19 / 28
19
「……あら、ゼクスさん。そんなところで彫像のように固まって、どうなさいましたの? 入り口にお客様がお待ちですわよ」
私は厨房の窓から、入り口で呆然と立ち尽くしているゼクスさんに声をかけた。
トレイを持つ手が小刻みに震えている。これでは、名物の「ふわとろオムレツ」が、ただの「崩れた卵」になってしまいますわ。
「……あ、アマリリス。まずい。あのお方は……あのお方は、冗談じゃねえぞ」
ゼクスさんの顔が、今まで見たこともないほど蒼白になっている。
視線を入り口へ移すと、そこには一人の貴婦人が立っていた。
深い紫の旅装束に身を包み、顔はベールで隠されている。けれど、その立ち振る舞いから漏れ出る圧倒的な気品は、隠そうとして隠せるものではなかった。
「……。ここが、噂の砦か。かつての『野良犬』が、今は『給仕係』に成り下がったと聞いたが……。どうやら本当のようだな、ゼクス」
その凛とした声が響いた瞬間、砦の中の空気が一変した。
ギデオン様を始めとする元聖騎士団の面々が、一斉にその場に膝をついた。
「こ、これは……陛下! エメリン女王陛下ではありませんか!」
「……陛下? まあ、お隣の国の女王様ですのね」
私はエプロンを外し、優雅に彼女の前へ進み出た。
「ごきげんよう、エメリン陛下。私はこの砦の主、アマリリス・フローライトですわ。……そんなところで立ち話もなんですわ、奥の特別室へご案内しますわね」
「……。貴様が、我が国の精鋭を次々と『胃袋で洗脳』したという魔女か。面白い、その毒牙、私自ら確かめてやろう」
エメリン陛下は、私を射抜くような鋭い視線で眺めた後、静かに歩き出した。
「……お、おいアマリリス! 本気かよ! 陛下は、俺を追放した張本人なんだぞ!」
ゼクスさんが私の袖を必死に引っ張って囁く。
「あら、追放。それはまた、素敵なご縁ですわね。……ゼクスさん、貴方がかつて仕えた方に、今の貴方の『誇り』を見せて差し上げなさいな」
「誇り……?」
「ええ。磨き上げた床、整えた髪、そして……私が教えた、最高のおもてなしの心ですわ」
私はゼクスさんの背中を力強く叩き、彼を無理やり特別室へと押し込んだ。
特別室のテーブルを挟んで、エメリン陛下とゼクスさんが対峙する。
沈黙を破ったのは、陛下の手によって注がれたお茶の香りだった。
「……ゼクス。あの事件の折、お前を追放したのは、我が国の法を守るためだった。……恨んでいるか?」
「……。いえ。俺は、主君である陛下を守れなかった己の未熟さを恥じているだけです」
ゼクスさんは真っ直ぐに陛下を見つめて答えた。
「……そうか。だが、お前がこのような辺境で、魔女の下働きをしていると知った時は、正直落胆したぞ」
「下働きとは失礼ですわね、陛下」
私はトレイを手に、その場に割って入った。
「彼は、この砦の『平和』を守る立派な守護者ですわ。……さあ、陛下。思い出話の前に、こちらのスープを召し上がれ」
私が差し出したのは、何の飾り気もない、温かな「大麦と野菜のポタージュ」だった。
「……。これか? 毒々しい魔術の結晶かと思えば、随分と質素なものだな」
「ええ。でも、その一口が、貴方の『凍りついた記憶』を溶かすかもしれませんわよ?」
陛下は不審げに匙を手に取り、スープを一口口に含んだ。
「…………っ!!」
陛下の喉が、小さく震えた。
「これは……。この味は、まさか……。私が幼い頃、乳母に隠れて、厨房の片隅でゼクスと共に盗み食いした、あの『思い出のスープ』か?」
「あら、正解ですわ。ゼクスさんから聞いたレシピに、私なりのエッセンスを加えましたの」
「……。……。……ゼクス、お前……これを、覚えていたのか?」
陛下の瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。
「……。忘れるはずがありません。俺が騎士を志したのは、あの時、スープを分け合って笑ってくれた陛下を守りたかったからです」
ゼクスさんの不器用な言葉に、エメリン陛下は顔を覆い、声を殺して泣き始めた。
「……。完敗だな、アマリリス殿」
しばらくして、陛下は涙を拭い、清々しい表情で私を見た。
「お前は、胃袋だけでなく、人の『魂の欠片』までも拾い集めてしまうのか。……ゼクス、お前を連れ戻しに来たが、止めておこう。お前は今、この国籍を持たない小さな砦で、真の『騎士』として生きているのだな」
「……。はい、陛下。俺の居場所は、ここです」
