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王宮の離れにある第二王子の私室。
そこはかつて、豪華絢爛な調度品と、取り巻きたちの笑い声に満ちた場所だった。
だが今は、重苦しい沈黙と、ヒステリックな金切り声だけが響いている。
「ねえ、どういうことですのジェラルド様! あのお店、ツケが効かないって言われましたわよ!?」
ミミー・ピンキーが、支払いを拒否された請求書を突きつけて叫んでいた。
ジェラルドは頭を抱えてソファに沈み込んでいる。
「うう……うるさい……。少し黙ってくれミミー。今、思考しているんだ」
「思考なんてどうでもいいですわ! 新しいドレスが買えないじゃないですか! それに、来週のお茶会の会費も払えませんのよ!?」
「知らん! 私の小遣いは今月から九八パーセント削減されたんだ! 無い袖は振れん!」
ジェラルドが怒鳴り返すと、ミミーは「ひどいっ!」と泣き真似をして部屋を出て行った。
バタンッ!
乱暴に閉められた扉を見つめ、ジェラルドは深く溜息をついた。
(……おかしい。こんなはずじゃなかった)
スコットと婚約破棄をして、可愛げのあるミミーと一緒になれば、毎日がバラ色だと思っていた。
だが現実はどうだ。
金はない。
貴族たちからの評判はガタ落ち。
そして、あれほど「可愛い」と思っていたミミーは、金の切れ目が近づくと同時に、本性――ワガママで強欲な一面――を露わにし始めている。
(それに比べて……スコットは……)
ジェラルドの脳裏に、夜会でのスコットの姿が蘇る。
男装の麗人として颯爽と現れ、宰相ギルバートと完璧なダンスを踊っていた彼女。
凛として、知的で、そして美しかった。
かつては「可愛げがない」と切り捨てたその強さが、今になって輝いて見える。
いや、それ以上に――。
(あいつがいた頃は、金に困ったことなどなかった。書類も勝手に片付いていた。面倒なことは全部あいつが処理してくれていた……)
ジェラルドは都合のいい記憶だけを反芻し、ある結論に達した。
「そうだ……。スコットは意地を張っているだけなんだ」
彼はガバッと起き上がった。
「あいつは私に未練があるはずだ。でなければ、あんな当てつけのようなダンスをするはずがない。私が『許す』と言えば、泣いて戻ってくるに違いない!」
ポジティブ思考の極みである。
ジェラルドは机に向かい、羊皮紙を広げた。
「よし、手紙を書こう。私の寛大な愛を伝える、感動的な手紙を!」
彼は羽根ペンを取り、サラサラと文字を綴り始めた。
自信満々に書き上げたその手紙が、数時間後、宰相府で『爆笑の渦』ではなく『氷点下の怒り』を巻き起こすとも知らずに。
◇
宰相府、執務室。
私とギルバートが昼食(一〇分で済むエナジーバーと野菜ジュース)をとっていると、ルークが汚いものを持つような手つきで封筒を持ってきた。
「……閣下、スコット様。例のブツが届きました」
「例のブツ?」
「ジェラルド殿下からの親展です。差出人名に『未来の国王』と書いてありますが、痛々しくて直視できません」
ルークが封筒をデスクに置く。
封蝋(シーリングワックス)が無駄に大きく、紋章が潰れていた。不器用さが滲み出ている。
ギルバートが不快そうに眉を寄せた。
「……捨てておけ。どうせ『金をくれ』か『ミミーをいじめるな』のどちらかだ」
「待て、ギルバート。開封確認は必要だ。もし宣戦布告なら対応策を練らねばならん」
私はペーパーナイフを取り、封を切った。
中から出てきたのは、香水の匂いがきつい(むせ返るほど甘い)ピンク色の便箋だった。
「うっ……臭い」
「毒ガス兵器か?」
ギルバートが鼻をつまむ。
私は便箋を広げ、その内容に目を通した。
一秒。二秒。三秒。
私の表情が、みるみるうちに「無」になっていく。
「……どうした、スコット? 何が書いてある?」
「……見るな。IQが下がる」
「そう言われると気になるな」
ギルバートが横から覗き込む。
そこには、ミミズが這ったような独特の筆跡で、こう書かれていた。
『親愛なるスコットへ
君が今、後悔の涙に暮れていることは分かっている。
あの冷血な宰相の元で、君の心は砂漠のように乾いているだろう?
