悪役令嬢は、婚約破棄を「無期限の有給休暇」と解釈する。

恋の箱庭

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「公爵様、そこです。もっと深く、情熱的に掘ってください」

「……言い方に語弊があるぞ」

裏庭の更地。

作業着姿のギルバート様が、呆れながらも地面に手をかざした。

『地よ、穿て』

ドゴゴゴゴ……!

彼の土属性魔法が発動し、地面がドリルで掘ったように沈んでいく。

私たちは今、新しい井戸を掘っていた。

リリィ嬢が始めた農園が拡大し、水やりのための水源が不足してきたからだ。

「よし、このあたりで水脈に……」

その時だった。

プシューッ!!!!

凄まじい音と共に、掘った穴から白い柱が噴き上がった。

それは空高く舞い上がり、雨のように降り注ぐ。

「わっ! 水が出た! ……って、熱ッ!?」

私が悲鳴を上げて後ずさる。

降りかかってきた水滴は、冷たい地下水ではなかった。

ムワッとした熱気。

そして、鼻を突く独特の腐卵臭。

「な、なんだ!? 熱湯か!?」

ギルバート様が私を庇って前に出る。

「危ない、下がれ! 地下のマグマ溜まりを刺激したかもしれん! 火山の噴火か!?」

彼は青ざめて、防御結界を展開しようとした。

しかし。

私は眼鏡(伊達)が湯気で真っ白に曇るのを拭いもせず、クンクンと鼻を鳴らした。

「……この匂い。硫黄……そして、かすかに香る鉄分……」

私は指についたしずくを、恐れもせずに舐めた。

「しょっぱい」

「おい、何を舐めている! 毒だったらどうする!」

「公爵様」

私はギルバート様の肩をガシッと掴んだ。

眼鏡の奥の目が、カッ! と見開かれる。

「大当たりです」

「は?」

「これはマグマではありません。温泉です!!」

「おんせん……?」

「天然温泉! 源泉掛け流し! 効能は疲労回復、神経痛、冷え性、そして美肌効果!」

私は噴き上がる湯柱を仰ぎ見て、狂喜乱舞した。

「素晴らしい! まさか自宅の庭から石油……いえ、温泉が出るなんて! これで私たちのQOL(生活の質)は爆上がりです!」

「きゅーおーえる……?」

「さあ、急ぎましょう! 井戸掘りは中止! 直ちにここを『露天風呂』に改造します!」

私のスイッチが入った。

王宮で培った現場指揮能力が、ここで火を吹く。

「公爵様、土魔法で岩を組み上げ、浴槽を作ってください! 深さは肩まで浸かれるくらい! 底には平らな石を敷き詰めて!」

「え、あ、今すぐか?」

「今すぐです! お湯がもったいない! リリィ様、納屋からタオルと桶を持ってきて!」

「は、はいなー!」

野次馬に来ていたリリィ嬢が走る。

「ポチ、お前は見張りです! 覗き魔が来たら噛みつきなさい!」

『ワン!』

私の的確すぎる指示により、ギルバート様は言われるがままに魔法を行使した。

彼の魔力は本当に便利だ。

『岩よ、形を成せ』

彼が手を振るうだけで、ゴツゴツした岩が組み上がり、風情のある岩風呂があっという間に完成していく。

「すごい……職人技ですね」

「……私は破壊専門の魔術師だったはずなんだがな」

ギルバート様は複雑そうな顔をしていたが、出来栄えは完璧だった。

湯気がもうもうと立ち込める、広々とした露天風呂。

周囲には目隠しのための柵(木属性魔法で即席作成)も完備。

「よし。一番風呂は、発見者の特権として私がいただきます」

私はタオルを手に、脱衣所(これも即席)へと向かった。

「ちょ、待てメアモリ。まだお湯の温度とか、成分分析とか……」

「大丈夫です。私の肌がリトマス試験紙です」

私は聞く耳を持たず、柵の向こうへ消えた。

ザブン。

お湯に浸かる音が響く。

「……はぁぁぁぁぁぁぁ……極楽……」

私の魂が抜けるような声が聞こえたのか、外でギルバート様が「生きてるか?」と声をかけてくる。

「生きてます。むしろ蘇生しました。公爵様、これは最高です。湯加減は四十二度、絶妙です」

「そ、そうか……よかったな」

「ええ。あなたも後で入ってください。呪いの瘴気で冷えた体が温まりますよ」

私はお湯をすくい、肩にかける。

王都での激務の日々。

シャワーすら浴びられず、香油で体を拭くだけで済ませていた徹夜の夜。

それらが全て、このお湯に溶けていくようだ。

「……幸せ」

私は湯船の縁に頭を預け、目を閉じた。

周囲は深い霧(呪いの瘴気プラス湯気)に包まれていて、視界は悪いが、それが逆に落ち着く。

しばらくそうして、半分眠りかけていた時だった。

ガララ……。

入り口の簡易ドアが開く音がした。

「リリィ様ですか? 背中を流しましょうか?」

私は目を開けずに言った。

しかし、返事がない。

代わりに、ザッ、ザッ、と重たい足音が近づいてくる。

そして、ザブン。

誰かが、湯船に入ってきた。

「ん?」

私は薄目を開けた。

もうもうと立ち込める白い湯気の向こう。

私の目の前、わずか二メートルの距離に。

鍛え上げられた広い肩と、濡れて輝く漆黒の髪。

そして、アイスブルーの瞳を持つ、絶世の美男子が座っていた。

「……」

「……」

時が止まった。

ギルバート様だった。

彼は、私がいることに気づいていないのか、あるいは湯気で見えていないのか、気持ちよさそうに「ふぅ……」と息を吐き、濡れた前髪をかき上げた。

その仕草が、無駄にセクシーで絵になる。

(……えーと)