ゼクスさんが力強く頷く。
「……。……よし。アマリリス殿、一つ提案がある。我が国とこの砦の間に、正式な『友好条約』を結ばないか? もちろん、優先予約権を条件にな」
「あら! 陛下、お目が高いですわね。喜んでお受けいたしますわ」
こうして、隣国の女王陛下までもが、私の「おもてなし」の軍門に降ったのである。
一方で、女王が砦を焼き払ってくれると期待していたウィルフレッド王子は。
「なぜだ……。なぜ女王までもが、砦から戻ってこない!? もしやあの砦は、一度入れば二度と出られない『迷宮』にでもなっているのか!?」
いえ、ただの「居心地の良いレストラン」ですわよ、王子。
私は厨房の窓から、入り口で呆然と立ち尽くしているゼクスさんに声をかけた。
トレイを持つ手が小刻みに震えている。これでは、名物の「ふわとろオムレツ」が、ただの「崩れた卵」になってしまいますわ。
「……あ、アマリリス。まずい。あのお方は……あのお方は、冗談じゃねえぞ」
ゼクスさんの顔が、今まで見たこともないほど蒼白になっている。
視線を入り口へ移すと、そこには一人の貴婦人が立っていた。
深い紫の旅装束に身を包み、顔はベールで隠されている。けれど、その立ち振る舞いから漏れ出る圧倒的な気品は、隠そうとして隠せるものではなかった。
「……。ここが、噂の砦か。かつての『野良犬』が、今は『給仕係』に成り下がったと聞いたが……。どうやら本当のようだな、ゼクス」
その凛とした声が響いた瞬間、砦の中の空気が一変した。
ギデオン様を始めとする元聖騎士団の面々が、一斉にその場に膝をついた。
「こ、これは……陛下! エメリン女王陛下ではありませんか!」
「……陛下? まあ、お隣の国の女王様ですのね」
私はエプロンを外し、優雅に彼女の前へ進み出た。
「ごきげんよう、エメリン陛下。私はこの砦の主、アマリリス・フローライトですわ。……そんなところで立ち話もなんですわ、奥の特別室へご案内しますわね」
「……。貴様が、我が国の精鋭を次々と『胃袋で洗脳』したという魔女か。面白い、その毒牙、私自ら確かめてやろう」
エメリン陛下は、私を射抜くような鋭い視線で眺めた後、静かに歩き出した。
「……お、おいアマリリス! 本気かよ! 陛下は、俺を追放した張本人なんだぞ!」
ゼクスさんが私の袖を必死に引っ張って囁く。
「あら、追放。それはまた、素敵なご縁ですわね。……ゼクスさん、貴方がかつて仕えた方に、今の貴方の『誇り』を見せて差し上げなさいな」
「誇り……?」
「ええ。磨き上げた床、整えた髪、そして……私が教えた、最高のおもてなしの心ですわ」
私はゼクスさんの背中を力強く叩き、彼を無理やり特別室へと押し込んだ。
特別室のテーブルを挟んで、エメリン陛下とゼクスさんが対峙する。
沈黙を破ったのは、陛下の手によって注がれたお茶の香りだった。
「……ゼクス。あの事件の折、お前を追放したのは、我が国の法を守るためだった。……恨んでいるか?」
「……。いえ。俺は、主君である陛下を守れなかった己の未熟さを恥じているだけです」
ゼクスさんは真っ直ぐに陛下を見つめて答えた。
「……そうか。だが、お前がこのような辺境で、魔女の下働きをしていると知った時は、正直落胆したぞ」
「下働きとは失礼ですわね、陛下」
私はトレイを手に、その場に割って入った。
「彼は、この砦の『平和』を守る立派な守護者ですわ。……さあ、陛下。思い出話の前に、こちらのスープを召し上がれ」
私が差し出したのは、何の飾り気もない、温かな「大麦と野菜のポタージュ」だった。
「……。これか? 毒々しい魔術の結晶かと思えば、随分と質素なものだな」
「ええ。でも、その一口が、貴方の『凍りついた記憶』を溶かすかもしれませんわよ?」
陛下は不審げに匙を手に取り、スープを一口口に含んだ。
「…………っ!!」
陛下の喉が、小さく震えた。
「これは……。この味は、まさか……。私が幼い頃、乳母に隠れて、厨房の片隅でゼクスと共に盗み食いした、あの『思い出のスープ』か?」
「あら、正解ですわ。ゼクスさんから聞いたレシピに、私なりのエッセンスを加えましたの」
「……。……。……ゼクス、お前……これを、覚えていたのか?」
陛下の瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。
「……。忘れるはずがありません。俺が騎士を志したのは、あの時、スープを分け合って笑ってくれた陛下を守りたかったからです」
