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29一夜
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「サキ」
名前を呼ばれて無意味に並べ替えていたものから、一旦手を離した。
「サキ」
もう一度名前を呼ばれて、もじもじと触っていた布の端を離すとサキは顔を上げた。目が合えば心臓がずくんと音を立て顔にさっと熱が上がるが、この灯りでは赤くなった顔など見えないだろうと安堵する。
「サキ」
また名前を呼ばれてようやく、はいと返事をした。
「妙なことはしない、抱きしめてもいいかの」
こくんと大きく頷いてサキはふらりとムスタの方へと近づいた。少し手前で立ち止まって手を伸ばせばムスタがその手を掴み引き寄せた。
サキには言っていないが黒豹の獣人であるムスタは夜目が利く。顔を紅潮させたサキを愛しく思いながらも気持ちを抑え緩く抱き寄せて見れば、4年で背の伸びたサキの頭はムスタの肩のところまであった。
羽織ったシャツの襟元からは華奢なうなじと金色の細鎖とが見えている。白いうなじから無理やり目を逸らしムスタはサキの頭頂に顎を乗せると、ふうぅと大きく息を吐いた。サキはその腕をムスタの背中へは回さず、少し緊張するようにじっとしている。
サキの香りを存分に吸い込んでムスタは、くんとその鼻をひくつかせた。
(匂うな)
いつか嗅いだサキの精の匂いの他に別の雄の匂いがする。4年間離れていたとてこの同じ場所でサキの身を清めるために舌で舐めとったのはムスタ自身である、匂いを間違えるはずがない。
鼻の利くムスタはその雄の匂いがまだ新しく、クラースのものであると気づいてしまった。
先ほどの握手の強さ、立ち去る際にサキを気遣うように見ていた目を思い出しムスタは理解した。サキを守るにあの騎士はうってつけであろう良い男だ、年齢的にもサキと釣り合いがとれている。
ムスタは互いの精の匂いを付けているということはそういう事だ、と己の心を納得させた。そうなることをわかっていながらサキのためと言い訳をして自分は愛から逃げたのだ、あれから4年経った。年寄りの4年と若者の4年は全く違う、サキを本当に愛するのなら古い約束なぞで束縛せず祝福し諦め解放せよと心が諭す。
サキの頭頂へと軽くキスを落としてムスタは緩い拘束を解いた。サキはそれに無理にすがるでもなく、拳一つ分ほど空いた身体の隙間にちょっと目を落としてからムスタを見上げた。至近距離から黒い瞳で見つめられればムスタはぐっと顎を引く、その金瞳が揺れたのをサキは薄明りのなかで確かに見た。
「ムスタ師匠……」
「どうした、サキ」
ムスタの名前を呼べば、ムスタからはずっと聞きたかった懐かしい声で優しい返事が返ってくる。その懐かしい声が少し掠れているから、体調が気になってしまう。
「体調は大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫じゃ」
本当はそんなことを聞きたいわけじゃないのに、一番伝えたかった言葉は4年間ずっと胸にしまってきたのにサキは言葉にできなかった。前だったら何の躊躇いもなくその胸に飛び込めたのに、何かが邪魔をしてサキはその一歩を踏み出せずにいた。
「僕、背が伸びました」
「……ずいぶん伸びたな」
以前のようにムスタの手がサキの頭に乗り、優しく髪を撫でた。4年前には肩につかない長さであった髪もずいぶん伸びて今は背中まで流れている。髪を辿って肩から背中までなぞった指は別に性的な動きをしたわけではないのに、サキはぴくりと背中を震わせた。
「サキ」
「はい」
「感謝する、ありがとう」
「……はい」
ムスタの細かい表情までは見えないが、魔力も精気も以前と同じく落ち着いている。今日は疲れているだろうし早く休んでもらった方がいいのかもしれない。サキはムスタから離れると途中になっていた荷物を動かしたり重ねたり敷いたりして、快適な生活空間を作り出した。
テントの中に入って居住スペースを確かめたムスタが嬉しそうに、これは快適じゃのと笑った。天井はそれほど高くはないが、大人数人が楽に横になることができるスペースはある。天井部分に明るさを調節できる灯りを付けてあるので、真昼とまではいかないが十分に明るい。
