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【第三章】影の踊り場
15 : ルクスの混乱
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ルクスという存在は、想定の上をいともたやすく飛び越えてくるーーその事実を、カスパルは思いのほか早く、痛感することとなった。
士官学院の門をくぐった瞬間、カスパルは目の前に立ちはだかったルクスに腕を掴まれた。
「カスパル、あのさ……ちょっとだけ、話、いいかな……いや、いいって言って!無理でも聞いて!」
突然のことに驚きながらも、カスパルはすぐに状況を読み取る。
ーーここ数日の外出時間から、僕の戻る時間を予測して待っていたんだろう。確実に僕を捕まえるために。
ルクスの必死な表情に、ただごとではないと直感する。
カスパルは即座に気持ちを切り替えた。
「わかった。とにかく、部屋に戻ろう」
ルクスが、こくこくとうなずく。
そのまま、ほとんど引きずられるようにして、カスパルは自室へと向かった。
部屋のドアが閉まるなり、ルクスは爆弾のような言葉を放った。
「……エリオに、キスされたんだよ!」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。
ルクスの様子からして、それが挨拶や軽い親愛の表れではないことは明白だった。
「……まず落ち着こう。順を追って話して」
カスパルはドアに鍵をかけ、ルクスの手を取り、ベッドに腰を下ろすよう促す。
自分も隣に座り、できるだけ穏やかな声を意識して問いかけた。
「何が、どうして、そうなった?」
ルクスは、動揺を隠しきれない目でカスパルを見返すだけで、言葉が出てこない。
カスパルは内心で試行する。
ーー聞き方を変えるべきか……それとも、今は黙って、ルクスが落ち着くのを待つべきか……
ルクスは、何かを言いかけては言い淀み、思考に入りかけては振り払うように頭を振り、を繰り返しーーやがて、ぽつりと、声を落とした。
「……カスパルだったら、エリオにキスされたら、どう思う?」
「……は?」
思考が追いつかず、カスパルの脳が一瞬空白になる。
少し遅れて顔をしかめる。
「……え?僕が?」
「もう、わけがわからないんだよ……!」
ルクスの声が一段上ずる。
「比較対象があれば、何かわかるかもしれないから……想像してみて!お願い、頑張って!」
カスパルは顔をそらしながら、ゆっくりと息を吸った。
「………………想像したくないんだけど……」
それでも必死な目で見つめてくるルクスに、カスパルは観念したように肩を落とした。
しぶしぶ目を閉じる。
「……ええと……エリオに……キス、される……?」
カスパルの眉間が寄っていく。
こめかみも、ピクリと引きつった。
「………………何か裏があるんじゃないか……か、な」
絞り出すようにそう言った直後、カスパルはすっくと立ち上がった。
「もう無理、限界。口ゆすいでくる」
スタスタと洗面台へ向かう足音。
すぐに、水の勢いよく流れる音が、派手に響き始める。
その音を、ルクスはただ、ぼんやりと聞いていた。
指先が、知らぬ間に唇へと添えられていた。
ーー裏があるとかでは、なかった、ような……それに、口をゆすぎたくなるほど気持ち悪かったかといえば……そうでもなくて……
唇に残る、かすかな熱の感触を思い出しかけた瞬間、ルクスは慌てて首を振った。
「……何考えてるんだ、僕は」
呟いたとたん、水音が、ぴたりと止まる。
ルクスは、自分の唇に触れていた指の存在に気づき、はっとして手を引っ込めた。
数秒の間の後、タオルで口元を拭きながら、カスパルが戻ってきた。
ルクスの隣に腰かけ、あらためて、ルクスに語りかける。
「……ルクス。あのね、真面目な話をするよ」
カスパルは、努めて落ち着いた声で、できるだけゆっくりと、ルクスの心の揺れに合わせるように言葉を運ぶ。
「座学で習っただろう?候補生どうしの場合は、互いに同意があったなら、それは合意の下おこなわれたものとして、介入はない。……コンドームが支給品に含まれてるのも、そういう現実を前提にしてるってこと」
ルクスが傷ついたり、自分を責めたりしないようにーーカスパルの声音には、そんな気遣いが滲んでいた。
カスパルの言葉を聞きながら、ルクスはしばし視線をさ迷わせた後、不意にぽつりと呟いた。
「……そういえば、カスパルのって、支給されたのそのままだよね」
その言葉を発した後、自分の口から出た内容に気付いて、ルクスは頬をわずかに染めた。