状況整理。

1.私が長風呂をしすぎて、ギルバート様は「もう出た」と勘違いした。

2.この濃すぎる湯気のせいで、彼は私の存在に気づいていない。

3.混浴状態、発生。

普通の令嬢なら、ここで「キャーッ!!」と悲鳴を上げ、タオルで胸を隠して逃げ出す場面だ。

しかし、私はメアモリだ。

悲鳴を上げれば、彼は驚いて魔力を暴走させ、せっかくの温泉を破壊してしまうかもしれない。

それは損失だ。

私は冷静に判断した。

幸い、お湯は白濁していて首から下は見えない。

距離もある。

なら、自然に会話をして、何事もなくやり過ごすのが大人の対応だ。

「……公爵様」

私は、会議の時と同じトーンで話しかけた。

「ぶふぉっ!!??」

ギルバート様が、盛大にむせた。

彼はビクゥッ! と飛び上がりそうになり、慌てて周囲を見回した。

「め、メアモリ!? いるのか!?」

「はい、ここです。二時の方向、距離二メートル」

湯気の中から私が手を振ると、彼は顔を真っ赤にして(湯気のせいだけではない)、両手で自分の体を隠した。

「な、な、なぜまだいるんだ! もう一時間も経っているぞ! てっきり上がったものと……!」

「あまりに気持ちよくて寝落ちしていました。申し訳ありません」

「い、いや、謝るなら出る時に声を……! くそっ、何も見えないが……いや、気配はする……!」

彼はパニックになり、視線をどこに向ければいいのか彷徨わせている。

「落ち着いてください。この白濁湯と湯気のおかげで、視界はほぼゼロです。安心してください、あなたの裸体は見えていませんよ。……概ね」

「概ねって何だ! あと私の心配じゃなくて君の心配をしろ!」

「私は平気です。減るもんじゃなし」

「貴様という奴は……!」

ギルバート様は顔を覆った。耳まで赤い。

「出ろ! いや、私が出る! 今すぐ出る!」

「待ってください。せっかく温まったのに、今出たら湯冷めしますよ」

私は桶を滑らせ、彼の元へ送った。

「背中、流しましょうか?」

「バカなことを言うな!!」

彼の絶叫が温泉に響く。

「……はぁ、はぁ。心臓が止まるかと思った」

彼はどうにか落ち着きを取り戻したが、私から一番遠い隅っこに小さくなって浸かっていた。

「メアモリ。君は、男と女が同じ湯船に浸かる意味をわかっているのか?」

「はい。資源の有効活用です」

「違う! ……はぁ、もういい」

彼は諦めたように天を仰いだ。

「君には色気という概念がないのか」

「失礼ですね。これでも『沈黙の美女』と呼ばれていたんですよ」

「中身がオッサンだからだ」

ひどい言われようだ。

でも、この距離感。

背中合わせではないけれど、湯気越しに語り合うこの距離感は、不思議と心地よかった。

「……公爵様」

「なんだ」

「温泉卵、食べたいですね」

「……は?」

「この温度なら、カゴに卵を入れて二十分ほど浸けておけば、トロトロの温泉卵ができます。夕食はそれにしましょう」

「……君は、この状況で食欲の話か」

ギルバート様が呆れたように笑った。

「わかった。上がったらポチに卵を取ってこさせよう」

「楽しみです。あ、ついでにお酒も一本開けましょうか」

「……悪くないな」

私たちはその後、お互いに見ないように気をつけながら(ギルバート様は終始挙動不審だったが)、十分に温まってから、順番に上がった。

風呂上がり。

縁側で涼みながら食べた温泉卵は、絶品だった。

「うまっ……」

「とろけますね……」

リリィ嬢も交えて、三人で卵を啜る。

ギルバート様は、まだ少し顔が赤かったけれど、それはお風呂のせいなのか、それとも湯気の中で見た何かのせいなのかは、聞かないでおくことにした。

「公爵様、肌がツヤツヤですよ」

「うるさい。……君もな」

彼がボソッと言って、視線を逸らす。

その夜。

私はぐっすりと眠れた。

もちろん、夢にはうなされなかった。

ただ、湯気の中で見た、ギルバート様の鍛えられた肩のラインが、脳裏に焼き付いて離れなかったことだけは、ここだけの秘密である。

「……眼福でした」

布団の中で小さく呟き、私は幸せな眠りに落ちた。
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