テーブルと椅子を出してしまうと狭くなるため、ムスタの館で昔一緒にくつろいでいた様に絨毯とクッションを敷き詰めた。
何か口にするか尋ねたサキに茶でももらおうかの、とムスタが答えたのでサキは一度テントから出て簡易キッチンで湯を沸かす。昔ムスタの館ではクッションに埋もれながら絨毯でくつろぐムスタに全身でしな垂れかかり、結局子供と相手にされず寝かしつけられていたことを思い出し頬を緩める。
思い出し笑いに頬を緩めたままカップ二つにお茶を入れてテントをくぐって入れば、くつろいだ様子のムスタがサキを見て優しく笑っていた。
「ずいぶん楽しそうじゃの」
「ふふっ、昔ムスタ師匠に抱きついて相手にされず、結局そのまま眠ってしまったことを思い出したら可笑しくて」
「ははっ、懐かしいの」
柔らかい顔で笑いながらカップを差し出すサキの一つボタンの空いたシャツの襟元からは、鎖骨と金の細鎖がちらりと見える。あえて見ないようにとカップを受け取ればシャツの袖口から細い手首が覗いていた。
空いた手で髪を肩から後ろへ払って、サキがムスタからは少し離れた絨毯に腰を下ろした。ムスタのように緩いパンツを履いているわけではないので直に座りづらいのか、両膝を片側に向けて折り窮屈そうに座っている。
「なんじゃ、窮屈そうな座り方しおって」
はははと笑えば、サキも笑ってカップを絨毯に置くと足を伸ばしてクッションに凭れるように深く座り直す。ついでにと靴下も脱いでしまったから白い足首と足先が剥き出しになる。切り揃えられた爪と長い足の指、そんなものを見てすら欲情を覚える自分をムスタはひたすら抑えた。
ぽつぽつとひろきやイェルハルドの話をして、サキがきちんと武術の鍛錬を続けていると聞いてムスタは嬉しそうに頷く。明日の朝は久しぶりに共に演舞をさらうかと話し、サキの作った夕食を二人で食べた。
浄化魔法が使えないので用意してきた木の盥へ、沸かした湯を入れてムスタに沐浴を促す。テントを出てきたムスタがサキはどうするかと尋ねたので、一度遺跡の外へ出ると答える。一旦外へ出てマティアスに報告を入れてくると言えば、気のせいかムスタの金瞳が一瞬濁る。
(やっぱりずっと閉じ込められて、今度はまた暗い地下にいなくちゃいけないから一人きりになるのは不安だよな)
「ムスタ師匠、今日は僕もやっぱりここで一緒に沐浴します」
ムスタが止める間もなくすぽぽんと服を脱いでサキはさっさと盥に入ってしまう、衝立などはないがこういうのは照れた方が負けなのだ。ムスタのための湯は後で交換すればいいかと香草の粉末を湯に混ぜ髪を上げて留めると、布巾を濡らして身体を擦る。背中を擦ると一部がびがびしているし、お腹のあたりもがびがびである。
(うわあ、昨日のクラースとのアレかあ、そういえば浄化魔法掛けてなかったな)
失敗失敗とさっさと湯を使い、大きめの布巾で身体を拭きゆったりとした服を着る。上げていた髪を下ろしせば気分がずいぶんとさっぱりした。盥の湯を広い部屋の端の方へと流し改めて沸かしておいた湯を入れると、サキは振り返った。
「ムスタ師匠、お待たせしました?」
先ほどの位置から微動だにせずムスタが固まっていた。何か身体に変化でもあったのかとサキが慌てて駈け寄れば、はっとしたムスタが何度も瞬きをし我に返ったところであった。
「ムスタ師匠?」
「あ、うむ、何でもない。湯を頂こう」
素早く服を脱ぐとムスタも盥へと入っていった。身体を拭く大きめの布巾を置いてそういえばムスタの服がないことに気づく。
「ムスタ師匠の服は明日届けてもらうとして、今夜はどうしましょうか」
「先ほどまでの服でよい」
「はーい」
北の国は寒かったのでムスタも上着を着ていたが、今夜はどうするのかなとテントの中で待てばゆったりとしたパンツの上にシャツを一枚羽織ったムスタが戻ってきた。テントを出て片付けをしようとしたサキをムスタが止める。
「盥の湯は流したぞ」
「ありがとうございます」
テントの入り口で身体が近づけば、互いの身体から同じ香草の香りがする。そのまま二人でテントの中へと戻り、絨毯の上のクッションへともたれた。