僕はそんな君を哀れに思う。
だから、特別にチャンスをやろう。
戻っておいで。
僕の足元に跪き、謝罪するなら、婚約破棄を白紙に戻してやらなくもない。
ミミーも側室としてなら君を歓迎すると言っている。
君の事務能力は、僕の覇道に必要だ。
さあ、愛しのスコット。僕の胸(財布)に飛び込んでおいで。
追伸:最近、小遣いが足りない。戻る時は持参金を用意するように。
愛を込めて ジェラルド』
読み終わった瞬間、執務室に乾いた音が響いた。
バキッ。
ギルバートが持っていたボールペンがへし折れた音だ。
「……殺すか」
短く、低い呟き。
宰相の周囲から黒いオーラが噴出し、室温が一気に下がる。
「待てギルバート。短絡的だ」
「これを読まされて冷静でいられるか? 『冷血な宰相』? 『側室』? 『持参金』? ……どの口が言っているんだ、あの金食い虫は」
ギルバートの目が完全に据わっている。本気で暗殺部隊を動かしかねない顔だ。
私は溜息をつき、自分の引き出しから「あるもの」を取り出した。
「まあ、落ち着け。怒る価値もない。これはただの『質の悪い提出物』だ」
「……?」
「提出物には、適切な『評価』をして返すのが教育者の務めだろう」
私の手には、鮮やかな赤インクのペンが握られていた。
「ルーク、赤ペン先生の時間だ。スペアのインクを用意しろ」
「は、はいっ!」
私は便箋を机に広げ、容赦ない添削を開始した。
キュッ、キュッ、キュッ!
私のペン先が唸りを上げて紙面を滑る。
「まず冒頭。『親愛なる』。宛先相違。私は君の親愛なる対象ではない。二重線で削除」
「『後悔の涙』。事実誤認。流しているのは嬉し涙とあくびの涙だ。バツ」
「『砂漠のように乾いている』。比喩表現が陳腐。それに宰相邸の湿度は適切に管理されている」
「『戻っておいで』。命令形を使うな。何様のつもりだ。……ああ、王子様か。だが却下」
私の口撃と同時に、便箋が真っ赤に染まっていく。
「極めつけはここだ。『側室として歓迎』。論理破綻(エラー)。なぜ被害者が加害者の下位互換にならねばならん? 脳の検査を推奨する」
「『覇道』。字が違う。『破動』になってるぞ。意味不明だ」
「追伸の『金を持ってこい』。これが本音だろうが、恐喝罪の構成要件を満たしている。法的措置を検討」
ものの五分で、ジェラルドの手紙は赤いインクで埋め尽くされ、原型を留めないほどになった。
最後に、私は便箋の右上に大きく点数を書き込んだ。
『2点』
その下に講評を添える。
『再提出不要。文章構成、論理性、倫理観、全てにおいて欠落が見られます。特に「自分はモテる」という前提条件が誤っています。基礎からやり直しなさい。なお、当方は現在、最高に幸せですのでご心配なく』
私はペンを置き、ふぅと息を吐いた。
「完了だ」
「……凄まじいな」
ギルバートが呆れつつも、少し溜飲が下がった顔をしている。
「殺意が湧く暇もないほどのダメ出しだ。これを送り返すのか?」
「当然だ。着払いでな」
「着払い……」
「郵便代すら惜しい。ルーク、至急返送手配を。封筒には『重要書類:教育的指導』と朱書きしておけ」
「かしこまりました! 殿下の顔が見ものです!」
ルークが喜々として封筒を持って走っていく。
ギルバートは折れたペンをゴミ箱に捨て、新しいペンを取り出しながら言った。
「……しかし、スコット」
「なんだ」
「講評の最後。『最高に幸せ』というのは、本心か?」
不意打ちの質問。
私は一瞬言葉に詰まった。
業務的な添削の流れで書いたつもりだったが、改めて指摘されると恥ずかしい。
「……事実の羅列だ。効率的な職場、優秀な上司(パートナー)、快適な住環境。これを幸せと言わずして何と言う」
「職場環境だけか?」
ギルバートが意地悪く聞いてくる。
「……私の手を温めてくれる夫がいる点も含めて、だ」
