殿下、私の名前わかりますか?婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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「……おや。バレてしまいましたか」

ジェラルド王子の側近、バロンは、事もなげにそう言った。

地味で目立たない男だったが、その口元には嘲るような笑みが浮かんでいる。

ジェラルドが震える指で彼を指差した。

「バ、バロン! どういうことだ! 貴様、私とミミーを騙していたのか!?」

「騙すだなんて人聞きが悪い。私はただ、殿下の『散財』の後始末と、ミミー様の『借金』の穴埋めを手伝っただけですよ」

バロンは肩をすくめた。

「ミミー様は五〇〇〇万ゴールドの申請書を書き、私が換金の手続きを行った。そしてミミー様には『手数料』を差し引いた一〇〇〇万をお渡しした。何も間違っていません」

「手数料四〇〇〇万だと!? 暴利にも程がある!」

「リスク代ですよ。機密費を動かすのですから」

バロンは悪びれもせず、私の方を向いた。

「ですが、誤算でしたね。まさかスコット嬢が、その机の中にある『五〇〇〇万』の正体に気づくとは」

「……正体?」

私は机の上に積まれた金貨の山を冷ややかに見下ろした。

そして、その一枚を再び指先で弾く。

キンッ。

「ああ、気づいていたとも。最初からな」

私は金貨を強く握りしめた。

「金(ゴールド)の比重は一九・三二。対して、鉛は一一・三四。この金貨、王家の刻印がある本物と比べて、明らかに軽い」

「なっ……?」

「さらに音だ。本物の金貨はもっと重厚で澄んだ音がする。だがこれは、軽い金属音が混じっている。……結論」

私は金貨をバロンの足元に投げ捨てた。

「これは金メッキを施した『鉛のコイン』だ。子供銀行のオモチャかね?」

執務室に衝撃が走る。

「に、偽金……!?」

「机の中に入っていた五〇〇〇万は、全部偽物ってことか!?」

「はい、正解です」

私が手を叩くと、バロンが舌打ちをした。

「チッ……。やはり『鉄の女』は伊達じゃないですね。触っただけで見抜くとは」

「私の指先は精密秤(はかり)だ。舐めるな」

私はホワイトボードに新たな図式を書き込んだ。

「整理しよう。ミミーは五〇〇〇万を申請した。バロンはそれを換金し、本物の五〇〇〇万を懐に入れた。そしてミミーには口止め料として一〇〇〇万(おそらくこれも偽物か、あるいは端金)を渡し、私の机には五〇〇〇万分の『偽金』を詰め込んだ」

「な、なんのためにそんな……」

ジェラルドが呆然と呟く。

「決まっているでしょう。私を『横領犯』として逮捕させるためです」

私は淡々と解説した。

「本物の金が私の机から出てくれば、それはそれで証拠になりますが、回収されて国庫に戻るだけです。しかし、もし私が『偽金』を作って国庫の金とすり替えたというシナリオにすれば? 罪はさらに重くなる」

「通貨偽造罪……! 国家反逆罪クラスだ!」

「その通り。バロンは私を確実に葬り去り、かつ手元の本物の五〇〇〇万を独り占めする計画だった。……強欲ですね」

すべての謎が解けた。

ミミーはただの捨て駒。ジェラルドはカモ。

真の黒幕は、この地味な側近だったのだ。

追い詰められたバロンだが、まだ余裕の表情を崩さない。

「……ふふふ。素晴らしい推理です、スコット嬢。ですが、証拠はあるのですか?」

「証拠?」

「ええ。その金貨が偽物だとしても、それを『私が』作ったという証拠はありません。ミミー様が作ったのかもしれないし、あるいは……貴女が自分で用意したのかもしれない」

バロンはニヤリと笑った。

「私の懐には、一ゴールドたりとも入っていませんよ? 探しますか? 身体検査でも何でもどうぞ」

「……隠し口座か、あるいは既に国外へ送金済みか」

「ご想像にお任せします。……さあ、どうします? この状況、私が白を切れば、貴女の『机から偽金が出てきた』という事実だけが残りますが」

嫌な男だ。

証拠隠滅には自信があるらしい。

ジェラルドとミミーは役立たずだし、このままでは泥仕合になる。

……と、誰もが思ったその時だった。

「……随分と、舐められたものだな」

部屋の空気が、一瞬にして凍結した。

それまで静観していたギルバート宰相が、ゆっくりと歩み出てきたのだ。

その表情は無。

しかし、その瞳の奥には、地獄の業火よりも熱く、そして氷河よりも冷たい怒りが渦巻いていた。

「ギ、ギルバート……?」

ジェラルドが思わず後ずさる。

ギルバートはバロンの前に立ち、彼を見下ろした。

「バロン。貴様、私の『最高傑作(補佐官)』を愚弄したな?」

「……か、閣下。私はただ事実を……」

「黙れ」

一喝。

室内の窓ガラスがビリビリと震えるほどの覇気。

ギルバートは懐から、一枚の書類を取り出した。

「証拠がないだと? 笑わせるな」

彼はその書類をバロンの顔に叩きつけた。

「これは……!?」

「貴様が裏で繋がっている『タックスヘイブン(租税回避地)』の銀行口座の取引明細だ。昨夜の二六時、五〇〇〇万ゴールドの入金記録がある。送金元は王都の地下銀行」

「な、なぜそれを……! あの口座は匿名で……!」

「私の情報網を甘く見るな。貴様がどこの酒場で誰と会い、どの女に金を貢ぎ、どの隠し金庫を使っているか。……すべて把握済みだ」

ギルバートの眼鏡がキラリと光る。

「貴様がコソコソと小金を貯めていることなど、どうでもよかった。だが」

ギルバートは一歩踏み出し、バロンの胸倉を掴み上げた。

「私の妻に罪を着せ、あまつさえ彼女の聖域である『執務机』を偽金で汚した。……その罪は、万死に値する」

「ひぃっ……!」

バロンの顔から余裕が消え、恐怖の色が張り付く。

「そ、それにだ! 貴様の偽金作りはお粗末すぎる! スコットが見抜くまでもなく、重量計算が甘い! 本物の金貨なら一枚あたり一五グラムだが、貴様のそれは一四・八グラムだ!」