「あ、そうだ。ムスタ師匠、お酒も用意してありますけど要ります?」
「いや今日はいらぬ」
「そうですか、僕少し飲みますけど」
ムスタが要らなくても少し飲んでおくかとサキは自分のための果実酒を取り出した。ヴァスコーネス王国では子供の頃から水でごく薄めた果実酒を飲用するのである。水で薄めた果実酒をこくこくと飲みだしたサキに、そんなに飲んで大丈夫かとムスタが心配をする。
「大丈夫です、薄めてあるし」
サキとしては4年間募らせた想いが辛いのに、ムスタはただ飄々として見えるので若干傷ついているのである。
(もうちょっとこう、再会の喜びとかあってもいいでしょうに)
それどころではなかったのも確かだが、遺跡の地下へと潜ってからはずっと二人きりなのだ。なのに触れあったのは何もしないと予め宣言してからの緩い抱擁と、頭を撫でられただけである。
(4年待つって言ってくれたの、僕が子供だから言い聞かせるための冗談だったのかなあ)
サキはその言葉を信じてこの4年間努力をし続けてきたのだが、ムスタにしてみれば本気で子供を相手にするつもりはなかったのかもしれない。哀しくなってきたサキはいつの間にか果実酒を水で薄めずにこくこくと飲み干していた。
自分の考えに耽っていたムスタが気が付いたときには、サキはすっかり出来上がっていた。とはいっても酒が顔に出ないタイプなのか顔色は変わらず白いままである。いや最初はムスタも気づかなかったのだ、飲み干したカップと果実酒の入った瓶を端の方へときちんと片付けて、サキが口を開くまでは。
「………あつい……」
とだけサキは言った。ん、と目を上げたムスタはぎょっとした。目の前でサキがシャツのボタンを外している。顎を上げ少し唇を開いてゆっくりとした動作でボタンに手を掛けているのである。その姿は扇情的でムスタを誘っているのだとしか思えない。
上からひとつふたつとボタンを外したサキがシャツを脱ごうと動く、ボタンが外しきれていないシャツが脱げるわけもなく片方の肩と鎖骨が現れただけであった。
「……あつい………」
それが気に入らなかったのかシャツの裾に手を掛けて、ぐいと上へ捲り上げる。薄い腹部と胸板を晒してサキはシャツを脱ぎ去ってしまった。ぽいとシャツを投げ捨てたサキはずりずりと四つん這いで移動し、ムスタの方へとやってくる。
ムスタの前で膝立ちになったサキは胸に掛かる髪を後ろへと払い、細めた黒瞳でムスタを見下ろした。
「ムスタ師匠」
「ど、どうしたサキ」
「僕だって4年待ったんですけど」
え、と思うのと屈んだサキがムスタの頬を両手で挟んでキスを落とすのは同時だった。キスは拙く慣れたものではないが、もう既に我慢のし通しだったムスタを煽るには十分すぎた。
サキの後頭部を引き寄せ倒れ込んだサキの体重を軽々受け止めると、ムスタはサキの唇を思う存分貪った。
体勢を変え仰向けに絨毯へ転がしたサキの上へと馬乗りになり、唇が離れてしまえばお終いとばかりサキに息つく暇さえ与えずにムスタは深いキスを続けた。背中へと回った腕が力なくムスタのシャツへと縋る。
サキの唇を味わいながらその柔らかい身体をまさぐろうとして、ムスタの脳内に冷や水が被せられる。サキは今完全に酔っている、そしてサキには既に互いの精液の匂いを付け合うような相手がいるのである。
これ以上進んでしまえばもう止められない、サキを愛するなら傷つけるような真似は止めておけと脳が疼く。
ムスタにとってさえこの4年は長かったし辛かった。自らの欲は別としても子供から大人へと花開いていく瞬間を傍で見守りたかった。だが愛してしまった、離れればいつか消えると思ったが無理だった。離れてサキを思えば心が痛む、身体ではなく魂がサキを求めて疼いた。
「愛している」
ぎり、と奥歯を噛み締めてサキの唇の上で告げれば、嬉しいとほころんだサキが唇をちょんと合わせた。
「愛しているから、できぬ」
4年待ったというのならなぜ他の男と、とはムスタは言わない。サキは若いのである、そしてこれだけ美しければ自分以外の者が夢中になっても仕方はない。そう、例えば一番近くにいるクラース。
