11 / 27
11
アルトワ王宮の生活に馴染むにつれ、わたくしの周りには二種類の人間が増えていきました。
一方は、わたくしに書類を押し付ければ万事解決すると信じ切っている「依存型」の文官たち。
そしてもう一方は、余所者の女が王子の隣で大きな顔をしているのが面白くない「嫉妬型」の貴族たちです。
「……見て。あの方が例の『鉄の令嬢』よ。数字で人を殺せると噂の……」
「おーほっほっほ! あんなに眉間に皺を寄せていては、お肌の曲がり角が音を立ててやってきますわよ?」
王宮の回廊ですれ違う際、わざとらしく扇で口元を隠して囁く令嬢たち。
わたくしは、彼女たちが身にまとっているドレスの生地の質と、歩くリズムから算出される「日頃の運動不足」を瞬時に分析しながら、無表情で通り過ぎました。
「……リーマ嬢。随分と余裕だね。彼女たちの陰口、君の地獄耳なら聞こえているはずだが」
背後から現れたヴィンセント殿下が、楽しそうにわたくしの隣に並びました。
「殿下。意味のない音声情報を脳内で処理するのは、リソースの無駄遣いですわ。それよりも、あそこの令嬢が持っていた扇。……あれ、去年の流行遅れの型ですわね。実家の経済状況が芳しくないと宣伝しているようなものですわ」
「……君と喧嘩して勝てる人間は、この世に存在しない気がしてきたよ」
ヴィンセント殿下は苦笑し、わたくしの肩を抱き寄せました。
そのまま案内されたのは、王宮の端にある小さなテラス。
そこには、二人分の最高級のお茶と菓子が用意されていました。
「休憩も仕事のうちだ、リーマ。君の『最適化』されたスケジュールには、俺と過ごす甘い時間は含まれていないのかい?」
「……。殿下、わたくしの予定表には『栄養摂取および休息』として三十分確保してあります。それをあなたがどのように解釈しようと自由ですが、わたくしはこれを『次の業務への充電』と定義しておりますわ」
「相変わらず可愛くない。……だが、そんな君だからこそ、俺の隣にいてほしいんだ」
ヴィンセント殿下は、皿の上に載った真っ赤なイチゴのタルトを、フォークで小さく切り分けました。
そして、それをあろうことか、わたくしの口元へと運んできたのです。
「……殿下。セクハラ、および不必要な給仕による羞恥心の煽動は、業務妨害に当たりますわ」
「いいから、食べなさい。これは雇用主としての命令だ。……ほら、あーん」
「……。屈辱ですわ」
わたくしは殿下を睨みつけながらも、渋々そのタルトを口にしました。
……悔しいことに、絶品でした。
計算された甘み、サクサクとしたタルト生地の比率。
わたくしの脳が、一瞬で多幸感に包まれるのを感じました。
「……悪く、ありませんわね」
「だろう? 君はいつも自分を律しすぎている。……たまには、こうして俺に甘やかされるのも、効率的な『バグ取り』の一環だと思ってくれ」
ヴィンセント殿下が、わたくしの頬についたクリームを指先で拭い取り、それを自分の口へと運びました。
……あまりにも、あまりにも不合理な行動です。
わたくしの心臓が、設計ミスを疑うレベルで激しく拍動しました。
「……殿下、心拍数が異常値を示しております。今すぐ離れていただけます?」
「いやだね。君の心拍数を上げることこそが、俺の今の最優先タスクなんだ」
ヴィンセント殿下はそのまま、わたくしの手を握りしめました。
その手の熱が、わたくしの論理的な思考をじわじわと溶かしていきます。
「リーマ。君はもう、前の国でのように『使い捨てられる歯車』じゃない。俺にとって君は、世界を動かすための唯一無二のパートナーだ。……嫉妬する奴らなんて、俺がすべて黙らせてやる。だから君は、君のままでいろ」
「……。殿下は、時々……いえ、頻繁に、非常に非効率な情熱をぶつけてこられますわね」
