐんぐんと一晩で骨が伸びるので、軋んで痛いとマティアス様が言ってましたから、よく覚えております」
「そうなの?」
「そうですとも、季節がひとつ巡るうちに頭一つ大きくおなりになって。ですからサキ坊ちゃまも大丈夫ですよ」
なるほどそうかと安心して、サキはにこりと笑って甘い菓子も口に入れた。菓子を食べるサキをふふ、と笑顔で眺めながらカティは芋の桶をテーブルの下へと持ってきた。
「芋の皮を剥くの手伝いたい」
「おやまぁ、サキ坊ちゃまがですか」
何事も経験でしょうからと小さい桶と小さいナイフを用意してくれたカティに礼を言って、サキは刃物の先を確かめた。よく研がれていることににこりとすると、カティが驚くほどに慣れた手つきでサキは芋の皮を剥き始めた。
どこで刃物の扱いを習ったのかと訝しんだカティであったが、そういえば朝は武術の鍛錬に出掛けているから刃物を扱うこともあるのだろうと納得したのだった。刃物の扱いと芋の皮剥きとは全く別物であるが、長いことナイフを手にしてきた熟練のコックであるカティは、そのようなことを思いつきもしないのである。
「サキ坊ちゃまのお早いこと、助かりました」
「ううん、また手伝ってもいい?料理も覚えたいし」
「まあまぁ、そんな嬉しいことを。エプロンを用意しなくてはいけませんね」
「うんお願い」
ひとまず今日はこれで、と布巾を腰に巻いてサキは木箱を運んで床に置くとその上に乗ってみた。高さは良い感じである。木の板に芋をひとつ乗せると手にしたナイフで、サキはカティに指示された通り刻んでいった。丸のままの芋は煮込みの鍋へと水と一緒に入れ、こちらはカティに任せる。
サキは千切りにした芋をミルクからとった脂で炒め、刻んだ塩漬けの発酵魚と合わせた、ポテトとアンチョビの炒め物を作った。カティからは驚くほどの筋の良さを絶賛され、流石サキ坊ちゃまですと褒められたが前世はシェフである、身体が動きに追いつけば何だって作れるのだ。
起きてきたイェルハルドとキーラを誘って、厨房のテーブルに三人座りポテトとアンチョビの炒め物を味見する。王子様がそんなところへと怒られるかもしれないが、サキの家ではそれが普通だしイェルハルドが全く気にしないのでいいのだろう。
キーラでも食べられるよう塩気を抑えたので、カリっとした食感が懐かしいスナック菓子を思い出させる。キーラもイェルハルドも美味しいと頬を緩めているから、サキも嬉しくなる。
「あーいいもの食べてるう」
匂いに釣られたのかラミが厨房にやってきて椅子にすとんと座る。カティがお帰りなさいと微笑みながら皿とフォークを出せばありがと、とラミも微笑んでポテトに手を伸ばした。
「美味しいねえ」
「サキ坊ちゃまが作られたんですよ」
「え、サキがこれを……?」
「にぃにおいしー」
照れながらも美味しいと褒められれば嬉しい。
「他のものも作ったら食べてくれる?」
と聞けばもちろん頂きますと返事が返ってきて、私もキーラのために料理を勉強すべきでしょうかと本気で悩む王子様がいた。それ以上お母さんみたいになる必要はないと思うけど、と思いつつも自分で一から料理ができるというのは大事なことだからやってみたらと勧めておく。
食べ終えたあとに片づけまでが料理です、と皿洗いをし出したサキに、では私も手伝いますと隣に立って食器を拭く王子様の姿があった。成人男子を捕まえて言うのも何だが本当に素直な良い子なのである、片づけ終えたサキは久しぶりにイェルハルドの髪を撫でさせてもらった。
いぇうーいいこ、とキーラも一緒に撫でた。ラミも加わり三人でイェルハルドを囲んで髪を撫でていれば、帰宅したマティアスの眉間に深い皺が刻まれていた。
マティアスの眉間の皺は嫉妬ではなかった。談話室に移動しソファーへと腰を落ち着かせるとイェルハルドも後程聞くだろうが、と前置きをして話始めた内容はやはり狼人タルブの事であった。
サキとクラースが冒険者ギルドで狼人タルブに声を掛けられたのはすでにギルド長へと確認済みとの話で、狼人タルブの冒険者カードの確認も取れているから本人で間違いはないし身元もはっきりとした獣人であるらしい。
問題は王都へとムスタに会いに来たという話で、今までは獣人がムスタに会いに来たとしても王城の敷地内へと入ることは難しいから、王都内で探し出せず諦めて帰っていたらしい。