「こ、細かい……!」

「当然だ! 私の妻は〇・一グラムの誤差も許さない女だぞ! そんな彼女を嵌めるなら、原子レベルで精巧な偽物を作ってこい!」

「怒るポイントそこですか!?」

周囲のツッコミが入るが、ギルバートは止まらない。

「貴様のような三流の詐欺師が、私の愛する『計算機(スコット)』に触れることすら許しがたい。……衛兵!」

「は、はっ!」

「この男を拘束しろ。罪状は横領、背任、通貨偽造、および……私の機嫌を損ねた罪だ」

「最後のが一番重いぞ」

私が補足すると、衛兵たちは憐れむような目でバロンを取り押さえた。

「は、離せ! 私は……私はただ金が欲しかっただけだ!」

「見苦しい。牢屋で反省しろ。……ああ、その口座の五〇〇〇万は凍結して国庫に戻しておく。貴様には一銭も残らん」

バロンが絶望の叫びを上げて連行されていく。

執務室に静寂が戻った。

ギルバートは乱れた襟を直し、ふぅと息を吐いた。

「……やれやれ。朝から騒々しい」

そして、彼は私の方を向き、急に表情を和らげた。

「スコット。……怪我はないか?」

「あるわけがない。指先が少し汚れた程度だ」

私はハンカチで手を拭いた。

「しかし、見事な情報収集だったな。いつの間にあの口座を特定したんだ?」

「……君が書庫に行っている間だ。君を嵌めようとする輩がいることは予測できていたからな。予防線を張っておいた」

「過保護だな」

「君を守るためなら、世界中の銀行をハッキングするくらい朝飯前だ」

「……それは犯罪だぞ、宰相」

私たちは顔を見合わせて苦笑した。

これで事件は解決……と思いきや、まだ部屋には二人の人物が残っていた。

「あ、あの……」

ジェラルド王子と、ミミー・ピンキーだ。

彼らは完全に蚊帳の外に置かれ、空気と化していたが、バロンが連行された今、すべての責任はこの二人に降りかかろうとしていた。

「さーて」

私は腕まくりをした。

「次は貴方たちの番ですね、ジェラルド殿下、ミミー嬢」

「ひっ!」

二人が抱き合って震える。

「騙されたとはいえ、公文書偽造に加担し、機密費を不正に引き出した事実は消えません。特に殿下、貴方のサインは本物でしたからね」

「ま、待ってくれスコット! 私は被害者だ! バロンに唆されて……!」

「王族が側近の管理もできずに『被害者』面ですか? それは『無能』だと自己紹介しているようなものです」

私は赤ペンを指で回した。

「ギルバート。彼らの処分は?」

ギルバートは冷酷に告げた。

「法に則り厳正に処罰する。ミミー・ピンキーは男爵家取り潰しの上、修道院――という名の強制労働施設へ。ジェラルド殿下は……」

ギルバートは王子を睨みつけた。

「王位継承権の剥奪、および当面の謹慎処分が妥当だろう。国王陛下には私から報告しておく」

「そ、そんなぁぁぁ!」

「嫌だぁぁ! 労働なんてしたくないぃぃ!」

二人の絶叫が響き渡る。

「自業自得だ。……さあ、退場願おうか。我々は忙しいんだ」

私が手を振ると、衛兵たちが二人を引きずっていく。

「スコットォォォ! 覚えてろぉぉぉ!」

「ジェラルド様ぁ、助けてぇぇぇ!」

嵐のような騒動が去り、執務室にはようやく本当の平和(仕事)が戻ってきた。

部下たちが一斉に拍手喝采を送る。

「さすがです、閣下! スコット様!」

「悪が滅びる瞬間、スカッとしました!」

私は少し照れくさくなり、咳払いをした。

「……おだてても何も出んぞ。さあ、業務再開だ。この騒ぎで三〇分のロスが出た。昼休みを削って取り戻すぞ」

「ええーっ!?」

部下たちの悲鳴が上がるが、その顔はどこか楽しそうだ。

ギルバートが私の隣に来て、小声で囁いた。

「……スコット」

「なんだ」

「君の机、汚されたな。新しいものを用意しようか?」

「いや、結構だ。消毒すれば使える」

「……そうか。だが、君への詫びとして、今夜は最高級のディナーを用意させよう」

「経費か?」

「自腹だ」

「なら喜んで」

私たちは視線を交わし、ニヤリと笑った。

最強の宰相夫妻にとって、この程度の事件はスパイスに過ぎない。

だが、この一件で私の「悪名(?)」はさらに轟き、王宮内で私に逆らおうとする者は皆無となったのだった。

「さあ、仕事だギルバート。私の机に入っていた五〇〇〇万の偽金、鋳潰してインゴットにすれば資材として使えるかもしれん。成分分析にかけるぞ」

「……君は本当に、転んでもただでは起きないな」
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