お前の顔など見たくもない!と言われたので、仮面を被ったらヒロインに求婚される

恋の箱庭

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昨夜の余韻が冷めやらぬ、公爵邸の朝。


シャリー・フォンスは、自室の姿見の前で絶望の淵に立っていた。


鏡に映っているのは、磨き上げられた白磁のような肌に、夜空を溶かしたような黒髪を持つ美女。


しかし、その表情は……これから国家転覆の陰謀を企てる女帝のように、冷酷で、鋭く、そして恐ろしい。


(『お前の顔など、二度と見たくもない!』……。ああ、シリウス様のお言葉が、呪いのように頭の中で回っているわ)


シャリーは、昨夜のパーティーでの断罪劇を思い出しては、シーツを噛みしめたい衝動に駆られていた。


(シリウス様に嫌われた。顔も見たくないと言われた。でも、学園には行かなければならない。ならば、どうすればいいの? 顔を見せないように、這いつくばって移動すればいいのかしら……?)


そんな彼女の視界に、ふと、部屋の隅に飾られていたアンティークの「鉄仮面」が飛び込んできた。


それは、かつてフォンス家の先祖が戦場で身につけていたという、重厚で無骨なフルフェイスの仮面だった。


(……これだわ。これなら、シリウス様に私の顔を見せずに済む。お声もかけられないし、私のこの凶悪な表情で彼を震えさせることもない……はず!)


名案だと思った。

恋する乙女の迷走は、時として常軌を逸した決断を下させる。


「お嬢様、お迎えの馬車が……ひっ、ひいいいいいっ!?」


部屋に入ってきた侍女が、床に転げ落ちて腰を抜かした。


そこには、艶やかなドレスを纏いながらも、頭部だけがガチガチの鉄仮面という、異様な姿の令嬢が立っていたからだ。


「……おはよう。そんなに、驚くこと……かしら?」


鉄仮面の奥から、くぐもった重低音が響く。

もはや、声というよりは地を這う怨念に近い。


「そ、そそそ、そんな格好で登校されるのですか!? お嬢様、正気……いえ、お疲れなのですか!?」


「シリウス様が……私の顔を、見たくないと、仰ったの。だから、これは私の……せめてもの、配慮よ」


「配慮の方向性が完膚なきまでに間違っておりますお嬢様!」


侍女の悲鳴のようなツッコミも、今のシャリーの耳には届かない。

彼女は、鉄の冷たさに安心感を覚えながら、毅然とした足取り(周囲には処刑場へ向かう足取りに見える)で学園へと向かった。


学園の正門を潜った瞬間、ざわめきが波のように広がった。


「おい、見ろ……あれ……フォンス令嬢じゃないか?」


「何だあの格好は……。昨日、王子に婚約破棄されたショックで、ついに暗殺者にジョブチェンジしたのか?」


「鉄仮面から漏れる殺気がすごすぎる。近寄ったら首が飛ぶぞ」


生徒たちがモーゼの十戒のように左右に分かれる中、シャリーはひたすら前だけを見て歩く。


(……みんな、私を見てるわ。やっぱり、急に仮面なんて被ったら目立つわよね。でもいいの、シリウス様を不快にさせないためなら、私は鉄に魂を売るわ!)


すると、背後から猛烈な勢いで駆けてくる足音が聞こえた。


「シャリー様ぁぁぁーーー! 素晴らしい! そのセンス、脱帽です!」


ララ・メルだった。

彼女はシャリーの隣に並ぶと、うっとりとした表情で鉄仮面をなでまわした。


「な、なな……ララ様……?」


「分かりますよ、シャリー様。その仮面……。自分の美しさが王子を惑わせ、狂わせてしまうことを危惧しての、セルフ封印ですね!? まるで、強すぎる魔力を抑えるための拘束具のようです!」


(……いいえ、ただ顔を隠したかっただけなんだけど)


「しかも、この無骨な鉄と、繊細なドレスの対比! 『守られるだけの令嬢ではない、私は戦う乙女だ』という強い意志を感じます! 最高にパンクでエモいです!」


「……ぱんく? えも……?」


シャリーは首を傾げた。

仮面が「ガコン」と重々しい音を立てる。


「その音! その鈍い音さえも愛おしい! さあ、胸を張って行きましょう! 今日から学園のトレンドは『鉄仮面』ですよ!」


ララに腕を引かれ、シャリーは食堂へと向かう。

そこには、朝のコーヒーを優雅に楽しんでいたシリウスがいた。


「ふぅ……。昨夜は災難だったけれど、今日からは穏やかな学園生活が……っぶふぉぉぉっ!?」


シリウスは、視界に入ってきた「歩く鉄仮面」を見て、盛大にコーヒーを吹き出した。


「で、出たぁぁぁ! 鉄の化け物だ!」


「シリウス様……ごきげん……よう……」


シャリーは、仮面越しに精一杯の淑やかな挨拶を送った。

しかし、鉄板に反響した彼女の声は、まるで「お前の命を貰いに来た」という宣告のように響き渡った。


「ひいっ! 何だその格好は! 僕を驚かせて心臓麻痺で殺す気か!?」


「……いえ。顔を……見たくないと、仰ったので……」


「そうだけど! そうだけど、限度というものがあるだろう!? それじゃあまるで、僕がお前の顔を剥いだみたいに見えるじゃないか! 外聞が悪い!」


「……剥ぐ……? そんな、恐ろしいこと……私、いたしません……」


シャリーが悲しげにうつむくと、仮面の隙間から「シュウゥ……」と吐息が漏れた。

それは、まるで蒸気機関が暴走する直前の音のようだった。


「王子、失礼ですよ!」


ララが間に割って入る。


「シャリー様は、あなたの繊細な精神を慮って、自らこの重い鉄を被っておられるのです! いわばこれは、あなたへの愛の重さ、キログラム単位での具現化ですよ!」


「重すぎるよ! 物理的にも、情緒的にも!」


シリウスは椅子から転げ落ちんばかりに後退りした。


「僕は……僕はただ、普通に笑い合える婚約者が欲しかっただけなのに……。なぜ、僕の婚約者はどんどん『最終兵器』みたいになっていくんだ……!」


「安心してください王子。この仮面を脱ぐその時、あなたの前には最高の『真実』が待っていますから!」


「脱がなくていい! 一生被っててくれ! 怖いから!」


(……一生被ってて、いいの? それって、これからも側にいていいってことかしら……?)


シャリーは、鉄仮面の奥で、パッと頬を輝かせた。

もちろん、そんな彼女の喜びが伝わるはずもなく、周囲には「……ターゲット、固定。一生逃がさない」という暗殺完了の合図にしか見えなかった。


かくして、学園の歴史に「鉄仮面令嬢」という新たな伝説が刻まれた。

本人の意図とは裏腹に、二人の距離は、恐怖という名の鎖でさらに強固に(?)結ばれていくのであった。
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