ムスタは星森の国からの正式な書状の類も一切断っているそうなので、ムスタ本人が望まなければ今回もまず会うことはないだろうとの話だった。
ただ調べたところによると狼人タルブはムスタの古い知り合いであり、星森とは関係のない北国の出身であるらしい。クラースが請け負った話だしムスタにも話が通るが、とそこで区切ってマティアスがサキをじっと見た。
「サキ、お前はこの件に係わってはいけない」
「え……理由はあるの」
「今はまだ推測段階だから口外すべきではないのかも知れないが、お前はそろそろ10歳になる。この話を知っておいた方がいいだろう」
マティアスが語ったのは獣人の伴侶探しの話であった。
長い歴史の中で古くは純血種を尊んだ獣人は緩やかに数を減らしてきた、個体が減れば婚姻は困難となり更に数は減る。婚姻を結んでも濃すぎる血は血統を残しにくくなってしまった、そこで一旦遠い血を受け入れて濃くなりすぎた血を薄めようとした。再び掛け合わせていき次第に限りなく純血種へ戻そうとする動きである。
結果から言えば混血というのはそう悪いものではなく、両者の優れた能力を受け継いだり突発的に異質な能力を発揮したりする。混血に総じて優秀な者が増え知識が蓄えられれば、群れのように統率を取るものがなぜ純血でなければならぬと気づくのは自然。
獣人の頂点と言われる古い国があった、星森という国である。長い間純血種だけを頂点に崇め新しい宗主もまた純血種であった。新しい宗主は古きも新しきも混ざれば良いと中立の立場というよりむしろ新しい風潮を支持する側であったが、生まれた時に既に決められていた婚約者はやはり純血種であった。
ごく水面下で長い時間をかけて事は進められた。宗主の婚約者である女性は物心つく前より混血に囲まれて育ち、ある考えを植え付けられていた。純血種などいなくなればいい、と幼きころから耳元で囁き続けられたのだ、純血種の女性の心は凍り付いていただろう。
消えるべき存在の自分が消えるべき存在の宗主と番い、消えるべき存在の子供を産んだのだ。反乱が起こったとき多くの獣人が倒れ、女性は子供と共に亡くなっている。
一時は国の滅亡かと思われた星森の国を救ったのは、生き残った混血たちと話し合い手を結んだ宗主であった。自らも妻子を失くしたが国のために尽くし立て直し、軌道に乗れば自らは退位して混血の男に次代を譲り渡したのだという。
混血とは言っても宗主の姉妹の血を継ぐ者で、実力人望共に十分とみなされ皆納得したはずだった。
占星というのが獣人たちの行動の指針となる。星森の国の興りを示したとも伝わる占星で獣人たちの心の拠り所ともなっている。
この占星が宗主の退位を認めずと出たのだという。退位したはずの男がいまだ宗主と呼ばれている。十年以上膠着状態であり問題打破に向けての対策は色々とられた。
宗主に戻ってきてもらう、これは叶わない。宗主を亡き者にする、こちらも叶わない。となると占星が是とする答えを導き出さなければならない。
星森の国は優秀な頭脳で考えた、宗主の実子ならばあるいは王位を占星に認めさせることができるのではないかと。
以来、星森の国の獣人たちは宗主の伴侶となり子供を産んでくれる者を探しつづけているのだという。
獣人の求めるのは優秀な伴侶である、人間ならば魔力が高く賢く美しく子供を産める者。
(ああ、なるほどそういうことか)
マティアスの話にようやく納得がいったサキである。
確かに魔力が高くて現在結婚も婚約もしていないムスタの傍にいる人間といえば、サキしかいない。魔族の夢魔の血が半分入っているから、もしかしたらラミのように子供を産めるようになるのかもしれない。
ムスタはラミが夢魔というとこは知っているし、実際に何度も会っているから母親とは言っても男の身体であることは気づいているだろう。
もちろん繁殖行為などはムスタが望まねば無理であるし、獣人好きといってもサキにもムスタとどうこうという気はない、あくまで鑑賞対象の師弟関係である。
だが万が一、ということがある。古き友に諭されたら?国に戻らなくていいから子種だけでもと言われたら?獣人だけが持つ発情期が巡ってきたら?