一方で、カスパルはーー
「今は僕のことはいいから!」
一瞬で顔を真っ赤にして叫んだ。
その反応があまりにも素直すぎて、ルクスは思わず、小さく笑った。
「ともかく」
カスパルは気を取り直すように咳払いをひとつ。
「エリオが君に無理を強いたのなら、僕はちゃんと相談に乗れるし、しかるべき処置のために動くこともできる」
その声には、さっきまでの照れの残滓もなく、まっすぐな真剣さだけが宿っていた。
ルクスは、先ほどの小さな笑いの名残をわずかに残しながらも、視線を伏せて、そっと首を振った。
「……無理、って感じじゃなかった。……たぶん、違う。ただ……とにかく、びっくりして……僕……」
言葉の後半は頼りなくほどけ、声も小さくなっていく。
「そう……ええと、じゃあ、どういう流れでそうなったのか……キスの前に、何かなかった?」
「……俺も欲しくなった、って」
ぽつりと、ルクスが言った。
「それ、エリオの言葉?」
ルクスは黙ったまま、こくんと小さく頷いた。
沈黙が数秒落ちて、カスパルがふと呟くように言った。
「欲しがられてきたエリオに、欲しいって言わせるなんて……君、すごいかも……」
その言葉に、ルクスは眉を寄せてカスパルを見る。
カスパルははっとして、苦い顔で頭を軽く振った。
「ごめん。今のは配慮に欠けてた」
「……あ、うん……えっと、エリオが、欲しがられてきたって、どういうこと?」
その問いに、カスパルは自分の発言を重ねて後悔する。
けれど、もう聞かれてしまったことをなかったことにはできない。
「……エリオは、あのとおりの容姿にくわえて、由緒ある家の出で、成績も優秀、立ち居振る舞いも洗練されてる。黙っていても人目を引くし、わかりやすく〈特別〉だ。だから、割り切った関係を求める人も、一時のロマンスを夢見る人も、上級生も下級生も――エリオを欲しがった人は、僕の知るかぎりでも何人もいた。……でも、エリオのほうから誰かを欲しがったって話は、一度も聞いたことがない」
「……そうなんだ……」
ぽつりと呟いたルクスは、それきり口を閉じ、視線を落とした。
その沈黙の中で、カスパルは自分の未熟さに歯噛みする。
ーーしっかりすると決めたのに、全然できてないじゃないか。……というか、しっかりしろって言った本人が……
苦々しい思いが喉の奥に溜まったとき、カスパルは、ふと、思った。
「そういえば、エリオは?……今どこに?」
カスパルの言葉に、ルクスは気まずげに視線を逸らした。
士官学院の門をくぐった瞬間、カスパルは目の前に立ちはだかったルクスに腕を掴まれた。
「カスパル、あのさ……ちょっとだけ、話、いいかな……いや、いいって言って!無理でも聞いて!」
突然のことに驚きながらも、カスパルはすぐに状況を読み取る。
ーーここ数日の外出時間から、僕の戻る時間を予測して待っていたんだろう。確実に僕を捕まえるために。
ルクスの必死な表情に、ただごとではないと直感する。
カスパルは即座に気持ちを切り替えた。
「わかった。とにかく、部屋に戻ろう」
ルクスが、こくこくとうなずく。
そのまま、ほとんど引きずられるようにして、カスパルは自室へと向かった。
部屋のドアが閉まるなり、ルクスは爆弾のような言葉を放った。
「……エリオに、キスされたんだよ!」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。
ルクスの様子からして、それが挨拶や軽い親愛の表れではないことは明白だった。
「……まず落ち着こう。順を追って話して」
カスパルはドアに鍵をかけ、ルクスの手を取り、ベッドに腰を下ろすよう促す。
自分も隣に座り、できるだけ穏やかな声を意識して問いかけた。
「何が、どうして、そうなった?」
ルクスは、動揺を隠しきれない目でカスパルを見返すだけで、言葉が出てこない。
カスパルは内心で試行する。
ーー聞き方を変えるべきか……それとも、今は黙って、ルクスが落ち着くのを待つべきか……
ルクスは、何かを言いかけては言い淀み、思考に入りかけては振り払うように頭を振り、を繰り返しーーやがて、ぽつりと、声を落とした。
「……カスパルだったら、エリオにキスされたら、どう思う?」
「……は?」
思考が追いつかず、カスパルの脳が一瞬空白になる。
少し遅れて顔をしかめる。
「……え?僕が?」
「もう、わけがわからないんだよ……!」
ルクスの声が一段上ずる。
「比較対象があれば、何かわかるかもしれないから……想像してみて!お願い、頑張って!」
カスパルは顔をそらしながら、ゆっくりと息を吸った。