わたくしは、握られた手を引き抜くことができませんでした。
いいえ、正確には「引き抜くメリットを見出せなかった」だけですわ。
ええ、決して、心地よいなどと思ってはおりません。
「……分かりました。そこまで仰るなら、わたくしの『管理対象』に、殿下の健康と情緒の安定も加えて差し上げます。……ただし、残業代は倍で請求いたしますわよ?」
「ははは! 安いものだ。……俺のすべてを、君に管理してほしいくらいだよ」
夕暮れに染まるテラスで、わたくしたちはしばらく、不合理で、非効率で、そしてこの上なく穏やかな時間を共有しました。
嫉妬や陰口など、わたくしの人生のノイズに過ぎません。
この温かな手の温もりがあれば、どんな「バグ」も乗り越えていける。
……そんな、らしくない考えが頭をよぎったのは、きっと甘いタルトのせいですわ。
わたくしは自分にそう言い聞かせ、赤くなった顔を、冷めた紅茶で隠したのでした。
一方は、わたくしに書類を押し付ければ万事解決すると信じ切っている「依存型」の文官たち。
そしてもう一方は、余所者の女が王子の隣で大きな顔をしているのが面白くない「嫉妬型」の貴族たちです。
「……見て。あの方が例の『鉄の令嬢』よ。数字で人を殺せると噂の……」
「おーほっほっほ! あんなに眉間に皺を寄せていては、お肌の曲がり角が音を立ててやってきますわよ?」
王宮の回廊ですれ違う際、わざとらしく扇で口元を隠して囁く令嬢たち。
わたくしは、彼女たちが身にまとっているドレスの生地の質と、歩くリズムから算出される「日頃の運動不足」を瞬時に分析しながら、無表情で通り過ぎました。
「……リーマ嬢。随分と余裕だね。彼女たちの陰口、君の地獄耳なら聞こえているはずだが」
背後から現れたヴィンセント殿下が、楽しそうにわたくしの隣に並びました。
「殿下。意味のない音声情報を脳内で処理するのは、リソースの無駄遣いですわ。それよりも、あそこの令嬢が持っていた扇。……あれ、去年の流行遅れの型ですわね。実家の経済状況が芳しくないと宣伝しているようなものですわ」
「……君と喧嘩して勝てる人間は、この世に存在しない気がしてきたよ」
ヴィンセント殿下は苦笑し、わたくしの肩を抱き寄せました。
そのまま案内されたのは、王宮の端にある小さなテラス。
そこには、二人分の最高級のお茶と菓子が用意されていました。
「休憩も仕事のうちだ、リーマ。君の『最適化』されたスケジュールには、俺と過ごす甘い時間は含まれていないのかい?」
「……。殿下、わたくしの予定表には『栄養摂取および休息』として三十分確保してあります。それをあなたがどのように解釈しようと自由ですが、わたくしはこれを『次の業務への充電』と定義しておりますわ」
「相変わらず可愛くない。……だが、そんな君だからこそ、俺の隣にいてほしいんだ」
ヴィンセント殿下は、皿の上に載った真っ赤なイチゴのタルトを、フォークで小さく切り分けました。
そして、それをあろうことか、わたくしの口元へと運んできたのです。
「……殿下。セクハラ、および不必要な給仕による羞恥心の煽動は、業務妨害に当たりますわ」
「いいから、食べなさい。これは雇用主としての命令だ。……ほら、あーん」
「……。屈辱ですわ」
わたくしは殿下を睨みつけながらも、渋々そのタルトを口にしました。
……悔しいことに、絶品でした。
計算された甘み、サクサクとしたタルト生地の比率。
わたくしの脳が、一瞬で多幸感に包まれるのを感じました。
「……悪く、ありませんわね」
「だろう? 君はいつも自分を律しすぎている。……たまには、こうして俺に甘やかされるのも、効率的な『バグ取り』の一環だと思ってくれ」
ヴィンセント殿下が、わたくしの頬についたクリームを指先で拭い取り、それを自分の口へと運びました。
……あまりにも、あまりにも不合理な行動です。
