影の織り手たち

あおごろも

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【第五章】終夜の影

26 : ほどけぬ抱擁

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 カスパルはまたひとつ、重く息を吐いた。

 明日の朝には、プレフェクト専用の個室へ移る。
 この部屋でルクスと眠る夜は、これが最後だった。

「カスパル」

 名を呼ばれ、振り返る。
 ルクスがまっすぐこちらを見ていた。

「ここに入学した時から、ずっと同じ部屋で……ありがとう。カスパルがいたから、やってこれたんだと思う」

 ルクスは笑みを浮かべながらも、その声には翳りが混じっていた。

「明日からは、新入生と同室か……」

 めずらしく、不安を帯びた響き。

 カスパルの胸奥に浮かび上がる懸念。
 伝えておくべきか、否か……ずっと迷っていて、今もまだ迷っている。

 しかし、ルクスの心配は別のところにあった。

「カスパルみたいにできるかな。同室の上級生として、ちゃんとやれるかな……」

 思わず小さく吹き出した。

「心配いらない。君なら大丈夫だ」

 声にしてみれば、自然と腑に落ちた。

「君は君のままでいればいい。それが一番だ」

 迷い続けていたが、今、気持ちは固まった。
 ルクスには話さない。
 先入観をもたず、自然体のまま歩むことが、彼を守ることになるーー直感を信じることにした。

「そうかな……僕、カスパルに助けてもらってばかりだったから」
「助けてもらってたのは、僕も同じだ」

 カスパルの言葉に、ルクスはすぐさま食い下がる。

「僕が助けてもらったことのほうが多いよ」
「いや、僕のほうが多い」
「でも」
「僕だ」

 妙に張り合うような応酬。
 互いに譲らず言葉を重ねるうち、どちらからともなく笑い声がこぼれた。

 笑いの余韻に揺れながら、ふと、ルクスが言う。

「覚えてる?……僕が、エリオにキスされたって相談した時のこと」

 不意に心臓を握られたように、カスパルの胸にかすかな痛みがよみがえる。

「あの時、僕、君に想像させたよね。君だったら、エリオにキスされたら、どう思うかって」
「……ああ」
「すごく嫌そうにしてた」
「当然だ」
「じゃあ、僕にキスされたら、どう思う?」

 唐突な問いに、息が止まる。

「想像してみて」

 前と同じように迫られて、また逃げ場をなくす。

「…………想像できない」
「エリオとのキスは想像できたのに?」
「エリオと君では、全然違う」
「……そりゃ、僕よりエリオとのほうが、ずっとつきあいが長いだろうけどさ」

 ルクスがむくれたように唇を尖らせる。
 そういう意味での違いではない、と言いかけたとき、ルクスの瞳が挑むように細められーー次の瞬間、唇を淡い衝撃がかすめる。

「……っ」

 触れたのは一瞬。
 それだけで思考が空白になる。

「どうだった?」

 近い距離からの囁きに、止まっていた思考が動き出す。

「……嫌では、なかった」

 かろうじて答える。

「なら、試してみるのもいいかも?」

 ルクスの口元にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。
 
「……君にそう言われたからって言ったら、カスパルが言ったら何でも聞くのか、って……」

 かすかに揺れる気配をみせた瞳は、ひとつ瞬きの後には、静かな凪に沈み、逆に深い光を帯びていく。

「……そういうわけじゃないのにね」

 熱が、静けさの中で際立っていく。
 先ほどまでの軽やかな空気は、いつしか密度を変えていた。



 カスパルからの最初のキスは、まだ硬く、慎重で、それでも確かな熱を帯びていた。
 繰り返し触れるたび、呼吸が混ざり合っていく。
 ルクスはその変化に、唇を押し返して応えた。

 ルクスの腕が、カスパルの背に伸びる。
 互いの鼓動が近くで重なって、沈黙の中に響いてきこえた。

 背へ、腰へと辿る手は、不慣れなはずなのに怯えはなかった。
 ひとつひとつを確かめるような触れ方。
 そこに、カスパルが学んできた理性と、隣にいた年月が重なっていた。

 ベッドに身を横たえると、シーツの上で衣擦れの音が響く。
 互いの存在を測り合うように、視線が絡み合う。
 
 触れられるたび、ルクスの呼吸が浅くなる。
 知っているはずの感覚が、違う色を帯びて押し寄せてくる。

「……カスパル」

 名を呼ぶ声が、今夜限りのすべてを託す合図だった。

 カスパルは慎重に、けれど決して躊躇いすぎずに、進んでいく。
 ただ体温と息遣いで互いを測る。
 ルクスの喉から押し殺した声が漏れるたび、カスパルの動きはわずかに変わり、深まっていった。

 繋がりが強くなり、波が押し寄せる。
 肩口に噛み寄せた吐息。
 耳もとで呼ばれる名前。
 どれもが、目には見えない証のように刻まれていく。

 やがて、夜が静けさを取り戻す頃。
 乱れた呼吸が落ち着いていく中でも、腕はほどけず、互いの温もりを抱きしめていた。

 その抱擁は、今日まで共に過ごしたふたりを結ぶ、確かな証だった。
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