子供が産めるかどうかは置いておくとして、サキ一人ではムスタから逃げられる気などしないし、実際に無理であろう。まだ第二次性徴が現れず精通すら迎えていないのが、今日はありがたく感じられた。
「理解したようだな。とりあえずサキ、お前はしばらく朝の武術は休みムスタとの接触は控えろ。狼人との接触も避けたい、城下街へ出ることも控えるように」
「はい」
殊勝に返事をしてその夜は川の字になって寝た。
明け方に獣耳がぴくぴくと動き尻尾を振った猫が近づいてきて、君になら触られてもいいよと言った。そっと触れた獣耳はとても柔らかくて滑らかな肌触りをしており、サキの指の間をふるりとすり抜けていく。
尻尾がサキの足に絡みつき腰に巻き付いてしゅるりと動いた。動く尻尾を捕まえれば優しく持ってと諭された。尻尾を付け根から先まで撫でていれば、あぁ気持ちいいと声が聞こえた。
尻尾の先がサキを撫でる、僕もとっても気持ちいいとサキが答えて、あっと目が覚めた。
あっと叫んで目を覚ましたサキに、マティアスも起きたようだった。サキは恥ずかしながら精通がきましたとマティアスに報告をした。マティアスはそうか、と言って片手で両目ごと覆うとこめかみを抑えた。
「サキが危険に巻き込まれないよう、この話とは切り離しておきたいだけだから」
「クラース……」
このまま上に話を通しに行くというクラースに館へ送ってもらうと、キーラのご機嫌伺いに買ってきたふわりとした菓子を手に談話室に入る。ソファーで眠ってしまったキーラに薄布を掛け、その傍では先ほどまで本を読んでいたのであろう、開いたページを指で押さえたままイェルハルドがうたた寝をしていた。
それほど冷える季節でもない、布を掛ければ起きてしまうだろう。前世で観たことのある天使と大天使の荘厳な絵画を思い出しながら、サキは静かに菓子を置くと部屋を出た。
館の廊下を一人歩きながら窓に映る自分の姿が目に入る。もう少し涼しくなれば10歳になるというのにサキの背は一向に伸びていない。前世では同じ年には第二次性徴を迎えていたからなあと思いつつ、いまだ何の兆しも現れぬ腰に目を落とした。
この世界の人間は皆大柄である、特にマティアスは背が高いので自分もそうなると思っていたのだが、半分はラミの血なのだ。ラミは少しだけ一般男性の身長よりも小柄なのである。
(ムスタ師匠だって背はそんなにないし、男は背の高さじゃないしな)
おやつを食べるために厨房を覗いたサキは菓子を出してくれたカティに、甘いものよりも乾燥した小魚とミルクを頼むと、ぼりぼり小魚を食べミルクで流し込み口元をぐいと拭った。
「サキ坊ちゃま、何かございましたか」
穏やかにカティが尋ねるので身長が伸び悩んでいる話をすれば、可笑しそうにコロコロと笑われた。
「マティアス様だってサキ坊ちゃまくらいの年には、お小さかったんですよ。マティアス様の背がお伸びになったのは成人の少し前ほどでしたかしら。急にぐんぐんと一晩で骨が伸びるので、軋んで痛いとマティアス様が言ってましたから、よく覚えております」
「そうなの?」
「そうですとも、季節がひとつ巡るうちに頭一つ大きくおなりになって。ですからサキ坊ちゃまも大丈夫ですよ」
なるほどそうかと安心して、サキはにこりと笑って甘い菓子も口に入れた。菓子を食べるサキをふふ、と笑顔で眺めながらカティは芋の桶をテーブルの下へと持ってきた。
「芋の皮を剥くの手伝いたい」
「おやまぁ、サキ坊ちゃまがですか」
何事も経験でしょうからと小さい桶と小さいナイフを用意してくれたカティに礼を言って、サキは刃物の先を確かめた。よく研がれていることににこりとすると、カティが驚くほどに慣れた手つきでサキは芋の皮を剥き始めた。
どこで刃物の扱いを習ったのかと訝しんだカティであったが、そういえば朝は武術の鍛錬に出掛けているから刃物を扱うこともあるのだろうと納得したのだった。刃物の扱いと芋の皮剥きとは全く別物であるが、長いことナイフを手にしてきた熟練のコックであるカティは、そのようなことを思いつきもしないのである。
「サキ坊ちゃまのお早いこと、助かりました」
「ううん、また手伝ってもいい?料理も覚えたいし」
「まあまぁ、そんな嬉しいことを。エプロンを用意しなくてはいけませんね」
