悪役令嬢は断罪される前に、既に攻略済ですわ。

恋の箱庭

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王宮の一室。そこには、とても婚約破棄の話し合いとは思えないほどの「金勘定」の音が響いていた。


チャリン、チャリンと、エクレアが弾く算盤の音が、重苦しいはずの沈黙をリズミカルに刻む。


「……以上が、ラングドシャ公爵家が提示する婚約解消に伴う諸経費の明細でございます」


エクレアが、一通の分厚い書類をテーブルの向こう側へと滑らせた。
そこには、王立学園の文官たちが顔を青くするほどの数字が並んでいる。


「……ま、待て。これは何の冗談だ、ミルフィー! なぜ慰謝料の項目に『精神的苦痛』の他に、『王子の自慢話拝聴料』や『前髪を直すのを待たされた時間への対価』が入っているのだ!」


レオン王子が、書類を指差して叫んだ。


「あら、当然でしょう? 貴方の無意味に長い自分語りを聞かされている間、私の貴重な時間は奪われ続けていたのですわ。私の時給は、平民の年収の三倍は下りませんの。それを十年分……。これでも安く見積もった方ですわよ?」


私は扇を優雅に開き、勝ち誇ったように微笑んだ。


「それに、殿下。貴方は『真実の愛』を見つけたのでしょう? ならば、私という不純な存在を排除するためのコストを惜しむなんて、愛が浅いと言っているようなものですわ」


「ぐっ……! それとこれとは話が別だ! 国家予算の数パーセントを、一個人の慰謝料に充てるなど……!」


「あら、お困りでしたら、私の父に相談されますか? 父は今、娘の自由を祝って、私兵たちに最高級の肉を振る舞っているところですけれど。……交渉が決裂すれば、その矛先がどこへ向かうか、私には分かりませんわ」


私はわざとらしく首を傾げた。
背後に立つエクレアが、無言で剣の柄を叩く。


(……ふふふ。お父様の『娘大好きパワー』を政治利用するの、最高に気持ちいいわ)


「殿下! サインしてください! お姉様が早く自由にならないと、私たちが一緒に計画している『スイーツ巡りツアー』が遅れちゃうじゃないですか!」


隣に座っていたクララが、身を乗り出して王子を急かした。


「クララ、君まで……。私は君との輝かしい未来のために、この女を……!」


「輝かしい未来より、お姉様と食べるモンブランの方が大事です! ほら、ペンです! ぐいぐい!」


クララが強引に王子の手にペンを握らせる。
その勢いに押されたのか、あるいは私の背後の「圧力」に屈したのか、王子はついに震える手でサインを書き込んだ。


「……よし、受理いたしました」


エクレアが、乾く暇もなく書類を回収する。
その瞬間、私の背中から翼が生えたような解放感が全身を駆け巡った。


「おめでとうございます、お嬢様。これにて、法的に、公的に、そして霊的に、あのカボチャ……レオン殿下との縁は切れました」


「霊的にって何よ、エクレア。……でも、ようやくですわね」


私は立ち上がり、椅子を蹴るようにして……いえ、優雅に引いて立ち上がった。


「それでは殿下、ご機嫌よう。二度とお会いすることはないと思いますが、鏡の中の自分と末長くお幸せに。……クララ、行くわよ!」


「はい、お姉様! 自由万歳です!」


私たちは、呆然と立ち尽くす王子を置き去りにして、王宮の長い回廊をスキップせんばかりの足取りで進んだ。


「お姉様、これでお金持ちですね! 慰謝料、何に使うんですか?」


「決まっているでしょう。……自分の店を持つのよ。誰にも邪魔されず、私が美味しいと思うものだけを並べる、最高のサロンをね。もちろん、貴女はそこで一番の常連……いえ、看板娘として働かせてあげるわ」


「わぁ! 看板娘! 私、お姉様のために世界一の笑顔で接客します!」


クララが私の腕に抱きつき、ぴょんぴょんと跳ねる。


「……お嬢様。その前に、まずは実家で公爵様への報告が必要です。おそらく、庭園に祝宴の用意ができているはずですので」


「ええ、分かっているわ。今夜は浴びるほどお茶を飲んで、最高級のケーキを食べるわよ!」


夕日に染まる王宮の門をくぐりながら、私は心に誓った。
婚約破棄。それは不幸の始まりではない。
私とクララが、自分たちの手で幸せを掴み取るための、最高の「スタートライン」なのだと。


「お姉様、大好きですー!」


「……うるさいわね。……私も、貴女の焼いたシュークリームくらいは、好きよ」


悪役令嬢としての物語は、ここで一旦幕を閉じる。
けれど、ミルフィー・ラングドシャとしての「自由な人生」は、まだ始まったばかりだった。
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