ゼクスさんの不器用な言葉に、エメリン陛下は顔を覆い、声を殺して泣き始めた。
「……。完敗だな、アマリリス殿」
しばらくして、陛下は涙を拭い、清々しい表情で私を見た。
「お前は、胃袋だけでなく、人の『魂の欠片』までも拾い集めてしまうのか。……ゼクス、お前を連れ戻しに来たが、止めておこう。お前は今、この国籍を持たない小さな砦で、真の『騎士』として生きているのだな」
「……。はい、陛下。俺の居場所は、ここです」
ゼクスさんが力強く頷く。
「……。……よし。アマリリス殿、一つ提案がある。我が国とこの砦の間に、正式な『友好条約』を結ばないか? もちろん、優先予約権を条件にな」
「あら! 陛下、お目が高いですわね。喜んでお受けいたしますわ」
こうして、隣国の女王陛下までもが、私の「おもてなし」の軍門に降ったのである。
一方で、女王が砦を焼き払ってくれると期待していたウィルフレッド王子は。
「なぜだ……。なぜ女王までもが、砦から戻ってこない!? もしやあの砦は、一度入れば二度と出られない『迷宮』にでもなっているのか!?」
いえ、ただの「居心地の良いレストラン」ですわよ、王子。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
誘拐された公爵令嬢ですが、なぜか皇帝に溺愛されています』
富士山麓
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間――
目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。
そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。
一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。
選ばれる側から、選ぶ側へ。
これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。
聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します!
碧桜
恋愛
私は花園美月。20歳。派遣期間が終わり無職となった日、馴染の古書店で顔面偏差値高スペックなイケメンに出会う。さらに、そこで美少女が穴に吸い込まれそうになっていたのを助けようとして、私は古書店のイケメンと共に穴に落ちてしまい、異世界へ―。実は、聖女様として召喚されようとしてた美少女の代わりに、地味でオタクな私が間違って来てしまった!
落ちたその先の世界で出会ったのは、私の推しキャラと見た目だけそっくりな王(仮)や美貌の側近、そして古書店から一緒に穴に落ちたイケメンの彼は、騎士様だった。3人ともすごい美形なのに、みな癖強すぎ難ありなイケメンばかり。
オタクで人見知りしてしまう私だけど、元の世界へ戻れるまで2週間、タダでお世話になるのは申し訳ないから、お城でメイドさんをすることにした。平和にお給料分の仕事をして、異世界観光して、2週間後自分の家へ帰るつもりだったのに、ドラゴンや悪い魔法使いとか出てきて、異能を使うイケメンの彼らとともに戦うはめに。聖女様の召喚の邪魔をしてしまったので、美少女ではありませんが、地味で腐女子ですが出来る限り、精一杯頑張ります。
ついでに無愛想で苦手と思っていた彼は、なかなかいい奴だったみたい。これは、恋など始まってしまう予感でしょうか!?
*カクヨムにて先に連載しているものを加筆・修正をおこなって掲載しております
すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜
まりー
恋愛
ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。
でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
断罪される令嬢は、悪魔の顔を持った天使だった
Blue
恋愛
王立学園で行われる学園舞踏会。そこで意気揚々と舞台に上がり、この国の王子が声を張り上げた。
「私はここで宣言する!アリアンナ・ヴォルテーラ公爵令嬢との婚約を、この場を持って破棄する!!」
シンと静まる会場。しかし次の瞬間、予期せぬ反応が返ってきた。
アリアンナの周辺の目線で話しは進みます。