わたくしの心臓が、設計ミスを疑うレベルで激しく拍動しました。
「……殿下、心拍数が異常値を示しております。今すぐ離れていただけます?」
「いやだね。君の心拍数を上げることこそが、俺の今の最優先タスクなんだ」
ヴィンセント殿下はそのまま、わたくしの手を握りしめました。
その手の熱が、わたくしの論理的な思考をじわじわと溶かしていきます。
「リーマ。君はもう、前の国でのように『使い捨てられる歯車』じゃない。俺にとって君は、世界を動かすための唯一無二のパートナーだ。……嫉妬する奴らなんて、俺がすべて黙らせてやる。だから君は、君のままでいろ」
「……。殿下は、時々……いえ、頻繁に、非常に非効率な情熱をぶつけてこられますわね」
わたくしは、握られた手を引き抜くことができませんでした。
いいえ、正確には「引き抜くメリットを見出せなかった」だけですわ。
ええ、決して、心地よいなどと思ってはおりません。
「……分かりました。そこまで仰るなら、わたくしの『管理対象』に、殿下の健康と情緒の安定も加えて差し上げます。……ただし、残業代は倍で請求いたしますわよ?」
「ははは! 安いものだ。……俺のすべてを、君に管理してほしいくらいだよ」
夕暮れに染まるテラスで、わたくしたちはしばらく、不合理で、非効率で、そしてこの上なく穏やかな時間を共有しました。
嫉妬や陰口など、わたくしの人生のノイズに過ぎません。
この温かな手の温もりがあれば、どんな「バグ」も乗り越えていける。
……そんな、らしくない考えが頭をよぎったのは、きっと甘いタルトのせいですわ。
わたくしは自分にそう言い聞かせ、赤くなった顔を、冷めた紅茶で隠したのでした。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
悪女と呼ばれた王妃
アズやっこ
恋愛
私はこの国の王妃だった。悪女と呼ばれ処刑される。
処刑台へ向かうと先に処刑された私の幼馴染み、私の護衛騎士、私の従者達、胴体と頭が離れた状態で捨て置かれている。
まるで屑物のように足で蹴られぞんざいな扱いをされている。
私一人処刑すれば済む話なのに。
それでも仕方がないわね。私は心がない悪女、今までの行いの結果よね。
目の前には私の夫、この国の国王陛下が座っている。
私はただ、
貴方を愛して、貴方を護りたかっただけだったの。
貴方のこの国を、貴方の地位を、貴方の政務を…、
ただ護りたかっただけ…。
だから私は泣かない。悪女らしく最後は笑ってこの世を去るわ。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ ゆるい設定です。
❈ 処刑エンドなのでバットエンドです。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
4人の女
猫枕
恋愛
カトリーヌ・スタール侯爵令嬢、セリーヌ・ラルミナ伯爵令嬢、イネス・フーリエ伯爵令嬢、ミレーユ・リオンヌ子爵令息夫人。
うららかな春の日の午後、4人の見目麗しき女性達の優雅なティータイム。
このご婦人方には共通点がある。
かつて4人共が、ある一人の男性の妻であった。
『氷の貴公子』の異名を持つ男。
ジルベール・タレーラン公爵令息。
絶対的権力と富を有するタレーラン公爵家の唯一の後継者で絶世の美貌を持つ男。
しかしてその本性は冷酷無慈悲の女嫌い。
この国きっての選りすぐりの4人のご令嬢達は揃いも揃ってタレーラン家を叩き出された仲間なのだ。
こうやって集まるのはこれで2回目なのだが、やはり、話は自然と共通の話題、あの男のことになるわけで・・・。
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定