私が小声で付け加えると、ギルバートは満足そうに目を細めた。
「ならいい。……実は私も、あのアホ王子の手紙に一つだけ感謝している」
「感謝?」
「ああ。『冷血な宰相』という評価だ。おかげで君が私を温めてくれる口実ができる」
「……詭弁だな」
「交渉術と言ってくれ」
私たちはまたバカなやり取りをして、午後の業務へと戻った。
◇
数時間後。
王宮のジェラルドの私室に、一通の封筒が届いた。
「おお! 来たか! スコットからの返事だ!」
ジェラルドは満面の笑みで飛びついた。
「早いな! やはりあいつも待っていたのだ。きっと中身は、涙で濡れた愛の告白と、小切手に違いない!」
彼はミミーが見ていない隙に、ウキウキと封を開けた。
「さあ、私の胸に飛び込んで……ん?」
中から出てきたのは、血のように赤いインクで埋め尽くされた、彼自身の手紙だった。
「な、なんだこれは……!?」
『2点』
『事実誤認』
『脳の検査を推奨』
『自分はモテるという前提が誤り』
罵詈雑言――いや、冷静かつ的確すぎる指摘の数々が、彼の視界を埋め尽くす。
「ごふっ……!」
ジェラルドは物理的な衝撃を受けたかのように仰け反った。
「に、二点……!? 私のラブレターが……二点……!?」
しかも、最後の一文。
『当方は現在、最高に幸せですのでご心配なく』
その文字は、他のどの文字よりも力強く、そして美しく書かれていた。
それは完全なる拒絶。
そして、ギルバートとの関係が良好であることのマウントだった。
「おのれぇぇぇ! スコットォォォォ!!」
ジェラルドは手紙をビリビリに引き裂いた。
「馬鹿にしおって! 幸せだと!? あの仕事中毒女が、幸せになどなれるものか! 強がりに決まっている!」
彼のプライドはズタズタに引き裂かれた。
しかし、怒れば怒るほど、彼の中の焦りは加速していく。
スコットが戻ってこない。
金がない。
ミミーは怖い。
「ど、どうすればいいんだ……。このままでは本当に破産する……」
ジェラルドが頭を抱えていると、背後からスッと手が伸びてきた。
「ジェラルド様ぁ……?」
ミミーだ。
彼女の目は笑っていなかった。
「スコットお姉様からの手紙……破り捨ててしまいましたの? お金の話は? 持参金は?」
「あ、いや……その……断られたというか……」
「チッ」
「え?」
今、確かに舌打ちが聞こえた。
ミミーはすぐにニコニコ笑顔を作り直す。
「そうですかぁ、残念ですわねぇ。……じゃあ、もう自分でなんとかするしかありませんわね」
「な、なんとかするって、何を……?」
「ふふふ。ご心配なく。……ジェラルド様は、ただそこにいてくださればいいんですのよ」
ミミーの瞳の奥に、暗い炎が宿っているのを、パニック状態のジェラルドは気づかなかった。
王子の焦りは頂点に達し、そしてミミーの暴走もまた、限界点を超えようとしていた。
その矛先が、宰相府の「金庫」に向けられるまで、あとわずか。
そこはかつて、豪華絢爛な調度品と、取り巻きたちの笑い声に満ちた場所だった。
だが今は、重苦しい沈黙と、ヒステリックな金切り声だけが響いている。
「ねえ、どういうことですのジェラルド様! あのお店、ツケが効かないって言われましたわよ!?」
ミミー・ピンキーが、支払いを拒否された請求書を突きつけて叫んでいた。
ジェラルドは頭を抱えてソファに沈み込んでいる。
「うう……うるさい……。少し黙ってくれミミー。今、思考しているんだ」
「思考なんてどうでもいいですわ! 新しいドレスが買えないじゃないですか! それに、来週のお茶会の会費も払えませんのよ!?」
「知らん! 私の小遣いは今月から九八パーセント削減されたんだ! 無い袖は振れん!」
ジェラルドが怒鳴り返すと、ミミーは「ひどいっ!」と泣き真似をして部屋を出て行った。
バタンッ!
