婚約破棄で純愛アップデート、偽装婚約から真実の婚約へ

恋の箱庭

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アルトワ王国の王都に入った瞬間、わたくしを待ち受けていたのは、美しい石畳の街並み……ではなく、王宮入り口に積み上げられた「物流の目詰まり」でした。

「……殿下。あそこで立ち往生している荷馬車の列、あれは何かしら? 通行証の確認に一人あたり三分以上かかっているように見えますけれど。秒単位で計算すると、一日でどれほどの損失が出ているかお分かり?」

「……。リーマ、せめて馬車を降りてからにしてくれないかな。君の目は、もはや観光客のそれではなく、監査官のそれだよ」

ヴィンセント殿下は苦笑いしながら、わたくしの手を取って馬車から降ろしてくれました。
わたくしたちが王宮の回廊を進むと、通り過ぎる文官たちの多くが、わたくしを好奇の目で見つめ、コソコソと耳打ちをしています。

「おい、あれがセドリック殿下に捨てられたっていう公爵令嬢か?」
「有能だって噂だが、ただの悪役令嬢だろう?」

わたくしの耳には、そんな雑音はすべて筒抜けです。
しかし、そんなことよりもわたくしの意識を奪ったのは、文官たちが抱えている書類の「束ね方の甘さ」でした。
今すぐ背後から、インデックスを付けて整理して差し上げたい衝動に駆られますわ。

「ヴィンセント殿下、おかえりなさいませ。……して、そちらの方が例の?」

殿下の執務室の前で待ち構えていたのは、眼鏡をかけた神経質そうな初老の男性でした。
彼は殿下の筆頭秘書官、デュロイ伯爵。
わたくしを値踏みするような冷ややかな視線が、レンズの奥で光ります。

「ああ、紹介しよう。わが国の特別顧問として招いたリーマ・フォルテシモ嬢だ。デュロイ、彼女には俺の権限を一部委任している。まずは執務室の現状を把握してもらってくれ」

「……。殿下、いくらなんでも、他国の、しかもあのような不名誉な形で婚約破棄された令嬢に、わが国の重要書類を触らせるのは……」

「不名誉、ですか。デュロイ伯爵とお呼びすればよろしいかしら?」

わたくしは、殿下の後ろから一歩前へ出ました。
そして、彼が小脇に抱えていた一冊の報告書を、電光石火の速さで抜き取りました。

「な、何を……!?」

「失礼。……ほう、今期の『王宮維持費』の予算案ですか。……第十五ページの第七項目。庭園の噴水の清掃費が、去年の二倍になっていますわね。理由を聞いてもよろしくて?」

デュロイ伯爵は鼻で笑いました。

「ふん、そんな細かいこと。今年は雨が少なく、藻の発生が早かったからです。素人の令嬢には理解できないでしょうが……」

「あら。でも、第十八ページの『水道使用量』の統計データによれば、今年の清掃回数は去年と同一、かつ使用水量も横ばいですわ。……清掃費が二倍なのに、作業実態が変わっていない。……つまり、差額の半分はどこのどなたの懐に消えたのかしら?」

「な、……な、……っ!?」

デュロイ伯爵の顔から、一気に血の気が引きました。
わたくしはまだ、ページをパラパラと読み飛ばしただけです。
しかし、わたくしの頭脳は、矛盾した数字が並んでいると勝手にアラートが鳴る仕組みになっておりますの。

「ついでに申し上げますと、この綴じ方、右端が五ミリほどズレていますわ。非常に読みにくいです。……殿下、この国の文官は、算数と図工からやり直した方がよろしいのでは?」

「ははは! 初日からこれか! デュロイ、彼女の言うことは正しいよ。君、昨日新しい馬車を買ったらしいじゃないか。まさか、噴水の掃除代で買ったわけじゃないよね?」

ヴィンセント殿下が楽しそうに追い打ちをかけると、デュロイ伯爵は崩れ落ちるように膝をつきました。
周囲の文官たちが一斉に静まり返ります。

「……さて。殿下、まずはこの執務室のゴミ掃除——物理的な意味でも、人的な意味でも——から着手させていただきますわ。よろしいですわね?」

「ああ、好きにしてくれ。君がこの国をピカピカにしてくれるなら、俺は喜んでそのための盾になろう」

ヴィンセント殿下は、わたくしの肩を抱き寄せ、耳元で満足げに囁きました。

「……それにしてもリーマ。数字の矛盾を見つけた時の君の顔、最高に色っぽいよ」

「……。不適切な表現ですわ。それは単なる『生理的嫌悪感』が顔に出ているだけです。……それより殿下、この机の上の書類の山、三十分以内にすべてカテゴリ別に分類いたします。お茶を淹れて待っていてくださる?」

「お安い御用だ。……君の秘書になれるなら、お茶くらい喜んで淹れるよ」

わたくしは、震えているデュロイ伯爵からペンを奪い取ると、戦場へと足を踏み入れました。
悪役令嬢? 捨てられた女?
そんな安っぽいラベル、わたくしの生み出す「圧倒的な利益」と「完璧な秩序」で、すぐに上書きして差し上げますわ。

わたくしの隣国での生活は、波乱の予感というよりは、もはや「快感」に近い滑り出しとなったのでした。
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