馬車ジャック!?入学も婚約破棄もまだですわよ?

恋の箱庭

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「……あら、ゼクスさん。そんなところで彫像のように固まって、どうなさいましたの? 入り口にお客様がお待ちですわよ」

私は厨房の窓から、入り口で呆然と立ち尽くしているゼクスさんに声をかけた。

トレイを持つ手が小刻みに震えている。これでは、名物の「ふわとろオムレツ」が、ただの「崩れた卵」になってしまいますわ。

「……あ、アマリリス。まずい。あのお方は……あのお方は、冗談じゃねえぞ」

ゼクスさんの顔が、今まで見たこともないほど蒼白になっている。

視線を入り口へ移すと、そこには一人の貴婦人が立っていた。

深い紫の旅装束に身を包み、顔はベールで隠されている。けれど、その立ち振る舞いから漏れ出る圧倒的な気品は、隠そうとして隠せるものではなかった。

「……。ここが、噂の砦か。かつての『野良犬』が、今は『給仕係』に成り下がったと聞いたが……。どうやら本当のようだな、ゼクス」

その凛とした声が響いた瞬間、砦の中の空気が一変した。

ギデオン様を始めとする元聖騎士団の面々が、一斉にその場に膝をついた。

「こ、これは……陛下! エメリン女王陛下ではありませんか!」


「……陛下? まあ、お隣の国の女王様ですのね」

私はエプロンを外し、優雅に彼女の前へ進み出た。

「ごきげんよう、エメリン陛下。私はこの砦の主、アマリリス・フローライトですわ。……そんなところで立ち話もなんですわ、奥の特別室へご案内しますわね」

「……。貴様が、我が国の精鋭を次々と『胃袋で洗脳』したという魔女か。面白い、その毒牙、私自ら確かめてやろう」

エメリン陛下は、私を射抜くような鋭い視線で眺めた後、静かに歩き出した。


「……お、おいアマリリス! 本気かよ! 陛下は、俺を追放した張本人なんだぞ!」

ゼクスさんが私の袖を必死に引っ張って囁く。

「あら、追放。それはまた、素敵なご縁ですわね。……ゼクスさん、貴方がかつて仕えた方に、今の貴方の『誇り』を見せて差し上げなさいな」

「誇り……?」

「ええ。磨き上げた床、整えた髪、そして……私が教えた、最高のおもてなしの心ですわ」

私はゼクスさんの背中を力強く叩き、彼を無理やり特別室へと押し込んだ。


特別室のテーブルを挟んで、エメリン陛下とゼクスさんが対峙する。

沈黙を破ったのは、陛下の手によって注がれたお茶の香りだった。

「……ゼクス。あの事件の折、お前を追放したのは、我が国の法を守るためだった。……恨んでいるか?」

「……。いえ。俺は、主君である陛下を守れなかった己の未熟さを恥じているだけです」

ゼクスさんは真っ直ぐに陛下を見つめて答えた。

「……そうか。だが、お前がこのような辺境で、魔女の下働きをしていると知った時は、正直落胆したぞ」

「下働きとは失礼ですわね、陛下」

私はトレイを手に、その場に割って入った。

「彼は、この砦の『平和』を守る立派な守護者ですわ。……さあ、陛下。思い出話の前に、こちらのスープを召し上がれ」


私が差し出したのは、何の飾り気もない、温かな「大麦と野菜のポタージュ」だった。

「……。これか? 毒々しい魔術の結晶かと思えば、随分と質素なものだな」

「ええ。でも、その一口が、貴方の『凍りついた記憶』を溶かすかもしれませんわよ?」

陛下は不審げに匙を手に取り、スープを一口口に含んだ。

「…………っ!!」

陛下の喉が、小さく震えた。

「これは……。この味は、まさか……。私が幼い頃、乳母に隠れて、厨房の片隅でゼクスと共に盗み食いした、あの『思い出のスープ』か?」

「あら、正解ですわ。ゼクスさんから聞いたレシピに、私なりのエッセンスを加えましたの」

「……。……。……ゼクス、お前……これを、覚えていたのか?」

陛下の瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。

「……。忘れるはずがありません。俺が騎士を志したのは、あの時、スープを分け合って笑ってくれた陛下を守りたかったからです」

ゼクスさんの不器用な言葉に、エメリン陛下は顔を覆い、声を殺して泣き始めた。


「……。完敗だな、アマリリス殿」

しばらくして、陛下は涙を拭い、清々しい表情で私を見た。

「お前は、胃袋だけでなく、人の『魂の欠片』までも拾い集めてしまうのか。……ゼクス、お前を連れ戻しに来たが、止めておこう。お前は今、この国籍を持たない小さな砦で、真の『騎士』として生きているのだな」

「……。はい、陛下。俺の居場所は、ここです」

ゼクスさんが力強く頷く。

「……。……よし。アマリリス殿、一つ提案がある。我が国とこの砦の間に、正式な『友好条約』を結ばないか? もちろん、優先予約権を条件にな」

「あら! 陛下、お目が高いですわね。喜んでお受けいたしますわ」


こうして、隣国の女王陛下までもが、私の「おもてなし」の軍門に降ったのである。

一方で、女王が砦を焼き払ってくれると期待していたウィルフレッド王子は。

「なぜだ……。なぜ女王までもが、砦から戻ってこない!? もしやあの砦は、一度入れば二度と出られない『迷宮』にでもなっているのか!?」

いえ、ただの「居心地の良いレストラン」ですわよ、王子。
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