「え、追放? 喜んで!」と即答したら、なぜか監禁(※執務室に)されました~

恋の箱庭

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「……ふぅ。これで決裁箱一つ分、完了です」

私はペンを置き、凝り固まった肩を回した。

窓の外は、すでに茜色に染まり始めている。

宰相執務室に連れ戻されてから数時間。

私は怒涛の勢いで書類を片付けていた。

なぜなら、目の前に積まれた仕事が「私のスローライフ資金(退職金代わりの給与)」に直結しているからだ。

「お疲れ様。素晴らしいペースだね」

向かいの席から、ルーカス閣下が声をかけてくる。

彼は書類から顔を上げ、優しげに目を細めた。

その表情は、獲物を前にした猛獣というよりは、愛玩動物を愛でる飼い主のそれに近い。

「どういたしまして。で、次の山はどこですか?」

私が腕まくりをすると、彼は苦笑して首を横に振った。

「働きすぎだ。少しは休みなさい」

「休んでいる暇はありません。早く終わらせて、私は帰るんですから」

「帰る場所はまだ工事中(王子のせいで)だろう? 焦ることはない」

「うぐっ……」

痛いところを突かれた。

そうだ。私の理想郷・ベルン地方は今頃、リリーナ嬢のハンコによって銅像建設予定地になりかけている。

それを阻止するための書類も、今さっき書き上げたところだ。

「だからこそ、英気を養う必要がある。……おいで」

ルーカス閣下は立ち上がり、執務室の隅にあるソファスペースへと私を誘った。

ローテーブルには、いつの間にか銀色のドームカバーが置かれている。

「これは……?」

「差し入れだ。君の脳は糖分を欲しているはずだよ」

彼がカバーを開けると、甘い香りがふわりと漂った。

そこにあったのは、宝石のように輝くフルーツタルトの盛り合わせだった。

イチゴ、ブルーベリー、マスカット。

色とりどりの果実が、カスタードクリームの海に浮かんでいる。

「っ……!」

私はゴクリと喉を鳴らした。

王都で一番の高級店『銀の匙』のタルトだ。

一個で平民の生活費一ヶ月分はすると言われている。

「さあ、座って。紅茶も入れたよ」

促されるままにソファに座ると、目の前に湯気の立つカップが置かれた。

「いただきます……!」

私はフォークを手に取り、一番大きなイチゴのタルトに狙いを定めた。

サクッ。

タルト生地の良い音がする。

口に運ぶと、バターの風味と果実の酸味、クリームの甘さが絶妙なハーモニーを奏でた。

「おいし……っ!」

思わず頬が緩む。

至福だ。

激務の後の甘味ほど、五臓六腑に染み渡るものはない。

「気に入ってくれたようで何よりだ」

ルーカス閣下は、向かいのソファではなく、なぜか私の『隣』に座った。

ソファは三人掛けだ。スペースはある。

なのに、彼は私の太腿と彼の膝が触れるか触れないかの距離に腰を下ろした。

「……閣下。近くないですか?」

「遠いと声が届かないからね」

「ここは静かなので囁き声でも聞こえますが」

「心の距離の話だよ」

彼はさらりと言ってのけ、自身の皿からタルトを一口サイズに切り分けた。

そして、それをフォークに刺し、私の口元へと差し出してくる。

「……はい?」

私は固まった。

「あーん」

「……は?」

「ほら、口を開けて。これは季節限定のイチチジクのタルトだ。君の皿にはないだろう?」

「いえ、自分で食べられますので……」

「私の手が疲れてしまうのだが」

彼は笑顔のまま、フォークを引かない。

拒否権はないようだ。

私は観念し、恥ずかしさに顔を熱くしながら、小さく口を開けた。

パクリ。

「……ん」

「どうだい?」

「……悔しいけど、美味しいです」

大人の味だ。ワイン煮にされたイチジクが濃厚で、鼻に抜ける香りがたまらない。

「そうか。なら、もう一口」

「え、ちょっ、自分で……んぐっ」

次々と運ばれてくるタルト。

私は雛鳥のように餌付けされていた。

「閣下……私を太らせて食べる気ですか?」

「まさか。君には健康でいてもらわないと困る。……それに」

彼はふと手を止め、私の口端についたクリームを親指で拭った。

その指先が、そのまま私の唇をなぞる。

ビクリ、と体が震えた。

「君が美味しそうに食べる顔は、見ていて飽きない」

「……っ」

彼の瞳が、至近距離で私を捕らえている。

その瞳の奥にある熱は、単なる上司の好意とは明らかに違う種類のものだった。

(な、なによこの雰囲気……!)

