「貴様とは婚約破棄だ!」と殿下が仰るので「万歳!」と叫んで飛び出した!

恋の箱庭

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小鳥のさえずりが聞こえる、穏やかな朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、ベッドで眠るシリウス様の顔を照らしていた。

「……ふふ、よく寝ていますわね」

私はベッドの脇に置いた椅子に座り、頬杖をついて彼の寝顔を観察していた。
昨日の高熱が嘘のように、安らかな呼吸音を立てている。
警戒心の塊のような「人食い辺境伯」が、こんなに無防備な顔を晒すなんて。

(……悔しいけれど、整った顔立ちですわ)

長い睫毛。
通った鼻筋。
いつもはへの字に結ばれている口元も、今は少し緩んでいる。
私は衝動に駆られ、そっと人差し指を伸ばした。

つん。

彼の頬を突いてみる。
弾力よし。肌の水分量よし。
健康状態は良好のようだ。

「……ん……」

シリウス様が僅かに身じろぎした。
私は慌てて手を引っ込めようとしたが、彼の大きな手が、無意識に私の手首を掴んだ。

「……あ」

「……カプリ……?」

ゆっくりと、その瞼が開く。
赤い瞳が、ぼんやりと私を映した。
寝起きの少し掠れた声が、鼓膜をくすぐる。

「……まだ、いてくれたのか」

「え、ええ。目が覚めるまで、バイタルチェック(生存確認)をしておりましたの」

「そうか……。ありがとう」

シリウス様は、掴んだ私の手を離そうとしなかった。
それどころか、少し力を込めて引き寄せた。

「えっ、ちょ、旦那様?」

バランスを崩した私は、ベッドに倒れ込むような体勢になった。
顔と顔の距離、わずか数センチ。
彼の吐息がかかる距離。

シリウス様は、まだ半分夢の中にいるようだった。
トロンとした瞳で私を見つめ、ふわりと微笑んだ。

「……可愛いな」

「は……?」

可愛い?
誰が?
私が?

思考回路がショートした。
普段の仏頂面からは想像もできない、甘く蕩けるような笑顔。
破壊力(攻撃力)が高すぎる。
これは精神干渉魔法の一種か?

「……カプリ」

彼は私の名前を呼ぶと、吸い寄せられるように顔を近づけてきた。

え?
嘘。
待って。
心の準備も、防護結界の展開もまだ──。

チュッ。

触れた。
柔らかくて、温かい感触が、唇に。

時が止まった。
小鳥の声も、風の音も消えた。
世界には、私と彼と、唇に残る熱だけがあった。

数秒の沈黙。

シリウス様がゆっくりと離れ、少しずつ覚醒していく。
瞳に理性の光が戻り……そして、自分のしでかした事態を認識した瞬間。

カッ!!!!!

彼の顔が、耳まで真っ赤に染まった。

「あ……あ、あ、俺は、今……!?」

彼はガバッと飛び起き、壁際まで後ずさった。
布団を盾にして震えている。

「す、すまん! 寝ぼけていた! 夢だと……いや、夢でもないが、その、つい……!」

彼はしどろもどろになりながら、必死に弁明している。
顔が赤い。
湯気が出ている。

私は、呆然と自分の唇に指を当てていた。

(……今の接触行動は……)

ドキドキと心臓がうるさい。
顔が熱い。
これは恋?
愛?

いいえ、違う。
私はカプリ・ヴァン・ローゼ。
稀代の魔導研究者だ。
こんな非論理的な現象に名前をつけるなら、答えは一つしかない!

私はバッと顔を上げ、真剣な眼差しでシリウス様を指差した。

「……旦那様!」

「は、はいッ!」

「今のは……『魔力譲渡(マナ・トランスファー)』の実験ですね!?」

「……は?」

シリウス様がポカンと口を開けた。
私は早口でまくし立てる。

「なるほど、そうでしたか! 古の文献に『粘膜接触による魔力パスの接続』という術式があると読んだことがあります! 手をつなぐよりも効率的に、かつダイレクトに魔力を送り込むための緊急措置……!」

「い、いや、カプリ、それは……」

「素晴らしい着眼点ですわ! 病み上がりで魔力が不安定だから、余剰魔力を私にパスして調整しようとしたのですね!? 言ってくだされば、もっと準備をしてから受け入れましたのに!」

私は懐から手帳を取り出し、サラサラとメモを取り始めた。

『被験体(夫)は睡眠直後の意識混濁状態において、本能的に最も効率的な魔力放出手段(キス)を選択。経口摂取による魔力伝導率は通常の3倍と推測される』

「ちが……違う……」

シリウス様が力なく呟いた。

「違うのですか?」

「違わない……いや、違くはないが……もっとこう、情緒というか……」

彼は頭を抱えてうずくまった。

「俺のファーストキスが……実験扱い……」

「ファーストキス!? まあ! 初めてだったのですか!」

「うるさい! 悪いか!」

「いえ、初めてにしては位置ズレもなく、完璧なドッキングでしたわ! さすが旦那様、空間把握能力に長けていらっしゃる!」

「褒めてない! それ全然嬉しくない!」

私は興奮冷めやらぬまま、ベッドに詰め寄った。

「で? どうでした? 魔力の流れ具合は? 私の回路と接続した時の抵抗値は? 何かビビッとくるものはありましたか!?」

シリウス様は、真っ赤な顔で私を見上げ、ため息交じりに言った。

「……ああ、あったよ。ビビッとな」

「やはり! 静電気のような衝撃が!」

「心臓が破裂するかと思ったよ……(可愛すぎて)」

「心停止!? それは危険ですわ! すぐに精密検査を!」

私は聴診器を取り出そうとしたが、シリウス様に止められた。
彼は私の手首を掴み、今度は優しく、でも力強く言った。

「……実験じゃない」

「え?」

「これは、夫婦の……挨拶だ。お早うの、挨拶」

彼はそう言って、私の額にコツンと自分の額を当てた。

「お早う、カプリ」

至近距離で見つめる赤い瞳。
そこには、実験対象を見るような冷たさはなく、ただただ温かい光が宿っていた。

「う……」

私は言葉に詰まった。
魔力譲渡じゃない?
挨拶?
そんな非効率な挨拶があるものか。
でも。

「……お、お早うございます、旦那様」

私の口からは、素直な言葉がこぼれ落ちた。
顔が熱い。
これは間違いなく、風邪が伝染ったのだと思う。

「……さて。着替えるから、出て行ってくれ」

シリウス様が咳払いをし、急にそっけなく言った。
でも、その耳がまだ赤いことを私は知っている。

「はいはい。朝食を用意しておきますわ。今日は『赤飯』にしましょうか?」

「なんでだよ! 祝うな!」

私は逃げるように部屋を出た。
廊下で一人、壁に背中を預けて深呼吸をする。

「……計算外だわ」

唇に指を当てる。
まだ、熱い。

「魔力譲渡の味……悪くないかも」

私はニマニマと怪しい笑みを浮かべながら、厨房へとスキップで向かった。
すれ違ったメイドたちが「奥様が壊れた」「春が来たのかしら(外は吹雪)」と囁き合っていたが、今の私にはどうでもよかった。

とりあえず、今日の研究テーマは『キスの感触と心拍数の相関関係』に決定だ。
被験体はもちろん、あの可愛い旦那様である。
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