「………………想像したくないんだけど……」
それでも必死な目で見つめてくるルクスに、カスパルは観念したように肩を落とした。
しぶしぶ目を閉じる。
「……ええと……エリオに……キス、される……?」
カスパルの眉間が寄っていく。
こめかみも、ピクリと引きつった。
「………………何か裏があるんじゃないか……か、な」
絞り出すようにそう言った直後、カスパルはすっくと立ち上がった。
「もう無理、限界。口ゆすいでくる」
スタスタと洗面台へ向かう足音。
すぐに、水の勢いよく流れる音が、派手に響き始める。
その音を、ルクスはただ、ぼんやりと聞いていた。
指先が、知らぬ間に唇へと添えられていた。
ーー裏があるとかでは、なかった、ような……それに、口をゆすぎたくなるほど気持ち悪かったかといえば……そうでもなくて……
唇に残る、かすかな熱の感触を思い出しかけた瞬間、ルクスは慌てて首を振った。
「……何考えてるんだ、僕は」
呟いたとたん、水音が、ぴたりと止まる。
ルクスは、自分の唇に触れていた指の存在に気づき、はっとして手を引っ込めた。
数秒の間の後、タオルで口元を拭きながら、カスパルが戻ってきた。
ルクスの隣に腰かけ、あらためて、ルクスに語りかける。
「……ルクス。あのね、真面目な話をするよ」
カスパルは、努めて落ち着いた声で、できるだけゆっくりと、ルクスの心の揺れに合わせるように言葉を運ぶ。
「座学で習っただろう?候補生どうしの場合は、互いに同意があったなら、それは合意の下おこなわれたものとして、介入はない。……コンドームが支給品に含まれてるのも、そういう現実を前提にしてるってこと」
ルクスが傷ついたり、自分を責めたりしないようにーーカスパルの声音には、そんな気遣いが滲んでいた。
カスパルの言葉を聞きながら、ルクスはしばし視線をさ迷わせた後、不意にぽつりと呟いた。
「……そういえば、カスパルのって、支給されたのそのままだよね」
その言葉を発した後、自分の口から出た内容に気付いて、ルクスは頬をわずかに染めた。
一方で、カスパルはーー
「今は僕のことはいいから!」
一瞬で顔を真っ赤にして叫んだ。
その反応があまりにも素直すぎて、ルクスは思わず、小さく笑った。
「ともかく」
カスパルは気を取り直すように咳払いをひとつ。
「エリオが君に無理を強いたのなら、僕はちゃんと相談に乗れるし、しかるべき処置のために動くこともできる」
その声には、さっきまでの照れの残滓もなく、まっすぐな真剣さだけが宿っていた。
ルクスは、先ほどの小さな笑いの名残をわずかに残しながらも、視線を伏せて、そっと首を振った。
「……無理、って感じじゃなかった。……たぶん、違う。ただ……とにかく、びっくりして……僕……」
言葉の後半は頼りなくほどけ、声も小さくなっていく。
「そう……ええと、じゃあ、どういう流れでそうなったのか……キスの前に、何かなかった?」
「……俺も欲しくなった、って」
ぽつりと、ルクスが言った。
「それ、エリオの言葉?」
ルクスは黙ったまま、こくんと小さく頷いた。
沈黙が数秒落ちて、カスパルがふと呟くように言った。
「欲しがられてきたエリオに、欲しいって言わせるなんて……君、すごいかも……」
その言葉に、ルクスは眉を寄せてカスパルを見る。
カスパルははっとして、苦い顔で頭を軽く振った。
「ごめん。今のは配慮に欠けてた」
「……あ、うん……えっと、エリオが、欲しがられてきたって、どういうこと?」
その問いに、カスパルは自分の発言を重ねて後悔する。
けれど、もう聞かれてしまったことをなかったことにはできない。
「……エリオは、あのとおりの容姿にくわえて、由緒ある家の出で、成績も優秀、立ち居振る舞いも洗練されてる。黙っていても人目を引くし、わかりやすく〈特別〉だ。だから、割り切った関係を求める人も、一時のロマンスを夢見る人も、上級生も下級生も――エリオを欲しがった人は、僕の知るかぎりでも何人もいた。……でも、エリオのほうから誰かを欲しがったって話は、一度も聞いたことがない」
「……そうなんだ……」
ぽつりと呟いたルクスは、それきり口を閉じ、視線を落とした。
その沈黙の中で、カスパルは自分の未熟さに歯噛みする。
ーーしっかりすると決めたのに、全然できてないじゃないか。……というか、しっかりしろって言った本人が……
苦々しい思いが喉の奥に溜まったとき、カスパルは、ふと、思った。
「そういえば、エリオは?……今どこに?」
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