殿下、私の名前わかりますか?婚約破棄された悪役令嬢。

恋の箱庭

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「……閣下。そして、スコット様」


翌朝、執務室の扉を開けた瞬間、私とギルバートを待っていたのは整列した部下たちだった。


筆頭秘書官のルークを先頭に、総勢一二名の官僚たちが、かつてないほど真剣な眼差しでこちらを見ている。


「なんだ、ルーク。朝一の定例報告にしては人数が多いな。新たな不祥事でも発覚したか?」


ギルバートが椅子に座る前に尋ねる。


「いいえ、閣下。不祥事ではなく、死活問題です」


ルークが一歩前に出て、一枚の「企画書」を差し出した。


「我々宰相府一同、お二人の『生涯業務提携』……もとい、婚約を心より祝福しております。しかし!」


ルークがビシッと指を突きつけた。


「昨日、お二人が夜通し作成されていた『家族計画に伴う予算推移グラフ』。あれのせいで、我々の精神衛生が著しく損なわれています!」


「……なぜだ? 将来の不確定要素を数値化した、完璧な資料だぞ」


私が不思議に思って問い返すと、後ろにいた若手の女性官僚が涙目で訴えてきた。


「スコット様! あんな『純愛を数式に置換したような資料』を見せられたら、私たち、もう普通の恋愛ができなくなります!」


「お二人があまりにもドライすぎて、執務室の湿度がマイナス一〇〇パーセントなんです! 喉が、喉が渇いて仕事になりません!」


「もっと甘い空気を! ピンク色のオーラを! さもなくば、我々は乾燥してミイラになります!」


部下たちの悲痛な叫びが響き渡る。


私はギルバートと顔を見合わせた。


「……ギルバート、どう思う? 部下たちのモチベーション管理に不備があったようだ」


「ああ。情緒という非合理なリソースを軽視しすぎたかもしれん」


ギルバートが顎に手を当てて思案する。


それを見たルークが、待っていましたとばかりに「改善案」を叩きつけた。


「そこで提案です! 本日午後、お二人には『強制的な婚約祝賀お茶会』に出席していただきます!」


「お茶会? 時間の無駄だ。その間に決裁できる書類は――」


私が反論しようとすると、ルークが被せるように叫んだ。


「これは業務です! 『宰相府の対外的イメージ向上およびスタッフの士気高揚に関するプロジェクト』の一環です! 逆らえば、明日から全員ボイコットしますよ!」


「……ストライキか。それは困るな」


ギルバートが溜息をつき、私を見た。


「スコット。どうやら、ここは彼らの要望を『受注』するのが、長期的な利益に繋がるようだ」


「了解した。……ルーク、そのお茶会のKPI(重要業績評価指標)を提示しろ。何を達成すれば満足なんだ?」


「お二人が一回以上、見つめ合って『あーん』をすること! それと、スコット様が可愛いドレスの話を一分以上することです!」


「……『あーん』? 食物を他者の口腔内に直接投入する行為か? 衛生面と咀嚼効率に問題があるが……」


私が眉をひそめると、ルークが「黙ってやってください!」と絶叫した。





数時間後。宰相府の中庭。


そこには、部下たちが総出でセッティングした、悪夢のような(彼らにとっては夢のような)ピンク色の空間が広がっていた。


テーブルには色とりどりのマカロンやケーキ。


そして、不自然なほど近くに配置された二つの椅子。


「……ギルバート、座れ。これも業務だ」


「ああ、分かっている。……だが、この椅子、距離が近すぎて肘が当たるんだが」


「密着による体温共有効率の最大化、だそうだ。座れ」


私たちは渋々、観衆(部下たち)の見守る中で着席した。


「さあ! まずはスコット様、このドレスのデザイン画をご覧ください! 王立仕立屋から取り寄せました!」


女性官僚が、キラキラしたデザイン画を差し出してくる。


「ふむ……。このフリル、風の抵抗を受けやすそうだな。階段での移動速度が二〇パーセント低下するぞ。それより、スカートの内側に隠しポケットを十箇所設置し、小型の計算機と暗殺用ナイフを――」


「却下です!!」


部下たちが一斉に叫んだ。


「いいですか! ドレスは『装甲』じゃありません! 美しさで周囲を威圧……じゃなくて、魅了するものなんです!」


「……美しさによる攪乱工作か。なるほど、理にはかなっているな」


私が納得したように頷くと、ギルバートが助け舟を出してきた。


「……スコット。君がその、普通のドレスを着れば、私の視覚野が刺激されて多幸感(ドーパミン)が分泌される。結果、私の判断力が五パーセント向上する。……だから、着てくれないか」


ギルバートが耳を赤くしながら、論理的な(?)口説き文句を口にした。


「……君のパフォーマンスが上がるなら、拒否する理由はないな。採用だ」


「よしっ、一項目クリア!」


ルークがガッツポーズをする。


「次! ラストミッション! ケーキの『あーん』です!」


運ばれてきたのは、苺が乗ったショートケーキ。


私はフォークを手に取り、苺を刺した。


「ギルバート。ビタミンCの補給だ。口を開けろ」


「……ここでやるのか? 全員が見ているぞ」


「業務命令だ。効率よく摂取しろ」


「……分かった」


ギルバートが覚悟を決め、少しだけ口を開ける。


私はそこに、精密機械のような正確さで苺を投入した。


パクリ。


「……甘いな」


「糖分は脳のガソリンだ」


「そうだな。……今度は私の番だ。スコット、君も糖分が不足している。脳のスペックが落ちる前に、食べろ」


ギルバートが、震える手でフォークを差し出してくる。


私は無言で、彼の差し出したケーキを口に含んだ。


「……っ」


甘い。


けれど、その甘さは砂糖のせいだけではないような気がした。


周囲から「ギャーーッ!」「見た!? 今、閣下の指がちょっと触れた!」「尊死(とうとし)!」という奇声が上がる。


「……ルーク。これでノルマ達成か?」


私が尋ねると、ルークは涙を拭いながらサムズアップした。


「最高です……。これで一ヶ月は不眠不休で働けます!」


「それは過労死する。適切に休め」


お茶会という名の「業務」が終わり、部下たちは満足げに散っていった。


二人きりになった中庭。


「……スコット。あいつらのアシスト、意外と悪くなかったな」


ギルバートが、赤くなった顔を隠さずに呟いた。


「……ああ。ドレスも、君が望むなら一着くらいは『非効率』なものを選んでもいい」


「本当か?」


「ただし、式場までの動線確認は、私が事前にシミュレーションを行う」


「ふっ……。らしいな」


私たちは、ピンク色の空間の中で、少しだけ長く手を繋いでいた。


周囲のアシスト。


それは、私たちのような「仕事人間」にとって、自分たちでは気づけない「幸せの余白」を教えてくれる、有益な外部委託だったのかもしれない。
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