目で煽られ唇と肌とで熱を感じ耳が甘い吐息を拾う。嫉妬と愛情と欲望とで乱れたムスタの心は、いつも抑えているものを制御しきれなかった。
サキの目にムスタから突然炎のように広がる精気が視えた。焼かれて焦げる、と思うほど熱くその精気に包まれサキは瞬間的に燃え上がっていた。
名前を呼ばれて無意味に並べ替えていたものから、一旦手を離した。
「サキ」
もう一度名前を呼ばれて、もじもじと触っていた布の端を離すとサキは顔を上げた。目が合えば心臓がずくんと音を立て顔にさっと熱が上がるが、この灯りでは赤くなった顔など見えないだろうと安堵する。
「サキ」
また名前を呼ばれてようやく、はいと返事をした。
「妙なことはしない、抱きしめてもいいかの」
こくんと大きく頷いてサキはふらりとムスタの方へと近づいた。少し手前で立ち止まって手を伸ばせばムスタがその手を掴み引き寄せた。
サキには言っていないが黒豹の獣人であるムスタは夜目が利く。顔を紅潮させたサキを愛しく思いながらも気持ちを抑え緩く抱き寄せて見れば、4年で背の伸びたサキの頭はムスタの肩のところまであった。
羽織ったシャツの襟元からは華奢なうなじと金色の細鎖とが見えている。白いうなじから無理やり目を逸らしムスタはサキの頭頂に顎を乗せると、ふうぅと大きく息を吐いた。サキはその腕をムスタの背中へは回さず、少し緊張するようにじっとしている。
サキの香りを存分に吸い込んでムスタは、くんとその鼻をひくつかせた。
(匂うな)
いつか嗅いだサキの精の匂いの他に別の雄の匂いがする。4年間離れていたとてこの同じ場所でサキの身を清めるために舌で舐めとったのはムスタ自身である、匂いを間違えるはずがない。
鼻の利くムスタはその雄の匂いがまだ新しく、クラースのものであると気づいてしまった。
先ほどの握手の強さ、立ち去る際にサキを気遣うように見ていた目を思い出しムスタは理解した。サキを守るにあの騎士はうってつけであろう良い男だ、年齢的にもサキと釣り合いがとれている。
ムスタは互いの精の匂いを付けているということはそういう事だ、と己の心を納得させた。そうなることをわかっていながらサキのためと言い訳をして自分は愛から逃げたのだ、あれから4年経った。年寄りの4年と若者の4年は全く違う、サキを本当に愛するのなら古い約束なぞで束縛せず祝福し諦め解放せよと心が諭す。
サキの頭頂へと軽くキスを落としてムスタは緩い拘束を解いた。サキはそれに無理にすがるでもなく、拳一つ分ほど空いた身体の隙間にちょっと目を落としてからムスタを見上げた。至近距離から黒い瞳で見つめられればムスタはぐっと顎を引く、その金瞳が揺れたのをサキは薄明りのなかで確かに見た。
「ムスタ師匠……」
「どうした、サキ」
ムスタの名前を呼べば、ムスタからはずっと聞きたかった懐かしい声で優しい返事が返ってくる。その懐かしい声が少し掠れているから、体調が気になってしまう。
「体調は大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫じゃ」
本当はそんなことを聞きたいわけじゃないのに、一番伝えたかった言葉は4年間ずっと胸にしまってきたのにサキは言葉にできなかった。前だったら何の躊躇いもなくその胸に飛び込めたのに、何かが邪魔をしてサキはその一歩を踏み出せずにいた。
「僕、背が伸びました」
「……ずいぶん伸びたな」
以前のようにムスタの手がサキの頭に乗り、優しく髪を撫でた。4年前には肩につかない長さであった髪もずいぶん伸びて今は背中まで流れている。髪を辿って肩から背中までなぞった指は別に性的な動きをしたわけではないのに、サキはぴくりと背中を震わせた。
「サキ」
「はい」
「感謝する、ありがとう」
「……はい」
ムスタの細かい表情までは見えないが、魔力も精気も以前と同じく落ち着いている。今日は疲れているだろうし早く休んでもらった方がいいのかもしれない。サキはムスタから離れると途中になっていた荷物を動かしたり重ねたり敷いたりして、快適な生活空間を作り出した。
テントの中に入って居住スペースを確かめたムスタが嬉しそうに、これは快適じゃのと笑った。天井はそれほど高くはないが、大人数人が楽に横になることができるスペースはある。天井部分に明るさを調節できる灯りを付けてあるので、真昼とまではいかないが十分に明るい。