「うんお願い」
ひとまず今日はこれで、と布巾を腰に巻いてサキは木箱を運んで床に置くとその上に乗ってみた。高さは良い感じである。木の板に芋をひとつ乗せると手にしたナイフで、サキはカティに指示された通り刻んでいった。丸のままの芋は煮込みの鍋へと水と一緒に入れ、こちらはカティに任せる。
サキは千切りにした芋をミルクからとった脂で炒め、刻んだ塩漬けの発酵魚と合わせた、ポテトとアンチョビの炒め物を作った。カティからは驚くほどの筋の良さを絶賛され、流石サキ坊ちゃまですと褒められたが前世はシェフである、身体が動きに追いつけば何だって作れるのだ。
起きてきたイェルハルドとキーラを誘って、厨房のテーブルに三人座りポテトとアンチョビの炒め物を味見する。王子様がそんなところへと怒られるかもしれないが、サキの家ではそれが普通だしイェルハルドが全く気にしないのでいいのだろう。
キーラでも食べられるよう塩気を抑えたので、カリっとした食感が懐かしいスナック菓子を思い出させる。キーラもイェルハルドも美味しいと頬を緩めているから、サキも嬉しくなる。
「あーいいもの食べてるう」
匂いに釣られたのかラミが厨房にやってきて椅子にすとんと座る。カティがお帰りなさいと微笑みながら皿とフォークを出せばありがと、とラミも微笑んでポテトに手を伸ばした。
「美味しいねえ」
「サキ坊ちゃまが作られたんですよ」
「え、サキがこれを……?」
「にぃにおいしー」
照れながらも美味しいと褒められれば嬉しい。
「他のものも作ったら食べてくれる?」
と聞けばもちろん頂きますと返事が返ってきて、私もキーラのために料理を勉強すべきでしょうかと本気で悩む王子様がいた。それ以上お母さんみたいになる必要はないと思うけど、と思いつつも自分で一から料理ができるというのは大事なことだからやってみたらと勧めておく。
食べ終えたあとに片づけまでが料理です、と皿洗いをし出したサキに、では私も手伝いますと隣に立って食器を拭く王子様の姿があった。成人男子を捕まえて言うのも何だが本当に素直な良い子なのである、片づけ終えたサキは久しぶりにイェルハルドの髪を撫でさせてもらった。
いぇうーいいこ、とキーラも一緒に撫でた。ラミも加わり三人でイェルハルドを囲んで髪を撫でていれば、帰宅したマティアスの眉間に深い皺が刻まれていた。
マティアスの眉間の皺は嫉妬ではなかった。談話室に移動しソファーへと腰を落ち着かせるとイェルハルドも後程聞くだろうが、と前置きをして話始めた内容はやはり狼人タルブの事であった。
サキとクラースが冒険者ギルドで狼人タルブに声を掛けられたのはすでにギルド長へと確認済みとの話で、狼人タルブの冒険者カードの確認も取れているから本人で間違いはないし身元もはっきりとした獣人であるらしい。
問題は王都へとムスタに会いに来たという話で、今までは獣人がムスタに会いに来たとしても王城の敷地内へと入ることは難しいから、王都内で探し出せず諦めて帰っていたらしい。
ムスタは星森の国からの正式な書状の類も一切断っているそうなので、ムスタ本人が望まなければ今回もまず会うことはないだろうとの話だった。
ただ調べたところによると狼人タルブはムスタの古い知り合いであり、星森とは関係のない北国の出身であるらしい。クラースが請け負った話だしムスタにも話が通るが、とそこで区切ってマティアスがサキをじっと見た。
「サキ、お前はこの件に係わってはいけない」
「え……理由はあるの」
「今はまだ推測段階だから口外すべきではないのかも知れないが、お前はそろそろ10歳になる。この話を知っておいた方がいいだろう」
マティアスが語ったのは獣人の伴侶探しの話であった。
長い歴史の中で古くは純血種を尊んだ獣人は緩やかに数を減らしてきた、個体が減れば婚姻は困難となり更に数は減る。婚姻を結んでも濃すぎる血は血統を残しにくくなってしまった、そこで一旦遠い血を受け入れて濃くなりすぎた血を薄めようとした。再び掛け合わせていき次第に限りなく純血種へ戻そうとする動きである。
結果から言えば混血というのはそう悪いものではなく、両者の優れた能力を受け継いだり突発的に異質な能力を発揮したりする。混血に総じて優秀な者が増え知識が蓄えられれば、群れのように統率を取るものがなぜ純血でなければならぬと気づくのは自然。