乱暴に閉められた扉を見つめ、ジェラルドは深く溜息をついた。
(……おかしい。こんなはずじゃなかった)
スコットと婚約破棄をして、可愛げのあるミミーと一緒になれば、毎日がバラ色だと思っていた。
だが現実はどうだ。
金はない。
貴族たちからの評判はガタ落ち。
そして、あれほど「可愛い」と思っていたミミーは、金の切れ目が近づくと同時に、本性――ワガママで強欲な一面――を露わにし始めている。
(それに比べて……スコットは……)
ジェラルドの脳裏に、夜会でのスコットの姿が蘇る。
男装の麗人として颯爽と現れ、宰相ギルバートと完璧なダンスを踊っていた彼女。
凛として、知的で、そして美しかった。
かつては「可愛げがない」と切り捨てたその強さが、今になって輝いて見える。
いや、それ以上に――。
(あいつがいた頃は、金に困ったことなどなかった。書類も勝手に片付いていた。面倒なことは全部あいつが処理してくれていた……)
ジェラルドは都合のいい記憶だけを反芻し、ある結論に達した。
「そうだ……。スコットは意地を張っているだけなんだ」
彼はガバッと起き上がった。
「あいつは私に未練があるはずだ。でなければ、あんな当てつけのようなダンスをするはずがない。私が『許す』と言えば、泣いて戻ってくるに違いない!」
ポジティブ思考の極みである。
ジェラルドは机に向かい、羊皮紙を広げた。
「よし、手紙を書こう。私の寛大な愛を伝える、感動的な手紙を!」
彼は羽根ペンを取り、サラサラと文字を綴り始めた。
自信満々に書き上げたその手紙が、数時間後、宰相府で『爆笑の渦』ではなく『氷点下の怒り』を巻き起こすとも知らずに。
◇
宰相府、執務室。
私とギルバートが昼食(一〇分で済むエナジーバーと野菜ジュース)をとっていると、ルークが汚いものを持つような手つきで封筒を持ってきた。
「……閣下、スコット様。例のブツが届きました」
「例のブツ?」
「ジェラルド殿下からの親展です。差出人名に『未来の国王』と書いてありますが、痛々しくて直視できません」
ルークが封筒をデスクに置く。
封蝋(シーリングワックス)が無駄に大きく、紋章が潰れていた。不器用さが滲み出ている。
ギルバートが不快そうに眉を寄せた。
「……捨てておけ。どうせ『金をくれ』か『ミミーをいじめるな』のどちらかだ」
「待て、ギルバート。開封確認は必要だ。もし宣戦布告なら対応策を練らねばならん」
私はペーパーナイフを取り、封を切った。
中から出てきたのは、香水の匂いがきつい(むせ返るほど甘い)ピンク色の便箋だった。
「うっ……臭い」
「毒ガス兵器か?」
ギルバートが鼻をつまむ。
私は便箋を広げ、その内容に目を通した。
一秒。二秒。三秒。
私の表情が、みるみるうちに「無」になっていく。
「……どうした、スコット? 何が書いてある?」
「……見るな。IQが下がる」
「そう言われると気になるな」
ギルバートが横から覗き込む。
そこには、ミミズが這ったような独特の筆跡で、こう書かれていた。
『親愛なるスコットへ
君が今、後悔の涙に暮れていることは分かっている。
あの冷血な宰相の元で、君の心は砂漠のように乾いているだろう?