テーブルと椅子を出してしまうと狭くなるため、ムスタの館で昔一緒にくつろいでいた様に絨毯とクッションを敷き詰めた。
何か口にするか尋ねたサキに茶でももらおうかの、とムスタが答えたのでサキは一度テントから出て簡易キッチンで湯を沸かす。昔ムスタの館ではクッションに埋もれながら絨毯でくつろぐムスタに全身でしな垂れかかり、結局子供と相手にされず寝かしつけられていたことを思い出し頬を緩める。
思い出し笑いに頬を緩めたままカップ二つにお茶を入れてテントをくぐって入れば、くつろいだ様子のムスタがサキを見て優しく笑っていた。
「ずいぶん楽しそうじゃの」
「ふふっ、昔ムスタ師匠に抱きついて相手にされず、結局そのまま眠ってしまったことを思い出したら可笑しくて」
「ははっ、懐かしいの」
柔らかい顔で笑いながらカップを差し出すサキの一つボタンの空いたシャツの襟元からは、鎖骨と金の細鎖がちらりと見える。あえて見ないようにとカップを受け取ればシャツの袖口から細い手首が覗いていた。
空いた手で髪を肩から後ろへ払って、サキがムスタからは少し離れた絨毯に腰を下ろした。ムスタのように緩いパンツを履いているわけではないので直に座りづらいのか、両膝を片側に向けて折り窮屈そうに座っている。
「なんじゃ、窮屈そうな座り方しおって」
はははと笑えば、サキも笑ってカップを絨毯に置くと足を伸ばしてクッションに凭れるように深く座り直す。ついでにと靴下も脱いでしまったから白い足首と足先が剥き出しになる。切り揃えられた爪と長い足の指、そんなものを見てすら欲情を覚える自分をムスタはひたすら抑えた。
ぽつぽつとひろきやイェルハルドの話をして、サキがきちんと武術の鍛錬を続けていると聞いてムスタは嬉しそうに頷く。明日の朝は久しぶりに共に演舞をさらうかと話し、サキの作った夕食を二人で食べた。
浄化魔法が使えないので用意してきた木の盥へ、沸かした湯を入れてムスタに沐浴を促す。テントを出てきたムスタがサキはどうするかと尋ねたので、一度遺跡の外へ出ると答える。一旦外へ出てマティアスに報告を入れてくると言えば、気のせいかムスタの金瞳が一瞬濁る。
(やっぱりずっと閉じ込められて、今度はまた暗い地下にいなくちゃいけないから一人きりになるのは不安だよな)
「ムスタ師匠、今日は僕もやっぱりここで一緒に沐浴します」
ムスタが止める間もなくすぽぽんと服を脱いでサキはさっさと盥に入ってしまう、衝立などはないがこういうのは照れた方が負けなのだ。ムスタのための湯は後で交換すればいいかと香草の粉末を湯に混ぜ髪を上げて留めると、布巾を濡らして身体を擦る。背中を擦ると一部がびがびしているし、お腹のあたりもがびがびである。
(うわあ、昨日のクラースとのアレかあ、そういえば浄化魔法掛けてなかったな)
失敗失敗とさっさと湯を使い、大きめの布巾で身体を拭きゆったりとした服を着る。上げていた髪を下ろしせば気分がずいぶんとさっぱりした。盥の湯を広い部屋の端の方へと流し改めて沸かしておいた湯を入れると、サキは振り返った。
「ムスタ師匠、お待たせしました?」
先ほどの位置から微動だにせずムスタが固まっていた。何か身体に変化でもあったのかとサキが慌てて駈け寄れば、はっとしたムスタが何度も瞬きをし我に返ったところであった。
「ムスタ師匠?」
「あ、うむ、何でもない。湯を頂こう」
素早く服を脱ぐとムスタも盥へと入っていった。身体を拭く大きめの布巾を置いてそういえばムスタの服がないことに気づく。
「ムスタ師匠の服は明日届けてもらうとして、今夜はどうしましょうか」
「先ほどまでの服でよい」
「はーい」
北の国は寒かったのでムスタも上着を着ていたが、今夜はどうするのかなとテントの中で待てばゆったりとしたパンツの上にシャツを一枚羽織ったムスタが戻ってきた。テントを出て片付けをしようとしたサキをムスタが止める。
「盥の湯は流したぞ」
「ありがとうございます」
テントの入り口で身体が近づけば、互いの身体から同じ香草の香りがする。そのまま二人でテントの中へと戻り、絨毯の上のクッションへともたれた。