心臓がうるさい。

彼は氷の宰相のはずだ。

冷徹で、合理的で、感情なんてないはずの男だ。

なのに、どうしてこんなに甘い空気を出すのか。

「……ダイアナ」

彼が私の名前を呼ぶ。

低い声が鼓膜を震わせる。

顔が近づいてくる。

逃げ場はない。背もたれと彼の腕に挟まれている。

「君は、本当に頑張り屋だ」

「……仕事ですから」

「それだけじゃない。君は誰よりも有能で、誰よりも美しい。……あの愚かな王子には、君の価値が理解できなかった」

「買い被りです……」

「いいや。私は間違えない。君という宝石を見つけたのは、私の人生最大の功績だ」

彼は私の手を取り、その甲に唇を寄せた。

熱い。

火傷しそうだ。

このままでは、流されてしまう。

彼のペースに、彼の甘い罠に、絡め取られてしまう。

(だめよダイアナ! 思い出して! あなたの夢はスローライフ! こんな超優良物件(顔良し金持ち地位あり)に捕まったら、一生王都から出られないのよ!)

私は必死に理性を総動員した。

「か、閣下! そろそろ休憩は終わりです!」

私は強引に立ち上がろうとした。

しかし、彼は私の手を離さない。

「まだだ。タルトが残っている」

「もうお腹いっぱいです!」

「なら、別の甘いものを……」

彼がさらに顔を近づけ、あわやキスかという距離になった、その時。

バンッ!!

今日何度目かの、扉が荒々しく開く音が響いた。

「そこまでよ! 離れなさい、この泥棒猫!」

キンキンとした高い声。

甘い雰囲気は一瞬で霧散し、現実に引き戻された。

入り口に立っていたのは、ピンク色のドレスを纏い、憤怒の形相でこちらを指差す女性。

リリーナ男爵令嬢だった。

「リ、リリーナ様……?」

私は目を丸くした。

王子が来るかと思っていたら、まさかの伏兵だ。

彼女の後ろには、困り果てた様子のエドワード殿下も見える。

「ダイアナ様! よくもエドワード様を困らせてくれましたね! それに、今は宰相様までたぶらかして……!」

リリーナ嬢はスタスタと部屋に入ってくると、仁王立ちになった。

「今すぐその汚い手で宰相様から離れてください! 宰相様が汚れます!」

「……」

私は自分の手を見た。

フォークしか持っていない。

むしろ、私の手を握っているのはルーカス閣下の方だ。

「おい、リリーナ。失礼だぞ」

ルーカス閣下が、氷点下の声で言った。

さっきまでの甘い表情はどこへやら。

そこには、絶対零度の『氷の閣下』が戻っていた。

「私の執務室で騒ぐとは、いい度胸だ。男爵令嬢」

「ひっ……!」

リリーナ嬢が一瞬怯むが、すぐに気を取り直して叫んだ。

「だ、だって! ダイアナ様がいけないのよ! 悪役令嬢のくせに、なんでこんな良い待遇を受けてるの!? 牢屋に入ってカビたパンを食べてなさいよ!」

どうやら彼女の中では、『婚約破棄=ヒロインの勝利=悪役は地獄を見る』という図式が絶対らしい。

私はため息をつき、ルーカス閣下の手を(名残惜しいが)振りほどいて立ち上がった。

「あのですね、リリーナ様。私は別に待遇が良いわけではなく、労働対価として……」

「うるさいうるさい! いじめっ子の言い訳なんて聞きたくない!」

リリーナ嬢は耳を塞いで首を振る。

話が通じない。

すると、彼女の後ろからエドワード殿下が顔を出した。

「そ、そうだよダイアナ! リリーナの言う通りだ! ……だ、だがまあ、僕の顔に免じて許してやろう!」

殿下はなぜか上から目線で、しかし視線は泳ぎまくっている。

「だから……その……戻ってきてくれないか? 仕事が……その、ちょっとだけ溜まっていて……」

「ちょっと?」

私は眉を上げた。

先ほどの情報では、執務室がゴミ屋敷になっていると聞いたが。

「とにかく! この悪女を連れて帰ります!」

リリーナ嬢が私の腕を掴もうと手を伸ばしてきた。

しかし。

パシッ。

その手は、私の腕に届く前に、ルーカス閣下によって払いのけられた。

「……触るな」

「え?」

「私の婚約者に、気安く触れるなと言っている」

しん、と部屋が静まり返った。

「……はい?」

今、なんと?

私も、殿下も、リリーナ嬢も、全員が固まった。

「こ、こんやくしゃ……?」

リリーナ嬢が震える声で復唱する。

ルーカス閣下は、私の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったような、そしてどこまでも冷酷な笑みを浮かべて宣言した。

「そうだ。ダイアナは私の婚約者だ。……文句があるなら、この国を敵に回す覚悟で言いたまえ」

おやつタイムは終了だ。

ここからは、魔王による断罪の時間である。
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