僕はそんな君を哀れに思う。
だから、特別にチャンスをやろう。
戻っておいで。
僕の足元に跪き、謝罪するなら、婚約破棄を白紙に戻してやらなくもない。
ミミーも側室としてなら君を歓迎すると言っている。
君の事務能力は、僕の覇道に必要だ。
さあ、愛しのスコット。僕の胸(財布)に飛び込んでおいで。
追伸:最近、小遣いが足りない。戻る時は持参金を用意するように。
愛を込めて ジェラルド』
読み終わった瞬間、執務室に乾いた音が響いた。
バキッ。
ギルバートが持っていたボールペンがへし折れた音だ。
「……殺すか」
短く、低い呟き。
宰相の周囲から黒いオーラが噴出し、室温が一気に下がる。
「待てギルバート。短絡的だ」
「これを読まされて冷静でいられるか? 『冷血な宰相』? 『側室』? 『持参金』? ……どの口が言っているんだ、あの金食い虫は」
ギルバートの目が完全に据わっている。本気で暗殺部隊を動かしかねない顔だ。
私は溜息をつき、自分の引き出しから「あるもの」を取り出した。
「まあ、落ち着け。怒る価値もない。これはただの『質の悪い提出物』だ」
「……?」
「提出物には、適切な『評価』をして返すのが教育者の務めだろう」
私の手には、鮮やかな赤インクのペンが握られていた。
「ルーク、赤ペン先生の時間だ。スペアのインクを用意しろ」
「は、はいっ!」
私は便箋を机に広げ、容赦ない添削を開始した。
キュッ、キュッ、キュッ!
私のペン先が唸りを上げて紙面を滑る。
「まず冒頭。『親愛なる』。宛先相違。私は君の親愛なる対象ではない。二重線で削除」
「『後悔の涙』。事実誤認。流しているのは嬉し涙とあくびの涙だ。バツ」
「『砂漠のように乾いている』。比喩表現が陳腐。それに宰相邸の湿度は適切に管理されている」
「『戻っておいで』。命令形を使うな。何様のつもりだ。……ああ、王子様か。だが却下」
私の口撃と同時に、便箋が真っ赤に染まっていく。
「極めつけはここだ。『側室として歓迎』。論理破綻(エラー)。なぜ被害者が加害者の下位互換にならねばならん? 脳の検査を推奨する」
「『覇道』。字が違う。『破動』になってるぞ。意味不明だ」
「追伸の『金を持ってこい』。これが本音だろうが、恐喝罪の構成要件を満たしている。法的措置を検討」
ものの五分で、ジェラルドの手紙は赤いインクで埋め尽くされ、原型を留めないほどになった。
最後に、私は便箋の右上に大きく点数を書き込んだ。
『2点』
その下に講評を添える。
『再提出不要。文章構成、論理性、倫理観、全てにおいて欠落が見られます。特に「自分はモテる」という前提条件が誤っています。基礎からやり直しなさい。なお、当方は現在、最高に幸せですのでご心配なく』
私はペンを置き、ふぅと息を吐いた。
「完了だ」
「……凄まじいな」
ギルバートが呆れつつも、少し溜飲が下がった顔をしている。
「殺意が湧く暇もないほどのダメ出しだ。これを送り返すのか?」
「当然だ。着払いでな」
「着払い……」
「郵便代すら惜しい。ルーク、至急返送手配を。封筒には『重要書類:教育的指導』と朱書きしておけ」
「かしこまりました! 殿下の顔が見ものです!」
ルークが喜々として封筒を持って走っていく。
ギルバートは折れたペンをゴミ箱に捨て、新しいペンを取り出しながら言った。
「……しかし、スコット」
「なんだ」
「講評の最後。『最高に幸せ』というのは、本心か?」
