婚約破棄で純愛アップデート、偽装婚約から真実の婚約へ

恋の箱庭

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ヴィンセント殿下と「真実の契約」を交わしてから数日。
わたくしたちは、隣国の貴族たちが一堂に会する最高格の王宮夜会に出席いたしました。

これまでのような「利害の一致による偽装」ではございません。
わたくしの指には、ヴィンセント殿下が「君の瞳の色彩定数に最も近い」と豪語して選んだ、最高級のサファイアの指輪が輝いております。

「……リーマ。顔が少し硬いよ。昨夜の甘い余録が、まだ脳内で未処理のままなのかな?」

エスコートするヴィンセント殿下が、わたくしの腰をぐいと引き寄せ、耳元で揶揄するように囁きました。

「殿下、不適切な変数(じょうだん)は慎んでくださいませ。わたくし、現在は『全方位からの視線によるデータ収集』にリソースを割いておりますの。……それに、昨夜のことは……統計上の例外として処理済みですわ」

「ははは。例外にしては、あの時の君の心拍数は驚異的な数値を叩き出していたけれどね」

「……。警告第一号ですわよ」

わたくしたちが会場の扉を抜けると、以前にも増して重厚な静寂、そしてその後に爆発的なざわめきが沸き起こりました。
すでに「偽装婚約」の噂は広まっておりましたが、今日のわたくしたちから漂う空気は、以前のビジネスライクなそれとは明らかに異なっていたからです。

「見て、あの二人の距離……。以前はどこか事務的な雰囲気だったのに、今は……」
「ヴィンセント殿下のあの視線、まるで獲物を愛でる猛獣のようですわ……」

周囲の令嬢たちのひそひそ話が、わたくしの高性能な聴覚に飛び込んできます。
わたくしは背筋を伸ばし、隣に立つヴィンセント殿下という「世界で最も価値のある資産」を誇るように微笑みました。

そこへ、一人の高慢そうな公爵夫人が近づいてまいりました。
この国の社交界の重鎮であり、保守派の筆頭とされるバルザック夫人です。

「ヴィンセント殿下。……そして、フォルテシモ嬢。……お二人の仲睦まじいご様子、結構なことですわね。……ですが、この国の伝統を重んじる方々の間では、あのような『契約書のような婚約』は、少々味気ないという声もございますのよ」

夫人は扇で口元を隠し、わたくしを試すような視線を向けました。
わたくしは、淀みのない動作で優雅に一礼いたしました。

「夫人、左様でございますわね。……確かに、わたくしたちの始まりは、極めて論理的で効率的な『契約』から始まりましたわ。……ですが、数式というものは、時に計算の果てに『無限大』という解を導き出すことがございますの」

「無限大……?」

「ええ。現在のわたくしたちの関係は、もはや紙の上の条項では縛りきれないほどに肥大化した、強固な熱量によって維持されております。……もし夫人が『味気ない』と仰るのでしたら、わたくしが今からこの場で、殿下からの愛の言葉をすべてデータ化して、その糖度の高さを証明差し上げましょうか?」

わたくしが真顔で提案すると、バルザック夫人は「糖度……?」と呆気に取られたように絶句いたしました。

「おい、バルザック夫人。彼女を困らせるのはやめてもらおうか」

ヴィンセント殿下が、わたくしの肩を抱き寄せ、冷ややかで、かつ独占欲に満ちた視線を夫人に投げかけました。

「俺たちの仲が『味気ない』かどうかは、俺たちが一番よく知っている。……少なくとも、彼女の存在は俺にとって、この国のどの伝統よりも価値があるものだ。……それを疑うということは、俺の審美眼、ひいては俺の王位継承権の正当性を疑うということかな?」

「め、滅相もございませんわ、殿下……!」

夫人は顔を青ざめさせ、慌てて後退りしていきました。
わたくしは、殿下の腕の中で小さくため息をつきました。

「……殿下。今の発言、政治的なリスクが大きすぎますわ。……『審美眼』と『継承権』を並列に語るのは、論理的な飛躍です」

「いいんだよ。……俺は今、世界中に宣言したい気分なんだ。……俺がこの手に入れた唯一の宝物は、絶対に誰にも渡さないとな」

ヴィンセント殿下は、会場のど真ん中であるにもかかわらず、わたくしの額に、吸い付くような深いキスを落としました。
会場から、今日一番の悲鳴に近い歓声が上がります。

「……で、殿下! 公衆の面前での過剰な演出は、契約違反……いえ、……もう契約なんて、どうでもよくなってきましたわ」

「ははは。……ようやく素直になったね、リーマ。……さあ、ダンスを踊ろう。……君のステップがどれほど完璧か、この国の連中に見せつけてやるんだ」

オーケストラが優雅な旋律を奏で始めました。
わたくしは、彼の手に自分の手を重ね、光溢れるダンスフロアへと踏み出しました。

数字で測れる愛など、存在しない。
かつてそう断じたわたくしは、今、人生で最も測定不能な幸福の中に身を投じています。
悪役令嬢と呼ばれ、祖国を追われたその先に、これほどまでに「正解」と言える未来が待っていたなんて。

わたくしの人生の計算式は、今夜、完全なる完成を見たのでした。
……まあ、明日になればまた新しい業務(バグ)が山ほど降ってくるのでしょうけれど、今のわたくしには、それを共に片付ける最強のパートナーがおりますもの。
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