獣人の頂点と言われる古い国があった、星森という国である。長い間純血種だけを頂点に崇め新しい宗主もまた純血種であった。新しい宗主は古きも新しきも混ざれば良いと中立の立場というよりむしろ新しい風潮を支持する側であったが、生まれた時に既に決められていた婚約者はやはり純血種であった。
ごく水面下で長い時間をかけて事は進められた。宗主の婚約者である女性は物心つく前より混血に囲まれて育ち、ある考えを植え付けられていた。純血種などいなくなればいい、と幼きころから耳元で囁き続けられたのだ、純血種の女性の心は凍り付いていただろう。
消えるべき存在の自分が消えるべき存在の宗主と番い、消えるべき存在の子供を産んだのだ。反乱が起こったとき多くの獣人が倒れ、女性は子供と共に亡くなっている。
一時は国の滅亡かと思われた星森の国を救ったのは、生き残った混血たちと話し合い手を結んだ宗主であった。自らも妻子を失くしたが国のために尽くし立て直し、軌道に乗れば自らは退位して混血の男に次代を譲り渡したのだという。
混血とは言っても宗主の姉妹の血を継ぐ者で、実力人望共に十分とみなされ皆納得したはずだった。
占星というのが獣人たちの行動の指針となる。星森の国の興りを示したとも伝わる占星で獣人たちの心の拠り所ともなっている。
この占星が宗主の退位を認めずと出たのだという。退位したはずの男がいまだ宗主と呼ばれている。十年以上膠着状態であり問題打破に向けての対策は色々とられた。
宗主に戻ってきてもらう、これは叶わない。宗主を亡き者にする、こちらも叶わない。となると占星が是とする答えを導き出さなければならない。
星森の国は優秀な頭脳で考えた、宗主の実子ならばあるいは王位を占星に認めさせることができるのではないかと。
以来、星森の国の獣人たちは宗主の伴侶となり子供を産んでくれる者を探しつづけているのだという。
獣人の求めるのは優秀な伴侶である、人間ならば魔力が高く賢く美しく子供を産める者。
(ああ、なるほどそういうことか)
マティアスの話にようやく納得がいったサキである。
確かに魔力が高くて現在結婚も婚約もしていないムスタの傍にいる人間といえば、サキしかいない。魔族の夢魔の血が半分入っているから、もしかしたらラミのように子供を産めるようになるのかもしれない。
ムスタはラミが夢魔というとこは知っているし、実際に何度も会っているから母親とは言っても男の身体であることは気づいているだろう。
もちろん繁殖行為などはムスタが望まねば無理であるし、獣人好きといってもサキにもムスタとどうこうという気はない、あくまで鑑賞対象の師弟関係である。
だが万が一、ということがある。古き友に諭されたら?国に戻らなくていいから子種だけでもと言われたら?獣人だけが持つ発情期が巡ってきたら?
子供が産めるかどうかは置いておくとして、サキ一人ではムスタから逃げられる気などしないし、実際に無理であろう。まだ第二次性徴が現れず精通すら迎えていないのが、今日はありがたく感じられた。
「理解したようだな。とりあえずサキ、お前はしばらく朝の武術は休みムスタとの接触は控えろ。狼人との接触も避けたい、城下街へ出ることも控えるように」
「はい」
殊勝に返事をしてその夜は川の字になって寝た。
明け方に獣耳がぴくぴくと動き尻尾を振った猫が近づいてきて、君になら触られてもいいよと言った。そっと触れた獣耳はとても柔らかくて滑らかな肌触りをしており、サキの指の間をふるりとすり抜けていく。
尻尾がサキの足に絡みつき腰に巻き付いてしゅるりと動いた。動く尻尾を捕まえれば優しく持ってと諭された。尻尾を付け根から先まで撫でていれば、あぁ気持ちいいと声が聞こえた。
尻尾の先がサキを撫でる、僕もとっても気持ちいいとサキが答えて、あっと目が覚めた。
あっと叫んで目を覚ましたサキに、マティアスも起きたようだった。サキは恥ずかしながら精通がきましたとマティアスに報告をした。マティアスはそうか、と言って片手で両目ごと覆うとこめかみを抑えた。
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