「あ、そうだ。ムスタ師匠、お酒も用意してありますけど要ります?」
「いや今日はいらぬ」
「そうですか、僕少し飲みますけど」
ムスタが要らなくても少し飲んでおくかとサキは自分のための果実酒を取り出した。ヴァスコーネス王国では子供の頃から水でごく薄めた果実酒を飲用するのである。水で薄めた果実酒をこくこくと飲みだしたサキに、そんなに飲んで大丈夫かとムスタが心配をする。
「大丈夫です、薄めてあるし」
サキとしては4年間募らせた想いが辛いのに、ムスタはただ飄々として見えるので若干傷ついているのである。
(もうちょっとこう、再会の喜びとかあってもいいでしょうに)
それどころではなかったのも確かだが、遺跡の地下へと潜ってからはずっと二人きりなのだ。なのに触れあったのは何もしないと予め宣言してからの緩い抱擁と、頭を撫でられただけである。
(4年待つって言ってくれたの、僕が子供だから言い聞かせるための冗談だったのかなあ)
サキはその言葉を信じてこの4年間努力をし続けてきたのだが、ムスタにしてみれば本気で子供を相手にするつもりはなかったのかもしれない。哀しくなってきたサキはいつの間にか果実酒を水で薄めずにこくこくと飲み干していた。
自分の考えに耽っていたムスタが気が付いたときには、サキはすっかり出来上がっていた。とはいっても酒が顔に出ないタイプなのか顔色は変わらず白いままである。いや最初はムスタも気づかなかったのだ、飲み干したカップと果実酒の入った瓶を端の方へときちんと片付けて、サキが口を開くまでは。
「………あつい……」
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ムスタの前で膝立ちになったサキは胸に掛かる髪を後ろへと払い、細めた黒瞳でムスタを見下ろした。
「ムスタ師匠」
「ど、どうしたサキ」
「僕だって4年待ったんですけど」
え、と思うのと屈んだサキがムスタの頬を両手で挟んでキスを落とすのは同時だった。キスは拙く慣れたものではないが、もう既に我慢のし通しだったムスタを煽るには十分すぎた。
サキの後頭部を引き寄せ倒れ込んだサキの体重を軽々受け止めると、ムスタはサキの唇を思う存分貪った。
体勢を変え仰向けに絨毯へ転がしたサキの上へと馬乗りになり、唇が離れてしまえばお終いとばかりサキに息つく暇さえ与えずにムスタは深いキスを続けた。背中へと回った腕が力なくムスタのシャツへと縋る。
サキの唇を味わいながらその柔らかい身体をまさぐろうとして、ムスタの脳内に冷や水が被せられる。サキは今完全に酔っている、そしてサキには既に互いの精液の匂いを付け合うような相手がいるのである。
これ以上進んでしまえばもう止められない、サキを愛するなら傷つけるような真似は止めておけと脳が疼く。
ムスタにとってさえこの4年は長かったし辛かった。自らの欲は別としても子供から大人へと花開いていく瞬間を傍で見守りたかった。だが愛してしまった、離れればいつか消えると思ったが無理だった。離れてサキを思えば心が痛む、身体ではなく魂がサキを求めて疼いた。
「愛している」
ぎり、と奥歯を噛み締めてサキの唇の上で告げれば、嬉しいとほころんだサキが唇をちょんと合わせた。
「愛しているから、できぬ」
4年待ったというのならなぜ他の男と、とはムスタは言わない。サキは若いのである、そしてこれだけ美しければ自分以外の者が夢中になっても仕方はない。そう、例えば一番近くにいるクラース。
目で煽られ唇と肌とで熱を感じ耳が甘い吐息を拾う。嫉妬と愛情と欲望とで乱れたムスタの心は、いつも抑えているものを制御しきれなかった。
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戦時中のある日、特攻隊として選ばれた私は友人と別れて仲間と共に敵陣へ飛び込んだ。
死を覚悟したその時、光に包み込まれ機体ごと何かに引き寄せられて、異世界に。
そこは魔力持ちも世界であり、私を番いと呼ぶ物に囲われた。
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