不意打ちの質問。
私は一瞬言葉に詰まった。
業務的な添削の流れで書いたつもりだったが、改めて指摘されると恥ずかしい。
「……事実の羅列だ。効率的な職場、優秀な上司(パートナー)、快適な住環境。これを幸せと言わずして何と言う」
「職場環境だけか?」
ギルバートが意地悪く聞いてくる。
「……私の手を温めてくれる夫がいる点も含めて、だ」
私が小声で付け加えると、ギルバートは満足そうに目を細めた。
「ならいい。……実は私も、あのアホ王子の手紙に一つだけ感謝している」
「感謝?」
「ああ。『冷血な宰相』という評価だ。おかげで君が私を温めてくれる口実ができる」
「……詭弁だな」
「交渉術と言ってくれ」
私たちはまたバカなやり取りをして、午後の業務へと戻った。
◇
数時間後。
王宮のジェラルドの私室に、一通の封筒が届いた。
「おお! 来たか! スコットからの返事だ!」
ジェラルドは満面の笑みで飛びついた。
「早いな! やはりあいつも待っていたのだ。きっと中身は、涙で濡れた愛の告白と、小切手に違いない!」
彼はミミーが見ていない隙に、ウキウキと封を開けた。
「さあ、私の胸に飛び込んで……ん?」
中から出てきたのは、血のように赤いインクで埋め尽くされた、彼自身の手紙だった。
「な、なんだこれは……!?」
『2点』
『事実誤認』
『脳の検査を推奨』
『自分はモテるという前提が誤り』
罵詈雑言――いや、冷静かつ的確すぎる指摘の数々が、彼の視界を埋め尽くす。
「ごふっ……!」
ジェラルドは物理的な衝撃を受けたかのように仰け反った。
「に、二点……!? 私のラブレターが……二点……!?」
しかも、最後の一文。
『当方は現在、最高に幸せですのでご心配なく』
その文字は、他のどの文字よりも力強く、そして美しく書かれていた。
それは完全なる拒絶。
そして、ギルバートとの関係が良好であることのマウントだった。
「おのれぇぇぇ! スコットォォォォ!!」
ジェラルドは手紙をビリビリに引き裂いた。
「馬鹿にしおって! 幸せだと!? あの仕事中毒女が、幸せになどなれるものか! 強がりに決まっている!」
彼のプライドはズタズタに引き裂かれた。
しかし、怒れば怒るほど、彼の中の焦りは加速していく。
スコットが戻ってこない。
金がない。
ミミーは怖い。
「ど、どうすればいいんだ……。このままでは本当に破産する……」
ジェラルドが頭を抱えていると、背後からスッと手が伸びてきた。
「ジェラルド様ぁ……?」
ミミーだ。
彼女の目は笑っていなかった。
「スコットお姉様からの手紙……破り捨ててしまいましたの? お金の話は? 持参金は?」
「あ、いや……その……断られたというか……」
「チッ」
「え?」
今、確かに舌打ちが聞こえた。
ミミーはすぐにニコニコ笑顔を作り直す。
「そうですかぁ、残念ですわねぇ。……じゃあ、もう自分でなんとかするしかありませんわね」
「な、なんとかするって、何を……?」
「ふふふ。ご心配なく。……ジェラルド様は、ただそこにいてくださればいいんですのよ」
ミミーの瞳の奥に、暗い炎が宿っているのを、パニック状態のジェラルドは気づかなかった。
王子の焦りは頂点に達し、そしてミミーの暴走もまた、限界点を超えようとしていた。
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